4-2
*
部下達は、白露王を乱暴に引っ張っていった。だが、ついに、城門を出た辺りで、白露王は彼らを振り払ってしまった。
縄をかけ、数人がかりで引きずったのだが。まぁ、ここまで来ただけでも、狼達には御の字のことだった。
「白露王。いい加減になされ!」
いつも口うるさい者が、いつにもまして、険しく叫ぶ。
「貴方に何かあっては、困るのです!」
「そうかもしれんが、ましろを置いては行かれないじゃないか」
数人をのしてしまい、介抱する側に回ってしまった白露王が、道端で困惑の声をあげる。
「ですから。どうして、連れて来ないと、ならないんです。あの子は人間ですよ」
「理由が、必要か」
「必要です」
白露王が、珍しく、眉間に皺を寄せてうなっている。
「説明が難しいな」
「分かってます。それを、説明しろと言っているんです」
「放っておけないだろう」
「たとえ、白狼の仲間ではなくても?」
「なくても」
「では、ちゃんと、彼女の人生に対して、責任の取れる行動を、してください」
おお、と、周囲の、狼達がどよめいた。人型、狼型を問わず、そわそわと、長を見守る。
白露王が宣言した。
「最終的には、ましろが決めることだが……今は連れて帰る。危ないからな」
「だから! もっと! 具体的に!」
地団太を踏む狼を、「いやお前はよくやった」「十分頑張った」と、他の者がそっと慰めた。
*
日が落ちて、宮中は、もの寂しい風に吹かれていた。
兵らは夜番と交代が終わり、ずいぶんと静けさを取り戻している。
松明のない中、茂みをそっと、白いものが通り抜けた。
もう少しで、炊事場に着く。
ふと、白いものは顔をあげた。
薪を積んだ場所の手前に、人が、立っている。
白いものは、突然つけられた火で照らし出され、目を細めた。
「可愛い子犬の顔で戻れば、見逃されるとでも思っていたか?」
帝となった男が、傲然と笑っていた。
「シロと、呼ばれていたようだが。真なる名は何だ?」
白いものは、飛び跳ねて逃れようとする。
だが、網が四方から投げかけられた。すべてに呪いが込められており、どれほど暴れても食いちぎれない。
「誤算だったろう」
帝の指示で、網ごと、白いものは運ばれていく。帝の声だけが、その後を追いかけた。
「呪いには、かけた者であれば、どこにその残滓があるのか、分かるという特徴がある。そやつの見立てでは、狼が、呪いの一部を持っていったそうだ――お前は、狼だな」
白いものは、黙って、帝を見つめ返した。
*
かりかり、と床をかく音がして、ましろは目を開いた。いつの間にか眠っていたらしい。母の布を懐にしまい直して、ましろは居住まいを正す。
(誰が近づいてくるにしても、毅然とした対応をしなきゃ)
ふと、どさりと何かが倒れた。
「ましろ様」
か細い声が、御簾越しに聞こえる。
「明葉?」
ましろは、声がした方向へ行ってみた。少し先で、明かりを持った明葉が、子狸みたいな丸い目で、ましろを見上げた。
「どうしたの」
明葉の足下に、兵が転がされている。明葉が、頼もしく微笑んだ。
「何とかしました」
「何とか、って」
兵はぐっすり眠っているだけで、命に別状はなさそうだ。
「ましろ様。お怪我はありませんか」
「ないけど、明葉、貴方は貴矢と逃げたんじゃないの? 貴族はほとんど皆、出ていってしまったのに」
「暇をいただいてきました。片づけがあると言って」
「片づけ、って」
大きな影が近づいてきて、ましろは問いかけを中断した。身構えるが、相手は飛びかかってこなかった。
「白露王は、ここに来ていませんか」
「あっ……貴方、さっき白露王を引きずって帰った人……狼、です、よね」
明葉の目を思って、ましろは躊躇う。だが、兵の格好をした、大柄な男は、短く頷いた。
「そうです。――白露王は、こちらに来ていないのですね?」
「庭で離れてから、私は見てない。どうしたの? 行方不明なの?」
不安になったましろに、男が、声を潜めたまま身振りで憤りを表現した。
「白露王が! 勝手に! 一人で行かれるとは思わなかったのです」
「……一人で、内裏に戻ってきたの?」
「そうです、貴方のためです」
不満げに、男が吐き出す。明葉が、一瞬の沈黙にかぶせて、早口に言った。
「私は逃れる途中でしたが、城門の前でこの方達が騒いでいたので、助力のためについて戻ってきました」
「どうして」
「関わりがあるからです。今は説明しませんが。……白露王を探します」
「私も行く」
ましろが差し出した手を、明葉が掴んだ。
「もとより、そのつもりです」
「それがいい。貴方がいないと、白露王も戻られないようですから」
白露王の部下は、それ以上語らず、闇に消える。明葉に手を引かれ、ましろも歩きだした。
闇の中、先を行く男は人と出会うたびに、相手を一撃で倒していく。
「そうだ……明葉は、薬を調合できてたけど、梅の木の下から取り出された実が、何か、分かる?」
おそらく宮中でも一部の者しか知らないことだろう。だが、明葉は、何のことかと聞き返してこなかった。顔をしかめて、えぇ、と答える。
「梅の木の付近で、匂いがしていました。埋めてあるので、悪いことにはならないと、思ったんですが、早く取り除けばよかった。……帝に出た症状から見て、その実が使われたのでしょう。あれは、延命の、強い力を持つ実です。しかし、劇薬ですから、弱っている者にそのまま与えると、反動で死にます」
そして私の知る限り、と、明葉の声は、小さくなった。
「狼の、里にしか、生えません」
「里のことを、知ってるの?」
「訳あって。その関係で、白露王のことは知っています。お人好しな方ですが……死なせるには惜しい」
だから、と、明葉が囁いた。
「助けなくては」
*
「どんな気分だ?」
板敷きの床に、びっしりと釘が打たれている。釘のない、一段高くなった場所から見下ろして、帝はうっすら微笑んだ。
「……どんなも何も」
帝に答えた声は、かすれていたが、不思議と、恐れなど全く含んでいなかった。
「人間の常識として、狼に話しかけてきて、会話が成立するものかな」
白露王は、大人の狼の姿で、仰向けに転がされていた。釘はきれいに、彼の周りを避けている。
だが、釘に結びつけられた、細い細い蚕の糸が、縦横無尽に彼の体の上を通り、彼をしっぽ一つ動かせない状態に縛り付けていた。
「ただの狼のふりを、していなくてもよいのだぞ?」
狼の言葉が分からない証拠に、帝は、白露王に答えなかった。
はぁ、と白露王はため息をつく。
「参ったな」
細密に、釘も糸も、呪いをまとっている。今のところ、何をするでもない呪いだが、発動すれば命に関わりそうだった。
「ましろが、無事だといいんだが」
白露王の悠長な呟きを、聞くこともなく、帝が部屋を出ていった。
「……まぁ、元の呪いもほどいてくれたし、生け贄の儀式とかいうものが始まるまでは、何もしないんだろう」
ため息をついた。
それにしてもどうやって逃げようか。
白露王は、ひとまず目をつぶった。
*
進むうち、明かりがあるのに、辺りの闇が深まった。鼻先に何かが当たるような感触がする、暗さだった。
白露王の部下や、明葉に続いて、ましろもどうにか角を曲がる。
不意に、足下にびっしりと目が浮き上がった。
(うわっ)
内心で、恐怖が溢れ出す。叫びたかった。だが、ましろは毅然として踏みとどまった。
「何だ。怖くないのか」
老人の声が、つまらなさそうに広がった。
「そうね。こんなこともあるでしょ。変な人がたくさんいる、宮中だもの」
(狼も幽霊も喋るんだもの、ありえなくはない)
ましろが懸命に言うと、目が、それぞれ瞬きして、やがて最後に、いちどきに閉じ開きをした。
「何だつまらん。剛胆な娘だな」
すっと、潮のように目が引いていく。
ほの暗い闇の先、四角い顔の老人が、角の柱にすがっているのが見えた。
「明葉達はどこ?」
「先へ行ったぞ」
「どうして、私を呼び止めたの?」
「ここでわしのことが見えたのは、お前さんで、数人目だからな。これまで誰にも気づいてもらえなかった者が、気づいてもらえることを察知して、どうして話しかけないでいられよう」
(これまで、相手にしてくれる人が、いなかったのか……)
「つまり、用事はないわけね」
さっさと歩き出すましろに、老人はついて来なかった。ただ、声を投げてきた。
「狼を探しておるなら、左へ曲がれ」
(信じてもいいのかしら)
ましろは首をひねるが、ひとまず、ありがとうと礼を言っておいた。
辺りは再び静かになる。
やれやれ、教えてやったのだから、わしの孫を止めてくれよと、老人の幽霊は呟きながら消えていった。
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