2-5

「えっ」

 辺りが明るい。

 気づいたときには、朝になっていた。

 利路の快活な声が、家の外から響いている。

 掛けられていた布をどけて、ましろは外へそっと出た。白露王が、昨晩、利路にましろを預けていったらしい。

 利路に礼を言った後、白露王の行き先を尋ねてみる。利路は笑って、

「まだその辺で、仕事の話とかしてんだろう。朝飯は土間に置いてあるから、勝手に食べてな。白露が戻ってきたら、教えてやるからね」

 そのまま、自分の畑に出かけて行った。

 まるきり、普通の人間みたいだった。

「変なの……」

 昨日と同じものを食べて、ましろは出かける。ときどき、子どもが遊んでくれとやってきて、ちょっと遊んでは去っていく。子犬がじゃれるようでもある。ましろは、籠を編んでいる子を手伝って、複雑な模様をつくって尊敬のまなざしを受けたりもした。

 大人達は、遠巻きに見ている。

 親戚でも何でもない、先祖返りの人間のことを、どう扱ってよいか、そう簡単には思いつかないのだろう。

 薪を割っていた青年の近くで、吹っ飛びすぎた木切れを拾ってやった。

 礼を言われ、ついでに聞いてみる。

「白露王は、慕われてるのね」

「えっ、そうですね!」

 当たり前のことだ、と言いたげな、明るくて清々しい反応だった。

「白露王って、一番強いの?」

「えっ?」

 人の良さそうな青年は、戸惑って、一周くるりと回ってしまった。犬のようだ。

「あぁすいません、俺達と言葉が通じるし、でも、何か、どう喋ったらいいか分からなくて。えぇと、長のことですよね? 親分はいい人ですよ」

 それから、ちょっと顔をしかめた。

「世襲じゃないんですけど、親父さんが長で。その育ちのせいなのか鷹揚だし、ちびっこにしっぽ食いつかれても滅多に怒る人じゃないし。狼には、鉄火な奴らもいっぱいいるので、止めに入るにはあのくらい平静ってゆーか、大人? な人がいないと、困るってゆーか」

「そうね、あの人、何があってもわりと、落ち着いてるわね」

「そうなんですよー。かっこいいなー」

 格好いいのだろうか。

 ましろは眉間に皺を寄せて、散歩を続ける。

(うーん)

「それ以上進むと、危ないわよ」

 その声で我に返る。何を考えるというのでもなく、歩いていたら、いつの間にか、木立が密集した場所に来ていた。

 倒木の側に、白くて線の細い、美しい女が立っていた。

 ましろは今、狼の里にいるのだから、相手は狼なのだろう。

 ここでは、白か灰色の毛色が多いようなので(赤茶狼の里では、その色が多いらしいが)、白い髪の女は、白露王の一族の者に違いない。

「こんにちは。ありがとうございます、そこの崖を教えてくれて」

 ましろが返事をすると、女は、細い目をわずかに見張った。

「お嬢さん、私が見えるの? そう……」

 風に揺れる絹のように、女は頷く。

「ねぇ、いらっしゃいお嬢さん。髪がもつれているわ」

 ましろが近づくと、女は、木の葉や木切れを取って、髪を梳いてくれた。

「ふふっ」

「何ですか?」

「女の子ねぇ、と思って。私の子どもは、男の子だったのよ。手触りも、ぜんぜん違うわねぇ。お名前は?」

「ましろです」

「ましろ。私の名は、白妙(しろたえ)と言うの」

 倒木に腰掛けて、ましろは足をぶらつかせる。行儀が悪いのは分かっていた。でも、年上のきれいな女の人に、とても嬉しそうに構われて、こそばゆい。自分が小さな子どもになったみたいな気がして、落ち着かなかった。

(白妙さん……やっぱり、白狼の人なのかな)

「あれっ」

 ましろは、聞き覚えがあることに気がついた。

「あのっ、白妙さん、捜されてましたよ、昨日、会議で――」

 そうだ。焚き火を囲んで話していた人々が、白妙様がいたらなぁと呟いていた。見上げると、白妙は目をぱちぱち、と瞬いた。見る間に、その目が暗く、なる。

「皆が、捜して。そう。そうなの」

 うろのような暗さがよぎったのは一瞬のこと。

「ねぇ、白露は元気?」

 急に、軽々とした口調で、白妙が聞いた。

「えっ? はい。石を踏んで、子犬になっちゃったりもしたけれど……元気そうです」

「子犬?」

 喋りやすくて、ましろはぽつぽつと説明する。白妙が、くすくすと、楽しげに笑って聞いている。

「あぁ、元気そうで安心した」

 ひとしきり笑って、白妙が立ち上がった。

「どうか、あの子をよろしくね」

「あのっ、白妙さんは、白露王の……?」

 白妙は、花のようなかんばせを、ほころばせて、不意に消えた。

「あれっ」

 何だ、今のは。

 辺りを見回していると、おおい、と、人の呼ぶ声が聞こえた。いくつかは、遠吠えのようだ。ましろのことか、白妙のことを、捜しているに違いない。

「白妙さん、そんなに、見つかるのが嫌なのかしら」

「やっと見つけたぞ!」

 足下に子狼が転がり込んできた。

「白露王。また子犬に戻っちゃったの?」

「安定しないんだ。しぶとい呪いだな。人間は妙なものを作る。そんなことより、ましろ、」

「怪我はしてない。それと、さっき、すごくきれいな女の人が、崖があるって教えてくれたの。だから無事」

「きれいな女?」

 まっしろで小さなしっぽを振って、白露王が首を傾げる。

「そう。白妙って名乗ってた」

 周囲に集まってきていた狼達が、吹き出した。怪訝に思いつつも、ましろは続ける。

「白露王が元気か、とか、話をして。途中でどこかへ行っちゃった」

「そうか」

 白露王が、目を見張った後、頷いた。

「そういうことも、あるのかもしれない」

「何よ」

 周囲の狼が、こそこそしているのが気持ち悪い。ましろが苛立って狼を睨むと、白露王が視線の先に割り込んだ。

「いや、皆は悪くない。お前もだ。ましろ、それで、白妙は、どんなだった?」

「どんな、って。優しくてきれいで。私に葉っぱがついてたから、取ってくれた。皆が元気そうだって分かったら、ほっとしてた」

「そうか。そうか」

 白露王が、一息に大人の狼に戻って、ましろを見上げて微笑んだ。

「白妙は俺の母なのだが、何年も前に他界している」

「え?」

「幸せそうな様子でよかった。よかった」

「えっ? じゃあ、あれは何だったの?」

「さぁ? そういう、古い力を、昔の狼はもっと持っていたというから、ありえなくもない話だな」

 母は機嫌がよかったのか、と、嬉しそうに、白露王が戻っていく。腑に落ちないが、ましろも呼ばれて、後に続いた。

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