2-1
第二章
*
歩くうち、ましろにも見覚えのある、里の民家みたいなものが並び始めた。木々が少し開けたところに、薪も積まれている。狼の里なのに、煮炊きの煙が流れてもいた。
「俺達は、山の神みたいなものとしての、狼だ。この里からおりるときは、狼の姿を主にとる。そうでなければ、人に似た姿だな」
すうっと、刷毛ではいたように、周りの狼達の姿が大きく広がる。毛皮の帯を巻いた者、精悍な若者、苦渋のあとの残る老いた者など、様々な年代と体格の者らが、ましろの周りを進んでいた。男ばかりだ。
小屋の前で遊んでいた、子どもが数人、こちらに気づいた。
「あれっ、お帰りなさい!」
「白露王だ!」
あぁ、とか、うん、とか答えながら、白露王も人の姿になって頷く。ましろの視線に気がついて、ぽん、と頭を撫でてくれた。
「できれば、離れるな」
(やっぱり、人間が入り込むのは、何か、まずいのかしら)
駆けてきた子どもが、見たことがない人間が混ざっていると気がついて、目をまん丸にして立ち止まった。ぽかんとした男の子の後ろで、女の子も口を開ける。その口が閉められる前に、ましろは白露王に肩を押されて、通り過ぎてしまった。
「今の、何?」
「人間?」
「人間のにおいがした」
「境を越えたの?」
さわさわと、子ども達の可愛らしい声が、ましろの耳に聞こえてくる。不穏な言葉も耳に入った。
「境を越える者って、食べていいんだよね?」
(食べ……!?)
ぎくりとした。だが、白露王がさらに強く押してきたので、ましろは立ち止まらずに済んだ。
「白露王!」
若い男衆が、小屋から飛び出してきて嬉しそうに飛び跳ねる。
「お帰りなさい!」
「あのですね! 裏の境のとこで赤狐のやつらと喧嘩が――」
「爺さんのとこの子どものことで――」
やいやいと騒ぐ者らは、ましろのことなんて目に入っていない。押し退けられ、ましろは近くの木の下に避難した。
あまり離れると、こちらを窺っている子ども達が飛びかかってきそうなので、気が抜けない。
(何だか、思ってたのとちょっと、違う)
白露王は、ましろの目から見ると、飄々とした狼だったけれど。
「それなら、石路に差配を任せてある」
とか、
「赤狐は次に会ったときに、よく言って聞かせておこう。話はそれからだな」
と、存外まともに、そわそわして高ぶっている若者達をさばき、落ち着かせていく。
「慕われているのね」
ましろは、拗ねたふうに呟いてしまった。
「そうだよ!」
返事が、下の方から投げられた。ましろは驚き、そちらを見る。食べていい? とさっきまで言っていた、子ども達だ。きらきらした目で見上げられて、居心地が悪い。
ふと、子ども達がびくりとした。
(耳とか、出ちゃったんだわ)
もののけ、と罵られることはないだろうが、怪訝そうには見られている。
「ねえ、何でそんななの?」
「お姉ちゃん、人間じゃないの?」
「仲間なの?」
「狼?」
「どうしてそんなに、中途半端なの」
(そんなの、私が聞きたい)
「こら、お前等。向こうで薪集めの手伝いを探しているぞ」
人垣を分けて、白露王が出てくる。
子ども達が、きゃあっと歓声をあげて、すぐに、示された方角へ駆けていった。
「遅くなった。大丈夫か?」
ましろは首を傾げる。不安と緊張はあるけれど、今のところ、噛みつかれたりはしていない。
ましろを連れて、白露王が、藁屋根の小屋に入る。ましろは入り口で止められた。客だから絶対に、傷つけないように、と白露王が門番に言い含めてから、「すまん、中で一度、話してくるから」と中に消えた。
手持ちぶさたでましろは困る。門番も、そわそわしてましろを見る。どう話しかけてよいか思いつかないようだ。お互いに気を遣う。
ましろは少し離れて、すらりとした木の下に立った。背をつけていると、少し落ち着く。
近くの、板張りの小屋の裏手から、血の匂いが流れてくる。何の気なしに見やると、狼達が鹿に顔をうずめ、がつがつとむさぼり食っていた。その近くには、木の鍬で畝を作り、野菜を育てる者がいる。
ぞっとするほど、両立しない光景だった。
ましろの目の前で、転がり回っていた子どもが、不意ににじんで子狼に化ける。狼と人、どちらが本来の姿というのでも、ないようだ。
(よく、分からない)
ここに、自分が馴染まないということだけは、はっきりと分かった。
*
藁屋根の中から出てきた白露王は、いくぶん晴れやかな顔をしていた。
「事情を話した。たぶん親父殿の係累だと言ったら、じゃあ顔を見たいと言われたので、夕方頃また、ここにくる」
「顔、って……私の?」
他に何がある? と、白露王がきょとんとする。
「大丈夫だ。一番、年寄りの、予知もできる古い婆様に会うだけだ。お前の知りたいことも、機嫌がよければ教えてくれる」
「知りたい、こと」
この耳や尾の理由? 父親はいるのかどうか? それとも。一番大事なことを、ましろはあえて、考えなかった。代わりのように、白露王が柔らかく口に乗せる。
「お前の、母親の――」
「あっ」
意味もなく、ましろは遮る。
「そういえば、貴方って、意外と人に慕われてるのね」
「うん? そうか? まぁ、長だからなぁ」
「偉いの? 強い?」
「親父殿は、強くて勇敢でもあったが。俺も、たいていの喧嘩では、負けはしないな。他の狼どもの、喧嘩の仲裁に入らないとならないんだが、だいたい転がしてやればおさまるし」
「前に見た気がする」
呟いたましろを連れて、白露王が歩きだした。
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