僕、卯城在人の場合。


 「……寒い」


 放課後の屋上はあの日と同じ、夕日の仄暗い朱に染まっていた。

 休校中は捜査のためやらなんやらで封鎖されていたらしいが、休校が終わると同時に開放したみたいだ。ここは昼休みにお弁当を食べるスポットとして人気だったので、生徒のことを考慮しての判断なのだろう。

 もっとも、あんなことがあったので、今日からいきなり近寄るような人はいなかったようだが。

 それは放課後になっても同じことで、ここには今、僕以外には誰もいないし、誰も僕のことを見てはいない。

 「…………」

 屋上のちょうど真ん中にあたる位置――僕は昨日、ここで彼女を待っていた。

 あの日は、李塔先生に頼まれていた用事を済ますために、皆が帰った後も学校に残っていた。全てを終えて教室に戻ってきた時、そこには彼女が立っていた。


 ――屋上で、待っててください。


 この時点で僕は、彼女に何を言われるのか、何を伝えられるのかに、気づいていた。

 僕がしていたのと同じように、彼女が僕のことを見ていたのは知っていたし、彼女の想いも……なんとなく察してはいたから。

 言われた通り屋上に向かっている間、僕はずっと、彼女への答えを――自分の想いを探していた。

 探して、探して、屋上に到着して、探して、探して、彼女が屋上にやってきて、探して、探して、彼女に告白されて――。

 結局――何も見つからなかった。

 「……違うだろ」

 そうじゃない。それは、僕のことを僕以上に考えてくれた幼馴染が、恥を覚悟で否定してくれた。

 見つけられなかったんじゃない。初めから、見つける気がなかっただけなのだと。


 屋上の隅まで歩いて行く。ここは、彼女が飛び降りた場所だ。さすがにここに近づかせるわけにはいかないのか、カラーコーンとテープで周囲を囲われていた。

 そんなことはお構いなしに、テープを乗り越えて柵をよじ登る。

 柵の外側は思っていたよりも広く、足場としては充分な幅があった。しかし、一気に視界が広がる浮遊感と、眼下には固い地面が待っている……という恐怖感のせいで、ちっとも安心できなかった。

 「彼女は……こんなところから飛び降りたのか…………」

 僕に、フラれたから。

 僕に、否定されたから。

 「結局のところ、誰も彼女のことを理解できてなかったんだよなぁ……」


 とある親友にとってのヒーローであり。

 とあるいじめっ子にとっての憧れであり。

 とある先生にとっての優等生であり。

 とある人気者にとってのライバルであり。

 とある幼馴染にとっての恋敵であり。

 学校中の誰もが見惚れるような完全無欠の存在は。


 ――それ以前に、ただの普通の、どこにでもいるような、恋に恋する女の子だったのだ。


 残念なことに、僕がその事実に気づいたのも、彼女が飛び降りたと知った時なのだけれど。

 「だって、そんなの、わかるわけない……」


 美人で、頭が良くて、運動ができて、人気があって。

 僕が気になっていた彼女が。

 僕が――好きだった彼女が。

 まさか、そんなにも、儚い存在だったなんて。


 気づけなかったのは、僕が自分に正直になれなかったから。

 何かが変わることを怖れ、何かを受け入れることを怖れた、一人の男の過ちのせい。

 自分勝手な選択が、彼女を、殺したのだ。

 「…………好きだった。僕は、好きだったんだ」

 確認するように、確信するように。

 呟いた言葉は、誰の耳にも届くことはない。

 届けるべきだったはずの彼女は、ここから身を投げたのだから。

 全てに絶望して。

 全てを手放したくて。

 それなら……僕も――


 「――――――死ぬのは、ダメだよなぁ」


 後悔することは山ほどある。正直な話、今の僕は、自分を殺したくて仕方がない。

 でも、ここで死んだところで、僕はあの世で彼女に何を言えばいいのか。「好きでした」と、今さらになって言えというのか。

 そんなことをしては彼女に失礼だし、彼女もそんなことは望んでいないはずだ。

 それに――これでも、彼女が好きでいてくれた自分なんだ。もっと大切にしないと、きっと彼女に怒られてしまう。

 それが、大好きだった彼女にできる、唯一の贖罪なんだと、そう思った。




 「これから、どうやって生きていこうかな……」

 毎日のように見ていた彼女の姿は、もう教室のどこを探しても見つかりはしない。

 また誰かを盗み見る……なんてことはさすがにしないが、何か生き甲斐を見つけなければ、気力を保っていられそうにない。

 とりあえず、結草さんが元気になるまで、委員長の仕事を手伝ってあげよう。

 楯加部にも、今回のことを機に、少しはいじめをやめないかと交渉してみよう。

 李塔先生はしばらく元気がなさそうだし、空回りしそうになった時は、助け舟を出してあげないと。

 先生になると言っていた八枯には、生徒の役でも申し出てみようか。

 そういえば、稟の好きな人というのを結局聞けずじまいだった。それもいずれ問い詰めないと。

 「うん……できることはいくらでもある」

 今は些細なことからでも。

 頑張って、生きていこう。


 柵を越えて屋上へと戻る。そろそろ暗くなり始める頃だ。校門の鍵も施錠されてしまうし、学校を出なければ。

 「自首は……しない方がいいか」

 直接的ではないとはいえ、彼女が自殺した原因の全ては僕にある。

 そのことを正直に伝えるべきかと悩んで、結局しないことにした。

 これ以上、李塔先生に迷惑をかけるのも心苦しいし。

 それに何よりも、彼女がそれを望まないと思ったから。「皆には言わないでください! 恥ずかしいです!」とか、文句を言われそうだ。

 「……そんな彼女の姿も、見てみたかったなぁ」

 きっと、とびっきり可愛かったに違いない。


 だから、その想いは、僕だけのものとして。

 大切に、大切に、心の中――僕が、いつでも思い出せる場所に置いておこう。


 「…………あぁ、くそっ。寒いなぁ」

 何も変わらない。誰も救われない。劇的なことなど一つもない。

 既に終わった物語を内側にしまい込んで。

 僕は、新しい物語を紡ぎ始めた。

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気になるあの娘が飛び降り自殺 人平 芥 @akuta2525

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