「おい、シグリド。お前、まさか正面から堂々と城に入るつもりか?」


 シグリドから手渡されたシエルの衣服をまとったアスランが、目の前を行く黒髪の少年に話しかけた。 

「だったら何だ?」

 シグリドは振り返りもせずに答えながら、城の正門に向かって歩みを進める。

「待て待て! こんな夜更けに、火竜の傭兵なんぞが現れたら、騒ぎになるだけだぞ」

 アスランは呆れたように声を荒げると、足早に駆け寄ってシグリドの横に並んだ。

「暴れようなどと思わんでくれよ。正門の目と鼻の先は兵舎だ。騒ぎを起こせば兵士達が詰め寄るぞ」

「そいつらを皆殺しにされては困るか、アスラン?」

 痛いところを突かれて、アスランは言葉に詰まった。



 朝稽古に無理やり付き合わされたお陰で、戦場を知らない若い貴族の子弟が多くを占めるこの城にまともな兵力などわずかしか残っていない事を、シグリドは見抜いていた。

 アンパヴァールは大陸の果てにある。数ある王国が領地争いにしのぎを削る中、戦略的に何の意味も持たぬこの辺境の砦に目を向ける者など、無きに等しい。故に、我が子を立派な戦士にするために戦場に送り出すなど、この城塞都市の貴族達は考えもしない。

 レンオアムダールの目と鼻の先にあるこの砦には、火竜の民も多く移り住んでいる。城塞を守る傭兵の中に多くの「火竜」がいるこの地に武力侵攻すれば、武装都市レンオアムダールが黙ってはいないだろう。



 皮肉なものだな、とアスランは思った。

 かつて火竜の民を監視するという名目で築き上げられた砦が、今ではその庇護なしでは生きられぬとは。

 シグリドやアスランのように幼い頃から戦場を生き抜いてきた者にしてみれば、脆弱ぜいじゃくなこの城の守りなど悪い冗談でしかなかった。

 「二つ頭」の火竜ならば、この城を落とす事など訳ないだろう……アスランはそう思って身震いした。


 突然、シグリドが立ち止まり、夜空を見上げて耳を澄ませる。

 遠くで鳥のさえずりがまた聞こえた。それに応えるように、シグリドが指笛をならす。

 アスランはずっと昔、傭兵仲間から聞いた「火竜のさえずり」という言葉を思い出した。暗号化された音色ねいろを使い分け、遠く離れた仲間と意思疎通を図る火竜の技だ。

 子どもらしく振舞う事を決して許されなかった少年の心が泣き叫ぶかのように、シグリドの指笛の響きは悲しく切ない。


 生きていれば、俺の息子もこいつと同じ年頃だな……


 わずか十七歳にして、あり得ない程の傷を心と身体に負い、無愛想で笑顔とは無縁の少年に、亡くなった息子の面影を探してしまうのは、父として息子を守れなかった罪の意識からか。

 この少年が奪われた子供時代を少しでも取り戻してやりたい。この少年の心からの笑顔を一度でも見てみたい。それがアスランの切なる願いだった。

 「さえずり」が途切れると、月明かりに照らされたシグリドの顔が厳しさを増すのを、アスランは見逃さなかった。



 実戦経験のない形ばかりの護衛に守られた城を落とすなど、シグリドにとって造作もない。ただ……


 シエルさえ捕らわれていなければ。

 あの白い妖魔さえいなければ。

 ザラシュトラの防御の結界に阻まれなければ。


 ……問題だらけだな。

 考えろ、シグリド。


 城内でアスランを襲った化け物じみた護衛達がどれだけ闇に潜んでいるのか分からない以上、うかつには動けない。

 西の火竜のさえずりは、「谷」がシグリドの要請を退しりぞけた、助けは来ない、と告げた。そして、すまない、とも。


 なるほど。自分が蒔いた種は自分で刈り取れ、という事か。

 長老達はアンパヴァールの領主を敵に回す事を良しとしなかったのだろう。シエルを差し出して事なきを得るつもりか。「谷」を守るための「の尻尾切り」は今に始まった事じゃないが。

 まあ、良いさ。今までだって俺はずっと一人で戦って来たんだ。

 

 さて、どうする?

 考えろ、シグリド……



***



 夜半を過ぎてひっそりと静まり返った城館の正門は、赤々と輝く松明の光に照らされていた。その側に二人の門兵が長槍を構えて立っている。

「あいつら、呑んでいやがるなぁ。まったく……」

 領主の息子が殺されたばかりだというのに、緊張感の全くない新兵を見て、アスランは思わずため息をついた。

 若い門兵達を見つめるシグリドの瞳が、冷たい輝きを増す。

「やはり正門からで正解だったな。俺は何度となくここを通って城内に入っているから、いまさら防御の結界に阻まれる事もないだろうし」

「それはそうだが……酔っているとはいえ、門兵達は黙って通してはくれんぞ。」

 シグリドはアスランの方を振り向き、にやりと妖艶な笑みを浮かべた。

おとりに使わせてもらうぞ、アスラン・ティシュトリエン大隊長殿」



 街で怪我を負ったアスランに偶然会うまで、シグリドは夜襲を掛けてでもシエルを取り戻すつもりだった。

 だが、アスランが居れば話は別だ。この男の地位を利用すれば城内に入る事など訳ない。兵士を束ねる大隊長を足蹴にする者など、この城塞都市においてシグリドくらいなのだから。


「止まれ! 身分と名を……」

 そう言いかけた門兵が、あっ、と小さく叫んでアスランに向かって敬礼する。

「だ、大隊長殿! 失礼しました!」

 おいおい、声が上ずっているぞ……アスランは心の中で呆れながらも、わざと不機嫌そうな顔をして声を張り上げ、睨みを効かせた。

「おいっ、お前達! 城を守るべき門兵が酒の匂いを漂わせているとは良い度胸だな」

 門兵の一人が、ひいっと小さな悲鳴を上げて最敬礼した。

「も、申し訳ございません!」

 緊張に顔を強ばらせながらも、少し不服そうな声を出す。

「で、ですが……大隊長殿こそ、こんな夜更けに、その……ええっと……そちらのお連れの方は?」

 そう言いながら、アスランの陰に隠れているシグリドをちらりと見た。


 そこには、すべての気配を封印し、穏やかな美しい顔に妖しい微笑みを浮かべて門兵を見つめる少年がいた。


 ああ、これはまた……化けたな。シエル顔負けの妖艶さじゃないか、さすが火竜の民。


 アスランは思わず苦笑した。

 艶めく黒髪を肩に流した絶世の美女と見紛うほどの少年に見つめられて、門兵は口元を緩ませて口ごもる。

「お、お連れの方の、み、身分と用件を……」

 アスランはシグリドの腰に腕を回してぐっと引き寄せると、もう片方の手で愛しそうに頰から唇をするりとなぞった。

「無粋なことは聞くな。こんな時間に風流の花を連れ帰るとしたら、用件は一つしかないだろう?」

 門兵達が石のように固まったのを見て、もう一度、凄みを利かせる。

「勤務中の飲酒は厳罰に値する。覚悟しておけよ。お前達の上官は誰だ? 今すぐ……」 

「だ、大隊長殿、どうぞお通り下さい! 我々は何も……見ておりません。夜半にお一人でお戻りになったと上官には伝えておきます!」

 アスランの言葉をさえぎって、門兵の一人が道を開けて敬礼した。

「ほお、そうか。ならば今夜のことは俺も見なかったことにしよう。だが、二度目はないぞ?」

 そう言って、もう一度、若者達を睨みつけると、まるで高貴な姫君にするようにシグリドの手を取って城門をくぐり抜けた。

 そのまま自室へと向かうアスランの後ろ姿を、複雑な面持ちで見つめる二人の門兵が後に残された。



「ああっ、くそっ!」

 アスランは頭を抱えて寝台に倒れ込んだ。

「明け方までに、俺が夜半に男を寝所に引き入れたことが兵舎中に知れ渡っているぞ! ああ、何てこった……」

 その様子を傍目はために、シグリドは黒髪を首の後ろで無造作に束ね直すと、部屋の中に何か仕掛けられていないかと目を凝らして歩き回っていた。

 呪詛のようなものも特に見つからず、ザラシュトラの手がアスランにまで及んでいないことを確信すると、ようやく長椅子に腰掛ける。

「男色など貴族の間では物珍しくもないだろう? 独り身でいる真っ当な理由が出来て良かったじゃないか」 

 シグリドは先程までの妖艶さを微塵も感じさせない無愛想な顔を、歳上の男に向けた。

 容姿も性格も申し分なく、街を歩けば娘達が頬を染めて見つめるこの男が、いまだに愛人の一人さえ作らずにいる事自体が謎なのだ。

「そうか……なら、いっそ俺に抱かれてみるか、シグリド?」

「……斬られたいか、アスラン?」


 ああ、いつものアスランだ。工房で眉間に皺を寄せ、蒼ざめた顔で何やら思い詰めていた時と比べれば、軽口を叩かれる方がよっぽど良い、とシグリドは思った。



***



 城内は驚くほど静まり返っていた。

 傷を負った方の肩をかばいながら、アスランは足早に地下牢へと向かった。途中、何人かの獣の眼をした護衛にすれ違ったが、特に咎められることもなく、いつものように軽い会釈を受けただけだった。


 何かがおかしい。

 地下牢に引っ立てられるシエルを救おうと、あれだけ切り捨てたはずの化け物じみた護衛のむくろも、アスランの兵士達の遺体も、流されたはずの血の匂いさえもきれいに消し去られていた。

 それどころか、その場所でつい先ほど戦いがあったという事実さえも忘れ去られているようだった。


 シエルが捕らえられているという事実は、確かに本物だった。

 二人の看守が地下牢に続く廊下で行く手を阻むように立っていた。アスランを見てちょっと会釈する。

「囚人と話しをしたいのだが」

 看守達は困ったように顔を見合わせると、一人が決まり悪そうに口を開いた。

「申し訳ありませんが、誰にも会わせるなとの命令です」

「命令? 誰のだ? 領主殿か?」

 びくっと身を震わせた看守がアスランを困ったように見つめる。

「……ロスタルか?」

 看守の沈黙が、アスランの読みが当たっている事を物語っていた。

「ロスタルはザラシュトラの護衛であって、お前達の上官ではない。この城の護衛官長は誰だ?」

「……ティシュトリエン大隊長殿です」

「だな。なら、その俺がもう一度言うぞ。囚人と話しがしたい」

 看守は渋々道を開け、アスランを通した。

「扉を開けろ。中で話す」

 看守がまた困った顔をしてアスランを見つめた。

「……申し訳ありません。鍵はここにはありません」

「またロスタルか? まったく……」



 地下牢の床に片膝を立てて座り込み、背中を壁にもたれかけて、眼を閉じたまま眠っているようにも見える若者の姿は、この場にそぐわぬ凛とした美しさを備えている。遠目から見ても、一目でそれとわかる気高さも失われてはいない。

 アスランの気配を感じたのか、シエルはゆっくりと眼を開けた。

「アスラン」

「おう、無事か、シエル? 悪いな、こいつらは当てにならん。ここから出してやろうと思ったんだが」

「同じ提案をロスタルにもされたが、断ったよ。僕の事は良いから、弟に今すぐこの城塞都市から……いや、『谷』からも離れて身を隠すよう伝えてくれないか?」

「おい待て。なぜあの男がお前を逃がそうとする?」

 もっと近くに来い、とシエルが手招きするのを見てアスランが鉄格子にへばりつくと、シエルは押し殺した声でささやいた。

「すべてはあの女術師が仕組んだ事だ。ダルーシュも、僕も、シグリドをおびき出すための捨て駒なんだよ」

 

 アスランは呆然とした。


 ……ザラシュトラ!


 おそらく領主の病もあの女の仕業だろう。城の主を傀儡くぐつとして操り、兵士達を何らかの方法で得体の知れない化け物にし、ロスタルを使ってシエルを捕らえさせた。


 しかし、なぜシグリドなんだ? ザラシュトラとシグリドの接点など皆無なはずだ。


「アスラン、シグリドを頼む。あれはお前になついているし、ああ見えて愛情に飢えているから。そばに居て、見守ってやってくれないか」

「……は? おい、何を言ってるんだ、シエル。そりゃ、死地に向かう戦士の言葉だぞ。縁起でもない」

 シエルは静かに微笑んでアスランを見つめた。どこか神々しさまで感じるたたずまいに、アスランは思わず魅入られた。

「『果ての世界』で待っている、と伝えてくれ。僕は早朝、処刑される」



 果ての世界。

 「狭間はざま」の果ての、その先にあると言われる全ての魂が辿り着く場所。

 ……そんな世界にシエルを行かせてたまるか。


 アスランはふつふつと湧き上がる怒りを胸に、地下牢を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る