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第三章

 幼い頃から、一人だった。

 周囲には、薄笑いを張り付けた大人達。

 子どもらは皆、幼いうちに、病や、毒にやられて去っていく。

 自分の、母にも似た顔つきを、父は忌んだ。

 やがて父の若い頃にも似たが、その頃には、貴公子であった父も位をのぼりつめ、重たく骨太い人になっていた。

 父には近寄れなかった。多くの子らと同等に、ただ宮の周辺で育てられた。

 母は美しい女だった。けれど、高慢で、耐えかねたのか侍女の一人が毒を盛って以来、会っていない。

 元服するより遙か以前に、何度か、彼も宮中で毒をもらった。嘔吐や下痢。のたうちまわって胃液を吐いても、なお死なぬ、苦しみがあった。助けを求めた幼い手を、侍従の一部は、面倒そうに見下ろした。

 どこに救いを求めよう?

 毒や病から回復し、再び宮中を歩けても、賢く、見目のよい、微笑みの深い彼を、人々はちやほやし、同時に恐れていた。

 空っぽであることを見抜かれている。

 彼はずっと、寄り所なく、それゆえひたすら、学と所作と教養に明け暮れた。

 それらだけが杖だった。

 それらだけが、盾になった。

(そういえば、一つだけ願ったことがある)

 思い出した記憶の中で、彼はうろんな目で、宮中の祭壇を見上げている。

「玄人くろと」

 しわぶいた声で、祖父は彼を呼んだ。

 帝の忠臣ではあったが、疎まれ、それでも苦言を呈する、難しい役どころの男だった。

 祭壇のしつらえられた部屋は、きらびやかに金で飾られている。広々と横に長い室内は、そのまま、暗がりに通じていた。

 室内に入らず、外から参拝するだけ。

 それでも、近づきすぎている方だった。

 奥にかけられた一枚の軸絵を、祖父が示す。

 いかつい顔、鋭い牙、爪、毛むくじゃらの耳と尾。犬に似ても見えるが、もっと野生があふれている。美々しく飾られてはいるが、それは狼の絵であった。

「祖先に狼をまつる。それゆえ、ときに荒ぶる血に飲み込まれかけることも、あるだろう。お前はそうなるな」

 どうだろう。

 既に子どもの頃より、幾度となく、暗く冷たい波にさらわれるような思いをしてきた。

(あんなふうに、獣として、自由に生きられるのか? あるいは――あれは、捕まえられた姿なのか)

 前者であってほしかった。どう言葉を返したのか、今はもう、覚えていない。

「何これ」

 旅姿で、ましろは城門をくぐる。城門は、木だというのに、村にある鐘楼より大きかった。見上げる高さだ。

 ぽかんとしていると、女達にこづかれる。

「んもう、貴方、また止まって!」

「仕方ないわよう、その子、田舎の子なんだから」

 ひそひそと、聞こえるように言われるが、ましろには痛くもかゆくもなかった。

 大路は広々とし、時折、風で砂埃が舞い上がる。物売りの威勢のよい声、行き交う人々の多さに、ましろは驚いたままで、耳と尾が引っ込まない。ただし、旅装として編み笠等をかぶせられており、この獣の耳と尾は道中、わりと、人目についていなかった。

(隠していればいいと、前に言われたけど、確かにそうね。意外と騒がれないもの)

 ましろよりも、白露王の方が、不自由しているだろう。

 ましろが持って逃げないようにするためなのか、兵が籠を持っている。それなりに可愛がられているようだ。ましろが様子を見に行くと、白露王は撫でられたり、外に出してやりたいんだがごめんな等と、話しかけられたりしていて、不自由なりにのんびり過ごしているようだ。

 道中、まれに狼の声が聞こえたけれど、白露王は答えず、じっと耳をすますだけだった。

 今、町の活気の中で、白露王がどうしているのか、ましろには分からない。

 女達に文句を言われ、足を進める。

 村の庄屋の家ほどもある、土塀に囲まれた家の前を通り過ぎる。

「大きな家ね」

 呟くと、女達がくすくすと笑った。

「これから行くところは、もっと広いのよ」

「宮についたら分かるわ」

 山を歩き続け、数日経つが、時折見えた銀色の「海」というものみたいに、広いのだろうか。人の姿なんて見えなくて、代わりに、点々と、船が行き交っていたものだ。


 広々として、全景の見えない建物があった。その中に入ると、何やかんやと、お祓いなのだか儀式めいたやりとりがあった。女達はやれやれと荷物を下ろし、炊事場に向かったり、それぞれの割り当てられた部屋に走る。

 どうしたものか、とましろは首をひねった。

 皇子は、ましろを都に――宮中に連れていくとは言った。だが、あれきり、姿を見せていない。何でも、偉い人は人前にそう軽々しく現れないのだそうだ。

(そんなの、いるのかいないのかも分かんないわ)

 白露王が、狼の里で慕われていたように、皇子は、この宮でならよく働けるのだろうか。

「ぼんやりしないで! ほら!」

 どすんと、大きな木箱を押しつけられて、ましろは女達の波に流された。

 突っ立っていても仕方ない。とにかく指示された場所に荷物を運ぶ。異国の珍しい品や、地方の産物が詰め込まれた箱もあれば、何ということもない寝間着だけの箱もあった。

 てんやわんやしているうち、また年かさの女に呼ばれる。

 言われるがままに、廊下の端で、ばたばたと食事をとった。白い粥に、赤い木の実、青菜の汁まである。

「おいしい」

 びっくりしたましろに、それはそうよ下っ端でも私達って偉いんだもの、と、手伝い女仲間がふふんと笑う。

「食べたら向こうへ行ってよ。あんた、殿下の拾った子なんだから、本当は最初っからあんまりこういうところにいちゃだめなのよ」

「こういうところ、って?」

「女中として拾ってきた、みたいに成り行きがなってるけど、せっかく殿下に見初められたんなら、もっとよい扱いをしてちょうだいって、主張しなくっちゃ」

 女たちが頷きあう。ましろがきょとんとしていると、漬け物の野菜を押しつけてきた。ぼやぼやしていると食べ損なうのを、道中で学んでいたましろは、礼を言って受け取った。

「そうねぇあたしたちは、そこそこやっていけさえすればいいから、あの御方には近づきたくはないんだけどさぁ」

「やだこんなとこで大声で言わないでよう」

「あんた、ほっかむり、取っちゃいなさいよ」

 気安く言われて、ましろはびくつく。

「これは、その……」

「でもほんと、室内でもほっかむりしてるけど、耳としっぽがあるだけで、普通の子よね」

「ほんとにねぇ」

「授かりものなんだったら隠すこともないわ」

「あたしたち、有名なお社に詣でたり、いろんなところに手伝いに行ってるから、いろんなもの見たわよぉ」

「あんた変わってるけど、異国なんてもっと変わった、顔が真っ赤な人とか真っ青な人とかいろいろいるらしいから、大したことじゃあないわ」

 賑やかな中にいると、本当に、大したことじゃない気がしてくるから不思議だった。

「ましろ、捜されてるみたいよ」

 女達に言われて、何度も礼を言いながら、ましろは廊下を小走りに駆ける。

(隠さなくても、こんなふうに生きられるのかもしれない)

 ざわざわして、まだ落ち着かない。けれど、少しだけ、希望みたいなものが見えた気がした。

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