3-9

(戦の支度?)

 羽黒も、皇子も、そんな話はしていない、ようだ。

 けれど、いつも底意のありそうなあの皇子なら、いくらでも隠している気はする。

(うーん?)

 白露王に言われた翌日、ましろは皇子に呼ばれ、琴をひかされた。

 事情を探ってみたい。だが、ましろの仕草の一つ一つで、女達がくすくす笑う。それでましろは耳と尾が毛羽立って、いらいらしてうまい言葉が思いつかない。

 周りのからかいに反応せず、むすくれて考えごとをしていたせいか、皇子が人払いをした。

「どうした。もののけに悩みでもあるのか」

「もののけじゃありませんし」

 どう言えばよいのだろう。

 眉根を寄せて、ましろは、ふう、と息を吐いた。

「何だ何だ。これまで、いかなる嫌がらせにもめげなかったが。何があった?」

「興味深そうに見ないでください」

「言えばどうとでもしてやるぞ? 西の守の娘がうるさいか? それとも羽黒か?」

「そんなんじゃありません。叩きそびれた黒虫みたいに、やたらめったら顔を覗き込んでこないで」

「新しい表現だな。お前の兄が教えてくれたのか?」

「お兄様は、そんなこと言いません。すごくいい人です」

「兄妹、仲良くしてはいるようだな?」

「……貴方は、他の皇子とは遊んだり、しないんですか」

「しないな」

 含みのある笑みで、皇子が脇息に肘を乗せた。頬杖を突き、しどけなくましろを見る。

「どうした? 政(まつりごと)に口を挟みたくなったか」

「いいえ、まったく全然。私が何か言ったところで、貴方が叶えるとは思えないし」

「これはひどい」

 声を立てずに笑って、いつもよりも親しみ深げに、皇子が見つめる。

 その視線に、ましろは思わず呟いた。

「私が何かを言えば、誰かが幸せになったりする?」

 答えはなかった。琴の続きをひかされ、つたない音程をからかわれながら、ましろは、しばらく、考えていた。

(たぶん、この人は、いろんなことを自分で決めている。戦をするというのなら、するんじゃ、ないかしら)

「おそれながら!」

 官吏が駆け込んでくる。

 兄皇子の動向を謀反ととらえて、こちらから迎え撃ってよいかと、いう内容だった。官吏は確認事項を並べていく。皇子は微笑み、頷くか、訂正を求めた。

 ――結局、このときの争いは、兄皇子が川縁に追い込まれ、ずぶぬれで捕まって終わった。

 それですべてが終わり、とはいかなかった。兄皇子というものが、他にも何人かいるようで、時折、同じことが繰り返された。

 その一派と関わりのあった女達が、すうっと、燭台の火が消えるようにして去っていった。

 静かに、何かが入れ替わる。気味の悪さを感じて、でも何もできなくて、ましろは、黙って機を織った。

「帝の具合は」

「よくはない」

 宮中で、ざわざわと、官吏達が呟きあう。

「手は尽くしているのだが」

「そういえば、この敷地内で枯れ木が甦ったとか」

「あやかって、その花でも献上するか」

 冗談混じりに、官吏が囁く。

 それが聞こえたのか、その日のうちに梅の木の根本が掘り返された。

 橘に似た実が見つかった。

「不老不死の、異界より持ち込まれた、木の実ではないか? であれば、面白いな」

 実を持ち込まれた皇子は、話半分で笑っている。

「よし。兄上に、そっと奉れ。それと気づかれぬようにな」

 皇子の晴れがましい笑みに、配下は、背筋を凍らせる。それでもおとなしく、ひざまづいた。

「御意」

 無心に作っていたら、短い帯飾りが完成した。

 利緒の部屋でよく話す少女が、ましろの手元を覗き込む。

「人にあげるの?」

「うん」

「男の人?」

「えっ、う、うん」

「協力してあげる!」

 楽しげに、少女達が集まってくる。彼女らの手で、ましろは唇に紅をひき、着物も変えて、髪も一部結い上げた。

「頑張って!」

「あっ、ありがとう……」

 押し出されて、ましろはどきどきしながら、駆けていく。


「で、一体、相手は誰なのかしら」

「さぁ」

「まぁ、見に行くなんてヤボよ」

「そうねぇ。うまくいくと、いいわね」

 見送る少女達は、久々の明るい話題に、楽しそうに笑いあった。

「白露王」

 ましろは呼びかける。白露王は子狼の姿で、籠の中から返事をした。

「あのね。これ」

 籠の口を開けて、手を入れる。太陽みたいな明るい色の帯を、白露王の首周りに回して、軽く留めてやった。

「これ、自分で、作ったの」

「そうか。綺麗だな。くれるのか?」

「うん」

「ありがとう」

 ましろの掌に、白露王の頭が押しつけられる。

「今、周囲に人間の気配はないな。最近、お前を見張る者がたまにいなくなる」

「そうなの?」

「忙しいんだろう……」

 白露王が、ひょいと籠を飛び出した。

 慌てるましろの前で、人の姿になった。

 首に掛けていた帯は、剣を吊す帯に結ぶ。

「おやっ。あんた、またはぐれてんのかい」 炊事場の女達が戻ってきて、声をあげた。

 不審な人間と話している、のが見つかるのはまずい。ましろは白露王を隠そうとしたが、白露王はむしろ前へ出た。

「まぁ、そんなところだ」

「あれ、何だい? ましろじゃないかい。あんた達、知り合いなの」

「えっ?」

 びっくりして慌てるましろに、白露王は

笑いかける。

「そう。似たような地方から来たのでな」

「ましろも、いい服着て。こんなとこにいて、いいのかい」

「うん、ちょっとだけ」

「こっちで何か、食べてくかい」

 ましろは、白露王と並んで薪の上に腰掛ける。木の実をもらった。女達との会話の中で、徐々に、白露王が何をしていたのか、見えてきた。

(呆れた)

 白露王は、隙を見ては人の姿になって、新兵に混じってみたり、あちこちに行っているようだ。

(もし知られたら、どうかされてしまうのに)

 この人は、ましろが止めても、大丈夫だと言って、気にしないだろう。

 自分の織った帯が、白露王の帯に結ばれている。守ってあげてねと、ましろは帯に密かに願った。

 女達が日々の作業をする中、白露王がさりげなく声を潜めた。

「ましろ。木の下も掘り返されてるし、そろそろ引き上げ時だ。どうする」

 白露王は、帰るつもりなのだ。

「母さんのことが、はっきり分かってなくて、今すぐは決められない」

 ましろは答えながら、後ろめたさでいっぱいになる。

 ここにいれば、居場所がある。でも。

(ここにいると、決めてしまったら、白露王はきっと、行ってしまう)

 この着物を着せてくれるとき、少女達は口々に言っていた。恋はいいわねえ、と。

(恋……)

 女達は、炊事場の中で作業している。二人だけになったので、ましろは、勇気を振り絞ることにした。

「ねぇ白露王。見てこれ」

「うん?」

 人の姿で、すっかり、田舎から出てきた下級役人、あるいはそのお付きの者になりきっている白露王が、振り返った。

 渾身の思いで、ましろは言う。

「これ。可愛いでしょう」

「うん?」

 意図が掴めなかったのか、白露王が首を傾げる。

「可愛い?」

「似合っている。帯の下の方は、自分でやったのか?」

「分かった!?」

「ほつれたところを、自分で染めた布でうまく繋いであるような……」

「どうして分かったの」

「お前の家の前で見かけた糸に、似ていたからな。それと、わざわざ聞いてきたから、理由があるのかなと思って」

「……」

 ましろは半眼になる。自分でも、何で怒っているのか、よく分からない。

「これも作ってくれたし、よい織り手だな、ましろ」

 白露王が笑う。

 ましろは半笑いになった。

 褒めてくれるのはいいが、そういうことじゃ、ない。


「ましろ、さっきは楽しそうだったのに、急に機嫌が悪いのね」

「別に」

 ましろは、利緒の部屋で、元通りの格好になった。そのまま、弦を切りかねない勢いで琴をひこうとするので、追い払われてしまった。

 いらいらして、炊事場の前を通ると、休憩中のお姉さん達に声をかけられる。

「ねぇ、さっき可愛い格好して来てたけど、あの新兵さんと仲いいの? あの後どうなった?」

「……別に、何も」

「可愛いって、相手が言わなかったの?」

「似合ってるとは、言ってくれたんですけど。何かこう……今一つ、妹的な位置から抜け出せないって言うか……」

「やぁだ。相手、相当の朴念仁だわぁ」

「ちゃんと科作った?」

 お姉さん達にどやされながら、ましろは、ちょっと見逃してほしいと言ってから、裏手に向かう。

 籠の中にいた、子狼姿の白露王が、首を傾げた。

 聞こえていたか、この朴念仁。

 ましろのむくれ顔に、白露王は、今度は反対側に首を傾げた。

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