1-5

 さすがに、白露王はついてこなかった。

「何か用?」

 ましろも、あまり少年と話すつもりはない。だが、狼と一緒にいることを言いふらされると困るので、見えたかどうか確かめたくて、近づいた。

「お前の母さん、まだ見つからないのか」

 そんな話を、人にしたことがあっただろうか。真剣に見つめられて、ましろは戸惑う。

「どうして、そんなこと」

「たまに、山でお前の母さんを見かけることがあった。でも最近、ずっと見てない。病気なんだったら、お前がもっと、必死になって薬草を探すなり、里の村に頼るなりするだろ? してないってことは――最後に俺が見たのは、行商に出るところだったから、出かけたまま戻ってないんじゃないかと、思って」

 狼のことは、見ていなかったらしい。だが、ましろの手足は冷えていた。

 嘘をついて、母がいると答えるのも妙だ。だが、一人ぼっちでいるのを知られるのも、あまりいいことではないように思えた。

 実際、少年は顔をしかめたまま、ましろに説教をした。

「一人だと危ないだろ、里へ来いよ」

「石を投げつけてくる子にしては、どういう風の吹き回しなの」

 言い返すのがやっとだった。

「一人は危ないって、ましろ!」

「関係ない!」

 話はそれだけか。思いつく限りの悪態を小声でついて、ましろは山道を駆け登った。大声が追いかけてくるが、本人はついてこない。

「何よ。村でばかにされながら暮らすのなんて、ごめんだわ」

 思いのほか、自分の声が震えて弱々しかった。涙ぐんだましろに、いいのか、と白露王が近づいてくる。

「話が、あったんじゃないのか」

「いい。別に」

 白露王は首を傾げたが、それ以上追求しては来なかった。

 お互いに無言で、山道を歩いていると、相手がいるのだかいないのだか、分からなくなる。

 緑の下ばえを踏みつけて、緑、土の黒さ、木々の根の力強い節々ばかりを見下ろして歩き続ける。息があがる。

 ましろは少し駆け足になる。開けたところにある、木に登った。

「おーい、ましろ」

 下方で、白露王が呼んでいるが、ましろは無視をした。今の自分は耳と尾が出ていて、木からおりられなくなった子猫みたいだなと、自分で思ったけれど。

 白露王は、一度どこかへ駆けていったが、ましろがおりる頃には下で待っていた。

「何で、ついてくるの」

「うん? どうした?」

 白露王の口調を聞いていると、ましろは、自分が小さい子どもになった気がする。

「……私は、ただの人間だから。狼じゃないから。だったら、用はないでしょ」

 ましろは当たり前のことを言ったつもりだった。白露王の方は、そうではないらしい。

「親父殿の子だと、思うんだが」

 てってっ、と少しだけ爪で土を踏む音を立てて、白露王が歩きながら呟いた。

「用があるかと言われると困るな。腹を空かせてないか、怪我をしていないか、寂しくはないか、それが気がかりなだけで」

 まるで、肉親に対するようだ。ましろ、ましろと呼ぶ母の声を思い出して、ましろは再び鼻の奥が痛くなった。

「まだ、私のこと兄妹だと思ってるの?」

 下草を踏みながら聞いてみる。少しだけ鼻声になった。白露王は首を傾げた。

「だと、思うんだがなぁ」

「違うの?」

「耳と尾の感じは、似ている気がするんだが。まぁ、どうも、半端な化け方ではある」

(何だ……)

 ましろは、続く気持ちに瞬きする。

 がっかりした? 何で?

 白露王が、よそ見をしていたらしく、ちょっとよろめいた。

「大丈夫?」

「うん、何か落ちてるな」

 立ち止まった白露王の足下を、ましろも覗き込む。青い石を連ねた飾り物が、山道から崖にかけて、ほそぼそと引っかかっていた。

 白露王は、ふんふんと匂いをかいでいる。

「落とし物?」

 ましろが手を伸ばしかけると、狼が一瞬牙を出した。ましろは驚いて後ずさる。

「何!? 急に」

 野生の本能を見たようで、血の気が引いて、力が入らなくなる。

 ましろの恐れとは裏腹に、白露王は変わらぬ、柔らかい眼差しでこちらを見やった。

「これは呪物だ」

「じゅぶつ?」

「まじないに使われた代物だ。下手に触らない方がいい」

 ましろが触りそうになったから、白露王は離れろと、態度で示しただけらしい。

「しかしそれにしても機嫌の悪い石ころだな」

 首をひねりつつ、白露王はおもむろに、石をくわえた。

「ちょっと……! まじないに使ったものなんでしょ!? 危ないから触るなって、今自分で言ったくせに!」

 肝が冷えたましろと違い、白露王は平然と、石の首飾りを、崖下に放り投げる。

「まぁ、流水で少し、頭が冷えるだろう」

「貴方は? 大丈夫なの?」

「まじないに使われて、いたく石の神は機嫌を損ねていたが、大丈夫だろう。そのくらいのこと。狼には、おそれることもないものだ」

「そういう、ものなの?」

 不可解な話だった。だが。

「そういう、ものだ」

 狼のしたり顔をみていたら、そもそも喋る狼の話なので、なにがあってもおかしくないかもしれないと思えてきた。

 小屋に戻り、怪しげな匂いをさせて煮た金属や葉を瓶に押し込んでいるうち、狼はどこへともなく、消えてしまった。

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