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第二章

 歩くうち、ましろにも見覚えのある、里の民家みたいなものが並び始めた。木々が少し開けたところに、薪も積まれている。狼の里なのに、煮炊きの煙が流れてもいた。

「俺達は、山の神みたいなものとしての、狼だ。この里からおりるときは、狼の姿を主にとる。そうでなければ、人に似た姿だな」

 すうっと、刷毛ではいたように、周りの狼達の姿が大きく広がる。毛皮の帯を巻いた者、精悍な若者、苦渋のあとの残る老いた者など、様々な年代と体格の者らが、ましろの周りを進んでいた。男ばかりだ。

 小屋の前で遊んでいた、子どもが数人、こちらに気づいた。

「あれっ、お帰りなさい!」

「白露王だ!」

 あぁ、とか、うん、とか答えながら、白露王も人の姿になって頷く。ましろの視線に気がついて、ぽん、と頭を撫でてくれた。

「できれば、離れるな」

(やっぱり、人間が入り込むのは、何か、まずいのかしら)

 駆けてきた子どもが、見たことがない人間が混ざっていると気がついて、目をまん丸にして立ち止まった。ぽかんとした男の子の後ろで、女の子も口を開ける。その口が閉められる前に、ましろは白露王に肩を押されて、通り過ぎてしまった。

「今の、何?」

「人間?」

「人間のにおいがした」

「境を越えたの?」

 さわさわと、子ども達の可愛らしい声が、ましろの耳に聞こえてくる。不穏な言葉も耳に入った。

「境を越える者って、食べていいんだよね?」

(食べ……!?)

 ぎくりとした。だが、白露王がさらに強く押してきたので、ましろは立ち止まらずに済んだ。

「白露王!」

 若い男衆が、小屋から飛び出してきて嬉しそうに飛び跳ねる。

「お帰りなさい!」

「あのですね! 裏の境のとこで赤狐のやつらと喧嘩が――」

「爺さんのとこの子どものことで――」

 やいやいと騒ぐ者らは、ましろのことなんて目に入っていない。押し退けられ、ましろは近くの木の下に避難した。

 あまり離れると、こちらを窺っている子ども達が飛びかかってきそうなので、気が抜けない。

(何だか、思ってたのとちょっと、違う)

 白露王は、ましろの目から見ると、飄々とした狼だったけれど。

「それなら、石路に差配を任せてある」

 とか、

「赤狐は次に会ったときに、よく言って聞かせておこう。話はそれからだな」

 と、存外まともに、そわそわして高ぶっている若者達をさばき、落ち着かせていく。

「慕われているのね」

 ましろは、拗ねたふうに呟いてしまった。

「そうだよ!」

 返事が、下の方から投げられた。ましろは驚き、そちらを見る。食べていい? とさっきまで言っていた、子ども達だ。きらきらした目で見上げられて、居心地が悪い。

 ふと、子ども達がびくりとした。

(耳とか、出ちゃったんだわ)

 もののけ、と罵られることはないだろうが、怪訝そうには見られている。

「ねえ、何でそんななの?」

「お姉ちゃん、人間じゃないの?」

「仲間なの?」

「狼?」

「どうしてそんなに、中途半端なの」

(そんなの、私が聞きたい)

「こら、お前等。向こうで薪集めの手伝いを探しているぞ」

 人垣を分けて、白露王が出てくる。

 子ども達が、きゃあっと歓声をあげて、すぐに、示された方角へ駆けていった。

「遅くなった。大丈夫か?」

 ましろは首を傾げる。不安と緊張はあるけれど、今のところ、噛みつかれたりはしていない。

 ましろを連れて、白露王が、藁屋根の小屋に入る。ましろは入り口で止められた。客だから絶対に、傷つけないように、と白露王が門番に言い含めてから、「すまん、中で一度、話してくるから」と中に消えた。

 手持ちぶさたでましろは困る。門番も、そわそわしてましろを見る。どう話しかけてよいか思いつかないようだ。お互いに気を遣う。

 ましろは少し離れて、すらりとした木の下に立った。背をつけていると、少し落ち着く。

 近くの、板張りの小屋の裏手から、血の匂いが流れてくる。何の気なしに見やると、狼達が鹿に顔をうずめ、がつがつとむさぼり食っていた。その近くには、木の鍬で畝を作り、野菜を育てる者がいる。

 ぞっとするほど、両立しない光景だった。

 ましろの目の前で、転がり回っていた子どもが、不意ににじんで子狼に化ける。狼と人、どちらが本来の姿というのでも、ないようだ。

(よく、分からない)

 ここに、自分が馴染まないということだけは、はっきりと分かった。

 藁屋根の中から出てきた白露王は、いくぶん晴れやかな顔をしていた。

「事情を話した。たぶん親父殿の係累だと言ったら、じゃあ顔を見たいと言われたので、夕方頃また、ここにくる」

「顔、って……私の?」

 他に何がある? と、白露王がきょとんとする。

「大丈夫だ。一番、年寄りの、予知もできる古い婆様に会うだけだ。お前の知りたいことも、機嫌がよければ教えてくれる」

「知りたい、こと」

 この耳や尾の理由? 父親はいるのかどうか? それとも。一番大事なことを、ましろはあえて、考えなかった。代わりのように、白露王が柔らかく口に乗せる。

「お前の、母親の――」

「あっ」

 意味もなく、ましろは遮る。

「そういえば、貴方って、意外と人に慕われてるのね」

「うん? そうか? まぁ、長だからなぁ」

「偉いの? 強い?」

「親父殿は、強くて勇敢でもあったが。俺も、たいていの喧嘩では、負けはしないな。他の狼どもの、喧嘩の仲裁に入らないとならないんだが、だいたい転がしてやればおさまるし」

「前に見た気がする」

 呟いたましろを連れて、白露王が歩きだした。

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