終章

悲しみの明けに、面(おもて)を上げよ

『ほお、もう二度と目覚めぬかと思っていたが』


 真珠色の翼に顔をうずめていた「有翼の蛇グィベル」が、気怠けだるそうに身を起こし、虹色の鱗に覆われた肢体に身を寄せて横たわる白銀の狼に目を向けた。

 長い眠りから覚めた白い獣は、ゆっくりと立ち上がると、大きく身を震わせた。

 獣の輪郭がぐらりと揺らいだ瞬間、長身の逞しい若者の姿に取って代わった。白銀の髪が風に揺れて、さらりと肩に流れ落ちる。ぼんやりと辺りを見渡す仕草は、未だ夢の中を漂っているかに見えた。



 薄青色の瞳に輝きが戻った頃、若者の顔を覗き込んだヤムリカが、一瞬、眉をひそめた。

『お前、名は?』

 虹色に輝く妖魔に鋭い視線を向けた若者が、何を今更とでも言いたげに首をかしげた。

「ロスタルだ。まさか忘れた訳ではあるまい?」

 最愛の妹と同じ紅玉の瞳が冷たさを増す。

『……なるほど。まだその名を捨てぬか』


 騒めき出した森の木々に耳を傾けて、ヤムリカは憐れむような微笑みを浮かべた。

『風の精霊達が騒いでいる。大方、お前が目覚めたと触れ回っているのであろう。タリスニールが耳にするのも時間の問題だな……獣の王は「魔の系譜」が「嘆きの森」に留まる事を良しとせぬ。ロスタルよ、すぐにここを立ち去れ』

「お前とて『魔の系譜』だろう、ヤムリカ?」

 ふん、と嘲笑うように、聖なる蛇が美しい口元を歪める。

『我は聖魔。天竜の意思を受け継ぐもの。アプサリスの戯れで妖魔の魂を与えられただけのお前とは、格が違うのだよ』

 ヤムリカはしなやかな腕を伸ばして、陽炎かげろうのように揺らめく木々の間を指差した。


『さあ、行け。その魂と共に、人の世の移ろいを揺蕩たゆたいに』



***



 「狭間」を抜けてロスタルが目指した先は、かつて「天竜の神殿」があった小高い丘だった。

 ザラシュトラの魂を「器」の身体から解放し、自らも力尽きたその場所に、浄化の炎に焼かれて崩れ落ちた神殿の名残りはなく、辺りは鮮やかな緑の下生えに覆い尽くされていた。


 ……俺は、どれだけの間、眠っていたんだ? 


 賢王パルサヴァードを讃える民の声が、祈りの言葉と共に風に乗ってロスタルの耳に届いた。眼下に広がる「天竜の統べる王国ラスエルクラティア」の王都の街は、さほど変わったとは思えない。見慣れぬものといえば、丘のふもとに置かれた小さな拝殿らしき建物くらいだ。

 この国の何処にも愛する娘の気配は感じられない。あの戦さが終わってから、どれだけの月日が過ぎ去ったのか……ロスタルは胸の騒めきを抑え込んで「狭間」に戻ると、小さな娘の温もりを求めて別の場所へと心を飛ばした。

 


 遥か上空からティシュトリアの王都を覗き込む。

 王城の薬草園にも、娘が暮らしていたはずの城館にも、その姿は見当たらない。

 何処からか、武具が打ち合わされる音と戦士達の荒々しい声が聴こえてくる。近くに兵舎でもあるのだろう。「東の武装大国」らしい……そう思いながら、王都の街の喧騒にしばらく耳を傾けた。

 突如、冷たい刃のように研ぎ澄まされた気配に全身を射抜かれ、ロスタルは咄嗟に傍らの空間に手を伸ばし剣を引き抜いた。だが、自分は今「狭間」に居るのだと思い起こして冷静さを取り戻すと、手にしていた剣を虚空の裂け目に投げ捨てた。

 心の中に湧き上がる高揚感と無意識に漏らした安堵の吐息に、身震いするほど驚愕しながら、ロスタルは相手に気づかれぬように揺らいだ空間の中に素早く身を隠した。

 


 間違いない。

 あれは……あの全てを斬り裂こうとするやいばのような気配は、シグリドだ。

 あの日。ラスエルクラティアの戦場から「狭間」に引きずり込み、命を奪う寸前、小さな娘に抱かれて虚空の彼方へ消え去った「二つ頭」が生き延びたとすれば……ファランは必ずあの男のそばに居る。シグリドがあの娘を手離す訳がない。 


 もう一度、愛しい娘の気配を求めて「狭間」を彷徨さまよおうとした矢先、ふと視線を向けた先に「魔の系譜」らしき気配を感じ取って、ロスタルは目を凝らした。


 漆黒の大きな毛玉のかたまりの傍らに、濃緑色の外衣に身を包んだ影がうずくまっている。よく見れば、それは片膝を立てて座り込んでいる人の子だった。

 虚空を見上げる横顔は、少年から青年になりかけの危うい幼さを残してはいるが、膝に置かれたしなやかな腕は鍛え上げられた戦士のものだ。短く切り揃えられた少し癖のある赤い髪がふわりと揺れて、風に揺れる蝋燭ろうそくの炎を思わせる。

 たまに、くすっと小さな笑い声を上げる少年の微笑みに、何故だか見覚えがあるような気がして、ロスタルは少し首を傾げたまま様子を伺った。


 突然、毛玉の塊が立ち上がり、背中を弓なりにして警戒の唸り声を上げた。「魔」の気配をまとっていたのは山豹レーウを思わせる黒い妖獣の方だ。少年からはその欠片かけらさえ感じられない。

 術師か? いや、あの風体からすれば妖獣狩人か。「狭間」を通り抜ける狩人が居るという話は聞いた事があるが……


 己よりも強い「魔」の気配を嗅ぎ取った妖獣は、身震いしながらも少年の盾となって鋭い牙をき、唸り声を上げ続ける。

「良い子だね、グラム。でも、あの人なら大丈夫」

 黒豹の身体を優しく撫でながら、少年はロスタルに視線を向けた。その瞳は、新緑の森を思わせる鮮やかなみどり色だ。

 この辺りの瘴気はそれ程濃くはない。とはいえ、人の子の命をおびやかす毒の気が漂う中にいては長くは持たぬことくらい、使い魔を操る者なら承知の上だろう……不思議な既視感を覚えながらも、ロスタルは無関心を装って背を向け、その場を立ち去ろうとした。


「ロスタル……だね? 良かった、やっと目が覚めたんだ」

 名を呼ばれ、驚いて振り向いたロスタルに、少年がにっこりと微笑んだ。その笑顔が、何故だか愛しい娘を思い起こさせる。

 戸惑いながらもロスタルは少年に近づいた。辺りには光のもやがきらきらと漂い、その光に包み込まれた少年の周りの空気は、「狭間」に居ることを忘れさせる程に清らかだ。 

 少年が軽やかな笑い声を上げる。

「母さまがね、あなたの、そんな風に驚いた顔が大好きなんだって。確かに、怖い顔で睨みつけられるより、その方が僕も好きかな」

「お前、何故、俺の名を知っている?」

 ロスタルは鋭い視線を向けたまま、感情を交えぬ声を出した。

「ああ、気にしないで。母さまが教えてくれたんだ。僕は狼の姿のあなたしか知らないから……ねえ、母さまの声、あなたにも聴こえているのかな?」

 狂気にでも囚われているのか、不可解な言葉を繰り返す少年を前に、ロスタルは懐疑の念を深めていく。話にならない、時間の無駄だ……そう思い、背を向けようとした矢先、吹き抜ける風にあおられて、少年の外衣がふわりと舞い上がった。咄嗟にしなやかな腕が伸ばされる。


 ロスタルは我が目を疑った。


 外衣を掴んだ少年の左腕の手首から肘にかけて、ぐるりと絡みつくように「炎に抱かれた翼を持たぬ竜」の刺青が施されていたからだ。


 まさか、「谷」の生き残りか? 大陸中を吹き荒れた、あの執拗なまでの「火竜狩り」を生き延びたのか? 

 ……いや、あの頃にはまだ剣も握れぬほどの幼子だったはずだ。あまりにも若過ぎる。



 ふと、遠くで誰かの名を呼ぶ声が聴こえた。

 少年は少し迷惑そうな顔をして小さな吐息を漏らすと、「狭間」の裂け目から声のする方を覗き込んだ。

 涼やかな声と共に姿を現したのは、戦士の装束をまとった凛々しい少女だ。剣の代わりに泣きじゃくる幼子おさなごの小さな手をしっかりと握りしめ、顔を真っ赤にして、もう一度、声を上げる。

『ファレル! もう、ファレルったら、一体、何処に居るのよ! あの馬鹿、小さな妹を放ったらかしにして消えてしまうなんて、本当に無責任なんだから……アレスティアも、もう泣かないの! あんたの大好きな兄上が急に姿を消すなんて、これが初めてじゃないでしょう? ほら、久しぶりにパルヴィーズ様がいらしたのだから、ご挨拶に行くわよ!』

 パルヴィーズ、と聞いて、女の子の泣き声がぴたりと止んだ。

『ほんと? ヴィーのおじさま? ティアにもおはなし、くれるかなぁ、ねえ、レヴェリアねえさま、ティアにもおはなし!』

 レヴェリアは女の子の視線に合わせるように腰を屈めると、涙でぐしゃぐしゃになった顔を優しく拭い、乱れた髪をきれいに撫でつけてやりながら優しく微笑んだ。

『そうね、ティアが良い子にしてたらね。さ、行こう』

 


 明るい緑色の瞳と艶やかな金の髪を持つ「砦の姫」レヴェリアは、王族らしい気位の高さと母譲りの気の強さで周りの大人達を圧倒し、無理難題を押しつけて翻弄するのが常だ。父親の聡明さと心の優しさを受け継ぎ、小さな幼馴染みを心からいつくしみ可愛がる一面を持つのが、せめてもの救いなのだが……少年は苦笑いを浮かべながら、立ち去って行く少女の後ろ姿を見送った。


「……妹か。似ていないな」

 幼子を見つめていたロスタルが、少し首を傾げた。少年は目を細めて、ふふっと嬉しそうに笑う。

「妹と言っても、僕とアレスティアに血の繋がりはないからね。あの子は僕の後見人であるアルスレッド様の末娘。で、なぜか僕にとてもなついている」

 戦場で命を落としたあるじへの忠節を貫き『タルトゥスの右腕』と呼ばれるアルスレッドの名は、ロスタルも耳にした事がある。

「ここは、タルトゥスか」

「そう。アルコヴァルの『最後の砦』タルトゥス。タイース伯父上がレティシア様と結婚して以来、『雪解けの砦』と呼ばれることの方が多いけれど」 


 タイース。

 毒竜に襲われたパルサヴァードを抱えて舞い降りた薬草園で、ファランと共に居た戦士の名だ。

「もしや、ファランと言う治癒師の娘を知らないか?」

 一瞬、碧色の瞳が輝きを増したのを、ロスタルは見逃さなかった。

「探しているんだ。小柄で、赤い巻毛の。年の頃は……そうだな、お前より少し上かと思うが。瞳の色は」

「明るい青灰色、でしょう?」

 ロスタルが思わず息を呑む。


 少年はおもむろに立ち上がると、腰帯に押していた短剣を鞘ごと引き抜いてロスタルに手渡した。金銀の象嵌ぞうがんが施された剣の柄に、緑玉の瞳を持つ双頭の竜が絡みついている……忘れもしない。アンパヴァールの砦で愛する妹ディーネと共に散った刀鍛冶師シエルが、『火竜』の弟に遺した短剣だ。

 剣を握りしめたまま、驚愕に身を震わせて立ち尽くすロスタルを前に、少年はティシュトリア風の優雅な所作で一礼して、碧玉の瞳を向けた。

「初めまして、ロスタル。僕はファレル。ラスエルファレル。父は『火竜の谷レンオアムダール』のシグリド。母はプリエヴィラのファラン」



 目眩めまいを感じながら、ロスタルはゆっくりとファレルに近づくと、剣を持たぬ方の手で少年の肩をがっしりと掴んだ。鋭い爪が食い込む痛みに、ファレルが少し顔を歪める。

「ファランは……お前の母は、今、何処にいる?」

 それには答えず、ファレルは短剣を抜くようにロスタルを促した。

「シエル伯父上の残した最後の刃は、鏡のように美しいでしょう?」

 ロスタルは手にしていた剣に視線を落とし、言われるがままに剣を抜いて磨き込まれた刀身を覗き込んだ。そこに映し出された薄青色の双眸に浮かぶ、縦長の獣の瞳孔。「魔の系譜」の証であるその瞳は、紛れもなく己のものだ……白い妖魔は愕然として後退あとずさり、その拍子に短剣を滑り落とした。

 

 身の内の妖魔の魂など、飼い慣らしていたはずだ。火竜の戦士の矜持を貫き続け、愛しい娘と共に生きるために人の子であり続けようとしたのだ。それなのに……


『まだその名を捨てぬか』


 ヤムリカは気づいていたのだ。正体なく眠り続けている間に、この身が妖魔の魂に食い尽くされてしまった事を。

 だが、不思議なことに、ロスタルの心はロスタルのままだ。何も変わりはしない。だからこそ、ファランを追い求めて「狭間」を抜けて此処まで来たのだ。

「ファレルよ、教えてくれ。ファランは何処だ? ラスエルクラティアの戦いから、どれ程の月日が流れ去った?」

 少年は短剣を拾い上げると、夢見るような声で語り始めた。

「貪欲な神官達に操られた巫女姫ザシュアとティシュトリアの戦士エスキルの悲恋は、大陸の民の涙を誘い、吟遊詩人達がこぞって語る題材なだけに、あの戦いの場に居合わせなかったのが大いに悔やまれる……と言うのが、パルヴィーズ様の口癖なんだ」

 父親譲りのみどりの瞳が、遥か彼方の虚空を見つめて輝きを増す。

「僕が生まれる以前の事だからね……あなたは二十年もの間、眠り続けていたんだ」


 

 白い妖魔は、薄青色の獣の瞳を見開いたまま、魂を打ち砕かれたように膝から崩れ落ち、両手を胸に押し当てて、あふれそうになる叫びを必死で抑え込んだ。

「一年を通して寒暖差の激しいティシュトリアの気候は、戦士の精神を鍛えるには向いているけれど」

 悶え苦しむ妖魔に視線を向けたまま、ファレルは静かに言葉を続けた。

「冬のない暖かな土地で生まれ育った母さまにとって、ティシュトリアの冬は厳し過ぎた。滅多に弱音を吐かない人だったけれど、冬になると決まって体調を崩していたからね。見かねた父上が故郷のプリエヴィラに連れ帰ろうとしたけれど、母さまはそれを拒み続けた。タイース伯父上から受け継いだ薬草園を守りながら、民のための治癒院を王都の街に開いていたし、治癒師の育成にも情熱を注いでいたからね……二年前の冬、尋常でない寒さがティシュトリアを襲った。あの地で生まれ育った僕でさえ、心がえそうになった」

 全てが凍りついた冬の記憶を思い出したように少し身震いすると、寂しそうに微笑んだ。

「母さまは、あの冬を越せなかった」


 ああ、とうめき声を漏らして、ロスタルが両手で顔を覆う。

「父上は母さまを溺愛していたからね。母さまが亡くなれば自ら命を絶つのでは、と皆が心配していた。母さまも同じように感じていたんだろうね……父上を誰よりも理解していたのは、やはり母さまだったから。で、亡くなる数日前、父上にある約束をさせたらしいんだ」



『私が先に「果ての世界」へ旅立っても、アスラン様があなたと共に生きて下さったように、あなたはファレルと共にしっかり生きて。あなたの考えや生き方を押し付けたりせず、静かに見守って上げて。道をたがえそうになった時は、厳しくさとして上げて。それから……ゆっくり、出来るだけゆっくり、よわいを重ねてね。決して急いでは駄目よ。ゆっくり時間を掛けて……私達が再び出逢えるその時を、楽しみに待っていて』



「母さまは時折、父上に内緒で『狭間』を抜けて、眠り続けるあなたに会いに『嘆きの森』を訪れていたんだ。何も分からぬ幼い僕を連れてね……父上は気づいていたけれど、何も言わなかった。母さまが寝付いたままになると、父上はヤムリカ様にお願いした。あなたが目覚めたら、母さまに会いに来るよう伝えて欲しいとね」

 ぴくりと肩を震わせて、ロスタルがゆっくりと顔を上げた。

「……シグリドが?」


 何故だ? ファランを奪い去ったこの俺を恨みこそすれ……   


「だって、あなたは、幼かった母さまの想い人だから。父上がそばに居なかった時、母さまを守っていたのは、あなただから」



 ロスタルの頰を涙が伝い落ちていく。


 二つの魂が一人の娘に惹かれた……ただ、それだけの事だ。

 愛しい気持ちに変わりはない。

 愛する者が喜ぶならば……ただ、それだけを想って。



 切ない表情を浮かべて佇む白い妖魔のそばで、ファレルが少し困ったように肩をすくめた。

「少しお喋りが過ぎるって、母さまに怒られたよ。あなたを独り占めにして、ずるいって。全く、子供みたいだよね。困った母さまだ」

 懐かしい笑い声が聴こえたような気がして、ロスタルは虚空の彼方に顔を向けた。

 真っ赤な顔で、頰を膨らませて怒る愛らしい少女の姿が脳裏に蘇り、白い妖魔は思わず顔をほころばせた。

「じゃあ、僕はそろそろ砦に戻るよ。パルヴィーズ様を待たせると、またレヴェリアに怒られるから。タルトゥスからティシュトリアまでの護衛も任されているし……父上に掛け合って、今度こそパルヴィーズ様と旅に出るつもりなんだ」

 また、会おうね……嬉しそうにそう言って、母親そっくりの笑顔を浮かべると、ファレルは黒豹を連れて揺らいだ空間に消え入った。



 かつてロスタルが愛した娘と同じ「天竜ラスエル」を冠する名の少年。

 その昔、天竜に愛された娘が、我が子の中に愛するものの姿を見出そうと名付けたのが始まりとされ、大陸では特に珍しくもない古風なおもむきの名だ。



 ……ああ、そうか。



 結界を編むすべを持たずとも、瘴気に侵されることなく「狭間」に留まる事が出来たのは、聖女への想いが「天竜の意思」となって、小さな娘を包み込んでいたからだ。ウシュリアより受け継がれた正統な血脈こそが、天竜の加護なのだ。浄化の青白い光を放つ守護の石と共に、聖女の血が「天竜の子」を守り続けて来たのだ。

 母から天竜の加護を引き継いだ少年は、これから先もずっと「狭間」の虚空を見つめながら、逢いたいと願う者の声に耳を傾けるのだろう。

 「果ての世界」への旅立ちは、終わりではないと知っているから――


 ロスタルの瞳の奥で冷たい炎が輝き始めた。



 ……ならば、俺はその姿を、この獣の瞳で見つめ続けよう。かつて「狭間」で出逢った少女の姿を見つめ続けたように。

 愛する者を奪われるばかりの人生だと思っていた。

 だが、そうではない。人の子として生まれ、大切な妹と、心から愛する娘にめぐり逢う幸運を与えられたのだ。

 そして、今また、お前にそっくりなあの子を前にしては、心まで「魔」に堕ちる訳にもいかぬだろう……なあ、ファラン? 

 俺は、何度、お前に救われるのだろうな……



 まるで燠火おきびほむらを解き放つように、ファランへの想いがロスタルの胸の奥で再び燃え上がった。



 果ての世界。

 「狭間」の最果ての、その先にあるはずの、全ての魂が辿り着く場所。ロスタルが愛し見守り続けた娘の魂は、もうそこに辿り着いたのだろうか。

「『二つ頭』がそこに行くまで、まだ時間があるな。ならば……」

 薄青色の瞳をまぶしそうに細めて、悪戯っぽい微笑みを浮かべる。

「その間に、ファラン、お前をこの手に奪い返すか」


 白い妖魔は虚空を見上げ、炎の色の娘の温もりを心に想いながら、「狭間」の彼方に消えた。




〜最果ての、その先に〜 了

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