戦士の秘め事(2)

 いくさは無慈悲な獣だ。


 狙いをつけて忍び寄り、瞬く間にその地を蹂躙じゅうりんする。

 愚かな領主が抱いた野望のために、剣を取った男達は皆殺しにされ、生き長らえた女子供は家畜と共にくびきに繋がれ、引きずられるようにして敵地へと連れ去られる。

 かくして、「東の武装大国」にやいばを向けた新興国が、また一つ、大陸から姿を消した。



「父上、この子を私にちょうだい」

 少し舌足らずの可愛らしい声が、王城の中庭に響き渡った。

 その瞬間、ティシュトリアの捕囚となり、報奨の品として戦士に与えられるはずだった少女の運命が、思わぬ方へと動き始めた。



***



 アルファドの命で兵舎の一室に軟禁されたリリアムは、寝台の上で両膝を抱え込んだまま、グウェレインと出逢った頃の事を思い出していた。


 十五年前のあの日。


 まだ七つに満たぬほどの愛らしい姫君は、荒ぶる傭兵に凌辱され、敵国に囚われた恐怖で震えの止まらぬリリアムの手を取って居室に連れ帰ると、側仕えの者に命じて湯浴みの用意をさせた。困惑する侍女達を追い払い、幼い姫はリリアムに湯につかるように言うと、自らの手で震える身体にこびりついた泥と血をこすり落とし、もつれた髪の汚れを洗い流してくれた。

 所々に金糸が織り込まれたような不思議な輝きを持つ栗色の髪を優しくきながら、真新しい衣服に包まれた異国の少女の姿に満足して、グウェレインはにっこりと微笑んだ。

「ほら、とてもきれいになったわ。あなたの髪の色、私は好きよ」

 自分よりも小さな幼子が見せたけがれないいつくしみの心に触れて、リリアムは声を上げて泣き崩れた。


 その夜、暗闇におびえるリリアムを己の寝床に招き入れ、子守歌を口ずさみながら抱きしめてくれる幼子の温もりに、凍えた心が少しずつ溶かされるのを感じながら、リリアムは己の一生を掛けてこの方の恩義に報いようと心に誓った。



 ティシュトリア王エレミアの末娘グウェレインは、年の離れた兄姉達の間で繰り広げられる王座を巡る確執とは無縁だった。そのせいか、妾腹であるにも関わらず父王の愛情を一身に受けていた。

 いつの日か「王の盾」の嫡子に嫁ぐと聞かされていた姫は、リリアムを連れて王城を抜け出しては「王の盾」の居館に赴き、イスファルの五人の息子と側近達に囲まれて日々を過ごしていた。


 二度と力づくで男どもに組み敷かれぬために。その一心で側近達に混じって武術を学び始めたリリアムは、優れた身体能力と勘の良さで見る間に腕を上げていった。

 やがて、兄姉達の命を奪い続けた権力争いにグウェレインまでもが巻き込まれ、その命が危険にさらされるようになると、リリアムは己の手で姫を守り抜くと天竜に誓った。そのために、誰よりも強い戦士にならなければ……その思いが、リリアムを突き動かした。

 そんな心の内を感じ取ってか、異国の娘のたどたどしいティシュトリア語に辛抱強く耳を傾け、率先して武術の練習相手となったのが、イスファルの息子の側近達の中で最年長のアルファドだった。口数こそ少ないが、立ち振る舞いが穏やかで面倒見が良く、何かと自分の事を気に掛けてくれる年上の青年に心惹かれながら、リリアムは剣の腕に磨きを掛け、王族と側近達の間で交わされる古ティシュトリア語さえも流暢に操るまでになった。


 王城の堅苦しい慣習に縛られる事を嫌うグウェレインは、「王の盾」の館の住人達に見守られながら自由奔放で笑顔の絶えない美しい娘へと成長していった。敬愛する女主人のかたわらに常に寄り添うリリアムも、戦士としての頭角を徐々に現し始めた。

 やがて、「王の盾」の護衛の一人として男達と共に戦場に立ち、はかなげな容姿に似つかぬ荒々しい気性で、ひるむことなく敵を切り捨てる女戦士の名がエレミア王の耳に届くと、リリアムは名実ともにグウェレインの側近の地位を手に入れた。

 その矢先、「王の盾」の長子が戦場で命を落した。



 許婚いいなずけを失ったグウェレインの悲しみは深く、以前のように「王の盾」の館に足を運ぶことも少なくなった。居室にこもったまま声を押し殺して涙を流すあるじの姿を見兼ねて、リリアムはアルファドに助けを求めた。

 それが己の首を締めることになるとは夢にも思わずに。


 アルファドもまた、幼い頃から守り続けた主を失った。

 埋めようのない悲しみと大切な人を奪われた心の痛みを分かち合う二人が、お互いをいつくしみ、次第に惹かれ合うようになるのは自然のことわりだったのだろう。

 王の娘が王の臣下と恋に落ちるなど、決して許されない。そう知りつつ、互いを想う気持ちを二人だけの秘め事として大切にはぐくみながら、グウェレインは少しずつ笑顔を取り戻していった。

 だが、リリアムは気づいてしまった。

 アルファドが見つめるその先に、いつもグウェレインの姿があることを。そして、グウェレインもまた、アルファドの姿をいつも目で追っていることを。


 身分違いの恋だ。叶うはずもない。


 それでも、愛する人に見つめられて艶やかに咲き誇る花のような主の姿を前に、リリアムは己の命に代えてもグウェレインが宿す想いを守り通すと天竜に誓った。

 密かに抱き続けていた恋心さえも葬って。


 姫様で良かった。

 他の誰でもない、グウェレイン様ならば、あの方に恋い慕われて当然だ。あんなにも美しく心優しい姫様を愛さずになどいられるわけがない。アルファド様ならば、大切な姫様を安心してお預け出来る。

 あの日、終わらせたいと願った命を救って下さったグウェレイン様。姫様が愛する人と共に生きる幸せを掴み取ることが叶うのならば、引き裂かれそうな心の痛みにも耐えてみせよう……


  

 二人の想いがエレミア王の知るところとなり、紆余曲折を経て、アルファドがグウェレインを妻に迎えてから数年。

 思うように子に恵まれぬ焦りと苛立ちに、人知れず美しい顔を歪める姫の姿を幾度となく目にしながら、リリアムは己の不甲斐なさを思い知らされていた。


 恩義に報いるどころか、たった一つ、姫様が心から望むものさえ手に入れて差し上げられない。そばにいて、泣き疲れて眠る姫様の頰をぬぐって差し上げることしか出来ぬとは……


 だからこそ、グウェレインの中にようやく芽生えた新しい命が健やかに育つようにと、日々、祈り続けて来たのだ。あの夜も、天竜に祈りを捧げるため、誰にも知られずに館を抜け出し、凍えそうに冷たい水に身を沈めていたと言うのに。


 ……ああ、思い出すだけで腹わたが煮えくり返る。

 あの男、なんだって夜も明けぬうちから、あんな森の奥深くをうろついていたのだ? しかも、従者も連れず、たった一人で……


 怪訝そうに首を傾げたリリアムだったが、すぐに、ふんと鼻を鳴らして意地の悪い笑みを浮かべた。


 大方、人目につかぬ場所で女との逢瀬を楽しむつもりでいたのだろう。夜更けに人目を忍んでと言うことは、人妻にでも手を出したか。「タルトゥスの右腕」の女癖の悪さは、王都の娘達の間では有名な話だ。レティシア様の使者としてティシュトリアに赴くたびに、娘を食い物にしては捨て去って行く、と。

 それだけではない。事もあろうに「黒竜」の奥方を口説き落とそうとする姿を幾度となく目にしている。シグリド様があれほど大切にされている奥方に色目を使うなど、命知らずなのか、単なる馬鹿なのか。

 なんにせよ、腹立たしい。

 おかげで、今朝は未だに祈りを捧げられずにいる。女の裸など見慣れているくせに、覗き見した上、黙って逃げ出すなど貴族の風上にも置けない……


 ふと、固く閉ざされた扉の向こう側で聞き慣れた声が名を呼ぶのに気づいて、リリアムは眉間にしわを寄せたまま寝台から立ち上がると、戦士特有の無機質な表情を浮かべて敬礼の姿勢を取った。



 部屋に入るなり、平常心を装う娘の心の苛立ちを感じ取ったアルファドは、背後に立つ衛兵達に外で待つよう命じて、黙って腕組みをしたままリリアムに目をやった。しばらくして、小さなため息と共に静かな声がこぼれ出る。

「少しは頭を冷やしたか、リリアム?」

 とがめるような、それでいて、憐れむようにも見える眼差しを向けられて、リリアムは思わず幼い頃に戻ったような錯覚を覚えた。

「申し訳ありません、アルファド様。ですが……」

 ぼそぼそと口を尖らせたまま言葉を紡ぐ娘の頬を撫でるように軽く叩くと、アルファドは傍に置かれていた椅子を引き寄せてリリアムを座らせ、自分は寝台の縁に浅く腰掛けた。

「何があったかはアルスレッド様から伺った。ああ見えて、あの御方はエレミア王の義弟でもあるのだよ。ここが王城であったなら、今頃、お前は評議の場に引きずり出され、王族に対する冒涜ぼうとくの罪に問われていたはずだ」

 露骨に嫌な顔をする娘に視線を向けたまま、アルファドはそっと手を伸ばしてもつれた栗色の髪を優しく整えてやった。


 心配そうにこちらを覗き込む瞳は、機嫌を損ねた妹をなだめようとする兄のそれだ。

 そう思うと、リリアムの心の奥が、きりりと痛んだ。

「まったく……昔から、頭に血が上ると口よりも先に手が出る。悪い癖だな、リリアム」

「ですが、アルファド様、あの者は卑怯にも背後から忍び寄り……」

「『魔の系譜』かと思ったそうだ。考えてもごらん。夜更けの森の中、たった一人、泉で水浴びをする女など、アルスレッド様でなくともそう思うだろう。魔物として斬り捨てられなかっただけ……」

「あのように恥も外聞もない男、こちらが斬り捨ててやります!」

 勢いよく立ち上がった拍子に大きな音を立てて倒れた椅子に目もくれず、リリアムは頬を朱に染めて声を荒げた。アルファドはゆっくりと立ち上がると、必死に怒りを抑え込もうと震える小さな両肩に手を置いて、琥珀色の瞳を覗き込んだ。

「リリアム、思い上がるのもほどほどにしなさい。あの方はシグリドに匹敵する剣の使い手でもあるのだよ」

 まるで幼い少女に言い聞かせるような優しい声が、警告の色を帯びてリリアムの耳に響く。

 お前がかなう相手ではない、と。


 

 アルファドは、屈強な男達の慰みものにされ、敗戦国の捕囚としてティシュトリアの地を踏んだ幼い少女の姿をはっきりと覚えている。だからこそ、見知らぬ男への警戒心と、こと礼儀を知らぬ男に対してリリアムが見せる異常なまでの怒りに理解を示しているつもりだ。リリアムの、恩人であるグウェレインに対する愛情が、計り知れぬ程に深く激しいことも。

 恐らく、見ず知らずの男に裸身をさらしてしまった羞恥心と、敬愛する主のための祈りを邪魔された事が重なって、どうしても怒りが収まらないのだろう。一介の戦士相手ならば己の手でさっさと決着をつけるリリアムだが、今度ばかりは相手が悪すぎる。間違ってもタルトゥス王家の血を引く客人に剣を向けるなど、許されない。

 ……ただ一つの場を除いては。


 リリアムも、そのことに気づいたらしい。

 琥珀色の瞳が見る間に輝きを増した事に気づき、アルファドはそれとなく視線を逸らして素知らぬふりをしながらリリアムの背中をそっと押した。

「お前を軟禁した事でグウェレインの機嫌を損ねてしまってね。さあ、早く部屋に戻って、わが妻を安心させてやってはくれないか?」

 一瞬、グウェレインの居室がある方へ視線を走らせて戸惑いの表情を浮かべたリリアムだったが、意を決したように真剣な眼差しでアルファドに向き直った。

「アルファド様、お願いがあります……明朝の鍛錬に、ぜひともアルスレッド様をご案内頂けませんか?」

 いぶかしげに片眉を吊り上げるアルファドを前に、リリアムは不敵な笑みを浮かべた。

「この私がお相手致します……ただし、それは伏せておいて下さい。また逃げ出されては困りますから」


 ああ、やはりな、とアルファドは苦笑した。



***



「……で、鍛錬の場でアルスレッド様を打ち負かそうと言う魂胆なのかしら?」

 困った子ね、とでも言いたげに、グウェレインは優しく微笑んだ。

「あなたが返り討ちに合わなければ良いのだけれど。あの方は剣を持たぬ女達の前ではあんな風だけれど……先の戦いではシグリドと並び立って先陣を切った、と教えてくれたのは、他でもないあなたよ、リリアム」

 入念に剣の手入れをしながら、女戦士は顔を上げずに大きくうなずいた。

「毎朝、シグリド様に稽古をつけてもらっているんですよ、大丈夫です」


 最後まであきらめるな、倒れるまで喰らいつけ、と一方的に打ち倒されながら……だけれど。


「王都の娘達があの手この手でアルスレッド様の気を引こうと必死だと言うのに、あなたときたら……ねえ、リリアム、もしかして誰か好きな男性ひとでも居るの?」

 剣を研いでいた手を思わず滑らせたリリアムの指先から、ぽたりと一滴、血が流れ落ちた。その血よりも赤く頬を染めた娘を見て、グウェレインは「まあ、やっぱり」と嬉しそうな声を上げ、祈るような仕草で両手を胸の前で合わせた。

「アルファドとも話していたの。戦士達の中には、あなたに好意を寄せる者も少なからずいるようだし……ねえ、私の可愛いリリアム。愛しい人がいるのなら、私に遠慮などせず一緒になりなさい。もちろん、誰かの妻になったとしても、私の側近の任を解くつもりはないけれど」

 にっこりと微笑む女主人の言葉に、ぶるぶると首を横に大きく振りながら、リリアムは暴れ回る心臓の鼓動が聴こえませんように、と心の中で願った。

「い、愛しい人など……私には……そんな人など……」

 言えるわけがない。私があの方に想いを寄せているなど、グウェレイン様に気取られてはならない。


 急に顔色を変えて口ごもる娘を前に、グウェレインは姉妹同然に育った女戦士の幸せを思って心の中で天竜に祈りを捧げた。どうか、かつて娘が受けた心の傷を癒し、全てを受け入れて愛してくれる人が現れますように、と。

「それにしても、アルスレッド様も嫌われたものね。あんなだけれど、良い方なのよ。時折、タイースからの手紙をたずさえて来ては、タルトゥスでの様子を教えて下さるの。タイースの手紙にも、腹を割って話し合える相手がそばに居て心強い、とあったわ」

「タルトゥスであの男と義兄弟も同じ立場に置かれている以上、タイース様もそう言わざるを得ないのではありませんか? あの方はお優しいですから」

 その名を聞いただけで女達が色めき立つアルスレッドを「あの男」呼ばわりするリリアムにほとほと呆れ果て、グウェレインは小さくため息をついた。

「一層のこと、アルスレッド様があなたに恋してくれれば良いのに」

「ええっ? とんでもない!」

 傷つけた指先に布を巻きつけながら、リリアムは驚愕に声を上げて目を見開いた。

「女ならば誰でも寝所に連れ込むような男ですよ? 何人もの女をはらませておきながら側妻そばめとしてタルトゥスに迎え入れようともせず、母子を打ち捨てるような……貴族でありながら、いまだに正妻を迎えようともせず女遊びにかまける無責任な男など、こちらから願い下げです!」

 あら、それはちょっと違うわね、とグウェレインは心の中で思いながら、ふふっ、と軽やかな笑い声を上げた。

「それはそれで貴族らしいと思うけれど……我が父をご覧なさいな。両手で数えきれぬ程の側妻を王城に囲いながら、『異国の女に種を蒔くためにいくさを起こす』と吟遊詩人に揶揄されるような人よ。表向きには私が末娘とされているけれど、会ったこともない兄弟姉妹が大陸中にどれだけ居ることか」

 ほおっ、とわずらわしそうにため息をつく主の姿に、リリアムは心の底から同情し、何と応えれば良いのだろうと考え込んで言葉が見つからず、口をつぐんだ。



***


 

 リリアムの軟禁を解くためアルファドが兵舎に向かった後、アルスレッドは腫れ上がった頰に手を置いたまま、うんざりした表情のシグリドを相手に、月下の泉に佇む女戦士の美しさを語り始めた。

 熱を帯びたその声を耳にして、「タルトゥスの右腕」の心の奥に揺らぎ始めた淡い炎に気づいたファランとグウェレインは、互いの顔を見合わせて嬉しそうに笑い声を上げた。



 そうよ、心の底からその人を愛しいと思うなら、地位や身分など関係ないの。あなたの心に宿った炎が、あの娘の凝り固まった心を解きほぐしてくれるなら……


 グウェレインは無償の愛情で自分を包み込み、守り続けてくれる女戦士を思って、もう一度、静かに微笑んだ。

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