3-4

 数日が経過した。ましろはどうにか、姫君の、まどろっこしい、長い歌のやりとりの会や、琴や、着物の見せびらかし会を乗り越えた。といっても、ましろは隅に座って、荷物の出し入れをしただけだが。

 所作などを笑われても、けろりとしていたら、あまり取りざたされなくなった。

 行けるときには、白露王の様子を見に行く。

 白露王は、まれに狼が遠吠えする呼び声に頭をもたげるが、返事をすることはないらしい。

「外に出してあげたいけど、ごめんね白露王」

「まぁ、嫌になったら自分で出歩けるし、問題ない」

「本当に、あの人は私にどうしろって言うのかしら」

 皇子の目的が分からなくて、ましろは唇をひん曲げた。

 白露王は、はたはた、としっぽを揺らす。

「まぁ、山奥の草や珍しいものを見つけたら、訳もなく持って帰るのが、人間だからな」

「私を雑草と一緒にされても、困るんだけど」

「それより、呼ばれてないか?」

「あっ本当!」

 裸足で土におりると、怒られるのは分かっているのだが、ついやってしまう。

 見られる前に逃げなくてはと、ましろは慌てて炊事場に駆け込み、足裏を拭いて部屋に走った。

 シロと呼ばれて、籠から出してもらえない。だが、炊事場の女や見回りの兵に可愛がられ、白露王はそれなりにのんきに暮らしていた。

 ましろが去って、うたたねをする。小鳥がいくつか、複雑な歌を歌っている。

 やがて午後、人があまり来ない時間になった。

 ふと、人の気配を感じて、白露王は目を開けた。

 小柄な少女が、炊事場からおっかなびっくり、辺りを見回している。

 ましろがよく着せられているような、きれいな衣をまとっていた。

 少女は思い切って、靴を履いて出てくる。視線が庭をさまよった。

「あっ」

 茶色の髪、くるくるとした目。

 確か、ましろが子狸ちゃんと呼んでは、違う名前ですと訂正されていた相手だった。

 白露王は、お愛想でしっぽを振る。

 少女はこちらに気がついた。ぎしっと、音が出そうなくらいに顔をこわばらせている。

 犬が苦手なのだろうか(犬ではなくて狼だが)。

「あれっ?」

 不意に、白露王は声をあげた。注意して叫んだので、人間には、犬が鳴いたように聞こえただろう。そもそも、狼の言葉は、人の言葉を話そうとして話すときでなければ、人には通じないものだ。

 少女はぎこちない動きを、みしっと、止めた。かまわず、白露王は声をあげた。

「お前、どこかで見たことがあるな。どこで見た? 山か? 里か?」

「ちょっと、うるさいですよ、そこの犬。大きな声を出さないでください」

 少女が息を縮めて、懸命に言う。本当に、狸の子みたいだ。

「あ、分かったぞ。お前、正露王のところの孫だろう! 人間についていった、茶狼の子だな!」

「本当だとしても大声出さないでって言ってるでしょー!?」

 理不尽にも、少女は籠を掴んで揺さぶった。

 どうやら、狼の仲間であることを、隠したいようだ。少女はどうしても言いたいとばかりに返事してしまって、はっとし、ほぞを噛んでいる。

 白露王は気にせず、微笑んだ。

「息災にやっているか? うまいものは食わせてもらえてるか? 苦しくはないか? 問題があるなら、いつでも里に戻ってこい」

「なっ……何を言ってるんですか? 私は里の裏切り者の孫だし、第一、茶の狼ですよ? 貴方達のような白狼とは、何の関係もないです。敵対することだって、あるじゃあないですか」

「何を言ってるんだ、は、お前の方だ。どこの家の者だろうと、狼は狼だ。同族の心配をして、何が悪い?」

 けろりとした白露王に、少女はつかの間、ぽかんとした。

「……呆れた」

「何がだ?」

「助けてあげようと思ったけれど、やりません」

 白露王は、ぱたり、と尾を揺らした。我に返る。

「おい、その気があるなら出してくれ」

「嫌です。自分で何とかしたらどうですか!」

 舌を出し、少女は炊事場の中へ駆けていく。

「おーい。出してくれる人間がいるなら、それに越したことはないんだー。おーい」

 白露王の吠え声が、しばらくの間響いていた。

「さて。しかし、いい加減狭いところにも飽きてきたなぁ」

 先程の狸――でなく、狼の者・明葉(あきは)が去ってのち、白露王は呟いた。

 白露王一人でも、逃げられないこともないのだ。勝手に抜け出して、それがばれると、管理不行き届きで炊事場の連中が罰せられそうだし、どうしたものかなと、思っているだけで。

「まぁ、散歩するくらいなら、いいだろう。いっときしか効かない、目くらましでもかけておくか」

 人のいない隙に、白露王は籠の棒を何本か引き抜く。外へ出ると、人の姿になった。

「ずいぶん呪いもほどけてきたな。楽になった」

 呟いて、庭を歩こうとすると、炊事場から、年輩の女が現れた。

 目が合う。

 これは、まずい。

 女が、大きな口を開けた。

「あんた、田舎から出てきたばっかで、道が分かんなくなったの?」

「……は?」

「米とか納める代わりに、一年くらい兵やって、それから田舎に戻るんでしょ」

 どうやら、何かと間違われているようだ。

 狼ですとも言えず、籠を隠しながら、白露王は頷いた。

「あぁ、そう。そうなんだ。いろいろあってな」

「お腹空いてないかい。こっちで食べておいき。新人にまで、なかなかいいご飯は回ってこないもんねえ」

「それはありがたい」

 白露王はちゃっかり食事をもらい、宮の中で兵が行く場所などを教えてもらう。

「なるほど。ここで働くのも大変だろうが、衣食住の心配はないし、それなりに居心地がよさそうだ」

「毒や呪い矢のやりとりも、最近減ったからねぇ。命まで取られることも、それほどないだろ」

「前は多かったのか?」

「こう言っちゃなんだけど、帝の病が重くてね……跡目争いが起きてたんだけど、そろそろ決着がつくとかで。兄皇子を毒殺した疑いがあった、玄人(くろと)皇子も、旅先から戻られたし」

「玄人?」

「しっ。呼び捨てなんて、しちゃいけないよ。あの方は気まぐれだから……狼の子まで拾ってくるし」

「あぁ……聞いたことがある」

 白露王はわずかに微笑んだ。

「もう少し詳しく、聞かせてほしい。兵としてやっていくにも、あんまりにも知らないことが多いと、困りそうだから」

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