3-9
*
(戦の支度?)
羽黒も、皇子も、そんな話はしていない、ようだ。
けれど、いつも底意のありそうなあの皇子なら、いくらでも隠している気はする。
(うーん?)
白露王に言われた翌日、ましろは皇子に呼ばれ、琴をひかされた。
事情を探ってみたい。だが、ましろの仕草の一つ一つで、女達がくすくす笑う。それでましろは耳と尾が毛羽立って、いらいらしてうまい言葉が思いつかない。
周りのからかいに反応せず、むすくれて考えごとをしていたせいか、皇子が人払いをした。
「どうした。もののけに悩みでもあるのか」
「もののけじゃありませんし」
どう言えばよいのだろう。
眉根を寄せて、ましろは、ふう、と息を吐いた。
「何だ何だ。これまで、いかなる嫌がらせにもめげなかったが。何があった?」
「興味深そうに見ないでください」
「言えばどうとでもしてやるぞ? 西の守の娘がうるさいか? それとも羽黒か?」
「そんなんじゃありません。叩きそびれた黒虫みたいに、やたらめったら顔を覗き込んでこないで」
「新しい表現だな。お前の兄が教えてくれたのか?」
「お兄様は、そんなこと言いません。すごくいい人です」
「兄妹、仲良くしてはいるようだな?」
「……貴方は、他の皇子とは遊んだり、しないんですか」
「しないな」
含みのある笑みで、皇子が脇息に肘を乗せた。頬杖を突き、しどけなくましろを見る。
「どうした? 政(まつりごと)に口を挟みたくなったか」
「いいえ、まったく全然。私が何か言ったところで、貴方が叶えるとは思えないし」
「これはひどい」
声を立てずに笑って、いつもよりも親しみ深げに、皇子が見つめる。
その視線に、ましろは思わず呟いた。
「私が何かを言えば、誰かが幸せになったりする?」
答えはなかった。琴の続きをひかされ、つたない音程をからかわれながら、ましろは、しばらく、考えていた。
(たぶん、この人は、いろんなことを自分で決めている。戦をするというのなら、するんじゃ、ないかしら)
「おそれながら!」
官吏が駆け込んでくる。
兄皇子の動向を謀反ととらえて、こちらから迎え撃ってよいかと、いう内容だった。官吏は確認事項を並べていく。皇子は微笑み、頷くか、訂正を求めた。
――結局、このときの争いは、兄皇子が川縁に追い込まれ、ずぶぬれで捕まって終わった。
それですべてが終わり、とはいかなかった。兄皇子というものが、他にも何人かいるようで、時折、同じことが繰り返された。
その一派と関わりのあった女達が、すうっと、燭台の火が消えるようにして去っていった。
静かに、何かが入れ替わる。気味の悪さを感じて、でも何もできなくて、ましろは、黙って機を織った。
*
「帝の具合は」
「よくはない」
宮中で、ざわざわと、官吏達が呟きあう。
「手は尽くしているのだが」
「そういえば、この敷地内で枯れ木が甦ったとか」
「あやかって、その花でも献上するか」
冗談混じりに、官吏が囁く。
それが聞こえたのか、その日のうちに梅の木の根本が掘り返された。
橘に似た実が見つかった。
「不老不死の、異界より持ち込まれた、木の実ではないか? であれば、面白いな」
実を持ち込まれた皇子は、話半分で笑っている。
「よし。兄上に、そっと奉れ。それと気づかれぬようにな」
皇子の晴れがましい笑みに、配下は、背筋を凍らせる。それでもおとなしく、ひざまづいた。
「御意」
*
無心に作っていたら、短い帯飾りが完成した。
利緒の部屋でよく話す少女が、ましろの手元を覗き込む。
「人にあげるの?」
「うん」
「男の人?」
「えっ、う、うん」
「協力してあげる!」
楽しげに、少女達が集まってくる。彼女らの手で、ましろは唇に紅をひき、着物も変えて、髪も一部結い上げた。
「頑張って!」
「あっ、ありがとう……」
押し出されて、ましろはどきどきしながら、駆けていく。
「で、一体、相手は誰なのかしら」
「さぁ」
「まぁ、見に行くなんてヤボよ」
「そうねぇ。うまくいくと、いいわね」
見送る少女達は、久々の明るい話題に、楽しそうに笑いあった。
*
「白露王」
ましろは呼びかける。白露王は子狼の姿で、籠の中から返事をした。
「あのね。これ」
籠の口を開けて、手を入れる。太陽みたいな明るい色の帯を、白露王の首周りに回して、軽く留めてやった。
「これ、自分で、作ったの」
「そうか。綺麗だな。くれるのか?」
「うん」
「ありがとう」
ましろの掌に、白露王の頭が押しつけられる。
「今、周囲に人間の気配はないな。最近、お前を見張る者がたまにいなくなる」
「そうなの?」
「忙しいんだろう……」
白露王が、ひょいと籠を飛び出した。
慌てるましろの前で、人の姿になった。
首に掛けていた帯は、剣を吊す帯に結ぶ。
「おやっ。あんた、またはぐれてんのかい」 炊事場の女達が戻ってきて、声をあげた。
不審な人間と話している、のが見つかるのはまずい。ましろは白露王を隠そうとしたが、白露王はむしろ前へ出た。
「まぁ、そんなところだ」
「あれ、何だい? ましろじゃないかい。あんた達、知り合いなの」
「えっ?」
びっくりして慌てるましろに、白露王は
笑いかける。
「そう。似たような地方から来たのでな」
「ましろも、いい服着て。こんなとこにいて、いいのかい」
「うん、ちょっとだけ」
「こっちで何か、食べてくかい」
ましろは、白露王と並んで薪の上に腰掛ける。木の実をもらった。女達との会話の中で、徐々に、白露王が何をしていたのか、見えてきた。
(呆れた)
白露王は、隙を見ては人の姿になって、新兵に混じってみたり、あちこちに行っているようだ。
(もし知られたら、どうかされてしまうのに)
この人は、ましろが止めても、大丈夫だと言って、気にしないだろう。
自分の織った帯が、白露王の帯に結ばれている。守ってあげてねと、ましろは帯に密かに願った。
女達が日々の作業をする中、白露王がさりげなく声を潜めた。
「ましろ。木の下も掘り返されてるし、そろそろ引き上げ時だ。どうする」
白露王は、帰るつもりなのだ。
「母さんのことが、はっきり分かってなくて、今すぐは決められない」
ましろは答えながら、後ろめたさでいっぱいになる。
ここにいれば、居場所がある。でも。
(ここにいると、決めてしまったら、白露王はきっと、行ってしまう)
この着物を着せてくれるとき、少女達は口々に言っていた。恋はいいわねえ、と。
(恋……)
女達は、炊事場の中で作業している。二人だけになったので、ましろは、勇気を振り絞ることにした。
「ねぇ白露王。見てこれ」
「うん?」
人の姿で、すっかり、田舎から出てきた下級役人、あるいはそのお付きの者になりきっている白露王が、振り返った。
渾身の思いで、ましろは言う。
「これ。可愛いでしょう」
「うん?」
意図が掴めなかったのか、白露王が首を傾げる。
「可愛い?」
「似合っている。帯の下の方は、自分でやったのか?」
「分かった!?」
「ほつれたところを、自分で染めた布でうまく繋いであるような……」
「どうして分かったの」
「お前の家の前で見かけた糸に、似ていたからな。それと、わざわざ聞いてきたから、理由があるのかなと思って」
「……」
ましろは半眼になる。自分でも、何で怒っているのか、よく分からない。
「これも作ってくれたし、よい織り手だな、ましろ」
白露王が笑う。
ましろは半笑いになった。
褒めてくれるのはいいが、そういうことじゃ、ない。
「ましろ、さっきは楽しそうだったのに、急に機嫌が悪いのね」
「別に」
ましろは、利緒の部屋で、元通りの格好になった。そのまま、弦を切りかねない勢いで琴をひこうとするので、追い払われてしまった。
いらいらして、炊事場の前を通ると、休憩中のお姉さん達に声をかけられる。
「ねぇ、さっき可愛い格好して来てたけど、あの新兵さんと仲いいの? あの後どうなった?」
「……別に、何も」
「可愛いって、相手が言わなかったの?」
「似合ってるとは、言ってくれたんですけど。何かこう……今一つ、妹的な位置から抜け出せないって言うか……」
「やぁだ。相手、相当の朴念仁だわぁ」
「ちゃんと科作った?」
お姉さん達にどやされながら、ましろは、ちょっと見逃してほしいと言ってから、裏手に向かう。
籠の中にいた、子狼姿の白露王が、首を傾げた。
聞こえていたか、この朴念仁。
ましろのむくれ顔に、白露王は、今度は反対側に首を傾げた。
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