2-3
*
裏山は、落ち葉がたくさんあって、埋もれたり蹴散らすと面白かった。ましろも子どもに混ざって、落ち葉を投げる。
そうこうしているうちに、疲れが出て、ましろは一人で、木の下に座った。
子ども達は、わあわあと騒ぎながら、丘になったところを駆けのぼっていく。
しばらくして、ころころと、子どもが斜面を転がってきた。ましろが受け止めると、子どもはきょとんとする。
「転んだの? 気をつけて遊んでね」
ましろの言葉に、不意に子どもが涙ぐんだ。よくよく見ると、どうも、遊んでいて転んだのではないらしい。背中に、大きく、泥で足跡がつけられている。
「やい! ここは俺達の縄張りだぞ!」
妙な宣言が、上の方から聞こえてきた。どうやら、きわめて子どもっぽい理屈で、子どもを斜面から蹴り落とした奴がいるようだ。
ましろは子どもを置いて、立ち上がる。
睨む先では、赤茶色の、短く刈った毛を逆立てた若者が、仁王立ちしていた。
若者は袖をまくりあげ、二の腕を出している。まだ細いが、本人にははちきれんばかりのやる気があふれていた。
「あぁん? お前、見ない顔だな」
「ちょっと。こういう、年下の子を、足で蹴るのはどうかと思うわ」
ましろは強く言い放った。
「何だと?」
「貴方、この子より大きいんでしょ? 自分のこと、強いと思ってるんでしょう。だったら、縄張りがどうとか言ってないで、もうちょっとどうにかできないの」
「ガキだからって、縄張り越えられりゃあ容赦しねえよ。ガキを理由に、縄張りが曖昧にされてなし崩しにされちゃあ、バカらしいや!」
若者は、見下した顔で、声を荒らげた。
「女! 俺を誰だか知ってて言ってんのか」
「知らない。知らなくても、問題がどこにあるって言うの」
ましろは彼を、少し年下の若者だと、見くびっていた。ふと気がつくと、斜面をおりて、彼は少しかがみ、ましろを睨みあげていた。
「ふっうーん? お前、やけに生意気な口利くな?」
とっさに、ましろは上体をそらした。顎の先を、彼の爪の先がかすめていく。皮膚の一枚がきわどく切れた。血は出ない。が、嫌なふうに心臓が跳ねる。
(忘れてた)
ここは、狼の里だ。若くても、子どもでも、本性に、爪と牙を備えている。
(でも、逃げたらかえって、なめられる)
間違ったことは言っていない。踏ん張って、ましろは鋭く、相手を睨みつけた。
「ぎゃんぎゃん騒がないでくれる? 本当に強いのなら、手を出さないでも、ちゃんと、自分の主張を説明できるはずよ。ちっちゃい子どもを、ばかみたいに蹴ったりしない。縄張りが大事だったら、縄でも張ればいいじゃない。子どもは入ろうとするでしょうけど、それなら、遊んであげたらどう?」
まくしたてると、鼻息の荒さに驚いたのか、若者は目を見開いて固まってしまった。
じり、とましろは足を踏み出す。
相手が、一歩、後ろへ崩れる。
ましろは思い切って、わーっと叫びながら前へ駆けた。若者が驚いて噛みつきかけたが、できなかった。さっき転がされた子や、他の、小さい子達が集まってきて、一斉に若者の足に絡まりついたのだ。
若者はあっと言う間に、落ち葉の上に転がされた。小さい子達は意味が分かっていないのか、きゃあきゃあ喜んでじゃれついている。しばらくぽかんとしていた若者は、突っ立っているましろを見てから、我に返った。
「だーっ!」
子ども達を振り落として、全力で、斜面の上に逃げていく。
「いいかっ、逃げてねえからな!」
典型的な捨て台詞だ。
ましろは、疲れた笑みを浮かべた。
「そうね。貴方は、この子達より大人で、強いから、この子達に寛容にできるんだわ」
お世辞がきいたのか、ふん、変な奴、と、若者が背を向ける。だが、突然振り向き、飛びかかってきた小型の狼を叩き落とした。
「なっんだてめえ」
「境だ。境をおかしたのはそっちだ」
若い白狼達が、あうあうと吠える。子ども達も恐れて、泣き出したり、ましろにしがみついたりする。若者が舌打ちし、
「俺は、ガキの相手なんざしたくねえ。邪魔だったから、そっちに追いやっただけじゃねえか。殺してもねえよ。人の親切を仇にして、誰に喧嘩売ったか、分かってんだろうな?」
「赤茶狼の、若年寄」
「違う、若長だ! 赤瑯(せきろう)だ!」
赤瑯と名乗った若者は、再び目に闘志をぎらつかせて、狼達を蹴散らした。白狼が一頭、間違えたのか意図的か、ましろの頭を狙ったが、それも蹴って、吹っ飛ばす。
「おい、俺のいないところで、何をやって遊んでいるんだ」
不意に響いた大人の声に、熱くなっていた狼達が、すっと退いた。
「白露王?」
ましろが振り向くと、果たして、人の格好で、白露王が立っていた。
「やれやれ……反対側の境でもめてるのを止めて、帰ってきたら、こっちでも喧嘩をしてると次郎が言うんで来てみれば……」
小さい子どもが、白露王の足下でくるくると回っている。若者、赤瑯が舌打ちした。
白露王がそれに気づく。
「えぇと。お前は確か、えーと」
「覚えてねえんだな?」
「いいや! 覚えている。赤茶狼の、えーと、セキローだな」
「鳥の名前みたいに呼ぶな! もっと緊張感とありがたみを持って呼べ! あと、王って敬称もつけろ!」
「いやいや、お前も若いのに、よく頑張ってるなぁ」
まるで取り合わない様子の白露王に、赤瑯は地団太を踏む。
「いつもいつも、バカにしやがって!」
「バカにはしてないぞ。ただ、そこの境は、お前の親父殿と話をつけてある。あまりもめるようなら、定期の会合で、もういっぺん、話さないとな」
白露王が真面目に言う。ふと、鞘の中に太刀があったのだと、気づかされるような、平静だけれどひやりとする声だった。太刀を抜いて騒いでいたような赤瑯は、ぐっと、唇を曲げて、黙る。
「……とにかく、どっちにしたって、てめえの部下が急に俺に飛びかかってきて、話もしねえのは事実だ。俺が、そいつら殺してないだけでも、ありがたく思えよな」
「そうだな」
白露王はあっさりと首肯した。
ふてくされながら立ち去る赤瑯に、ましろは慌てて声をかけた。
「あの、助けてくれて、ありがとう」
「あぁ? 別にそんなんじゃねーよ。変な耳出しやがって。どこの仲間か分かんねえから、俺んちの狼かと思って庇っちまったろ。紛らわしんだよ」
白狼に襲われかけたましろを助けたのは、ましろを赤茶狼の仲間だと勘違いをしたからだ――たぶん、言い訳なのだろうが、ましろは言い返さなかった。子どもを蹴ったり、大人げないが、年下だし、それほど悪い子ではなさそうだ。
白露王はひとしきり、木立に隠れてばつの悪そうな仲間達を叱っていた。
それが済んでから、ましろの方に戻ってきた。
「こんなところまで出歩くなんて。あんまりここが、好きではなさそうだったのに、意外と、子どもと遊んでやっているのか」
「そうでもないけど」
ましろは白露王の視線の先を見る。今、子どもが二人、ましろの片手をそれぞれ取って、離れない。白露王は、仲が良さそうなんだが、と首を傾げた。
「あぁ、それから。怪我はないか? 噛みつかれてないか?」
「ないない。大丈夫」
「そうか。狼は、一度噛みついた獲物からは離れない。本能的に。だから、あまり興奮しているときに近づかない方がいい」
「貴方も?」
「獲物を穫るとき以外は、そうでもないが。獣の血の濃い者と、そこから離れている者とがいる。個体差だな」
ましろの鼻の頭についていた葉っぱを、白露王が指の背で払う。
「まぁ、無事でよかった」
なぜだろう。ましろは、頬が熱くなる。
(? 何でだろう)
子ども達に引っ張られて歩きながら、ましろはひとしきり、首を傾げた。
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