3

「すまないね、皆」

 ベッドで寝てる部長が、周りにいる部員達に笑いながらそう言う。笑ってはいるが、目の奥は笑っていないのがよくわかる。

「僕のことは気にしないでいいから、ほら試合試合」

 笑ってない目のまま形だけ笑顔を作って皆を励まそうとしているが、その空気は部員達の心をより重くしていた。

「部長……悔しくないんですか!?」

 突然、一人の部員が悲痛に似た叫び声を上げる。

「何がだい?」

「だって部長……、もう、旗を握れないかもしれないって……」

「もう二度とフラッガーとして活躍できないいんですよ!? 悔しくないんですか!?」

 一人の部員を皮切りに、全員が矢のように部長に向かって叫び声を上げる。

 医務室に運ばれた部長の検査の結果を聞いた時、部長はもちろん部員全員が凍りついた。

「このままでは、一生旗を握れないかもしれません」

 その言葉は、まるでコールタールのように全員の脳にこびりつき、毒のように精神を蝕み始めていた。その証拠に、何人かは叫び声と共に涙を浮かべている。

 まるでお通夜のような雰囲気。部長の励ましの言葉も、この状況では全くの意味を成していない。

 誰一人、試合であることを忘れている。当然だ、この状態で試合に勤しもうとする人はきっといないだろう。

「……皆」

 その空気を察したのか、部長は今までにない真剣な表情で部員たちを見回す。もし、部長と言おうとしていることが予想通りなら、それは無情な宣告だ。

「……僕は大丈夫だから、今は試合なんだ。君達は早く戻って試合に集中するんだ」

 予想は当たっていた。そしてその無情な宣告は、部員たち全員に深く突き刺さった。

 一人、また一人と医務室を後にしていく。しかしその足取りは、とても試合をしに行く選手のそれではない。

 僕はそれに合わせて医務室を後にしようとする。

「赤松君、君は残ってくれ」

「え?」

 そう言われ、僕は足を止め部長の近くに座る。

「ごめんね、君だけ残させて」

「何で僕を残したんですか?」

 そう聞くと、部長は仰向けで天井を見つめながら話し始めた。

「初めて君を見た時、思ったんだ。君は僕と同じだって」

「同じ?」

「努力を無駄だと思う気持ち、さ」

 その言葉に、思わず体がびくっと震える。

 思ってもみなかった。自分が努力を無駄だと思っていることが露呈しているなんて。

「す、すいません……」

「なんで謝るんだい? 僕だってそうだったよ。旗揚げに魅せられてその道に踏み込んで、大した運動神経もなかったからすぐに同期には追い抜かれて、一時期僕は荒れていたよ。努力なんかするだけ無駄、結局勝負は才能と天運、それに尽きるってね」

 部長の言葉は何より僕の心に一番深く突き刺さってきた。部長の言葉は、まさしく今の僕を体現しているかのようだった。

 そしてそれと同時に不思議に思う。今の部長からは、そのような感情は感じられないというのに。

「何が、部長を変えたんですか?」

「……自分、かな」

「え?」

「いや、正式に言うと違うんだけどね。色んな人と関わっていく内に考えを改められたというか、僕一人の力では絶対に気付かなかったと思う」

 思い出すように語る部長。

「一つの事に関わっている内に、いろんな人と関わりあえたよ。今の僕のような人、今の赤松君のような人、今の旗山のような人、色々な人間がいるんだって勉強にもなったし、同時に自分の過ちにも気づいた」

「過ち、ですか?」

「努力なんて無駄、って言葉を言うこと。それはただ単に自分自身から逃げてるだけだってね」

 一瞬、僕の中の時が止まった。胸の痛みがチリチリと僕は焦がし続ける。聞きたくない、けど聞かずにいられない。

「僕は気づいたんだ。努力が無駄になることなんてない、ってね」

「それは……」

「違うと思うかい? でも、努力してきた自分というものは自分の中で必ず残る。いくら記憶を消し去っても、今の自分はあの時の努力があったから存在する、卑屈な自分を形作っているのも、努力した僕がいたからこそなんだ」

 胸の痛みがスッと止んだ。それと同時に、自分を焦がし続けていた胸の痛みが何なのかわかってきた。

 この胸の痛みは逃げだ。努力した自分を認めなかった自分への。自分は努力したと言っていたのも詭弁でしかない。怪我をしてバレー選手の道を断たれた、という事実を盾に、子供のわがままのようにわめき散らしていただけなのかもしれない。

「だから僕は、弱い自分と向き合った。10倍で足りないなら100倍努力すればいい。道を断たれたなんて言われたら、新たに道を作ればいい。腕が使えないなら、僕は足を使ってでもフラッガーを続ける」

 部長の言葉からは、並々ならぬ強い決意を感じる。

 僕だってそうだ。リハビリを続ければいつかバレーのコートに復帰できるかもしれない。それを僕は、弱い自分と向き合おうとせず、卑屈になって可能性の芽をつぶしていた。

 ――いつまで逃げているんだ、僕は!

 その時、会場のほうから声が聞こえてきた。しかしこれは歓声ではない、静かに落胆するような声。

「試合ももうすぐ終わりみたいだね」

 部長の言葉が終わるのよりも早く、僕は医務室の扉に向かって走った。

 体が勝手に動いた。弱い自分と向き合おうとした時、僕の足は勝手に会場に向けて歩を進めていた。

「どこに行くんだい?」

 部長が聞いてくる。不思議と言葉はするりと口から出てきた。

「……答えを探しに行ってきます」

 そう言って、僕は医務室を出て会場に向かって走った。

 正直、今の自分の心はよくわからない。旗揚げをやりたいと思っているのか、くだらないと思っているのか、自分でも理解しかねている。

 それでも僕は、ここに答えがある気がした。くだらないと思っていた競技に命を懸けている人達が、くだらないと思っていたこの競技が、僕のこの心に答えを暮れるような気がしたから。

 会場の扉を開けると、すでに勝負は副将戦に突入していた。

 案の定、次峰戦から副将戦まで旗山が勝ち進んでいる。そして大将戦にさしかかろうとしているところだった。

 ――丁度よかった。

 部員達の所に駆け寄ると、全員が戦意喪失している。実力差をこれでもか、と見せ付けられたのだろう。

「大将戦、選手前へ」

 そう言うが、部員は誰一人とて前に出ようとしない。

「どうした? 誰も出てこないのか?」

「……僕が出ます」

 そう言って、僕は一歩前に出る。

「あ、赤松さん!?」

「赤松君、君は未経験者だろう!?」

 部員全員が前に出た僕を止めようとするが、それを無視して旗を握る。

 試合の場に立った時にわかる威圧感。くだらないと思っていたが、対峙するとここまで気圧されるとは思わなかった。

 でも、ここで逃げるわけにはいかない。答えを見つけるためにも、今まで逃げていた自分を清算するためにも、この先の自分を形作るためにも。

「大将戦、はじめ!」

 旗を握る手に力を込める。

 ――もう、自分の人生に白旗なんて上げるもんか!

「白上げて!」

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はたあげぶっ! ~紅白熱血物語~ 朝海 有人 @oboromituki

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