4-2

 部下達は、白露王を乱暴に引っ張っていった。だが、ついに、城門を出た辺りで、白露王は彼らを振り払ってしまった。

 縄をかけ、数人がかりで引きずったのだが。まぁ、ここまで来ただけでも、狼達には御の字のことだった。

「白露王。いい加減になされ!」

 いつも口うるさい者が、いつにもまして、険しく叫ぶ。

「貴方に何かあっては、困るのです!」

「そうかもしれんが、ましろを置いては行かれないじゃないか」

 数人をのしてしまい、介抱する側に回ってしまった白露王が、道端で困惑の声をあげる。

「ですから。どうして、連れて来ないと、ならないんです。あの子は人間ですよ」

「理由が、必要か」

「必要です」

 白露王が、珍しく、眉間に皺を寄せてうなっている。

「説明が難しいな」

「分かってます。それを、説明しろと言っているんです」

「放っておけないだろう」

「たとえ、白狼の仲間ではなくても?」

「なくても」

「では、ちゃんと、彼女の人生に対して、責任の取れる行動を、してください」

 おお、と、周囲の、狼達がどよめいた。人型、狼型を問わず、そわそわと、長を見守る。

 白露王が宣言した。

「最終的には、ましろが決めることだが……今は連れて帰る。危ないからな」

「だから! もっと! 具体的に!」

 地団太を踏む狼を、「いやお前はよくやった」「十分頑張った」と、他の者がそっと慰めた。

 日が落ちて、宮中は、もの寂しい風に吹かれていた。

 兵らは夜番と交代が終わり、ずいぶんと静けさを取り戻している。

 松明のない中、茂みをそっと、白いものが通り抜けた。

 もう少しで、炊事場に着く。

 ふと、白いものは顔をあげた。

 薪を積んだ場所の手前に、人が、立っている。

 白いものは、突然つけられた火で照らし出され、目を細めた。

「可愛い子犬の顔で戻れば、見逃されるとでも思っていたか?」

 帝となった男が、傲然と笑っていた。

「シロと、呼ばれていたようだが。真なる名は何だ?」

 白いものは、飛び跳ねて逃れようとする。

 だが、網が四方から投げかけられた。すべてに呪いが込められており、どれほど暴れても食いちぎれない。

「誤算だったろう」

 帝の指示で、網ごと、白いものは運ばれていく。帝の声だけが、その後を追いかけた。

「呪いには、かけた者であれば、どこにその残滓があるのか、分かるという特徴がある。そやつの見立てでは、狼が、呪いの一部を持っていったそうだ――お前は、狼だな」

 白いものは、黙って、帝を見つめ返した。

 かりかり、と床をかく音がして、ましろは目を開いた。いつの間にか眠っていたらしい。母の布を懐にしまい直して、ましろは居住まいを正す。

(誰が近づいてくるにしても、毅然とした対応をしなきゃ)

 ふと、どさりと何かが倒れた。

「ましろ様」

 か細い声が、御簾越しに聞こえる。

「明葉?」

 ましろは、声がした方向へ行ってみた。少し先で、明かりを持った明葉が、子狸みたいな丸い目で、ましろを見上げた。

「どうしたの」

 明葉の足下に、兵が転がされている。明葉が、頼もしく微笑んだ。

「何とかしました」

「何とか、って」

 兵はぐっすり眠っているだけで、命に別状はなさそうだ。

「ましろ様。お怪我はありませんか」

「ないけど、明葉、貴方は貴矢と逃げたんじゃないの? 貴族はほとんど皆、出ていってしまったのに」

「暇をいただいてきました。片づけがあると言って」

「片づけ、って」

 大きな影が近づいてきて、ましろは問いかけを中断した。身構えるが、相手は飛びかかってこなかった。

「白露王は、ここに来ていませんか」

「あっ……貴方、さっき白露王を引きずって帰った人……狼、です、よね」

 明葉の目を思って、ましろは躊躇う。だが、兵の格好をした、大柄な男は、短く頷いた。

「そうです。――白露王は、こちらに来ていないのですね?」

「庭で離れてから、私は見てない。どうしたの? 行方不明なの?」

 不安になったましろに、男が、声を潜めたまま身振りで憤りを表現した。

「白露王が! 勝手に! 一人で行かれるとは思わなかったのです」

「……一人で、内裏に戻ってきたの?」

「そうです、貴方のためです」

 不満げに、男が吐き出す。明葉が、一瞬の沈黙にかぶせて、早口に言った。

「私は逃れる途中でしたが、城門の前でこの方達が騒いでいたので、助力のためについて戻ってきました」

「どうして」

「関わりがあるからです。今は説明しませんが。……白露王を探します」

「私も行く」

 ましろが差し出した手を、明葉が掴んだ。

「もとより、そのつもりです」

「それがいい。貴方がいないと、白露王も戻られないようですから」

 白露王の部下は、それ以上語らず、闇に消える。明葉に手を引かれ、ましろも歩きだした。

 闇の中、先を行く男は人と出会うたびに、相手を一撃で倒していく。

「そうだ……明葉は、薬を調合できてたけど、梅の木の下から取り出された実が、何か、分かる?」

 おそらく宮中でも一部の者しか知らないことだろう。だが、明葉は、何のことかと聞き返してこなかった。顔をしかめて、えぇ、と答える。

「梅の木の付近で、匂いがしていました。埋めてあるので、悪いことにはならないと、思ったんですが、早く取り除けばよかった。……帝に出た症状から見て、その実が使われたのでしょう。あれは、延命の、強い力を持つ実です。しかし、劇薬ですから、弱っている者にそのまま与えると、反動で死にます」

 そして私の知る限り、と、明葉の声は、小さくなった。

「狼の、里にしか、生えません」

「里のことを、知ってるの?」

「訳あって。その関係で、白露王のことは知っています。お人好しな方ですが……死なせるには惜しい」

 だから、と、明葉が囁いた。

「助けなくては」

「どんな気分だ?」

 板敷きの床に、びっしりと釘が打たれている。釘のない、一段高くなった場所から見下ろして、帝はうっすら微笑んだ。

「……どんなも何も」

 帝に答えた声は、かすれていたが、不思議と、恐れなど全く含んでいなかった。

「人間の常識として、狼に話しかけてきて、会話が成立するものかな」

 白露王は、大人の狼の姿で、仰向けに転がされていた。釘はきれいに、彼の周りを避けている。

 だが、釘に結びつけられた、細い細い蚕の糸が、縦横無尽に彼の体の上を通り、彼をしっぽ一つ動かせない状態に縛り付けていた。

「ただの狼のふりを、していなくてもよいのだぞ?」

 狼の言葉が分からない証拠に、帝は、白露王に答えなかった。

 はぁ、と白露王はため息をつく。

「参ったな」

 細密に、釘も糸も、呪いをまとっている。今のところ、何をするでもない呪いだが、発動すれば命に関わりそうだった。

「ましろが、無事だといいんだが」

 白露王の悠長な呟きを、聞くこともなく、帝が部屋を出ていった。

「……まぁ、元の呪いもほどいてくれたし、生け贄の儀式とかいうものが始まるまでは、何もしないんだろう」

 ため息をついた。

 それにしてもどうやって逃げようか。

 白露王は、ひとまず目をつぶった。

 進むうち、明かりがあるのに、辺りの闇が深まった。鼻先に何かが当たるような感触がする、暗さだった。

 白露王の部下や、明葉に続いて、ましろもどうにか角を曲がる。

 不意に、足下にびっしりと目が浮き上がった。

(うわっ)

 内心で、恐怖が溢れ出す。叫びたかった。だが、ましろは毅然として踏みとどまった。

「何だ。怖くないのか」

 老人の声が、つまらなさそうに広がった。

「そうね。こんなこともあるでしょ。変な人がたくさんいる、宮中だもの」

(狼も幽霊も喋るんだもの、ありえなくはない)

 ましろが懸命に言うと、目が、それぞれ瞬きして、やがて最後に、いちどきに閉じ開きをした。

「何だつまらん。剛胆な娘だな」

 すっと、潮のように目が引いていく。

 ほの暗い闇の先、四角い顔の老人が、角の柱にすがっているのが見えた。

「明葉達はどこ?」

「先へ行ったぞ」

「どうして、私を呼び止めたの?」

「ここでわしのことが見えたのは、お前さんで、数人目だからな。これまで誰にも気づいてもらえなかった者が、気づいてもらえることを察知して、どうして話しかけないでいられよう」

(これまで、相手にしてくれる人が、いなかったのか……)

「つまり、用事はないわけね」

 さっさと歩き出すましろに、老人はついて来なかった。ただ、声を投げてきた。

「狼を探しておるなら、左へ曲がれ」

(信じてもいいのかしら)

 ましろは首をひねるが、ひとまず、ありがとうと礼を言っておいた。

 辺りは再び静かになる。

 やれやれ、教えてやったのだから、わしの孫を止めてくれよと、老人の幽霊は呟きながら消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る