彼女、那奈代一深の場合。

 「わたしは……あなたのことが好きです」


 それは、わたしの初めての恋だった。

 最初に彼のことを意識したのは、ある日の授業が終わった直後、席を立とうとした時のこと。

 ふと、彼がこちらを見ていることに気がついた。すぐに目を逸らしてしまったけれど、確かに彼はわたしの顔を見つめていた。

 同じクラスメイトとして、ある程度は認識していたし、名前も一応は知っていた。でも、今まで一度も関わったことがない、喋ったことがない人だった。

 落ち着きがあって、そんなに自分を主張しないで、クラスの中だとあまり目立たない。

 ただ一匹狼というわけではなくて、クラスの誰とでも気兼ねなく話すことができる、一定以上の関係を築くことができる……そんな、不思議な人。


 それから、彼のことが気になるようになった。彼がわたしを見ていたように、わたしも彼の姿を目で追うようになった。

 彼は、気がつけばわたしのことを見ていた。何を考えているのかよくわからない表情で、わたしのことを観察していた。わたしは少し緊張しながらも、なんとか気づいていないフリをした。

 彼が、言音と話しているのを見た。会話は数分で終わり、おそらくはただ連絡事項を伝えただけなのだろうけれど……それでもやっぱり、何を話していたのか気になった。

 彼が、校内でも有名ないじめっ子と一緒にいるのを見た。何か因縁をつけられたのではないかと心配したけれど、意外にも仲が良さそうな雰囲気だった。

 彼が、李塔先生に呼び出されていた。悪いことをするような人には見えないけどなぁ……と思っていたら、すぐに戻ってきた。何か手伝いを頼まれただけなのかもしれない。

 彼が、八枯くんと一緒に下校していった。あの二人は、休みの日によく一緒に遊んでいるという話を聞いたことがある。……疲れないのだろうか。

 彼が、気の強そうな女の子に怒鳴られていた。誰なんだろう。もしかして、彼女なのかな? そうなのかな? ……でもでも、そんな風には、見えないよね? ………………。


 色んな彼を見た。

 色んな彼を知った。

 もっと彼を見ていたかった。

 もっと彼を知りたいと思った。

 いつの間にか、彼のことが気になって気になって仕方がなくなっていた。

 もっと、もっと、もっと。

 誰にも見せたことがない、誰もが理解していない。

 わたしだけの『彼』を見つけたい――!

 それがいわゆる『恋心』なのだと気づいたのは、いつのことだっただろう。

 会話の一つもない、お互いがお互いを盗み見るだけの奇妙な関係。

 それでもわたしは、自分の想いを素直に受け止めた。

 だって、初めてだったのだから。

 人を好きになることが、こんなにも心が弾むものだなんて、全然知らなかったのだから。


 ――彼が、同じ気持ちでいてくれたら。


 どうしても、そんなことを考えてしまう。

 欲張りだとは思う。今この時も幸せなのに、これ以上を望んでしまってもいいのかと。

 彼も、わたしのことを好きでいてくれたら……なんて。

 そう考えてしまったが最後――頭の中はその思考で埋め尽くされていた。

 そもそも、始まりは彼がわたしを見ていたことだ。

 一体、彼は何を思ってわたしを見ているのか。

 もしかしたら、彼もわたしのことを、知りたいと思っているのかな?

 わたしの気持ちを、知りたいと思っているのかな……?

 本当に、そうなのだとしたら――。


 放課後、人がいなくなる校舎の屋上に彼を呼び出して。

 先に待っていてくれた彼に向かって。

 わたしは、その想いを口にした。

 人生初の告白をした。

 わたしから伝えることで、彼の答えを――彼の想いを聞くことができると、期待したから。

 そう……わたしは、期待していた。

 断られるなんて微塵も考えずに、盲目的に、彼の好意を信仰していた。

 だから、彼が困ったような表情をして、非常に言いづらそうな様子で、とつとつと語った言葉を聞いた時――




 「……ゴメン。僕は、なんというか、その……那奈代さんのこと――好きなのかどうか、わからない」




 一瞬で。

 全てを失ったような気がした。

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