高収入篇

福島復興作業・発電所復旧作業

 時系列とは関係ありませんが、先ずはキャッチーな話題をという事で一つ。




□日当:13k

□月収:450k

□期間:三ヶ月

□支払日:月末締め翌々月払い・・・・・


□備考:防護服着用。三ヶ月休み無し。前歯三本、奥歯一本欠損。ほか、肉離れ寸前の全身打撲。


□収入:★★★★★

□兼業:☆☆☆☆☆

□危険:★★★★★

□ネタ:★★★★★


□実働時間:10時間(休憩1時間)

 朝6時30分に南相馬の下宿先を出て乗り合わせ、約60分かけ相馬沿岸の火力発電所へ。帰宅はおおよそ19時から20時の間。近所のスーパーは閉まっている為、基本はコンビニでの夕食となる(さらに下宿先の廃工場にはガスが無く、調理するにはプロパンガス用のテーブルコンロを使う必要がある。というのは飽くまでも筆者個人の話だ)他の出稼ぎ作業員たちは、宿の1フロアを貸しきって寝所とするか、仙台辺りから通勤しているメンバーが多かった。




□業務内容

 早朝から夜にかけて、火力発電所の発電に伴い発生する廃棄物の処理を行う。作業員は防護服とゴーグル、それに防塵マスクを着用の上、それぞれの配置につく。


 なお原子力発電所では無いにも関わらず、なぜ防護服を着用するかと言えば、火力発電所の廃棄物からも僅かながら放射線が出ている為だ。俗にいう脱硫だつりゅう(石炭燃焼時の硫黄・窒素酸化物を大気中に出さない為の事前措置)だが大気中に出ないそれらは、石膏という名の副産物として排出される。被災により機能を停止した処理施設に代わる形で投入された筆者ら作業員は、復旧作業の完遂まで処理作業に従事する事となった訳だ。


 さらに補足ではあるが、当該火力発電所の被害は甚大。

 相馬港で陸揚げされた石炭を燃料とする都合上、沿岸部に建造された施設は、災害時津波の直撃を受け揚炭機が倒壊した。当事者の言によれば、沖合に停泊するタンカーが見る間にせり上がり、そのまま波と共に押し寄せて来たのだそうだ(鳴り響く警報を背に高所へ登り事無きを得たと言う)とは言え悲惨を込めて涙ながらにでは無く、飽くまでも雑話の一つとして語られたに過ぎない(彼の家族は祖父母が逃げきれずに他界しているが、バラエティーの浅薄の如く、濫りに同情される事を彼らは好まない)




 さて、話を戻そう。作業メンバーは7人で1組の計2班。炉に直結したベルトコンベアの下にメッシュコンテナとバッグを設置し、そこに石膏が溜まった所でフォークリフトを誘導し外へ運ぶ。忙しいのは一瞬だけで、あとは土嚢の上に座って歓談したり、うたた寝をしたり、まぁ本来ではあれば安穏と終わる筈の職場だ(つまりはそうならない事が往々という訳だ)


 もちろんバッグとてタダでは無い。ここに可能な限り石灰を詰める都合上、交代で1〜2名が鋤簾じょれん(※泥や砂を取り除くための道具。形状はくわに近い)を用い、石灰の押し込みや周囲の清掃を行う事になる。


 ただし石膏の流れるタイミングは一定では無い為、欲を張りすぎると粉塵が溢れ出し悲惨な結末を招く。ゆえに歩哨は1人必須とも言え、コンベアの奥が見える位置を見つめながら、石膏が来たタイミングで声を上げる。


 石膏が落ちてくると鋤簾担当が粉塵を押し込みながら、1人がフォークの誘導を行う。バッグにはフォークの爪を掛ける為の輪が付いているから、フォークが近づいたら鋤簾を離し、他の1人と共に両脇に避け輪にフォークの爪を通す。フォークがバッグを吊って離れたら、ここでさっきの歩哨が次のバッグを持って設置に入るのだ(この作業はその場に居る3人で行う)


 この間あまった2人はというとバッグの移動場所で待機していて、フォークが運んできたバッグの紐をきつく締める。するとフォークはまた所定の位置に戻り、次の石膏が溜まるまでは各々が待機と言った流れな訳だ。

 

 整理しよう。

 フォークリフト担当:1名

 誘導員:1名

 歩哨担当:1名

 鋤簾担当:2名

 袋担当:2名

 

 やがて石膏の袋が列を為し規定数に達すると(だいたい40程度だろうか?)今度は外に出すべくゲートが開く。ユニック、すなわち移動式のクレーンに袋を括りつけトラックに乗せ、石膏はそこから然るべく場所に搬送される。


 休憩時間を除けば、1日はこの繰り返し。

 よって本来であれば何事も起きる筈は無いのだが、そここそがこの復旧作業の妙味でもあり、また危険とも言えるエピソードに繋がっていく。




□個性的な作業員たち

 恐らくもう周知の事とは思うが、原発や復興作業に連なる孫請けの大半はそれなりにヤバい。つまりは嘗てヤンチャであったか、或いは現役でヤンチャであるか。そうでないにしても元自衛官だったり、柔道の選手であったりと、要するに皆それなりの過去を背負っているケースが多分にある。


 だから言うまでもなく喧嘩っ早かったり(もともと漁師町は気性の荒い人が多い)舎弟で暇を紛らわそうなんて考えの人物も少なくは無い。その標的になるのが誰かと言えば、大概は最も若い、いじりがいのある、立場の弱い人間という事になる。つまり結論を言えば、筆者の様な人間だ。


 


□働いて良いのは、殴られる覚悟のあるヤツだけだ

 筆者に関して言えば、現場を知らないメンツ・・・だけで生きるヤンチャな企業の兵卒として、たった1人現地に派遣されていた。そんな筆者の面倒を見る羽目になったのはこれまたヤンチャな2人組の男性(2人は宮城から来ている別の会社の人間で、しかし各々が組の屋号を掲げてはいるものの、実際には個人事業主だった)


 数多の会社(組・興業)が入り乱れる土木現場は、分かりやすく言えば都内に林立するアニメスタジオに近い。舎弟や親分、盃を分けた誰か。そういう諸々の要素が交じり合って――、だが新米の筆者を充てがわれた2人組が面白いと思う訳も無く、初日から筆者は彼らのサンドバッグとしての就役を余儀なくされたのである。


 あれを知らない、これを知らない。事ある毎に殴り蹴られた筆者の身体は、一ヶ月とせずに痣で覆われ、遂にある日歩行が困難になった。とは言え休む事は出来ずに足を引きずりながら出勤を続けたが、後に知る所によれば、どうやら肉離れの寸前であったらしい。


 


□人の壊し方を知っている人間は、存外にやさしい

 ちなみに筆者は度々暴行(彼らにとっては遊び)を受けていた訳だが、喧嘩の上手い人間は、遊びとわかっているから急所を外してくれる。たちが悪いのは、それに便乗するだけの喧嘩が下手な素人(2人組のうちの1人)こいつが酷く厄介だったのだが、ちょうど筆者の身体が悲鳴を上げ始める頃にレッドカードが規定数に達し(欠勤・遅刻回数が上限を超え)現場を外される事と相成った。その以降も世間的な定義で言えばいじめに近い状況が続いたものの、仕事に支障を来すほどの惨状に至る事は無かった。




□東北選抜、牧師、自衛隊、取り立てにそしてヤ◯ザ

 先般個性的な作業員と書いたが、その経歴は実に様々だ。教会の活動資金を集める為にやってきた岩手(久慈)の牧師さん。仕事の合間を縫っては、携帯で悩める人の声に耳を傾けていたのが印象に残っている(岩手は自殺者数が多く、全国的に見てもワーストに近い。失業に因む鬱やアルコール中毒が大半を占めるらしい。復興の為とやってきたスーパーも、資本は都内であるからして、地元に落ちるお金は微々たるものなのだそうだ)


 他にも東京でやらかして逃げるようにやってきたサラ金の取り立てに、自衛隊を辞めたまま土木にスライドした作業員、家族を支えるために単身赴任も、仕送りの金を全てパチンコですってしまったどうしようもないおっさんなど、挙げればキリが無いほど不可思議な面子が集まっていた(最もそれを言えば、アニメの制作機材を抱えたまま南相馬に住んでいる、筆者も十分に可笑しい存在であった事に変わりは無いのだが)


 なかでも取り分け異彩を放っていたのは元柔道東北選抜の巨漢。無精髭を生やしいつもニコニコと笑ってはいるが、成人男性の2.3人を持ち上げても平気な顔で、元自衛隊員に「アレは銃でも持ってこなきゃ倒せる気がしない」と言わせしめる程だった(元自衛官は2人居たが、1人は陸自、もう1人は松島の空軍基地に勤めていた)岩手と言えば空気投げで有名な三船久蔵氏の故郷でもあり、彼もまたその系譜に連なる師から手ほどきを受けたという(彼の兄は国家代表。よって幼少期から2人の喧嘩は文字通り死闘と呼んで良いものだったとか。いやはや恐ろしい)


 ちなみに彼と双璧を成していた人物(筆者の中で)は、フォークリフトの運転を担当する剣道七段のおじいちゃんだった。八段1%の合格率を前に七段が10%と、実質市井の者が叩ける門の最難関の段位という、一体この現場にはどれだけの人材が集っているんだと内心で唾を飲みながら仕事の合間に教授を賜った(なお当時、氏とは筆者が有名になったら作品をお送りしますと連絡先だけは交換したものの、その時は未だに訪れていない。どうかご健在であれと切願はしている)


 なお、余りに休みのない勤務の中で精神に異常を来す者も数名現れ、一例を挙ると、当初は松平健似のおじさんだった壮年期の男性が、一ヶ月目から「女の子の身体が触りてえよお」と筆者の身体を唐突に触り始め、翌週には打って変わった様に怒りやすくなり、翌々週には座り込んで遠い目で空を見つめ、二ヶ月目を前に姿を消した。後々聞く分には、孫請けで岩手から来たメンバーの中で、たった1人曾孫請けの立場だったのらしい。年下の、しかし立場的には格上の集団に混じっての集団生活に疲れが溜まったのだろう(岩手チームは、相馬市内の旅館の宴会場を借りきって生活していた。各人のプライベートは僅かな仕切りによって支えられるのみで、それが数ヶ月も続くとなるとやはり精神的に堪えるものもあると見える)




□住居はいずこ。民家の間借り

 作業従事中の筆者の宿は、民家の間借り。正確に言えば、廃棄された工場の元詰め所。ここで冬を乗り越え、春先から従業員の宿舎だった場所に移住した。住所は何れも南相馬、青く塗装された外壁にアンパンマンの絵が描かれ、家主の表札には新興宗教の看板が見えるなど、初見では不安以外に何も無かったが、敢えて皆と異なる場所に住んだ事が後々の不幸中の幸いに繋がって来るのである(この辺りは中々に複雑な為いまは割愛する)


 端的に環境のみを言えば中々に過酷だった。お風呂こそ母屋のそれを貸して貰えたが、そもそも人が住む構造では無い工場はひたすらに寒い。プチプチで窓を覆い、余った畳で不要なドアを潰して回る。当然ガスも通って居ないから、テーブルコンロとガソリンを近所のイオンで買って当座を凌いだ(車は家主の奥様に出して頂いた) 


 今思えば至上に恐ろしかったのは鍵のかからない工場そのもので、制作の機材だけは肌身離さず持ち歩いて来た僕にとっては、それが盗まれないかどうかだけが懸案だった(最も杞憂である事はすぐに証明され、事実宿舎に移るまで三ヶ月、何一つとしてなくなりはしなかったのだが)まあ都会と田舎の差異というヤツだろう。


 なお四ヶ月後、復旧作業の終りと共に離職した筆者は、稼いだ金で自動車免許を取得すべく暫し南相馬に滞在したのだが、ここからの二ヶ月は従業員の宿舎で過ごした。鍵が付きプライベートは確保されたもののトイレが離れ、次いで夏は暑いトタンの設えに飛んで火に入る夏の虫と、これはこれで中々に過酷な暮らし向きであった事は疑い得ない(その年は大家さんも驚くほど多く虫が発生し、筆者の宿舎の玄関は、殺虫灯の下を黒い遺骸が埋め尽くしていた)




□月末締め翌々月、給与という名の人質を

 ここで本案件の落とし穴でもある「月末締め翌々月払い」という給与の支払い方法について触れておきたい。ちなみになぜこのような支払い時期になるかと言うと、筆者の所属していた会社が末端の末端で、つまりは公共事業たる上からの着金に時間を要する点に端を発する。しかしそれはそれとして、この手法が最も恐ろしいのは「数カ月先の給与が人質に取られている」と考えて差し支えない状況と言える部分だ(事実離職した筆者の翌月の給与は、聞いて驚くなかれ、半分以下に減らされていた)




□探しものはなんですか。どこかに落とした小指ですか

 では一体筆者の所属していた会社とは何であったのか。先にも述べたが、原発周りの企業と言えば「ヤンチャ」な面子が非常に多い。例えば小指の数が1つ足りなかったりだとか、ちょっと素敵なイラストを背中に背負ってらっしゃったりだとか。具体的に言えば、発電所内に自分は入ることが出来なかったり、妻を社長に据える事でしか公然たる活動が出来なかったり――(分かったろう、もう察してほしい)




□もし寮があって、そこに入っていたら

 元々筆者が向かった企業の求人情報には、寮があるという前提で話が載っていた。しかし到着した直後に無いと言われ、社長(肩書は部長)の知り合いの知り合いを経て民家の工場に至ったのだ。当時はこれを不運と落胆したが、或いは行き先が会社の寮であったなら、筆者は果たして楽に辞める事ができたろうか。考えてほしい。知り合いも誰も居ない陸の孤島、密室の中で何が行われるかを。実際筆者は、辞めると言ったあと事務所に呼び出され暫し勾留された。その時の録音は今でも残っているが、怒声や灰皿が飛ぶ効果音が収録されている(なお予備のディスクは大家さんに預かって頂いた)



 

□不幸中の幸いとは、そういうこと

 寮では無く民家の間借りをしていた筆者の大家(敬称略)は、会社とでは無く僕との個人的な信頼関係の上で居候させてくれると言っていた。というのも大家は地元では比較的名士で、結論から言えば、公的にうちの社長(肩書は部長)と反目し合う立場にあったのだ。

 

 初見で社長(肩書は部長)の背後関係を喝破していた大家氏が「次に社長が無断でうちの敷地を跨ぐのなら、即刻警察を呼ぶ」と断言してくれたおかげで(社長の縄張りが相馬だったという位置的な理由もあったろうが)筆者は無事離職後の時を南相馬で過ごせたのであった。


 なおなぜ二ヶ月を現地に残り続けたのかと言えば、それが最後の賃金が振り込まれるタイミングでもあったからだ(南相馬を離れてからでは、もう取り戻せるものも取り戻せない)




□キラーワードは労基

 流石に給与が半額以下というのは承服出来ず、筆者は震える手で電話を取った。

「労基に相談しようと思っています」実はこれが一番効く。脛に傷持つ人物であればあるほど、表向きはホワイトに過ごし、波風を立てたくないというのが本音だからだ。実際筆者は三ヶ月に渡る休み無しの勤務で、一度足りとも欠勤した事はなかった。現場で注意を受けた事と言えば要するに作業員同士のお遊びに付き合わされた結果で、それは筆者が戦場で生き延びる為に必死にやった証明でしかない(それを減額の理由としたいのなら、筆者を守ってくれる自社の誰かを、きちんと現場に寄越すべきだったのだから)


 電話に出た社長(肩書は以下略)は、筆者を車に乗せると「お前よお、大人しそうな顔して一番の地雷だなぁおい」などと笑いながら、ひけらかす様に小指のない左手と、シャツからはだけた素敵なイラストを披露してくれる「知ってるか?十年前、相馬で発砲事件があったこと」と続けて。ちなみに前述ではあるが、この時すでに事務所への呼び出しは終わっていて、筆者の手元には録音した怒声が(念のため複製を大家さんにも渡した状態で)あった。


 それから1時間ほどして相馬の事務所を経、目の前で社長が筆者のATMに残額を振り込む事で事態は決した。その翌月の給与については特に問題は無かった。




□洗脳されちゃ駄目ですよ

 筆者は最初、新興宗教の地方支部だった大家氏にこそ何か言われるのではとびくびくしていたのだが、実際にガチな洗脳を仕掛けてきたのは何と会社のほうだった。

 

 先ず出社の電話では必ず社長(肩書は以下略)に「◯◯の為に今日も1日頑張ります!」と一報を入れ、帰りにも「◯◯、今日も有難うございました」と謝辞を述べる。給与はもちろん手渡しで、社長(肩書は以下略)への感謝の言葉と共にこれを受け取らなければならない。

 

 当然ながら陰口は厳禁。そんなものが社長(肩書は以下略)の耳に入れば、関係者は呼び出され叱責を喰らう。現場のいろはも知らず、たった1人放り込まれた筆者は(実は周囲も筆者の会社について知る者は居なかった。理由は社長が表の世界では有名で無かったからだ)折りに触れ疑念を口にしていたが、その結果筆者のお目付け役だった男性2人が怒声を浴びる羽目となり、翌日ひどく怒られた事を覚えている(その際、うち1人は社長の事が分かったらしく、哀れんだ眼で筆者の肩を叩いてくれた。彼からは暴力も受けたのだが、退社の際に世話になったりいろいろあって、今でも時に交友がある)

 

 ちなみに辛うじて会話を交わす事があった会社の社員(小柄で大人しそうな人物)は「社長はいい人」「社長の事を悪く言っちゃだめ」といった台詞を繰り返すだけで、それだけでも諸々な危なさは感じていただけるのでは無いかと思っている(なおうちの会社の社員の、他所の現場での評価は間違いなくこうだ「あそこのヤツは仕事が出来ない」)

 



□グッドラック南相馬、失ったものと得たもの

 こうして筆者の比較的怒涛と言えた南相馬の暮らしは幕を閉じる訳だが、念願だった20km圏内に入ったり(ガイガーカウンターは終始鳴り響いていた)野馬追の祭りを見たり、街の中を歩いてみたり、後半はそれなりに楽しく過ごせたのでは無いかと思う。

 

 雇い先の責任者の方にも可愛がってもらえて、度々飲みには一緒に行ったし、同世代の面子とも離職後も宴会を開いていた(まあ飲み会するぐらいしか暇を潰す手段が無いと言えばそれまでなのだが)要は自分が居た会社よりも、その周りのメンバーとソリがあったと言うのだから笑う他ない。


 最初のころは暴力的だった2人組のうち1人も、現場の終りには「お前よく頑張ったな」という労いと共に「俺が面倒見るんじゃなければ、あんなに厳しく当たったりしなかったんだがなー、わりいわりい」と締めてくれた。


 一連は堅気の常識に照らし合わせればいじめといって差し支えもないのだろうが、他人のケツ穴にビール瓶を突っ込まれた写真を見せられるにつけ、筆者は随分と愛情をもって接して貰っていたのだなとその時は思ったものだった。常識とは住む世界ごとに幾つも平行し存在する。


 もともとお金も入用だったが、自分の故郷である福島で何が起きているのか、それを知りたかった筆者にとっては、とても有意義な半年だった。運動家が宣う体調不良や奇形の発症、そんなものはどこにも無く、普通に人々が暮らしを営むだけの(ただし内面に様々なものを抱えた、前を向く混沌たる)被災地の今が映しだされているだけの日々が、そこには必死にあるだけだった。


 この間筆者が失ったものは、前歯の数本と奥歯の1本(これは某所で殴られた際に吹き飛んでしまった)今では義歯をはめこんでおり傍目にはどうという事は無いが、まさか刃牙らしき光景を自らの身体で以て目にするとは思っていなかった(一応奥歯に関しては、長期労働で歯医者に行けない間に進行した虫歯によるものだが)


 得たものといえば前述の全て。このうちの数人とは未だに連絡を取り合っているし、もし筆者が創作の舞台で成功したのなら、作品でも送りつけてやろうと思っている。ただしそのお話は、ここではなくまた別の何処かで語る物語になるだろう。




□総括

 総じてハイリスク・ハイリターン。それは給与の体系や、就労の環境にも依る。 ただ創作との並行は極めて難しい事は間違いない。行くとすれば貯金と割り切り、いつでも夜逃げが出来る様に準備だけはしておくべきだ。普免に加え玉掛け、職長、フォークリフト、土木に纏わる資格はあるだけあったほうが良い。逆に体育会系の現場を知らないのなら控えるべきだ。あなたは殴られた事はあるか?ものを投げつけられたことは?少々の痣が出来ていじめだと泣きわめく方にはお勧めしない(筆者は学生時代から土木のバイトを嗜んでいて、多少なりとも耐性があった)


 それからICレコーダーは持っておこう。殴られる覚悟と、給与が減らされる仕打ちとは別物だ。耐えて耐えて耐えて耐え切った末に貰えるものが貰えないのならそこは訴えて良い。


 これから数十年、福島の仕事は消える事は無いだろう。実際に行ってみたいという方も多いと思う。だからその時は、働く会社と、住む場所だけは慎重に選ぼう。なお筆者に関して言えば(当時は年齢の都合で入れなかった原発に)いずれ足を踏み入れる事が出来ればと考えている。


 軽率なインタビューという形で悲劇を滋養にせんと図る芸術や文学を筆者は愛さない。共感には痛みが要る。自分の身を削り、少なくとも同じ地面に足をつけようと考えなければ真の尊重は生まれないだろう。あなたはどちらだ?「かわいそう、がんばれ」と餌に群がる似非アーティストか。それとも自らの臓に刃を突き立てる覚悟のある、矜持ある狂人か?


 話が逸れてしまった。

 それではまたどこかで。これにて復興作業のトピックを終える。


 草々。

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