奪われて

 夜の静寂しじまにシグリドの指笛が響き渡る。しばらくすると、遠くで鳥の鳴き声にも似た音がした。


 東からひとつ、北からひとつ、最も「谷」に近い西からふたつ……たった四人か。夜警に就いている「火竜」は少なからず居ると踏んでいたのだが。

 ……さて、どうする?


 もう一度、音色ねいろを少しずつ変えながら指笛を鳴らす。それに応えるように、火竜達の「さえずり」は夜の闇を何度もこだました。

 工房の武器庫で見つけた防御用の短剣と新しい「火群フラムベルク」を腰帯に挿し外衣を羽織ると、シグリドは夜の闇に包まれた街に出た。

 はやる心を抑え、冷酷な戦士の気配をまとった「二つ頭」の火竜は、領主の城に向けて静かに歩き始めた。



 何が起きているのか、どうすれば良いのか……考えろ、考えるんだ、シグリド。

 切羽詰まったようなアスランの声から、シエルが前触れもなく捕らえられたのは明白だった。だが、なぜだ? 

 領主の息子を傷つけたのはこの俺だ。シエルは指一本触れていないし、アスランが言ったように、あの一件は既に片が付いているはずだ。逆恨みだとしても、温厚で誰からも好かれるシエルを捕えたところで、もともとかんばしくないあの若者の評判が地に落ちるだけだ。

 第一、何かの拍子で城内で捕らえられるような失態をさらすなど、常に冷静沈着な兄に限ってあり得ない。領主にとっても腕の良い刀鍛冶師は貴重な存在のはずだ。


 東の火竜の「さえずり」が妙にシグリドの心に引っ掛かっていた。

『領主の術師に用心しろ、あれは危険だ』

 確かにそう告げたのだ。

 堅固な結界を築き、領主の傍で城塞都市を守り続けてきたザラシュトラは類稀たぐいまれなる才能を持つ術師だと聞く。近年、病床に伏せる事が多くなった領主の名代みょうだいとして城を預かり、跡取りであるダルーシュの教育係も務めているという。ただ、この女術師の出自がはっきりしないのだ。


 現在の領主が若くして父親の跡を継いだのはシグリドが生まれる少し前のことだ。それから数年後、どこからかともなく見慣れぬ女術師がアンパヴァールの街に現れた。二人の美しい「魔の系譜」を連れて。

 まるで何かに魅入られたかのように、若い領主は彼女を城に招き入れた。父親の代から長年仕えてきた城付きの術師をいわれもない謀反むほんの罪で処刑すると、領主は周囲の反対を押し切って女術師を後継者として迎え入れた。


 当時、先の大隊長の下で城の警護を任されていたアスランも、理解し難い領主の言動に苦言を呈した一人だったそうだ。アスランがザラシュトラを良く思っていないのはそれ故だろう。

 自分の生まれ故郷でもない土地を命がけで守るには、それなりの確固たる信念が必要だ。アスランの場合、傭兵として当てもなく彷徨さまよっていたところを拾い上げ、目を掛けてくれた大隊長に対する恩義がある。

 昼日中でさえ、魔の眷属と死の気配が漂う城館に君臨するザラシュトラの信念はどこにあるのだろう。



 ふと、シグリドは足を止めた。

 血の匂いだ。

 背後に何者かの気配を感じた瞬間、振り向きざまにフラムベルクを素早く引き抜き、弧を描くように振り上げた。


 ……くそっ、外した!


 刃先が相手の肌をかすめたが、瞬時に身体をらせて攻撃を交わされた。が、相手はそのままバランスを崩して地面に倒れ込んだ。

 「火群フラムベルク」に肉を切り裂かれれば止血が難しく、わずかな傷でも命取りになる。が、今のはあまりにも浅かった。シグリドは息つく暇もなく相手との間合いを詰めると、その息の根を止めるためにもう一度剣を振り下ろした。


「シグリド、せっ! 俺だ!」

 聴き覚えのある声に、喉元を掻き切る寸前、シグリドはぴたりと動きを止めた。

「……アスラン?」

 危うく殺すところだった、と心の内の焦りを隠し、一向に立ち上がろうとしないアスランをよく見ると、外衣の左肩が引き裂かれて真っ赤に染まっている。それだけではない。どす黒い返り血らしきものを全身に浴びている。

「……酷いな。立てるか?」

「いや……すまんが、シグリド、手を貸してくれ。今のは傷にひびいた」

 いつものアスランらしからぬ口調で苦しそうに言葉を吐き出した。



***



 ちょうど夜警に就いたところだった。

 城門に向かうアスランを遠くから呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、血相を変えてこちらに走ってくる幼い少年が何やら叫んでいる。

「アスラン様、大変です! お師匠様が……シエル様が警護の者達に捕らえられて! どうかお助け下さい!」



 信頼の置ける兵士を数人引き連れてアスランは大急ぎで鍛冶場に向かった。が、シエルの姿は既になかった。

 その場にうずくまって呆然としている鍛冶師達に話を聞くと、突然現れたダルーシュの護衛とローブ姿の気味の悪い戦士達に連れ去られたと言う。

「ダルーシュ様を殺害した容疑で、シエルを地下牢で尋問する、と言っていました」

 一人の鍛冶師が震える声で告げた。


 ダルーシュが殺された? 

 だが、何故、シエルを……?


 亡骸の横に落ちていた金銀の短剣がシエル所有の物だったらしいが、それだけでは捕らえるに足りる証拠とは成り得ない。アスランは困惑しながらも、地下牢の方へと急ぐ。と、前方に長いローブ姿の護衛達が見えた。彼らに囲まれるようにして後手に縛られたシエルがいた。

「おいっ、待て! シエルを何処へ連れて行くつもりだ? 尋問ならば護衛官長の俺が執り行う!」

 剣に手を掛けながらアスランが叫ぶと、護衛の一人がこちらを振り返った。いつも顔を覆っているはずの布が外され、その素顔が松明の光に照らし出された。

 

 どんよりとした獣の瞳。うっすらと開いた口元に不気味に光る牙のように長い犬歯。長いローブの端に見え隠れする長い鉤爪のついた手足……アスランはその顔に見覚えがあった。数ヶ月前に姿を消した若い兵士の一人だ。


 一体、これは……何だ?


 目の前に居るのは人の姿を取ってはいるが、気配は血に飢えた妖獣そのものだ。人と獣を掛け合わせたようなこの生き物に、人としての知性は欠片も感じられない。


 どうしてこんな事が……?


 アスランの脳裏に、多くの使い魔を従わせる女術師の顔が浮かんだ。

「ザラシュトラか……あの女、何をした?」



 突如、見知った男の顔を持つ魔物が、人ならざる声を上げてアスランに跳びかかって来た。その声につられるように、他の魔物達も獣の雄叫びを上げながらアスランの後方にいる男達に襲い掛かった。


 ……速いっ!


 剣の腕ではアスランの足元にも及ばないが、獣の敏速な動きがアスランを振り回す。

 魔物は自身の鋭い鉤爪と牙で獲物を狙った方が割りに合うと理解したらしい。手にしていた剣を地面に投げ出し、アスランの身体を鉤爪のついた手で引き裂こうと何度も跳びついてくる。その動きに足を取られ、よろめいた瞬間、アスランの左肩に燃えるような激痛が走った。


 鋭い刃で切り裂かれたような傷を左肩に負いながら、アスランは手負いの獣の本能で、自分を襲った魔物を斬り捨てた。

 だが、数が多すぎた。斬り捨てるはなから新手の魔物が現れるのだ。あっという間に兵士達が魔物の餌食になっていくのを横目で見ながら、アスランは剣を振るい続けた。

 シグリド、あいつならシエルを力尽くで奪い返すだろう……その思いがアスランを突き動かした。

 次々と襲い来る魔物を剣でなぎ倒しながら「伝令!」と叫び、すぐ側の空間からぐにゃりと現れた金色の目の妖獣の首元を荒々しく掴むと早口にまくし立てた。

「伝達! 火竜のシグリド・レンオアムダール……おいっ、めろっ!」

 魔物の一人が何を思ったのか、シエルに剣を向けたのだ。

 

 が、次の瞬間、その魔物の首が緑色の血しぶきを上げて宙を舞った。

「刀鍛冶師には手を出すな、とあるじに言われなかったか? 愚かな獣よ」

 魔物の血が滴る剣を手に、ロスタルは闇の中から歩み出て、崩れ落ちた魔物の身体を冷ややかに見下ろすと、その上に剣を投げ落とした。

 そのままシエルの方へ歩み寄り、その腕をぐいっと掴む。

「翔ぶぞ、シエル。少しの間、息を止めておけ」

 言うが早いか、驚いた表情のシエルと共に闇の中に吸い込まれて消えた。


「ロスタル、待てっ! くそっ……何が何だか……シグリド! シエルが捕らえられた!」

 後に残されたアスランの声がむなしく響いた。

 

 

***



 シエルの工房にアスランを連れて戻ると、シグリドは薬棚からありったけのアキレアの葉と精油を取り出して、長椅子にぐったりと倒れ込んでいるアスランの手当を始めた。

 アキレアは「兵士の傷薬」と呼ばれる薬草で、止血と傷口を固める効果がある。 鳥の羽根のように柔らかく細かく切れ込みの入った葉を、殺菌と鎮痛作用のある薄桃色の花から創られた精油に浸して、傷口を埋めるように塗り込んでいく。

 刀傷の絶えなかった幼いシグリドのために、シエルが「谷」の治癒師に教えてもらった治療法だ。ちょっと前まで、戦場から戻るたびにこの花の甘い香りに包まれていた事をシグリドは思い出した。


 傷口をすっかり覆った薬草の上に当て布をし、肩の動きを封じるように布でぐるぐる巻きにした後、意識のないアスランの口を無理矢理開かせて、かなり強い気付けの酒を流し込んだ。

 ぶるっと身体を震せて、ようやくアスランが目を覚ました。驚きで見開かれた瞳に命の光がしっかりと宿っているのを確かめて、シグリドは安堵した。

「らしくないな、アスラン。傷口をふさぎもせずに動き回るなんぞ、自殺行為だ」

 生粋の軍人としての教育を受け、若い頃は傭兵として大陸中を渡り歩いたアスランの事だ。そんな事はシグリドに言われなくても重々承知のはずだ。それでも動かずにはいられなかったのだ。

「……すまん、シグリド。シエルを奪われた」

 いつもの陽気な男の片鱗すら見えず、眉間にしわを寄せて厳しい表情のままで低くうなるようにつぶやいた。



 シグリドは、ふと外に耳を傾けて窓を開けた。どこかで鳥の鳴き声がした。それに応えるように指笛を鳴らし、しばらく夜の闇を凝視する。

「……シグリド?」

 名前を呼ばれてアスランの方を振り返った若い「二つ頭」の顔に、不敵な笑みが浮かんでいる。


「気にするな。奪われたのなら、奪い返せば良いだけだ」

 取り戻す。必ず、この手で。

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