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 次の日、僕を含めた旗揚げ部全員は会場前に集合していた。

「皆、今日は練習試合だが、本番と同じ気持ちで一つ一つ大事にやっていこう! 今日学べることを一人一人しっかりと学び、次に繋げられるように意識するように! 自分を信じて勝利を呼び込むんだ!」

「はい!」

 部長の言葉に部員全員の士気が上昇する。

 形式に倣って僕も声を出すが、本心は声を出すことすらバカバカしいと思っている。この程度の鼓舞で勝てるというのなら、管内で最弱なんて言われていないだろうに。

 士気そのままに会場の門を潜ると、既に入場してウォーミングアップをしている他の学校の選手たちの姿が見える。

 管内最弱であるこの部員達の練習しか見たことなかったが、実際他の学校の姿を見ているとその差がよくわかる。機敏さや一瞬の判断力、どれをとっても段違いだ。

「赤松君」

 突然、後ろから部長が話しかけてきた。

「何気負っているんだい? 気持ちで負けてたら勝ちはやってこないぞ。相手がなんであろうと関係ない、自分を信じて自分が出来ることを精一杯やる。そうすれば自ずと勝利は見えてくるものさ」

 部長は笑顔で僕にそう言うと、ウォーミングアップに入った。

 別に気負っていたわけじゃない。ウォーミングアップの段階でこうもレベルの差があるのかと驚いただけだ。実際、部員の何人かは他の選手を見て本当に気負っていて、表情からは言い様のない不安が見て取れる。

 こんな状態を見てもなお、あの部長はあんなことを言えるのだろうか。いくら部長が頑張っても、これではどう足掻いても勝てないだろう。

 ――やはり努力なんて無駄だ……でも何でだろうか、少しだけ胸がチクチクする……。


 全体のウォーミングアップの時間が終わると、早速試合が始まった。

 旗揚げは五人対五人の勝ち抜き戦方式であり、挙げる旗を間違えたり旗を挙げなかったりすると相手に点が入り、先に二点取ったほうが勝利になるというシステムのようだ。

 試合を生で見てみると、昨日の練習が何だったのかと思ってしまうほどレベルが高い。挙げる速度は速く、多少の引掛けには騙されず瞬時の判断力と瞬発性で接戦を繰り広げている。

「どうだ赤松君、これが旗揚げという競技だよ。ワクワクしてくるだろう?」

 部長はキラキラしている目でそう言うが、ちっともワクワクしてこない。それに他の部員達も、そのレベルの高さにさっきまでの士気はとっくに無くなっている。とてもこれから試合をやる選手団には見えない。

 今やっている試合が副将戦。この後の大将戦が終われば次は管内最弱チームの出番。

「ちょっとトイレに行ってきます」

 僕はそう言って席を立つと、横に居た部長も同じように席を立った。

「なんですか?」

「僕もトイレだよ」

 本当にそうなのか、と少し疑いを持ったが、気にせず僕はトイレに向かう。その後ろを、ニコニコ顔の部長が着いてきているのを感じると何だか変な気持だ。

 そして男子トイレの前にやってきた時、中から一人の選手が出てきた。

 鍛えこまれているのか、腕は太くしっかりとした体躯を持つその人は、シルエットだけで一流のアスリートだとわかる。

「おや?」

 その男はこちらに気がつくと、不敵な笑みを浮かべてきた。

 しかしそれは、僕に対してじゃない。視線は僕の後ろ、部長の方に向けられていた。

「久しぶりだな、挙田。まだ旗揚げを続けていたのか」

「そっちこそ変わりないみたいだな、旗山」

 二人は笑顔でそう言ったが、声は全然穏やかじゃない。敵意はもちろんのこと、旗山には見下すような、そして部長からは焦りのような声色が混じっている。

 そして二人共、パッと見は笑顔だが眼が笑ってない。知り合いのようだが、とても再開を喜んでいるようには見えない。

「最近の戦績はどうだ? 管内最弱を最強にすると意気込んだ割には、全国で君の噂を聞いたことはないが」

「……悔しいがまだ全然だよ。だけど僕は諦めたつもりはないよ? 今は最弱かもしれないが、絶対に僕がこの学校を最強に導いてやるさ」

 部長の言葉はいつもよりも強く真剣だ。皆の士気を上げるためではなく、自分を鼓舞するかのような声。

 しかし、旗山の声は変わらず相手を見下しているような声だ。

「ほう、ならば今日この会場で証明してやろうじゃないか。君のその努力は全て無駄、徒労でしかなかったことをね」

 そう言って、旗山は高笑いを浮かべて去っていった。

 残された僕と部長は、いなくなっても尚残っている旗山の存在感の前にただ立ち尽くすだけだった。

 見ただけでわかる。旗揚げという競技の強弱の差は分からないが、あの旗山という男は間違いなく強い。

「……心配いらないよ、赤松君」

 沈黙を最初に破ったのは部長だった。さっきの声色は消えており、いつもの感じに戻っている。

「積み重ねた努力は無駄になんかならない。今日あいつに勝って、それを証明してやろうじゃないか」

 部長はそう言っているが、額に汗を掻いているのが見えた。

 また、胸にチクリと何かが走った。何かはわからない、しかしさっきの旗山の放った言葉を思い出すと、それは痛みとなって僕の胸に走る。

 どちらかというと、僕は旗山の方に肩入れすべきのはず、なのに何故、思い出すと胸に痛みが走るのだろうか。

 その時、会場から歓声が上がった。どうやら試合が終わったようだ。

「さ、早く戻ろう。次は僕達の試合だ」

 部長と僕は急ぎ足で会場に戻った。


 今日の練習試合、初めての試合の時間がやってきた。

 一応選手名簿には、形式として控えの選手の欄に僕の名前も書いている。部長も形式というのは理解しているらしいし、特に騒ぎ立てることもないだろう。

 そして、選抜された五人の選手が挨拶のために前に出る。

 そして同じように相手側の選手が出てきた時、一瞬で身が震えた。

 さっきの旗山という男を筆頭に、全員が一流アスリートクラスに体が出来上がっている。こんな選手団、オリンピックでもお目にかかれない。

「ほら出たよ、去年の全国優勝校」

「相手は管内最弱校よ、これはもう戦う前から勝負ありね」

 他の選手の方からチラホラとそんな声が上がる。

 全国優勝。彼らの見た目には納得の称号だ。旗揚げに限らず、他のスポーツですら敵わないんじゃないかと思えるほどの精鋭。

 対してこちらは、部長を筆頭に全員が萎縮しきっている。まるで肉食動物の前にいるうさぎのようだ。

「先鋒、前へ」

 主審の声と共に、相手側の先方が前に出る。

 しかしこちらの方は恐怖で体が固まっているのか、誰ひとり前に出ようとしない。

 その時、部長が一歩前に出た。

「皆、気持ちで負けじゃダメだ。最初から勝敗が決まっている試合なんかない」

 そう言って、部長は自ら先鋒に名乗りを上げた。

「はじめ!」

 主審のコールと共に、お決まりのコールで旗揚げが始まる。

 さすがは全国優勝。一つ一つがとても素早く、一切無駄がない。

 対して部長、どんどんと速くなるコースに危なげながらもついていっている。劣っている技術を根性でカバーしているその姿は、雑草魂という似合っている。

 徐々に相手側も消耗していき、ついに相手側がミスをした。そこからペースを乱されたのか、二回目は開始早々に相手側がミスをして、部長は先鋒戦でストレート勝利を飾った。

 湧き上がる会場。そして喜ぶ選手達。

 しかし、次の瞬間に盛り上がっていた空気が一瞬で凍りついた。

 ただ一歩前に出た。たったそれだけで、右肩上がりのテンションが一気に急降下した。

「相変わらず泥臭い勝ち方をするな、挙田」

「旗山……!」

 次鋒戦、出てきたのは旗山だった。

「おい出たぞ、全国個人戦の優勝者」

「日本最強が次鋒……!」

 周りの選手達が怯えにも似た声で話している。

 実際、並の人間を怯えさせるほどの威圧感を旗山は放っている。対峙している部長も、汗をびっしょりと掻いている。

「こうやって戦うのはあの時、お前に負けた時以来か」

「リベンジマッチのつもりか? 旗山らしいな」

 その会話に、会場の選手はもちろん、主審達もざわつき始める。

「嘘だろ……旗山、あの弱小校のキャプテンに負けたことあるのか?」

「一体、二人はどういう関係なんだ?」

 様々な憶測が飛び交う中、ふたりの試合は始まった。

「白上げて! 赤下げて! 赤下げないで、白下げない」

 序盤、両者共にミスなく続いていく。そしてコールが速くなっていくと徐々に差が出来始めた。

「くっ!」

「ほらほらどうした! お前の実力はそんなものか!?」

 煽る旗山。対して部長は付いていくので精一杯いと行った様子だ。

 旗揚げという競技を知らない僕でも、徐々に部長が押されているのがよくわかる。表情や動きは徐々に乱れており、余裕綽々といった旗山とはレベルが違うということが目視できる。

 本来ならば誰もが諦める試合だろう。しかし、部長は諦めずに旗を振り続けていた。

 また、胸に痛みが走る。

 ――何で、何でこんなに一生懸命になれるんだろう。努力は無駄なのに、無駄だってきっとわかっているはずなのに……!

 焦燥する僕の心をよそに、試合はどんどんと加速していく。もはや勝負は見えたも同然なのに食らいつく部長に、会場中が注目する。

 そして、事件は起きた。

 部長が旗を上げた瞬間、会場中に嫌な音が走った。

 聞き覚えのある音。忘れたくても忘れられない音。あの時、僕の耳にも聞こえてきた嫌な音。

「ぐあぁぁぁ!」

 音と共に、部長が苦痛の叫びをあげながらその場に倒れた。

「部長!」

「担架! 誰か担架を!」

 一瞬の出来事。時間にして数秒もない時間の内に、会場中が騒ぎ立つ。緊迫していた空気は消え、誰もが目の前で起きた出来事に唖然としている。

 そしてその中心では、部長が右手を押さえて苦悶の呻きを上げ続けていた。

 すぐさま部長は担架で会場の医務室に運ばれ、僕たちはそれに付き添うこととなった。

 その途中、僕の頭には思い出したくないあの時のことが蘇っていた。僕が足を壊した時のこと、バレー選手としての道が絶たれたあの時のことが。

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