1-10

 妙な者に出くわすのは、それきりのことではなかった。いくらか進んだ頃、ましろは、声をかけられた。

「やぁ、また会った」

 暗闇ほど暗くはないのに、木陰で、さっきまで完全に姿が隠れていた。その闇を、切り取るように、人の形が現れる。

 ましろは油断なく身構えた。

 黒衣の男だ。と言っても、男は、以前とは少し違う、群青がかった、複雑な織りの黒衣をまとっていた。腰の帯は鮮やかな緋色。以前と異なるのは、それだけではなかった。

「殿下」

 緑、萌葱、とりどりの衣装、冠も様々な人々が、彼の後ろから現れた。

 ましろは思わず顔をしかめる。

「今日はやたらと、徒党を組むのが好きな人ばかりに会うわね」

「何か言ったか?」

「別に。独り言」

 艶やかに、黒衣の男が微笑んでいる。

「また会った。たびたび出くわすのは、多生の縁だろう」

「気のせいじゃないの」

 ましろは、強ばった返事をする。男の後ろで仲間達が、ひそひそと、何やら罵る言葉をあげた。代表格らしき壮年の男が、進み出て、黒衣の男に進言する。

「おそれながら。皇子たるお方が、そのような下々の者と直接、言葉を交わすとは」

「構わん。私は、そう、人を捜している」

 壮年の男にはほぼ答えず、美しい男はましろに囁く。

「女が一人、行方しれずになっている。それが見つかるまで、山を出られなくて難儀しているよ」

「今思いついた、っていう顔をしてるけど」

 そもそも、仲間に追い回されて、逃げたり、戻ったり(着物が見るたびに違うので、いったん戻っているはずだ)している人間だ。誠意や真実があるとは思えなかった。

「貴方が逃げ回ってたのは、その人を捜していたからなの?」

「それは違う」

 あっさりと答えるので、ばかばかしい気分になる。

「思いつきで言わないで。貴方の後ろの人達も、貴方に振り回されて迷惑してるんじゃないの」

「何ということを!」

 挑発した相手ではなくて、後ろの人達のほうが色をなした。睨まれ、ましろは首をすくめる。人間達は、ましろの飛び出した耳を見てますます怯え、あるいは怒った。

「先日のように、我々にそのもののけを始末させてくださいませ!」

 身がすくむ。男が知らぬ顔で微笑んでいた。

「この間、山道で動物を射ていたのは、貴方達なの?」

 自分を射たのは、と聞くには勇気が出なくて、ましろは恐れながら言い換えた。

「そうだ! 我々の力だ!」

「日暮れにかけて、もののけが出たのでな」

 黒衣の男が、背後の者と違う、動じぬ声で答える。

「よく狙われる身の上ゆえ、鳥獣、人間にいたっても、不用意に近づくものは、捕らえるか殺すかして、憂慮の材をはらうことにしているのだよ」

「そう、なの」

 射た者達が、この男の指示で動いていることと、彼がよく狙われるという言葉の意味が、ましろの頭を混乱させた。

 狙われる? 男が頷く。

「そう。もののけが出た後で、青い首飾りを持った女が、狂乱して出ていった。あれがどうなったのか、そういえば気になる」

(そういえば、って言う、くらいの、心配の仕方って、ある?)

 腹の底に、怒りがわく。ましろが怒っても、仕様のないことではあるのだが――。

(……え、ちょっと待って)

「青い、首飾り?」

「そう。心当たりでも?」

 答えるべきだろうか。無意識に下がりかけた足を、ましろは必死で押しとどめた。覗き込んでくる黒い目が、木陰のためか、暗くて、表情が見えなかった。ましろに興味を失ったのか、黒衣の男はすっと視線を逸らした。口の端に笑みを浮かべる。

「実は、もののけを打ち払う以外にもいろいろあってな。先だって、山の主かと思うほど大きなイノシシが、呪い矢に射られて、私のところへ飛び込んできた。獣自体は始末した。だが、矢の呪いは、どこかで消化されなくてはいつまでも我々につきまとう。首飾りに移させたが、それをやった女が消えた。高熱にうなされて、訳の分からぬことを叫んでいたが。あれは、どういう最期を迎えたものかな」

「その人、名前は?」

 確信があった。男は薄笑って、何だったかなと首を傾げる。白露王とはまったく違う、嫌な感じのする仕草だった。周囲から囁かれて、男がわざとらしく頷いた。

「あぁそう。そういう名だった。貴矢かな? 明葉なる侍女も消えたようだが」

 ましろのつれて帰った女と、かいがいしく世話を焼く少女の名前だ。

(それで、あの熱……!)

 あの具合の悪さは、呪いのためだったのだ。

「貴方が」

 ざわりと産毛が逆立つような、寒気のするような怒りか恐怖を、ましろは感じた。

「知っているようだな?」

「知らない。言いたくない」

「ふうん。まぁ、構わんよ」

 男が、つと、手をのばす。ましろは身をよじったが、首を掴まれてしまった。

「狼は首輪をつけないかな」

(私は、そんなものじゃない!)

 ましろは男を睨みつけ、後ずさろうとする。その視界に、ひょっ、と白いものがよぎった。白いものが声をあげる。

「早く逃げろ!」

 男が素早く腕を引く。ましろは男を振り払って逃げだした。逃げろと叫んだ子狼は、人間の間をかいくぐっている。大丈夫だろうか。不安に思ったましろの背後で、

「ひいっ!」

 人の群れがざわめき、左右にちぎれた。

「狼だ!」

 男女の悲鳴、転げる物音。斜面を、荷車を引いていた馬や牛が、転げ落ちてくる。

 狼に食いつかれ、腕を振り回していた男が、仲間の太刀に斬られて倒れる。狼は、男の腕に食いついたまま離れない。

「白露王! 我らはもう待てぬぞ!」

「加勢だ加勢だ!」

 狼達が、やいやい騒ぎながらおりてくる。ましろの方もちらりと見るが、今は弓や太刀を持つ男達を蹴散らしに行ってしまった。

 上の道へは行かれない。騒ぎから逃げると、ましろは小川に戻ってしまった。

(白露王、大丈夫かしら)

 しゃがみ込み、ある程度落ち着いてから水を飲む。

「明葉も、無事だといいけど」

 弓矢などを持つ人間達は、かなり多数いたようだ。手分けして山を捜索されれば、ましろの住まいもすぐに知られてしまうだろう。

 明葉は、貴矢をつれて都に帰るつもりのようだった。だが、あの黒衣の男は、面白半分で呪いを移した首飾りを貴矢にやり、結果を知りたがっている。双方が再会したところで、呪いの結果が分かれば、男は二人を、もうよいとばかりに切り捨てそうだ。何だか怖い。

(でも、このまま山にいるわけにもいかない)

 明葉はどこでも大丈夫そうだが、貴矢は、都会暮らしが長くて、田舎には馴染まないようだった。

(大分、具合はよかったけど。普通の人でも、呪いをはねのけられるのかしら)

 首を傾げる。

「――おい」

 後ろに気を配っていなかったため、急に呼ばれて、ましろは飛び上がった。短い悲鳴をあげて、手近な石を拾って投げつける。

「おい! やめろって!」

「え? あれ?」

 かつて石を投げてきた少年が、ましろの暴力に困惑して、大きな岩に隠れていた。ましろは瞬きして、相手をまじまじと見つめた。

「何、その格好」

「偉い奴が、山でいなくなった奴を捕まえたら報償を出すっていうんでな」

「でも、その格好……」

 人を捜すにしては、弓矢や鉈、皮衣での防御といい、ものものしい。

「狩りか、戦いにでも行くみたい」

「そうだよ」

 うんざりと、少年が言い返した。

「探すったって、逃げた奴を捕まえるってことで……できれば生きてる方が望ましい、とは言われてる」

 望ましい、ということは、そうでなくとも、見つかりさえすればよいという意味でもある。誰が出した指示なのか、ましろも、さっきの今で、すぐに分かった。

「それ……断れないの」

「断れない。権力者って面倒だな。俺達は、うまくやったって、年貢が軽くなるわけでもないし。失敗すればひどくなるだけだ」

「里にいるのも、大変ね」

「そうだな。狼まで出るし」

 それは、とましろは、顔をしかめる。

「……ちゃんと、敬わないから」

「敬う? 猟のときは、獲物には感謝するし、山神は敬う。狼だって、俺達を狙わなきゃ、畑を荒らしすぎる猪だって穫ってくれる、いい奴だ」

 狼に対して、意地悪いことをしたわけでもない。それでなぜ、人を襲った狼がいるのか、理解できない。

「もしかしたら、今回の連中に対して怒っていて、村の奴は巻き込まれただけかもしれないが。……それより、考え直したか?」

 少年が眉間の皺を和らげて、問いかけた。

「何を、よ」

「山狩りまでしてるんだぞ。お前がうっかり間違われて射られたらどうする。里に来い。ほっかむりでも何でもしてれば、耳も見えないだろ」

 ましろは、耳と尾をぴんと立てる。

「私に、これを隠して暮らせって言うの? 顔も名前も知られてるし、隠せたとしてもどうせ、いずれ分かることだわ」

「狼を嫁にもらったって、いいじゃないか」

 少年が引かずに言う。妙な単語が混ざっていたので、ましろはしばらく、言葉が返せなかった。

「え」

 本気で言っているのだろうか。ぽかんとして、すぐ怪訝な気持ちでいっぱいになる。

「石、投げてきたくせに」

「お前が危なっかしいからだ」

「意味が分からない」

 斜面を、小石が転がり落ちてくる。少年の視線がそれて、ましろは、どっと息をついた。

(何? 今の)

 狩人の姿をした少年は、あの黒衣の男とは別人のはずなのに、共通したように見えた。

(共通……?)

 ましろが恐れているのに無理矢理、ましろの意志と関わりなく、連れて行こうとしている点だ。嵐のようには暴力的ではないけれど、ふわふわして、気持ちが悪い。

「っ!?」

 斜面を見上げていた少年が、顔をしかめた。軽く、駆ける足音がして、ましろも驚いて振り返る。切り立った崖のような場所を駆けるのは、普通は鹿ぐらいのものだ。だが、明らかに違う黒い影が、矢のようにおりてくるところだった。

 落下ではないのは、すぐに分かった。その者が涼しい顔で、とん、と小川のへりへ飛びおり、着地したからだ。着物の裾にはねた水を、少し気にした様子だった。その仕草は、優雅な面立ちには似合いだが、崖をおりてきた勢いや度胸などとは不釣り合いだ。

「人間か!?」

 少年の叫びに、ましろも同意する。

「あの人、人間離れしてるわね!」

「知り合いなのか、ましろ」

「ましろと言うのか」

 黒衣の男が、ふと笑った。

 最近、ましろは自分で名乗っていないのに、望んでいない相手に名前を知られることが多いなとぼんやり考えた。

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