戦士の秘め事(3)

「同じ目覚めるなら、赤毛の美女の口づけで目覚めたいものだな」

 首に押し当てられたやいばの冷やりとした感触に少しだけ顔をしかめると、アルスレッドは大きく伸びをして、寝台の脇にたたずみ剣を突きつけている黒髪の火竜に視線を向けた。


「本気で喉元を搔き切ってやりたくなる」

 タルトゥスの若者を冷ややかに見下ろしたまま、シグリドは興ざめしたようにつぶやいて、音もなく剣を鞘に収めた。

「お前が夜更けに忍び込むようにして館に戻ったと『王の目』から報告を受けて、アルファドが呆れていたぞ」

 そうなのか? と不敵な笑みを漏らす男に、シグリドは露骨に眉を曇らせた。

「毎度の事だが、痛くもない腹を探られたくなければ女遊びも程々にしておけ」

「そう固い事を言うな。この国に居る間、俺は客人として守られる側なのでな。気を緩めたくもなるさ。タルトゥスではゆっくり女を抱いている暇もない」

 起き上がって寝癖のついた栗色の髪をわずらわしそうに掻き上げると、アルスレッドはまだ寝足りぬと言わんばかりに大きな欠伸あくびをした。


「で、朝っぱらから何の用だ、シグリド? 湯浴みの介添えならば、お前よりも奥方に頼みたいが」

 シグリドは長椅子の上に無造作に置かれていた上衣を掴んでアルスレッドの顔めがけて投げつけると、扉に向かって首を少し傾け、ついて来い、と言う仕草をした。

「アルファドがお前を朝の鍛錬に誘い出せとうるさい。湯浴は後にしろ」

 鍛錬と聞いて、アルスレッドは少年のように目を輝かせながら寝床から飛び降り、手早く着替えを済ませると、寝台に立て掛けてあった剣を掴み上げた。

「久しぶりに『双頭の火竜』相手に剣を振るうのも悪くないな。新兵相手のお遊びばかりでは、お前も退屈だろう?」 


 俺が相手をすると言った覚えはないが……そう言いかけて、シグリドは隣に並んで意気揚々と鍛錬の場に足を運ぶ男に目をやって、まあ良いか、と心の中でつぶやいた。




 数刻前。

 夜明けと共にアルファドに呼び出されたシグリドは、朝の手合わせでリリアムとアルスレッドを組ませる、と告げられ、思わず耳を疑った。

「冗談だろう? あの娘など、あいつに一方的に捻り潰されるだけだ。リリアムの事を思うならめておけ」

 貴族特有の優雅さと戦士の猛々しさを併せ持つアルスレッドの強さは、ラスエルクラティアで共に戦ったアルファドも承知しているはずだが。

「そのリリアムが、是非に、と言って聞かぬのだよ」

 困ったように眉をしかめるアルファドを正面から見据えたまま、シグリドは小さくため息をついた。


 なるほど、一発殴ったくらいでは気が済まないというわけか。


「泉の一件絡みなのだろうが、貴族の矜持を忘れぬあの男が、女に殴られたまま黙って見過ごしただけでも運が良かった……二度はないぞ、アルファド。ましてや、大勢を前にしての手合わせとなれば、誰が相手であろうと、あいつは決して膝を折らない」

 たとえそれが、惚れた女であったとしても。

「分かっている。だが、お前もリリアムの性分は知っているだろう? あの頑固な娘が、このまま黙ってアルスレッド様を見過すとは思えぬのだよ。禍根を残すより、本人が望む形で踏ん切りがつくのであればそうしてやりたい」

「お前はあの娘に甘過ぎる。悪い癖だ」

 どうなっても知らんぞ、と呆れたようにつぶやくシグリドの肩に手を置いて、アルファドは穏やかにうなずいた。

「何かあれば、私が全ての責めを負う。悪いがシグリド、アルスレッド様を鍛錬の場にお連れしてくれ」



***

 


 冗談だろう? 

 

 手合わせの相手がシグリドではなく、おまけに、目の前に現れたのがあの女戦士だと気づいた瞬間、アルスレッドは思わず天を仰いだ。

 素知らぬふりで刃引きの剣を手渡しながら、シグリドはアルスレッドの耳元でささやいた。

「手を抜くなよ。あの娘との間にわだかまりを残したくなければ、余計な気遣いなどせず、さっさと終わらせろ」

「お前にしては粋な計らいだと褒めてやりたいが……惚れた女を手合わせで口説くなど、色気がなさすぎて性に合わん」


 ……ファランの言う通りだ。こいつには毒草入りの酒が必要だな。


 面倒臭そうな表情を浮かべたまま、シグリドはリリアムの方に目をやった。「黒竜」に向かって一礼し、しなかな動きで剣を構える女戦士に、シグリドも静かにうなずき返す。

「安心しろ、アルスレッド。お前がリリアムをなぶり殺す前に、俺が止めてやる」


 

 王家の血を引く身でありながら、戦場の最前線で戦うことを好むアルスレッドは、高位の貴族の中でも異色の存在だ。

 身分の低い戦士達と共に血とほこりに塗れて剣を振るう『タルトゥスの右腕』は、リリアムのように平民出身の戦士のみならず、戦場で名の知られた傭兵達からも一目置かれている。アルスレッドの天幕に忍び込み、仮初めの情愛に溺れる女戦士達も後を絶たないと言う。


 ……女癖の悪ささえなければ、戦士として尊敬に値する男なのに。


 リリアムは余計な事は考えまいとして首を大きく横に振ると、しぶしぶと言った様子で立ち位置についたタルトゥスの貴人を真っ直ぐに見据えた。愛らしい顔に無機質な戦士の表情が浮かび上がる。

「では、アルスレッド様。ティシュトリア式に参りましょう。どちらかが膝を折れば、それで終わりです」



 体格差を補うためだろう。

 身の軽さを最大の武器とし、剣術と体術を組み合わせ、柔軟性を駆使して軽やかに走り、跳び、あらゆる方角から相手の死角に入り込もうとするその動きは、アルスレッドに懐かしい女性ひとの姿を思い起こさせた……『舞うように斬る』とうたわれた最愛の姉、アレスティアを。  

 おそらく、アレスティアがそうだったように、ティシュトリアの民と比べて小柄なリリアムが戸惑いながら実戦を重ね、試行錯誤で身につけた技なのだろう。はかなげな身体のどこからそんな力が湧いてくるのか不思議に思うほど、とめどなくしなやかに素早く動き回り、己よりも大きな体躯の戦士を相手に「お前の思い通りにさせぬ」とばかりの気迫で牽制し、困惑させ、圧倒する。

 その姿に、アルスレッドは再び魅入られた。


 王侯貴族の子弟が初めに身につけるのは、剣技の優雅さだ。

 流れるように剣を振るうアルスレッドもその典型だが、美しさに重きを置いただけの技では、人の命を奪って生きる傭兵達の前に全く歯が立たぬことを身を以て学んだ。だからこそ、進んで戦場に赴き、実戦での経験を積み重ねた。予測の出来ぬ動きで相手の不意をつく「火竜」の戦い方も見慣れているだけに、リリアムのような型にはまらぬ動きに惑わされる事もない。

 どんな相手であろうと、冷静な判断力と広い視野で有効な手立てを選び、執拗に追い詰める……それが『タルトゥスの右手』の戦い方だ。


 

 宙を舞い、隙を見て体術を試み、剣を打ち込み続ける……もう、どれだけの間、こうしているのだろう? 


 リリアムは息が上がるのと同時に、焦燥の念に駆られる己自身に憤りを感じていた。

 攻撃を仕掛けたところで、するりとかわされた上、急所に軽々と剣を打ち込まれる。狙いを定める気配さえ見せずに……それが腹立たしかった。まともに相手にされていないのだと思い知らされ、屈辱を覚えた。


 アルスレッドはリリアムの攻撃を避ける度、急所を突いて動きを封じようと試みた。この美しい戦士の肌に傷を残さぬように。それだけを願いながら。

 女戦士の息が上がり、朦朧とした様子で剣を振るい回す姿を前にして、アルスレッドがふと動きを止めた。

「もう良いだろう、リリアム? いい加減に……」

 刹那、驚くほどの速さで背後に回り込み、怒りに任せて剣を打ち降ろそうと迫る女戦士の気配に、アルスレッドは振り返りざまに体勢を低くすると、相手のみぞおち目掛けて蹴り上げた足を思い切り打ち込んだ。


 声にならない悲鳴と共に衝撃を受け止めたリリアムの手から、剣が滑り落ちる。

 苦しげに身体をくの字に曲げて痛みに顔を歪めながら、最後まで膝をつくまいと歯を食いしばってこちらを睨みつける女戦士の姿に、アルスレッドは唇を噛んだ。


 しまった……! つい、気迫に呑まれて、手加減もせずに……ああ、くそっ!


 ぐらり、とリリアムの身体が揺れた。

「リリアム!」

 名を叫び、剣を投げ出して駆け寄るアルスレッドの目の前で、金糸の煌めく栗色の髪がふわりと風に舞い、小さな身体が崩れ落ちた。



***



「リリアム? 目が覚めたかしら?」

 耳慣れた優しい声に導かれるようにリリアムは意識を取り戻した。

「……グウェレイン様」

 心配そうに覗き込むあるじの横で、赤い巻毛の治癒師が、もう大丈夫ね、と微笑みかける。

「鍛錬の場で倒れてしまったのは覚えているかしら? アルスレッド様がここまで運んで下さったのよ」

 そう言って、ファランは何かを思い出したように、ふふっ、と笑い声を上げた。


 ああ、そう言えば……意識を手離す寸前、力強い腕に抱き止められたような気がした。あれは、あの男だったのか。


 起き上がろうとするリリアムを、グウェレインが優しく寝台に押し戻す。

「まだ動いては駄目よ。せっかくファランがきれいに縫い合わせてくれた傷口が開いてしまうわ」

 刃引きの剣とは言え、重厚な鉄の塊で打ちつけられた身体が悲鳴を上げている。命にかかわる傷こそなかったものの、リリアムの白い肌にはどす黒いあざがあちこちに浮かび、酷い裂傷もいくつかあった。

「リリアム、あなた、相当アルスレッド様に気に入られたようね」

「……どこがですか、グウェレイン様? こんなになるまで打ちのめされたんですよ」 

「そうね。だけど、あなたの顔や衣服で隠せない部分の肌には、かすり傷一つなかったのよ。ねえ、ファラン?」 

 くすっと笑いながら、その通りです、と答えるファランを見て、リリアムは驚きを隠せなかった。

 あれだけ激しく動き回って攻撃を躱わしながら、狙う場所を選んでいたとでも……?

「あなたも戦士なら、それがどれだけ難しい事なのか分かるでしょう?」

 グウェレインはリリアムの髪を優しく撫でながら、小さな子供を諭すようにささやた。

「気づかなければ、見過ごしてしまう……それが、あの方の優しさなのよ」

 

 そんな優しさは、誤解を招くだけなのに……そう思いながら、髪を撫でる指が心地よくて、リリアムはまた深い眠りに落ちた。



 ***



 再び目を覚ますと、辺りは既に薄暗く、窓辺に置かれた燭台には明かりが灯されていた。ふわり、と揺れる柔らかい光の中、窓の外を静かに見つめる人影に気づいて、リリアムは思わず息を呑んだ。

「ああ、気がついたか。どこか痛むところはないか?」

「アルスレッド様……?」

 どうして、と言いかけたリリアムの唇を、アルスレッドがそっと指で塞ぐ。ごつごつと節くれ立った指がゆっくりと唇の輪郭を拭い、やがて名残惜しそうに離れて行くのを、リリアムは鼓動が速まるのを感じながらぼんやりと眺めていた。

「まだ起き上がるなよ。ファランに無理を言って部屋に入れてもらった手前、お前に何かあっては、俺はあいつに毒を盛られかねん」

 少し困ったように微笑むと、アルスレッドは寝床の傍らに置かれた椅子に腰かけた。


 蝋燭の炎に照らし出されているのが目の前にいる男だけだと分かると、リリアムは不安気な表情で辺りに目をやった。

「……グウェレイン様は? ファラン殿はどこです? なぜ、あなたがここに」

「なあ、リリアム」

 アルスレッドが、ぐっと顔を近づけて琥珀色の瞳を覗き込んだ。戦場では鬼気迫る表情を見せる戦士の、色香漂う眼差しに見つめられて、リリアムはどうして良いか分からず思わず顔をそむけた。が、アルスレッドの大きな手が、こちらを見てくれ、とばかりに両の頬に添えられ、リリアムは身動きも取れず、身体中が狂おしい程に熱を帯びていく。

「あの泉で初めてお前を見た時、ただ、美しいと思った。だから、目を逸らすことが出来なかった。お前がグウェレイン殿のために祈りを捧げようとしていたとも知らずに……なあ、リリアム。俺を許してはくれまいか? そんな風に怒りに満ちた眼で見つめられては、なんとも心が痛む」

「アルスレッド様……手を、離して……頂けますか?」

「お前が許すと言ってくれるなら」

 火照った頬を包み込んでいた片方の手が、するりと細い首筋を這い、長く力強い指に優しくうなじを撫でられて、リリアムは悲鳴に近い声を上げた。

「アルスレッド様! 駄目です、手を……離して下さい! ああ、もう……許します、許しますから……その手を、離して!」

 リリアムを見つめていた端正な顔がほころび、明るい笑顔がふわりと浮かび上がった。

「本当だな、リリアム? お前の気が済むならば、もう一度、俺を殴りつけても良いのだぞ?」

 アルスレッドは軽やかな笑い声を上げてリリアムからゆっくり手を離すと、寝台の縁に浅く腰掛けた。

「私の気持ちなど……あなたに分かるはずが……」

 その言葉を聞いて怪訝な表情を浮かべる男を前に、リリアムは眉をひそめた。


 どうして、この男を前にすると、こんなにも心を乱されるのだろう?

 どんな時でも平常心を保つのが、戦士のあるべき姿だと言うのに。


「愛してもいない女を何の躊躇ちゅうちょもなく抱けるあなたが、女の気持ちを推し量ろうなど……似合いませんよ、アルスレッド様」

「貴族と言えど、俺も男だからな。必要に迫られて女を抱く事もある」

 なんだ、そんなことかと言わんばかりに、アルスレッドは含み笑いを浮かべた。

「俺が抱くのは、没落貴族の女か裕福な家系の娘だ。相手が俺でなくとも良い女達ばかりでな。王侯貴族の男が相手なら、誰の前でも恥じらいもせずに脚を開き、己の欲望を満たすために男に抱かれ、身勝手な見返りを求める。望むものが手に入らなければ逆上し、罵声を浴びせる……そんな女達だ。愛情がないからこそ抱けるのさ」  


 リリアムは開いた口が塞がらなかった。


 この男は一体、何を言っているのだろう? 

 まるで女達の方が欲望に狂っているような言い方をする。そんな事があってたまるものか……己の行いを正当化するための卑劣な言い訳に決まっている。


「欲望を満たすのは、いつだって男の方でしょう? 力尽くで女をじ伏せて……」

「おいおい、俺はそんな無粋な真似はせんぞ。女の方から寄って来る。無下むげに断れば、もてあそばれて捨てられたなどと言い掛かりをつけられる。一度なりとも抱いてやれば事は済むからな。子が出来たと騒ぎ立てる女に限って、虎視眈々と狙いをつけて数えきれぬ程の男に抱かれているものだ。あわよくば、貴族のめかけの座に収まろうという魂胆でな」


 そんな……

 己の欲望のためだけに、数多あまたの男に平気で抱かれるとでも? 

 あのおぞましい痛みを利用する女達がいるとでも?


 リリアムは釈然とせぬまま、混乱する頭の中で何かが弾ける音を聞いたような気がした。

 突然、封印していたはずの仄暗い記憶と共に、ぬめぬめと生温かい不気味なものが身体中を這い回る感覚に襲われて、リリアムは鋭い悲鳴を上げた。


 ああ、嫌だ……助けて……誰か、お願い……!



 苦しそうに呼吸を荒げる娘の姿に驚きながら、アルスレッドはリリアムの背にそっと手を添えて、なだめるように話しかけた。

「リリアム? おい、どうしたんだ、リリアム?」

「嫌だ、めて……お願いだから……触らないで……お願い、止めて……私に、触らないで!」

 まるで恐怖に身を強張らせる幼子おさなごのように、がくがくと身を震わせ、見開かれた瞳から涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。

 次の瞬間、息も絶え絶えになりながら、何かから逃れようと両腕を大きく振り払って暴れ出した娘を見かねて、アルスレッドは細い両腕をしっかりと掴み取り、小さな身体を腕の中に引き寄せた。

「リリアム、おい! 落ち着け、落ち着くんだ……リリアム!」

 びくっ、と大きく震えた娘が、ゆっくりとアルスレッドを見つめ返す。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭ってやりながら、アルスレッドは困惑の色に揺れる娘の瞳を正面から覗き込んだ。

「リリアム……頼むから、落ち着いてくれ。そう、ゆっくり息をするんだ……そうだ、良い子だな」



 少しずつ冷静さを取り戻し、呼吸の乱れも整い始めた娘を、アルスレッドはゆっくり、優しく引き寄せて抱きしめた。

 温かい胸に顔を埋めながら、リリアムは心をむしばむように荒れ狂っていた記憶の波が静かに引いていくのを感じた。

「大丈夫だ、リリアム。お前が嫌がることは絶対にしない。誰にもさせない」


 とくり、と心が大きな音を立てた。

 紅潮する顔を見られまいとして、リリアムは逞しい胸に顔を押し付けたまま、ほおっと熱い吐息をついた。



***



 戦場の混乱に乗じて乱暴を働く傭兵崩れの盗人達は、「剣を持たぬ者に手出しをするは戦士の名折れ」と幼い頃から叩き込まれるティシュトリア兵にとって虫けら同然だ。情けをかける必要などない。

 地面に押し倒された小さな身体にのしかかっていた男を引き剥がし、一刀両断に斬り捨てたティシュトリアの戦士は、己の外衣を脱ぎ、おびえきって動けぬ少女の身体を優しく包み込んで抱き上げると、街の広間に集められた女子供達の元へと連れて行った。



『いつの世も、戦さで傷つくのは、戦うすべを持たぬ弱き者達よ』

 敵国の姫として囚われの身となり、否応なしに父王の側妻そばめにされた母の口癖だった。

 王城の中庭で、魂の抜け殻のような少女を目にした時、グウェレインは自分とさして年の違わぬ娘の笑顔を取り戻してやりたいと心から願った。

「父上からもらい受けた時、リリアムは生きる気力さえ奪われていたわ。たった十歳の娘が一夜にして肉親を殺され、はずかしめを受け、故国を滅ぼされたのだもの。無理もないことよね」

 ファランが用意した薬湯が効いたのか、穏やかな表情で眠り続けるリリアムを見つめながら、グウェレインはゆっくりと言葉を紡いだ。傍のアルスレッドに話しかけるでもなく、自分自身に言い聞かせるかのように。

「自ら戦士となる道を選び、厳しい修練に耐え、戦場に立つようになったのも、己の身に起きた悲劇から一人でも多くの女達を守りたいと思ったからなのでしょうね」

 優しい子だから、と微笑むグウェレインの姿に、アルスレッドは静かに頷いた。

「もう乗り越えたのだと思っていたわ。もう十五年も経ったのだから……でも、この子にとっては、そんな簡単なことではないのよね」


 美しい微笑みが苦悩に歪む。まるで我が事のようにリリアムを案ずる女主人の愛情の深さを、アルスレッドは改めて思い知らされた。

「魅惑的な異国の顔立ちと、ティシュトリアの女に比べて小さくはかなげな身体に魅入られて、この子に近づく男が多いのは確かよ。リリアムは相手にもしないし、アルファドやシグリドが睨みをきかせてくれているから、今まで大事に至らずに済んでいるけれど。肉体だけの結び付きなど、この子にとっては悪夢の体現でしかないと言うのにね……この子の過去も未来も全てを受け入れて、それでも愛してくれる人が現われるまで、私はこの子を守ると誓ったの」


 その生涯をかけて、私を守ると誓ってくれたから。


「ねえ、アルスレッド様」

 口元にあでやかな微笑みをたたえたグウェレインが、凍えるような眼差しでタルトゥスの貴人を見据えた。

たわむれの相手ならば、リリアムでなくとも、あなたに恋い焦がれる女など他にいくらでもいらっしゃるでしょう?」

 目の前の麗しい女の中に、非情さで知られるティシュトリア王エレミアの血が確実に受け継がれている事を感じ取って、アルスレッドの背筋に冷たいものが走った。

 

「一時の気の迷いで、リリアムをその左腕に抱こうなどとお思いでしたら、どうぞ、このままタルトゥスにお戻り下さいな。ああ、その前に、二度とこの娘の前に姿を現さぬと、私の前でお誓いになって」

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