はたあげぶっ! ~紅白熱血物語~
朝海 有人
1
この世界は必要のないもので溢れかえっている。
刺身についている菊の花、ウォシュレットについているビデとかいうボタン、ジャージの裾にあるファスナー、どれもこれもいらないものばかりだ。
どうして人間は、こうも無駄な物を生み出してしまうのだろうか。その生産力をもっと別のところに回していれば、技術は今に比べて格段に進歩していただろうに。
そして僕は、そんな無駄が何より嫌いだ。これまでの人生、そんな無駄なことに力を注いだことは一回もないし、これからも注ぐ気は一切ない。
そのはずだったのに、どうして僕はこんなことをやっているんだろうか……。
中学時代、男子バレーで目覚ましい功績を遺した僕は、高校に入ると吸い込まれるように男子バレー部に入った。
狙うはインターハイ優勝。そのために僕は高校時代特有の浮ついた感情をすべて無駄認定し、犠牲にする覚悟でいた。
しかし、バレーの神様はそんな僕を奈落の底へと突き落とした。
ある日、足に走った強烈な激痛で僕は動けなくなり、そのまま病院に担ぎ込まれた。
結果は、中学時代から続けてきた過度なトレーニングによる重症の怪我。回復すれば日常生活にも問題は出ないが、飛んだり跳ねったり走ったりといった過度な運動はできないという。
僕はその時、自分の存在そのものが僕の最も嫌う無駄になったような気がした。勉強ができるわけでもなく、他のスポーツはからっきし、バレーしか取り柄のない男がバレーが出来なくなる。これ以上の無駄があるだろうか?
それからというもの、僕の人生はまさしく転落人生だ。今まで出来た事が出来なくなる、それだけで僕の人生は急転直下で地獄のはるか底に沈んでいった。
もはや、生きていても仕方がない。そんなことを思っていた矢先、彼に話しかけられた。
「赤松あかまつ真白ましろ君、だよね? 是非、君のその力を貸してほしい」
それを聞いた僕は、沈んでいた人生に羽が生えたような気がした。
こんな出来そこないの僕でも、必要としてくれている所がある。その事実が何より嬉しくて、僕はその人について行った。
しかし、そう上手く事が進まないのが人生なんだと、僕は強く思った。
「白上げて! はい赤下げて! 白下げないで!」
「こらそこ! 疲れたからって上げる高さを下げない!」
「ワンテンポ遅れてる! そんなんじゃ優勝できないぞ!」
部員同士でアドバイスし合う空間。とても懐かしい雰囲気で、試合で勝つために努力していたあの頃がよみがえるかのようだ。
しかし、そんな雰囲気で彼等がやっていることを見ると、そんな懐かしさも遠くへと飛んでいってしまう。
そんなことを考えていると、この部活の最高責任者である挙田あげた 下之助しものすけ部長が僕のところにやってきた。
「赤松君、練習だからといって気を抜いてはいけないぞ? 常に本番、常に全力投球、それがこの部のモットーだからね」
「あの、部長」
熱く僕を指導してくれる挙田部長に、僕はここに来てからずっと思い続けている疑問を投げかけることにした。
「僕達は……というかこの部活は、一体何をしているのですか?」
僕はこれ以上ないほどに真剣な表情で先輩に問いかける。
しかし、先輩は僕の質問に対し何とも言えない表情になっている。というかこの顔は、僕が今言った言葉の意味がわからないかいった表情だ。
「……赤松君、僕たちはここに遊びに来てるんじゃないんだ。僕たちは、真剣に取り組み、情熱を注ぎ、愛して、命を懸けているんだ、この……旗揚げという競技を!」
その言葉と同時に、部長は持っていた赤旗と白旗を高く掲げる。その姿が神々しく映ったのか、部員全員から拍手喝采が起こった。
しかし、僕からするとどこに拍手喝采が起きる要素があるのかわからない。そもそも、それ以前におかしいところがある。
「部長、この部活がどれだけその競技に真剣に取り組んでいるのか、それは良く伝わりました」
「そうか。君はまだ始めたばかりだからわからないと思う。だけど、君もいつかこの競技を愛し、一人のフラッガーとして立派に成長していくことを……」
「それともう一つ! 部長、僕は中学時代、バレーで好成績を残しました。怪我でバレーは出来なくなりましたが、何故部長はそんな僕をここに誘ったのですか?」
そう聞くと、部長は笑みを浮かべた。
「……そうだね。君にはやっぱり話しておくべきだったね」
そう言うと部長は、窓の外の景色を眺めながら懐かしむように話し始めた。
「あれは……確か一ヶ月前、君が入学してきたばかりの頃だったな。僕たち旗揚げ部は、体育館の使用許可が出ていないからこうやって空き教室などを借りて練習しているんだ」
安くて古いドラマのワンシーンみたいに、部長は過去を語っている。
使用許可が出ていない、ということは交渉に行ったのだろうか。こんな活動内容で体育館の使用許可が出ていたらそれはそれですごい。
「あの時も、僕たちは体育館に近い空き教室で練習に励んでいた。その時だったよ、君の姿を見たのはね」
おそらくそれは、まだ僕の足が健在でインターハイを目指して躍起になっていた時期だろう。しかし、どう頑張っても今自分がここにいる理由と結びつかない。
「僕は君のバレー選手としての姿を見て思ったよ。君のその腕の力、反射速度、間違いなく、君は一流のフラッガーとしての素質を持って生まれてきた天才だと!」
「……はい?」
思わず目が点になる。
「あの……それとこれはどう関係が?」
「君が相手ボールを弾く姿を見て、僕は思わず失禁しかけたよ」
「失禁!?」
「今すぐにでもその高く挙げられた手に旗を持たせたいと何度も思ったけど、この時ばかりは僕の鉄の自制心に感謝するばかりだ」
キラキラとした目で語っている部長。対して僕は今の言葉を思い返して考える。
相手ボールを弾く、高く挙げられた手、もしかしてこれって……。
「それってもしかして……バレーのブロックのことですか?」
「そう! あのブロックを見たとき、僕は全身に電流が走った。これは僕の選手生命、いや人生をかけてでも彼をプロフラッガーにしなければって!」
一人熱くなっている部長。いや、よく見ると周りの部員達もうんうんと頷いている。どうやらその場面は、この旗揚げ部全員の心に強く根付いているようだ。
いや、確かにバレーのブロックは高く手を挙げるのが基本だし、反応速度だってバレー以外のどんなスポーツでも重要だ。それを褒められるのは確かに嬉しいことだが、バレーが出来ない今の僕には皮肉にしか聞こえない。
「というわけなんだ! 大丈夫、君は僕が責任を持ってプロのフラッガーに」
「あー、申し訳ないんですけど……」
辞めさせてもらいます、と言おうとした瞬間、僕を見る周りの目が変わった。
「申し訳ないんですけど……、何だい?」
「え? あ、いやその……」
わかっている。僕の言おうとしていることを周りの連中はわかっている。なのに聞き出そうとしている、まるでライオンの前に立っている小鹿が命乞いをするかのような目で。
言い辛い。こんな視線で四方八方から見つめられていると、言おうとしてた言葉が出てこない。
「赤松君」
しどろもどろしている僕に、部長が歩み寄ってくる。
「どうだい赤松君、今週の土曜日に練習試合があるんだ。是非、君に見てほしいんだ」
「え?」
「確かに、旗揚げという競技はマイナーだ。オリンピックに採用される日もまだまだ先だといえる」
まだまだどころか一生無いような気がするが……。
「しかし、マイナーといえどこの競技は非常に奥が深く、エキサイティングなスポーツなんだ。君がこのスポーツに入り込めない理由は、そのマイナーさ故にイメージがつかないからだろう。だから是非、今度の試合を見に来て、一人の観客として旗揚げというスポーツを楽しんでほしい。そうすれば、きっと君にもこのスポーツの魅力が伝わるはずだ」
部長の言葉に、周りの部員もうんうんと頷いている。そして部長は、迷っている僕にこれでもかというほどの強い視線をぶつけている。
僕はしばらく視線を浴び続けた後、小さくため息をついて首肯した。
その瞬間、周りから拍手喝采が起きた。それほど僕が試合を見に来てくれるのが嬉しいのか、抱き合って喜んでいる人達もいる。
「ありがとう赤松君! さ、明日は未来のエースフラッガーの第一歩が踏み出される日だ! 明日の試合は一回でも多く旗を振れるよう、各自集中して練習に励むこと!」
「はい!」
部長の号令で士気が上昇した部員達は、一斉に練習を始める。
僕はそれをじっと眺めているが、穴が開くほど見ても楽しそうだとかやりたいだとかいう感情は表れない。むしろ、何でこんなことに一度しかない学生生活を懸けているんだ、という嘲笑すら沸いてくる。
結局、明日に備えてということで今日の練習は早めに終わり、試合に向けての部長のありがたい言葉を聞いてから解散となった。
***
家に着くと、脇目も振らずに自分の部屋に行き、ベッドに横たわった。
そして、近くに置いてある写真立てを手に取り、そこにある一枚の写真をじっと眺める。
この写真は、中学の時のバレーの大会で優勝した時、チームメイトと一緒に撮った写真だ。中央で右腕を高らかに上げ、左手で賞状を持って満面の笑みを浮かべているのが僕だ。
しばらくそれを見てから、僕はそっと写真立てを元の場所に戻し、ベッドに寝そべったまま大きなため息をついた。
いつまで過去のことを引きずっているのか。自分のことながらこの女々しさには愛想を尽きたくなる。
足を怪我し、バレー選手の道が断たれたあの日からずっと、僕はこの写真を眺めてはため息を繰り返している。過去のことをいつまでも引きずっててもしょうがない。頭の中ではわかっているはずなのに、体が勝手に過去を回想しては、切ない気持ちになる。
しかし、わかっていても止められないこの気持ちは、油断すると全身を蝕み、僕を僕じゃなくしてしまうような気がした。
いつしか僕は、そんな精神が影響してか卑屈になっていた。
今まで無駄だと認定してきた人間を陰であざ笑い、努力している人間へはその努力はいつか無駄になると言いたくなる。
そうやって僕は、過去を断ち切ろうと考えた。他人の努力する姿を無駄だと思えるようになれば、いつか自分やってきた努力が無駄だったのだと認識できるようになるかもしれない。
しかし、それでもこの習慣だけはいつまで経っても抜けない。
自分でもわかる。どれだけ過去を断ち切る努力をしても、この習慣を辞めなければ全部無駄になる。
再びため息をつくと、僕はそれまで抱いていたネガティブな思考を全て忘れ去ろうと必死に今日のことを考える。
思い出されるのはやはり、旗揚げ部という訳のわからない部活のことだ。
バレーをやっていた頃の僕なら見向きもしないであろう、無駄中の無駄。今日参加して思ったことはそれに尽きる。
何故、彼等はあんな無駄なことを努力して行うのだろうか。たった一度しかない人生を棒に振って、何が楽しいのだろか。
話によると、僕が通う学校の旗揚げ部はこの管内では最弱中の最弱。もはや存在していることにすら疑問を抱くほどだという。
しかし、練習は毎日のようにやっているという。正式な部室を与えられていないのに、毎日夜遅くまで練習に励んでいる。
それでも勝てないというなら、やはり努力は無駄だということだ。情熱的な目で勝つために必死で努力している姿を僕は見たが、勝てなければそれはすべて意味がない無駄となる。
――明日試合を見に行けば、努力することがどれだけ無駄がわかるかも知れない。
そう思った僕は、仮病を使って休もうとしていた気持ちを押し込め、明日の試合を見に行くことを決意した。
自分の過去を断ち切るため、努力が無駄になった瞬間を見に行く。絶望に落ちた部員達を見て、皆に聞こえる声で大笑いしてやろう。
――今度こそ、過去を断ち切ってやる。
そう決意した僕は、明日の集合時間に間に合うために早めに就寝した。
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