春を待たずに

 冬の晴れ間に、誰かが気を利かせたのだろう。開け放たれた窓の外には、久しぶりに澄み切った美しい青空が広がっていた。

 季節外れの暖かい風が優しく吹き込んで、寝台に力なく横たわる娘の赤い巻毛を、ふわりと揺らしていく。



 かつて、「心の痛み」を見つめ続けた青灰色の瞳は、愛しい人の姿だけを求めて虚空を彷徨さまよっていた。

 やがて、瘦せ細ってひとしお小さくなった娘の身体を、逞しい腕が優しく包み込む。癒し手の娘は安堵のため息を漏らすと、愛する男の腕の中で、夢見るような微笑みを浮かべながら、ゆっくりと、祈るような声でささやき始めた。



「苦しみの夜に、静かに耐えよ

 絶望の果てに、歩みを止めよ

 悲しみの明けに、おもてを上げよ

 光は漆黒の闇においてこそ輝きを増す

 今日は眠りにつくの地で、明日は命に甦れ


 苦しみの夜に、終わりを告げよ

 絶望の果てに、安らぎを得よ

 悲しみの明けに、静寂を迎えよ

 堕ちた星は我らの心で永遠に輝き続ける

 今は眠りにつく彼の地で、微睡まどろみの果てに甦れ



 ねえ、シグリド、覚えておいて。

 『果ての世界』で全てを忘れてしまっても、結ばれた絆は永遠に続いていくのよ。

 生まれ変わった命は『魂の伴侶』を求めて、もう一度、旅に出るの。

 だから……



 ごめんなさい……今は、先に行くわね。

 また、逢いましょう……愛するあなた」






「なあ、ファラン。生まれ変わっても、俺はもう一度、お前に恋するんだろうな。馬鹿みたいに、おまえだけを待ち続けて……」

 『新緑の森の色』と娘がでたみどり色の瞳から涙がこぼれ落ちた。


 込み上げる想いを押し殺したまま優しく娘に口づけし、炎の色の巻毛に顔をうずめると、ふわりと匂い立つ花の香りに包まれながら、シグリドは震える腕で、二度と目覚めぬ眠りに落ちた愛しい妻を抱き続けた。




〜春を待たずに〜 了

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