でも、女装を着けて
大村あたる
でも、女装を着けて
時は十二月二十四日、クリスマスイブの午後十一時。場所は某ランドの高級ホテル。こんな日にホテルにいるなんて、と石を投げつけようとしている諸君、どうか落ち着いてほしい。今の状況は君らが羨むようなそれじゃないから。
たしかに現状、部屋内には僕を含めて二人しかいないのは確かだし、近くのかごには無造作に脱ぎ捨てた女物の服があって、僕は既に下着のみになっている。ここまでは皆が羨むようなシチュエーションで間違いない。おかしくない。
隣にいるのが男で、そいつもパンツ一丁じゃなければ。
ああ、神様がいるなら殺してやりたい。どうしてこんな日に、こんな状況を押し付けられねばならなかったのか。それを知るにはまず、一ヶ月ほど時をさかのぼる必要がある。
…………
丁度一ヶ月前、つまりは十一月二十四日。最近推薦入試によって一足早く受験生活から脱した僕は、周りにいる受験真っ盛りな同級生を尻目に、授業が終わると一目散に帰宅した。勿論受験勉強中に溜めこんでいた”あれ”を、思う存分消費するために。合格が決まるまでの期間は本当に内臓が食い破られるかと思う程のストレスがかかっていただけに、この時間は僕にとって幸福そのものと言ってもよかった。
家に帰り自室へ駆け込む。窮屈だった制服を脱ぎ散らかし、そのまま壁際のクローゼットへと向かう。
中にあるのは色とりどりの女性ものの洋服。
そう、僕は女装が趣味だ。だからといって、別に男が好きなわけじゃないけど。
自分で言うのもなんだけれど僕は中々に女らしい身体つきをしていると思う。そのせいで中学の時は散々オカマだのなんだの馬鹿にされたし、所属していた手芸部ではたびたび試着の道具にされた。最初はそれが嫌で仕方なかったのだけれど、何度か女性ものの服を着ているうちに、段々と女装が楽しくなっている自分に気が付いた。
なにせ普通に学生服で生活していると散々馬鹿にしてくるのに、女装している間だけはそいつらが掌を返したかのように褒めたたえてくるのだ。快感にならないほうがおかしい。クラスでボスみたいな顔をしていた田中なんか、普段は「女男」と馬鹿にしてくるくせに、女装した僕に手を握られただけで顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。
高校に入ってからは演劇部に入り女性役を配役されるよう努力した。自分から言い出すとどう考えても変態なので、普段から積極的に女性らしい態度をとるようにし、主に女性の先輩方の玩具になるようにした。幸い僕は男性にしては珍しく変声期がなかったこともあって、毎回のように女性役を当てられ、表面上はいやいやながら仕方なく、という体裁を保ったまま、大勢の前で女装ができるようになった。
演劇部での女装は僕を更なる沼へと引きずりこんでいった。中学の頃は手芸部だったために格好だけだったが、高校では演劇用の女装であるため、自然と女性らしい所作を身に着ける必要があったからだ。それまでやっていたのはあくまで「男から見た女性らしい所作」だっただったが、女性の先輩方から直々に女性らしい所作を叩きこまれ、少なくとも舞台の上では、僕は完全に一人の女性として完成されていた。
そんな趣味をこじらせて、今では家でも女装をするようになってしまった。ただし勿論自宅でのみだけど。
クローゼットの中へと手を伸ばし今日の衣装を慎重に選んでいると、玄関のチャイムがピンポンと鳴った。今家には僕しかいないので仕方なく、衣装選びを中断して箪笥の適当な男物の普段着をひっつかみ着替える。さっさと着替えてから玄関へ向かい、ドアスコープから訪問者を確認する。扉の前にあったのは懐かしい顔。歳の離れた従兄だった。とりあえず鍵を開けて中へ迎え入れる。
「よぉ、久しぶりだな。元気そうでなにより」
せっかくの時間を中断された僕は苛立ちを隠さずに従兄に答える。
「こんにちは、兄さん。今は親父もお袋もお姉もいないから、そっちに用件あるならさっさと帰ってね」
「いやいや、お前に用があったんだ、ちょうどいい。実は今日はお前に一つ頼みがあってな……」
いきなり知り合いから「女装をしてくれ」なんて頼まれて、驚かない人間がどれだけいるだろう。しかもいつもは生真面目そうな従兄から。少なくとも僕は驚いたし、一刻も早くこの場から立ち去らなければ、と思った。従兄は僕の趣味を知らない……はずなんだけど。
足早にリビングの扉へ向かう僕の肩を、従兄がその大きな手でつかんで引きとめた。僕の手なんかより大きな、ゴツゴツとした従兄の手。
「おい待ってくれ、面食らうのは分かる。だが落ち着いて最後まで話を聞いてくれ」
「面食らうだけですんだらそいつは大層できた人間だと思うよ、兄さん。この手を放してくれないかな?」
「いや放さない。頼む、俺にはお前が必要なんだ。話だけでも、な?」
そうやって無骨な顔をくしゃりと歪め、従兄は今にも泣きそうな顔で頼み込んでくる。僕が女だったらつい「いいわ、なんでも頼って!」とか適当なことを言って逆に落としにかかりたいシチュエーションかもしれないが、あいにく僕は男だ。そんなことでは僕の息子はピクリとも動かず、よって性欲よりも自分の利害で物事を考えることにする。
「あのさ、誰だって男から『女装をしてくれ』なんて頼まれたら、まず一目散に逃げようとすると思うんだ。分かるかな?」
「うん分かる。だから話を聞いてくれ」
駄目だ。何も通じていない。
「なぁ頼むよ、これでも方々聞きまわって、もうお前しか残ってないんだ。小遣いだって奮発しよう。な、話だけでも」
「……いくらさ」
「五万は出そう。最後までうまくいったら追加報酬もある、とりあえず聞いてくれたら千円やろう。悪い話じゃないだろ?」
「……まぁそれなら」
社会人四年目の従兄にとっては大した額じゃないのかもしれないけど、高校生の僕にとって五万はとても魅力的な額に思えた。おまけに今月は衣装代で、出費がかさんで直近の千円でも十分嬉しいところだ。けっして従兄のすがるような目に翻弄されたわけではない。金のため。そう、金。
「……で、見栄を張って後に引けなくなったと。情けなくないの、兄さん」
「いやぁ、俺もそう思う」
照れたように笑う従兄に僕はため息を吐くしかなかった。
要は偽装彼女になってくれという話。なんでも先日大学の時の同期と会った際、彼女がいるいないの話になったそうだ。周りの同期のほとんどが彼女がいると言ったのに合わせてつい従兄も彼女がいる、と言ったところ、「じゃあ今度彼女自慢も兼ねて皆でクリスマスデートをしよう」という話になったらしい。
……話の流れで分かると思うけど、従兄に彼女はいない。顔は悪くないと思うんだけど、妙なところで生真面目で、そのくせ見栄っ張りなところが女性受けしないのだと、以前家に来た従兄の友人から聞いた。
「とりあえず話は分かったよ、残念だけどその話はムリ」
「そう言わずに、人助けだと思って。去年の演劇の女役、他の女子たちより女らしかったぞ」
なるほど、演劇の際の女役を見てのオファーだったらしい。どうせ人前でやるから同じだろう、とか思っているのだ、この従兄は。こういうのを素で言うところが女性受けしないのだろう。男から「お前は女らしい!だから今度人前でデートしてくれ!」と言われて、「ワぁ嬉しい!喜んで女装しちゃう!」とか即答する男がいたら、そいつは一度、脳のレントゲン写真でも撮ってもらったほうがいい。
「大体なんでそんな女らしいとか言ってる僕が最後なわけ? もっと女装の似合う男でもいたの?」
僕は少し怒りながら従兄を問い詰める。「他の女子より女らしかった」という言葉自体は役者として、そうあくまで役者として、嬉しくないわけじゃなかったけど、自分よりも女らしかった男がいる、というのは少し癪だ。
「いや、男はお前が最初だぞ。女連中にも声はかけたんだが、皆クリスマスは彼氏と予定があるの、とか言われてあっけなく振られてな……。もう女性の知り合いにはあらかた声はかけ終わったし、お前以外の男友達はどうやっても女に見えない奴らばかりだし。それでお前が最後だったんだ」
「え」
ちょっと戸惑う。そして照れる。なにそれ聞いてない。「女装の似合う男でもいたの?」とか嫉妬丸出しのセリフを投げておいて、まさか自分以外の男には声掛けてないと返されるとか予想してなかった。つまりなに、この従兄認識だと、僕は女性と同じところにいるってこと?
「あ、あー、なるほどね、うんうん、なるほど。そりゃそうだよなー。いやー、そんなにせっぱつまってるなら仕方ないなー。……あ、でもほら、僕服持ってないしなー、服代とかメイク代も用意してくれるなら考えて上げちゃうんだけどなー」
舞上がってつい受ける方向に返事をしそうになったので慌てて方向転換する僕。落ち着け、女装なんて他人に見せるものじゃないはずだ。
「ああ、それぐらいなら別にいいぞ。どうせ独り身、使い道がなくて余ってた金だ、見栄と意地っ張りの為にそれくらいなら出すさ」
「……いや、やるなら高級ブランドのでないとねー、やる気がねー、起きないからねー。僕ってほら、形から入るタイプだし?」
「いくらぐらいかかるんだ?三十万とかなら余裕で出せるが?」
何故この従兄こうもノリノリなんだ。そして金払いがいいんだ。三十万も出したら大抵のものがそろってしまうじゃないか。
……こうなると自分から条件を出してしまった以上、身を引きづらくなってしまった。
「……んー、やー、それなら仕方ないかなー、ほら、お金が出るんならうん、仕方ないかなー。服はこっちで見繕っておくからさー、お金だけ後で請求するからほら、今日のところはそれでってことで」
幸いにもそれ相応以上にお金は出るようなので、仕方なく受けることにする。いやー、ほんと仕方ないなー。服は既存のから選べばいいし、その分お金はいるからって理由があるから仕方ないかなー、うん。
そんな僕の心中も知らず、従兄は無邪気に僕の答えを聞いて喜んでいた。
「おお!そうかそうか引き受けてくれるか!いや、お前に断られたら本当に後がなかったんだよ、よかったよかった!」
断られたら、とは言っているが、この調子だと従兄は両親が帰ってくるまで居座るつもりだった気はする。なにせあれだけ金額を高めに言っても食いついてきたのだ、ちょっとやそっとの条件じゃ引き下がるような状況ではなかった。
とりあえずの返事で従兄を追い返した後、自室に戻り深い溜息を吐いた。墓穴を掘ったのは間違いなく自分とはいえ、あんな懇願を受けてしまったのはやはり間違いだったんじゃなかろうか。
後から考えればクリスマスなのだから「予定がある」、と一蹴すればよかったのだろう。だけど残念なことに、今年は彼女に振られたばかりで何の予定もなかったし、従兄の言いだしたことの衝撃があまりに強すぎて、言い訳を考えている余裕はなかった。自己中心的な人って嫌い、という理由でフってきたあの彼女をもう少し大事にするんだったと、今更になって考えた。
気を取り直してクローゼットに向かう。今日の衣装を決めなければいけないのもそうだが、一か月後にに迫った偽装クリスマスデート用の服装も決めなければならない。
そんなに意気込む必要もない、適当な服装で恥をかかせてやればいいのだ、とは思わないでもない。けれどそれで恥をかくのは従兄だけじゃない、僕もだ。なにより僕のプライドが中途半端な格好など許さなかった。人に見られるのだ、完璧な女性を演じきらねば。
まず従兄は社会人であることを考慮するべきか。いつもは同い年である高校生の女性の役を演じることが多いが、今回はそれだと従兄の嗜好が疑われかねない。ただ問題としては、僕は大人の女性の格好やしぐさが分からない。幸いにも今回は一ヶ月ほど時間がある。役作りから始めるために僕は軽い財布を握りしめ、まずはいつも通りに演劇部のOGの方々にメールを始めた……。
…………
ところ変わって今は当日、十二月二十四日の朝。僕は待ち合わせ場所の某ランド前に着いていた。時間はきっかり十五分前。ファッション雑誌の頭の悪そうな記事から学び、この時間なら彼女っぽいであろう、という結論に至ったからだ。早く会いたいため普通は十分前らしいが、従兄にベタ惚れしている、という設定の今の僕なら更に五分ほど早く来るのが正しい彼女というものだろう。正直金は先払いでもらってるから帰ってもいいのだけど、後が怖いから仕方なく来てる。そう、仕方ないなー。
今日のコーディネートはメイクからウィッグから服からブーツまで全て、いつも女装用の衣装を作ってくれる姉に決めてもらった。四つ年上の姉は僕と真逆でとても背が高く、それゆえに女性らしい格好がしづらい。それが抑圧になっていたようで、僕の女装を知った今では喜んで協力している。いつもは演劇用では舞台上なのでさして気にならないが、実際対面する距離まで近寄るとなると男とばれやすい箇所が随所にあるので、ウィッグもメイクもいつも自分でやるよりもより念入りにおこなってもらった。
演技指導はいつも通りに演劇部のOGの方々に。理由を話さずに指導を受けようとしたら理由を執拗に問われたため、仕方なく話したところしばらく室内に不穏な雰囲気が広がっていた。いつもは阿呆ほどたるんだ空気なのに、今回に限っては不気味なほど丹念な指導が行われた。
そんなこんなで今の僕は、他の女性からお墨付きが出るくらいには女性になりきっていた。着いてから五分ほどたつと他の女性(おそらく他の男性のデート相手)たちも集まってきたが、そつなく会話をこなすことができた。OGの方々にはあとでメールで一方的に軽くお礼のみ言っておくことにしよう。
従兄を除いた男性陣は時間ピッタリに着いたが、従兄は少し遅れるとの連絡があったため入り口でしばらく待機していた。男性陣は着くなり僕を見て驚き、待っている間にやれ「あいつにはもったいないくらい可愛い」だの「いつの間にこんないい人摑まえたんだあの甲斐性なしが」だの、主に僕に対しての褒め言葉と従兄に対しての暴言が口々に飛び出した。僕のことを「可愛い」と褒めてくれるのは自分の努力が報われた気がして、それだけで今日は来たかいがあったなと思えた。褒め言葉が出るたびに女性陣からの目線が心なしかきつくなったことは言うまでもないだろう。
従兄は十分程遅れて到着し、僕の格好を見て心底驚いていた。驚かれた僕に対して失礼では、と僕自身が思うくらいには。あまりにも驚いていたため、周りに取り繕うのが大変だった。僕がボロを出す前に、この従兄のほうが先にボロを出すんじゃないかと、この時点で先行きが不安だった。
そこからの流れはおおむね順調だったので細かい描写はしない。
従兄は僕が近寄っていくたびに恥ずかしそうに視線をそらしてした。そのくせ口元は隠しきれないほどの笑みがこぼれていた。自分の体裁が守れたのがそんなに嬉しかったのだろうか。
かたや僕はボロが出ないようにすることに必死だった。途中手をつなごうとしたり腕を組もうとすると、そのたびに従兄がおっかなびっくりな態度をとるため苦労したのは言うまでもなく、ジェットコースターで抱きつこうとした際には避けられかけた(その際は無理やり掴んで引き戻し抱きついた)。いつバレるかとヒヤヒヤしたものだったが、周りから見ると「しっかり者の可愛い彼女とそれに怖気づいてしまっている小心者の彼氏」という構図に見えたようで、僕の気苦労を心配する声こそすれ、僕の性別を疑うような話はついぞ出なかった。
問題は夕方になり日も沈みかけたころ、某ランド名物の水しぶきのかかるコースターに乗った際に発生した。僕と従兄は運悪く一番前の席になってしまい、盛大に水をかぶることになったのだ。もちろん分かっていれば避けることもできたはずだが、あいにく僕は某ランドに来るのは今日が初めてで、並んでる時に聞いた話も「まぁアトラクションだし、そんなに盛大にかからないのだろう」と高をくくっていた。結果、衣装どころか中の下着までグシャグシャに濡れてしまい、降りてからはしばらくくしゃみが止まらないほど体に悪寒が走りっぱなしだった。もっとも姉はこれを予期していたようで、メイクはしっかりウォータープルーフのものを使ってくれいていたし、カツラも濡れてもばれないものを使用してくれていた。おかげで性別がばれるという最悪の事態だけはなんとか防ぐことができた。
「うぅ……、ビショビショだよぉ……」
「大丈夫?タオル使う?」
そう優しくタオルを差し出してくれたのは従兄……ではなく彼の友人A。彼氏であるはずの従兄は僕の姿を見てケラケラ笑っていた。なにしてんの。
「ありがとう……○○くんって優しいね」
「いやぁ、そんなことないよ。普通はタオルか、少なくともハンカチくらい持ってくるじゃん。あいつハンカチすら持ってきてないんだってさ。そのくせ彼女がこんな格好なのに、まともな心配ひとつせず笑ってるんだぜ。まったくあんなののどこがいいんだか」
「あはは……、仕方ないよ、そういう無邪気なところを愛しちゃったんだから」
空笑いをしながらお決まりの台詞で返答する。本音を言えばこの彼に心底同意したいところだが、あいにくと今の僕は従兄に恋する純情可憐な乙女。そんなそぶりを少しも見せてはいけない。
そんな僕の態度にあきれたように両手を肩まで上げて首を振る従兄の友人A。この人の方がよっぽど彼氏力が高い。僕が女なら間違いなく従兄なんて捨ててこの彼に乗り換えていただろうに。
「ま、濡れちゃったもんは仕方ないし。少し早いけど行くとしますか」
「え?どこに?」
「そりゃ決まってるじゃん、ホテルだよホテル」
…………? いや、まって聞いてない。今日はデートだけの予定だったはずでは……。
「いやー、この企画決まってから聞いたら二人とも"あれ"はまだだって聞くじゃん。なら僕たちでそういう場をセッティングしてあげようかなー、って。二人には秘密でここのホテル予約しといたんだ」
「えー、そうなんだ! 嬉しい……けど門限とか大丈夫かなぁ……」
どう考えてもありがた迷惑な申し出を必死で回避しようとする。いやまてこの格好で二人でホテルとか何をしろと。いや何も起きないはずだけど何をしろと!?
「大丈夫大丈夫、あいつには事前に確認とって、君のご両親にもOK貰ってるはずだからさ♪」
何してんのあの馬鹿親と馬鹿従兄は……。
僕との話を勝手に切り上げ友人Aは他の面子の元に駆け寄っていき、早めにホテルに入る旨を伝え回っていった。恨みがましげに従兄の方を見ると、所在なさげに視線をそらされた。あとで散々文句を言ってやる。
そして話は冒頭に戻る、というわけ。
脱ぎ散らかしてある服はつまり僕の服なわけで、やましいことなど何一つない。横にいる男とはつまりは従兄である。部屋に入ったきりベッドに座り込んだまま一言も発さず、しかもなんか嬉しそうにしてる。なんでだ。今ここに嬉しい要素なんて一つもないはずなんだが。
いつまでも黙っていても仕方ない。とりあえず従兄を問い詰めるところから始めよう。
「とりあえず、言い訳を聞こうか?」
「いやほら、あいつらが勝手にいい始めたことでさ、いやー、本当にやるとは思ないわけさ?俺も見栄はって『よし大丈夫だ、ご両親へは俺が話しとく!』とか大見得切った手前、断りづらくてまぁ仕方なくだな……」
「それでも事前に言えたよね? 大体チェックインのときに確認したけど泊まりなんだって? 僕明日のメイクも衣装もないんだけど?」
「え、そのままじゃダメなのか?」
「当たり前じゃん!」
もう本当に頭が痛い。衣装は濡れちゃってるから明日使えないし、メイクもシャワーを浴びたら落ちてしまうだろう。カツラだって今日一日使ったから汚れてるし、明日の朝同じ状態にまですることは不可能だ。こんなこと言ってるから女性にモテないんだよまったく!
「ああもうどうすんだよ。まずもってダブルベッドで二人で寄り添って寝るのなんて嫌だよ、そうするくらいならおとなしくソファで寝るからね僕は」
「え、俺とじゃ嫌か?」
「嫌かってまず男とがいいなんてやついないでしょーが!」
「え、あ、うん、そうだな……。はは……」
まって、なんでそこで悲しそうな顔をするの。話しの流れからしておかしくない? そこは笑って返すとこじゃない?
「俺は別にいいんだけどな、お前となら……」
「……は?」
なんかボソっと爆弾発言が飛び出してきた。え、今なんて言ったのこの男は。
「いや、お前ならいいと思ってさ。いつもだって他の女よりもよっぽど女っぽいし、今日だって可愛かったし。なあ、分かるか、今日本当に恥ずかしすぎて、お前と目も合わせられなかった俺の気持ちが」
一切分からない。というかなんで一人で急発進してるの。何故恋愛ムードにしようとしてるの。このシチュエーションで可愛かったって言われたのにはちょっとトキメかなかったわけじゃないけど、今までどこにも惚れる要素なかったよね?
「正直ガキの時分から可愛いな、とは思ってたんだよ。ただ男だって分かってたから流石に許されないだろと思ってた……。だけど久しぶりに高校の演劇の舞台お前を見たとき、『ああ、やっぱり俺はこいつのことが好きなんだ』って確信した。だから今回も誘ったんだ」
「いやいや、他の女友達を誘ったという話は」
「方便に決まってる。はなからお前以外を誘う気はなかったし、お前に断られたら仕方ないと思ってた。誘うきっかけは本当だけどな」
「とてもどうでもいい情報を最後に付け足してたけど、ようは僕とデートがしたいがために僕を騙したわけだ?」
「まぁそうなる。なぁ、そんな格好して来てくれたってことは、やっぱりお前もそっちの気があるってことでいいんだよな? ならいいだろ? 付き合ってくれよ」
とりあえず一つ分かったことは、この従兄が女性から好かれない理由はこれだろうということだ。一人で突っ走って相手の気持ちを考えずに動き、順序を省いて結果だけを求めるその腐った根性だ。
「あのね、僕はお金がもらえるっていうから来ただけだよ。兄さんのことは身内としてはよく思ってるけど、それ以上の感情は断じてない。僕は普通に女の人が好きだよ」
「金のためだけにそんな凝った女装をしてくるわけがないだろ? なぁ、俺を喜ばせたくてそういう格好をして来てくれたんだよな? そうじゃなきゃ下着まで女性ものにしてくる必要もないだろ?」
呆れかえるしかない。あれだけ金をちらつかせて頼んでおいて、理由を頭の中で書き換えてる。
「違うよ、全くの誤解だ。僕は日常的に家で女装をするのが好きで、そこにそれでお金をもらえるって話があったから乗っかっただけ。可愛いって褒められるの悪くなかったけどさ、別に男に好かれるのは好きでもなんでもないよ」
家族と友人以外にはバラしたくなかったしかたがない。こうでも言わないと納得してもらえなさそうなので、僕はおとなしく本心を話すことにする。
が、しかし。
「いいや、そんなはずはない、だってあんなに情熱的に誘ってきたじゃないか。俺が避けようとしたときだって強引につかんで離さなかったじゃないか。なあ、俺の愛を受け止めてくれるだろ、なあ?」
どう考えても最悪の展開だった。この従兄は恋の病とかいうどうしようもない病気にかかっているらしい。そういえば中学の時も田中もこんな風に勘違いしてきて告白してきたような気がする。
「だから違うって。僕は確かに可愛い格好をする自分が好きだし、そんな自分が褒められるのも好きだ。だけど別にそれを言ってくれるのは誰でもいいんだ。兄さんじゃなくても、兄さんの友人でも、だれでも。今日の行動だって、兄さんの彼女役として、精一杯可愛くあろうとした結果なだけだよ」
そういえば前の彼女にも同じようなことを言っけ。「自分のことしか見てないのね!」って言われて「そうだよ、僕は僕のことが好きな君が好きなだけだ。あとは単純に女性だから好きなだけだよ」って返したんだ。向こうから告白したのに向こうからフるなんて勝手な娘だなぁ、なんて思ったものだ。
「ほら! 今も俺の彼女であろうとしたって言ったじゃないか! なら俺に少しは気があるんだよなそうだよな!?」
でもこうやってフる番になると、やっぱり難しいのだなぁと痛感する。なにせ相手がまともに話を聞いてくれない。恋というのは人を盲目にする、というのを、改めて実感する。
そうやって話してる間に、いつの間にか従兄は僕にジリジリと近寄ってきていた。まずい、完全に押し倒す気だこれ。
「いやだからさ、ちゃんと話を聞こうよ兄さん? ほら、男同士でやっても何も産まれないからさ、ほら」
「いや、愛は生まれるさ! まずは今夜じっくり体を重ねて話そうじゃないかあっ!」
そういいながらついに従兄は僕の腕をひっつかみ、強引にベッドへと押し倒した。いやまぁそうなるよね、前の人もその前の人の時もこんな感じだったもんね……。
正直身内に奥の手を使いたくはなかったんだけどそうも言ってられないようで。しかたないと諦め、大きく息を吸い込む。
「ああ、ようやく俺の愛を受け入れてくれるんだね……」
息を吸った拍子にすぼんだ僕の口を、従兄はどうもキスの合図と受け取ったようで必死に唇をこちらへ近づけてくる。残念だけどそうじゃないんだ、ごめんね。
従兄の唇が重なりかけた瞬間に僕も息を吸い終え、行動に移る。やることは簡単。
吠えるだけだ。
「ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
まるで部屋全体を揺らすような僕の咆哮がまずは従兄の耳に、次に部屋中に、最後にホテル中に響き渡る。ごめん、"まるで"とか言ったけど実際に部屋揺らしたと思う。まず真っ先に、それも至近距離でその声を聞いた従兄はあまりの衝撃に頭を回し、僕に覆いかぶさるように倒れてきた。僕はとりあえずそれを避けて、従兄がダウンしているうちに足早にドアに向かう。流石に下着姿ではまずいので適当なバスローブをひっつかんで体に巻き、鍵を開けて外へ飛び出す。
あれだけの大声を出したので、当然のように外には何事かと駆けつけた人が五人ほどいた。中に従兄の友人Aもいたので、女声で「私にそんな気はなかったのに乱暴されそうになったんです、助けてください!」と言いながら両手で彼の手を握る。上目づかいで目を潤ませることも忘れずに。彼はすっかり騙されたようで、僕を抱き寄せながら周りに中にいる従兄を取り押さえるように勇ましく指示を出していた。とりあえずこれでいつも通りなんとかなりそうだ。最後の仕上げに「大事にはしたくないから、警察沙汰にはしないでください」と、頼んでおくのも忘れずに。
…………
あれから数日が経ったわけで、今は年末。僕は自宅のコタツに籠ってダラダラしていた。勿論女装したままで。
従兄はあのあとどうなったかというと、従兄の友人A~Cにボコボコにされたのち、その彼女さん達A~Cにこってりと説教を食ったようだった。おまけにその話が僕の母から従兄の母へ伝わったようで、実家に既に居場所がない状態らしい。全部伝聞形式なのは母から聞いた話だからで、まぁほじくり返す話でもないだろう、と思っているから。今回は話の入りが珍しかったのはあるけど、それ以外は僕個人で言えば特段珍しい話でもないのだ。
演劇部に入ってからは先輩方が守ってくれるため少なくなったけれど、男性から告白されるようなことはこれまでも何回もあったのだ。女と間違えられて襲われた時もあったし、今回みたいに男だと分かってなお襲われた時もあった。昔から声だけは大きかったので、そのたびにその異常な肺活量で助けを呼んでいたから、後戻りできないところまで行ったことは今のところない。ちなみに最初は中学の同級生の田中。
「あ、メール」
コタツの上に置いておいた携帯電話が、メールの受信を知らせるためにブルブルと震えた。誰からだろうとチェックすると、あの時助けてくれた従兄の友人Aからで、内容は今度の休みにデートでもしないか、という誘いだった。あの人彼女いるのにいいのかな。
正直女装で外に出たくなかったのはこういう事態が起こるって分かってたからだ。女装した僕は間違いなく可愛いし、先輩方が守ってくれた学内ならともかく、外に出て顔が知られれば間違いなく言い寄られることになるだろうから。
「んー、面倒だけど、あの人結構いい感じに褒めてくれるんだよなー」
多分従兄と同じ感じになるんだろうな、と思いながら、ポチポチと携帯をいじって「大丈夫ですよ。楽しみにしてますね」と返信する。
こんなことになるなら女装なんてしないほうがいい、と思わなかったわけじゃないし、両親や姉からも何度か忠言は受けた。でも僕は女装をし続ける。
今回だって金のため、なんてのはやっぱり嘘で。自分を見せつけられる場が用意された時点で、僕は行く気満々だった。
だってこんなに可愛いんだもの。チヤホヤされないほうが罪でしょうに。
でも、女装を着けて 大村あたる @oomuraataru
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