3-3

 その後、ましろは発言を後悔した。

 座り方が違う、箸の持ち方も違う、踏んで歩くべき廊下の位置が違う、と事細かに修正された。他の子は、それほど厳密に行動していないので、ましろに対する嫌がらせの意味もあるようだ。

「利緒りお様は、羽黒様に振り向いてほしいのよ」

 ましろは、裏手の炊事場で、道中を共にした者に慰められた。

「貴方、羽黒様の妹っていうふれこみだけど、絶対違うでしょ? 殿下が羽黒様に引き取らせた、愛人みたいなものだと、思ってるのよ。それで、羽黒様が万が一にも貴方を好きになりでもしたら、嫌なのよ」

「えぇっ。違うのに」

「違っても。気になるのよ。ここに押し込められてる女の方は、好いた惚れたの話ばかりよ。それがうまくできないと、政治をうまく操れないもの」

「どういうこと?」

 話によると、試験で官吏になるのは、男ばかりなのだという。自分の生まれ育った場所について、大規模灌漑をしたいとか、山の土砂崩れ跡を直したいとか、そういう願いは、官吏になるか、官吏を操れる、位の高い女にならないと、叶えられないのだそうだ。

「そんなものなの?」

「そう」

 だから貴方も、うまくやれば故郷に楽をさせてやれるのよ、と女達が朗らかに笑った。

 快活な笑いを聞いて、ましろは、しばし考え込んだ。

(私にとって、別に、あの里がどうなろうと関係ないんだろうけど)

 ましろを捕らえるために、村人を動かし、言うことを聞かない者を捕虜にした皇子が、――こののちも、あんなことをしないでくれたら、それでよい。

(もし私が、狼の里から戻ってくるのが遅かったら、あの人達はどうなっていただろう)

 女達が散っていく。炊事場を監督している女が戻ってきたようだ。ましろは、場違いな、身分が上の格好をさせられていたので、監督官に出くわすと「こんなところまで来るなんて!」と怒られそうだと気がついた。

 炊事場から土間におりて、裏口に出る。

 庭を走っていけば、そのうち、宿舎の部屋に戻れるだろう。

「あれっ」

 薪や野菜の積まれた小屋の横に、籠が並べられていた。鳥、兎、それに――白い子犬。

「白露王?」

「何だ、シロとは呼ばないのか」

 はたはた、と尾で籠の底をはたいて、白露王が返事をした。

「大丈夫? 元気? 兵の人があんなに可愛がっていたから、てっきり、まだあの人達に連れられてるのかと思ってた」

 ましろは籠に指を入れる。白露王が額をすりつけてきた。

「お前も大丈夫か? こんなに人の多いところで。ちゃんとものは食べているか? 眠れているか? 痛いところはないか?」

「今日ここについたばっかりなのに。それを心配してくれるのは、白露王と、一緒にここまできたお姉さん達くらいよ」

 変わっていない様子に、ましろは心から笑みがこぼれる。それと、涙も。

「どうしたましろ。嫌なことがあったのか?」

「ううん。自分の意志で、ここまで来たんだけど。何をしたらいいか分からなくて」

「見たところ、下働きじゃないんだな?」

「うん……ううん、炊事場の方がよかったかも。きれいなお姫様の、話相手っていうか……どっちかっていうと、いろいろ、宮中のことを叩き込まれつつ、できないことをバカにされるっていうか」

「まだ、ここに来たばかりじゃないか。狼だって、狩りをするには、子供の頃から練習する。最初っからできなくても、当たり前だ」

「そうよね。……たぶん、その子は子供の頃から当たり前にやっていて、そうじゃない私のことが、目障りなんだと思う」

 白露王は、ましろの顔を心配そうに覗き込む。

「そういえば白露王、私がこんなところで耳とか出してても、隠さないでいいかって聞かないのね」

「うん? そうだな、隠した方がいいなら、自分でそうするだろう?」

「うん……笑うかもしれないけど、私と一緒に歩いてくれてたお姉さん達が、耳としっぽ、可愛いって、言ってくれた」

「そうか。狼はよいものだから、そう言われると嬉しいな」

「狼の里では、変な目で見られたけど」

「狼の中では、中途半端な化け方をする者は、力が安定しなくて、狩りの途中で急に人型になって転んで怪我をするから、心配される。人間も、そういう獣の耳が生えてない方が多いから、変に思われるだろうなとは、想像がつくが。まぁ、気にされてなくて、お前が楽しいなら、いいじゃないか」

 向こうから誰かが来る。喋っているところや、こんな格好で裸足で土の上におりているところを見られるのは、まずい。

「また、来るね。白露王。それと、籠ごと私の部屋に持って帰れるよう、頼んでみる」

「そうか。まぁ、のんびり待つよ。気をつけろよ、ましろ」

 白露王はましろを見送ると、前足に顎を乗せて、子犬(狼だが)らしくうたたねをした。

 姫君もそれなりに忙しいようで、近日中に別の部屋にいる貴族の娘と歌遊びをするらしい。その準備で、慌ただしかった。

 旅をして歩き回り、宮についたはいいが立て続けにものを教えられて、ましろは当然ながらすっかりくたびれていた。

 ましろは、うとうとしてしまう。

 疲れているなら帰りなさいよ、と邪険にされて、すごすごと、羽黒の与えた部屋に戻った。

 気づけば、日が暮れて、部屋のあちこちに灯がともっていた。

 それでも廊下は薄暗い。

 ほの白い女とすれ違い、挨拶したが、相手は聞こえていない様子で行ってしまった。

 首を傾げたましろの前で、黒いお仕着せの男が、悲鳴を上げた。

「うわあっ」

 きっと、宿舎に昼間いなかったので、初めてましろを見たのだろう。

 失礼ね、と、ましろは耳と尾をことさら立てた(尾は衣の下で、見えはしないが)。

「あまり出歩くな」

 騒ぎを聞きつけて、羽黒が戻ってくる。すっと鼻筋の通った、思慮深い目の人だけれど、ましろに対しては面倒そうな顔をする。

「私のせいじゃないわ。えぇと、代美さんが、利緒姫の、おつきをやったら勉強になるって言って、呼んでくれたの。ものすごく疲れたけど、ここで難しすぎる本を読むよりはいいわ」

 羽黒が舌打ちした。室内に入って、人目がないからやったのだろう。ましろは、むっとした。

「何よ。「お兄様」はご不満ですか」

 羽黒が急に吹き出した。

「何だ、その「お兄様」というのは」

「羽黒様って呼ぶのは、妹なら変だから、お兄様って呼びなさいって代美さんと利緒姫が」

 羽黒が、頭の痛そうな顔をした。

「代美は、俺の乳母の親類だ。宮廷でも口うるさい。どうも、竹田の娘、利緒を娶れと言いたい連中の一派のようだが――目を離した隙に、お前を連れていくとはな」

「私、ついていかない方がよかった?」

「いや、俺がお前を放っておいたのが悪かった。獣の娘なぞ、誰もが恐れて近づかないと思ったんだが……弱ったな、面倒を見てもらう弱みもできるし、俺があいつらに肩入れしているみたいじゃないか」

「私だって、あぁいうところに、興味はないわ……炊事場の方が性に合うんだけど」

 提案してみる。だが、羽黒はものすごく嫌そうに却下した。

「とにかく、好かれなくていい。適当に、恥をかかない程度に、何か勉強してこい」

「嫌われててもいいの?」

「嫌われることをする必要はない。が、向こうにおもねる必要もない。こっちの方が、位は上だ。俺はこの位では満足してないし、まだ上にあがるつもりでいる――あの家になめられては困るんだ」

「私、もっと、その、普通の姫君みたいに、すごくなったほうがいいの?」

「なれるのか?」

 しごく冷静な目で、羽黒が言った。疑問ではなくて、単なる確認のようだ。

「無理はやめておけ。皇子は、お前が狼の子だから拾ったのだろう。普通の姫君なんて、それこそ掃いて捨てるほどいる。皇子が飽きれば、お前の命にも関わる――そこそこ、生きられる知恵だけ身につけろ。望むなら、将来、適当な地方の家で下働きでもして生活できるようには、してやるから。今は、うまくくぐり抜けろ」

「……お兄様って、優しいのね」

「……」

 怪訝な顔で見下ろされた。ましろは、変なことを言っただろうか、と首を傾げる。

「いや。まぁ……俺は、いざとなれば、お前なぞ切り捨てるかもしれないからな、そのときが来ても、自分で逃げられるよう、学べよ」

「あ、お兄様」

「何だ」

 羽黒が、お兄様と呼ばれるのに抵抗しなくなった。ましろは「お兄様」に、お願いをする。

「あの、四書何とかっていう書物は、難しいの。もっと、簡単な、読み書きから学びたい」

「そうか。賢そうな顔をしていたから、読めると思ったんだが。確認しなくて、悪かった」

 ましろは、最初は羽黒のことを、冷たい人かと思ったのだが、そうでもないようだ。厄介ごとを引き受けた人らしく、やはり、優しい。

 ましろの三角の耳を見ると、幻覚でも見たような、ものすごく嫌そうな顔をするのだが――ましろ当人には、いたって、誠実に向き合ってくれるようだ。ちゃんとましろが言えば、だが。

「簡単な道具を、用意させよう」

「ありがとうお兄様。それと、私、ここで寝泊まりしていいの?」

「かまわない。そのためにここへ連れてきた」

 寝間着や布団などを忘れていたことに気がついたらしく、羽黒はそれも手配してくれた。

「他に、何かあるか」

 ましろは、羽黒に言い足した。

「私がここに来るとき、一緒に連れてこられた、子犬、がいるんだけれど、ここに籠を持ってきてもいい?」

「だめだ」

 考慮の余地なく、羽黒が切り捨てた。

「一行に参加していた知人から、話は聞いている。白い子犬だな? おそらく、お前が手にするにはまだ早い。子犬が戻れば、お前が逃げると、皆思っている。今は、皇子の手の者が、お前が籠を持ち出さないか、見張っていよう。しばらく待て。いずれ何とかする」

「はく……シロを、可愛がるのはいいわよね?」

「興味のないそぶりを見せた方が、見張りが早くどけられるが……やめろといっても、見に行くのだろう」

 だから仕方ない、と、羽黒は答えた。

「他にはあるか?」

 何かあれば、気づいたときに、また言ってもいいと、羽黒は言う。ましろは考え込み、大事なことを思い出した。

「お兄様は、私のことを狼の子だと思ってるかもしれない。けれど、私は爪と牙がない、ただ耳と尾があるだけの人間なの。もし、石を投げられたら、逃げることしかできない。反撃することも、可能ならするけれど。そういう、私にできる方法で逃れても、かまわない? 政治とか、難しい言い逃れ方とか、分からないから」

 羽黒が、驚いたように瞬きした。

「皇子の肩入れで来たお前に、そうする者がいるとは思いたくはないが――皇子自身がするかもしれないな。いい。ただ、ひどくなる前に言え。俺が何のために、皇子の気に入りの、右腕になったと思っている」

 羽黒は笑う。そうすると、頼もしくもあった。

 羽黒が近くの部屋に戻る。ましろは伸びをして、与えられた食事をとり、自由に過ごした。

 さっき悲鳴を上げた人達は、無紋だったが、羽黒の袖には、季節の花らしき紋がうっすらと入っていた。山で出会ったときの、皇子ほどではないが。そういえば、皇子は宮に戻ったら、派手な色の衣をまとっていた。

「本当に、偉い人なのね」

 皇子といい、羽黒といい――。あまり実感はわかないけれど、明日になったら、違うだろうか。

 布団に倒れ込むと、ましろはあっと言う間に意識を手放した。

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