第11話
「――ケンオ」
口の中で、彼女の名前をつぶやいていた。
次の瞬間、僕は本当に目を覚ました。
地面にぺたんと座り込み、目の前には、誰かの足。
「……会えたかしら?」
ゆっくりと顔を上げると、声の主がタバコをふかしていた。やはり、不味そうに吸っていた。
「ケイよ。ケイ・エイプリル。本当の名前はね」
気を失ってから、あまり時間は経っていないようだった。満月は、変わらずに僕を見下ろしていた。
「会えたみたいね。その様子だと。これで満足かしら?」
みぞおち辺りを触ってみた。いつの間にか、傷が治っている。
「『ちから』は回収させてもらったわ。アンタはもう『パシリ』じゃない。だから、死ぬ必要も無い。アタシがわざわざ殺すまでも無い」
あの瀕死の状態から、ここまで快復させたのか。そう考えると、やはり魔女の『ちから』はすさまじいものがある。
「返してくれ、と言っても、無駄でしょうね」
「ええ。これはもともとアンタのもんじゃあないのよ。アンタに『ちから』を与えて命を亡くした、ケンオリアーナ・グレッシーニっていう馬鹿で軽率な魔女の『ちから』なの。借りたものは返すのが、筋よ」
「……彼女は、生き返るんですか?」
「正確には、違う。その子はまだ死んでない。肉体が死んでも、心はまだどこかで生きているわ。
「アタシはこの『ちから』を別の魔女に渡して、その魔女がケンオリアーナ・グレッシーニの心を探して、返すってわけね。
「『ちから』を取り戻した魔女の心は、すでに回収された肉体へと入る。うまくいけば、蘇生は成功する。ただ、その確率はとてつもなく低いわ。
「当然ね。本来、人間てのは、死んだらそこでおしまいなんだから」
「――それは、無理です」
僕はつぶやいた。
「彼女は、僕以外では見つけられない」
ケイ・エイプリルと名乗った魔女は、今にも殺しそうなほど冷たい目で、僕をねめつけた。
「アンタ、まだ続けるつもりなの」
「もちろん」
「もう、『パシリ』の『ちから』はないのよ」
「関係ないです」僕は体を起こし、立ち上がる。魔女の横を通り抜けながら、肩越しに答えた。「ケンオが待ってるんです」
「……『魔女の嫌悪』――『カスト』にはね、実は一つだけ治療方法があるのよ」
ケイが言った。僕は立ち止まり、背を向けたまま続きを待った。
「それは、魔女と同等の『ちから』を持つこと。しかし、『パシリ』に『ちから』を授けてしまうと、魔女の免疫力はその分だけ落ちてしまう。魔女は『ちから』によって『カスト』を抑えているから。魔女はね、生まれたときから『カスト』にかかっているのよ」
ふー、と魔女が息を吐いた。タバコの煙が空に上がっていることだろう。
「それを知ったうえで、男との行為へ及ぶ。愛の大きさが『ちから』の強さを決めるとはそういうこと。アンタは、自分でも気付かない内に『カスト』にかかっていたのよ。親も、それで亡くなったんでしょ? 例え潜伏状態だとしても、アタシ達には侵されている人間は一目でわかるのよ。名前がわかるようにね。……アンタは、本当は三年前に死ぬはずだったのよ」
僕は黙っていた。重い沈黙が、辺りを支配する。小川から吹く風がさわさわと流れ、僕を追い越して路地へと去っていく。ふぅ、と一つため息を吐いて、僕は口を開いた。
「ええ、知ってましたよ。そして、僕たち親子の感染源が、ケンオだということも」
これは、さすがに魔女も驚いたようだった。息を飲む気配が、背中越しに伝わってくる。
「ケンオの僕に対する気持ちが、罪悪感から来るものなのかは知らないけど、僕にはそんなの関係ないんです。先に好きになったのは、僕のほうだから」
もはや、魔女は何も言わなかった。
「僕から『ちから』を抜くとき、ケンオに会わせてくれた事、感謝します」
僕の中にある、ケンオの『ちから』。ケンオの心のかけら。胴体を貫かれて意識を失ったとき、ケイは、ケンオの残留思念を僕に幻の中で見せてくれたのだ。
それは、『パシリ』の体から『ちから』が抜ける瞬間にしか見えない幻。そのあとで、ケイは『ちから』を回収した――つもりだった。
振り向いて、少しだけ目を細める。なるほど、確かに本当の名前だ。僕は軽く頭を下げて、言った。「それじゃあ、また。ケイ・『フルムーン』・エイプリルさん」
僕は、彼女の名前を当てた。奪われたはずの『ちから』を使って。
「…………なんだと?」
魔女の、目の色が変わる。どうやら気付いたらしい。が、もう遅い。
ケンオの蘇生が成功するわけない、と言った本当の理由――。
「ケンオの『ちから』が手元に無いのに、返せるわけ無いですよね」
「アンタ……」
『ちから』が抜き取られる瞬間、僕はとっさに偽物を作り出し、それをケイに回収させた。彼女が持っていったのは、いわば抜け殻。中身の無い、ただの箱である。よく似てはいるが、フェイクだ。本物は、今でも僕のなかにある。
ケンオの『ちから』は、魔女のなかでも相当強いものらしい。でなければ、いくら使い方を知っていようとも、ケイを欺けるとは思えない。
「今ならはっきりとわかりますよ。あなたの名前がね。あの幻の中で使い方を習いましたから。ばちっとね、電撃が走るみたいに。アレはけっこう衝撃的だったな――ところで」
僕はぱちんと指を鳴らして、虚空から、すでに半分ほど吸い終わっているタバコを取り出す。目の前の魔女の手から、タバコは無くなっていた。彼女のを借りたのだ。むろん、無断で。
「もう一度、回収しますか? 出来るものなら」
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