処刑の朝

 夜の闇がまどろみを覚え、黎明の光が目覚める頃。

 左腕に双頭の火竜の刺青を持つ黒髪の少年は、領主の居城の一角にそびえ立つ望楼の小窓に腰掛けて、真下に見える中庭を見つめていた。


 なんだ、思ったほど高くはないな。これなら……


 地上では、かがり火があちこちにともされ、燃え上がる炎が中庭を照らし出している。中庭の中央に作られた急ごしらえの処刑台は、首を固定するための台座がぽつんと置かれているだけの粗末なものだった。

 その前方に張られた豪奢な天幕。

 人の生き死にを余興に、高みの見物というわけか。なるほど、貴族らしい。


 中庭を囲む塀は、シグリドの背の二倍ほどの高さ。中庭自体は大して広くはない。塀に沿って等間隔に常緑樹が植えられている。

 中庭に通じる門は東西に一つずつ。そこに長槍を持った兵士が二人ずつ立っている。西の門を出て市街を突っ切れば、西の火竜が待つ城門にたどり着く…… 

 もうすぐ、夜が明ける。


 ふうっ、とため息をつくと、シグリドは明け切れぬ夜空に向かって指笛を鳴らした。この城のどこかにいる兄に届くように。


 必ず行く、待っていてくれ、と。



***



 処刑台に向かうシエルの隣を歩いていたロスタルが、ふいに頭を傾けて耳を澄ませた。


 ……近いな。


 城内に潜んでいるのは分かっていても、完全に気配を消してしまった「二つ頭」を追う事はザラシュトラには出来なかった。


 それはそうだ。術師ごときに「二つ頭」がのこのこと捕まるわけがない。あれは「魔の系譜」と同じくらい厄介な生き物なのだから……


 くっくっ、とロスタルが不気味な笑い声をあげると、周りにいた護衛達は驚いて恐る恐るロスタルの方を振り向いた。

「ダルーシュの時といい……シエル、お前の弟は本当に俺を楽しませてくれる」

 シエルはちらりとロスタルに視線を向けると、素知らぬ顔で静かに口を開いた。

「ディーネはどうしている?」

 ロスタルの顔が、一瞬、苦悩に歪む。

「案ずるな。あれには俺がいる。お前と過ごした日々など、すぐに忘れる」


 そうであって欲しい。これ以上、余計な苦しみは与えたくない……ただ一人、心から愛する女性と共に生きる道を選ばず、弟の命を選んだ事を思って、シエルの心がきりりと痛んだ。

 もうすぐ、夜が明ける。そうすれば、この傷みも終わる。



***



「ここに着くまでにお前を奪い返しに来るかと思ったが、当てが外れたな」

 処刑台の所定の位置にシエルを導くと、ロスタルはまるで別れを惜しむかのように片腕をシエルの肩に回し、耳元に顔を近づけてささやいた。

「安心しろ、シエル。お前の可愛い弟をザラシュトラには決して渡さぬ」

 シエルの肩がぴくり、と動いた。

「この手で、『果ての世界』に……お前の元に送ってやる」

 氷色の瞳の奥で、凍える炎が揺らめいた。


 後手に縛られ膝立ちのまま、天幕の方を静かに見つめる空色の双眸は、月色の娘の姿を探していた。が、どこにも見つからない。


 ……良かった、ここには居ない。ディーネに耐えらるはずのない自分の最後を見せずに済む。


 愛しい人を心に描いてシエルが美しく微笑んだ。その妖艶さに魅入られた貴族や兵士達が思わず、はぁっ、と息を呑んだ。



 天幕の下に座し、焦点の定まらない目で虚空を見つめる領主の背後で、ザラシュトラが、ぎりりと歯軋りした。


 ああ、殺すには惜しい男だ。気高く美しい火竜の民。この男も良い器になったであろうに……まあ、あの黒髪の火竜が我が手に堕ちるのならば、致し方ない犠牲だが。


 女術師の横で、ロスタルは地面に突き刺した剣の柄に両手を置いて、シエルをじっと見つめていた。


 ディーネは決して俺を許さないだろう。それでも、俺と共に生きるしかないのだ。今までも、これからも……呪われたのは妹ではなく、人の心を失いかけている俺の方だ。


 ロスタルの心の中で、声にならない声が響いた。


『誰か、終わらせてくれ……』


 それにしても……ロスタルはもう一度目を凝らしてあたりの気配を探る。護衛の兵士に身を偽って中庭の闇の中に紛れ込んでいるアスランを見つけた。だが、シグリドの気配は全くない。


 一体、あの火竜はどこに隠れている?



 西の空に一筋の光が射す。

 ザラシュトラが、処刑台のシエルの両脇を固めている兵士達に何事か合図すると、兵士の一人がシエルの頭を台座の上に乗せようと、乱暴に蜂蜜色の長い髪を掴んだ。

 シエルの口から空気を吐き出す鋭い音が漏れた。

 次の瞬間、素早い動きで頭突きを食らわされた兵士のあごが砕かれ、鮮血が散った。思わぬ抵抗にひるんだ兵士の膝を、シエルは前方から容赦なく蹴りつけた。ばきっ、という鈍い音がして、兵士は悲鳴をあげてシエルの足元に崩れ落ち、膝を抱えてのたうち回る……


 馬鹿めが。

 たかが刀鍛冶師とあなどるからだ。火竜の民の男ならば、身を守る術くらい幼い頃から叩き込まれている。ぬくぬくと甘やかされて育った貴族の若僧とは違うのだ。

「本当にあの兄弟は面白い」

 ロスタルは、にやりと口元を歪めた。



 中庭の暗がりでその様子を見ていたアスランは、目を丸くして驚いた。

 あの温厚なシエルにこんな一面があったとは……火竜の民、恐るべし、だな。

 中庭を埋める兵士達は動揺の色を隠せないでいた。ぽかりと口を開けたまま、動けずに呆然と処刑台を見つめている者もいる。

 そりゃそうだ、これは子供のお遊びの練習試合じゃない。本物の命のやり取りだ。このまま、戦意を失ってくれれば良いのだが……そう思いながら、アスランは少しずつ処刑台の方に移動を始めた。



 体制を整えて立ち上がり、天幕の中にたたずむ女術師を睨みつけたまま、シエルが口を開いた。

「恥を知れ、ザラシュトラ。何人なんぴとたりとも、我ら火竜の民にこうべを垂れさせる事など出来ぬ。愚かな策略で我らに仇なすならば、千夜の果てまでも我らの影に怯えるがいい」

 女術師の整った顔が、一瞬、醜く歪んだが、すぐに妖しげな微笑みを取り戻した。

「では、お望み通り終わらせようか、火竜の刀鍛冶師殿」

 そう言うと、処刑台の兵士に向かって何事かつぶやいた。

 シエルの背後で、兵士がゆっくりと剣を振り上げる。人間の知性を剥ぎ取られた獣が、金色に輝く獣の瞳でシエルを見据え、舌舐めずりする。

 アスランがそれに気づいて走り出した。

「ああ、くそっ……間に合わん!」



 どこからか、ひゅうっ、と風を切る音がした。

 刹那、シエルめがけて振り上げられたはずの剣が、がらん、と音を立てて獣の手を離れ地面に落ちた。


 目を見開いて立ち尽くしたまま、獣の兵士は背後から首を「火群フラムベルク」に貫かれていた。がくん、と両膝が力なく折れると、緑色の血を散らしながら倒れ込んで動かなくなった。

 中庭のあちこちで恐怖に駆られた悲鳴が上がった。震える手で剣や長槍を構えると、兵士達は見えない敵を見つけようと辺りを見回した。

 動揺する兵士達の間をすり抜けて、アスランは一気に処刑台に駆け上がった。倒れている獣の身体からフラムベルクを引き抜くと、シエルに駆け寄り両手にかけられた縄を切った。

「よう、シエル。良い動きだったなあ、見惚れたぞ!」

 縄目が残る手首をさすりながら、シエルは弟の姿を探した。

「アスラン……シグリドは?」

「さてな」

 笑いながらシエルに目配せすると、望楼がそびえる方角に向けてフラムベルクを投げ上げた。


「受け取れ、シグリド!」



*** 



 望楼の小窓に足をかけて、処刑台の兵士めがけてフラムベルクを放つと同時に、シグリドは手を大きく横に広げて、すうっと大きく息を吸った。そして……


 飛んだ。

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