僕の幼馴染、五十鈴稟の場合。

 昼休みが終わり、さあ次の授業だと思った矢先のこと。

 「おい! 在人あると!」

 「……りん? どうしたの?」

 ズカズカとこちらに歩み寄ってくるのは、幼稚園からの僕の幼馴染――五十鈴稟いすずりんだ。腐れ縁というやつで、気づけば小中高とも同じ学校に通っている。

 「どうしたの、じゃねぇよ! なんでアンタ、来てんだよ!」

 「なんでって言われても……休校日はもう終わったし、休みじゃないなら普通来るでしょ」

 見ての通り、女子としてどうかと思うほど喧嘩っ早くて口調も荒い。さすがに暴力を振るうことはほとんどないが、昔はよく虐められたものだ。

 しかし、それにしても……怒っている理由がサッパリだ。学校に来ただけで悪いなんて、学生としてどうなんだそれは。

 「普通って在人……あぁ、もう! いいから来い!」

 「えっ、ちょっと、授業は!?」

 「アタシもサボるから問題ない!」

 「えぇぇぇぇ!?」

 次は李塔先生の化学――あぁ、後で散々文句を言われるんだろうなぁ……。




 連れてこられたのは、美術室だった。幸い、今の時間は使っていないようだ。

 「いいの? 勝手に入っちゃって」

 「バレなきゃ大丈夫」

 そう言うと、稟は椅子を二つ引っ張り出して部屋の隅に並べた。

 「ほら、来いよ」

 そのうちの一つに座って、ちょいちょいと手招きしてくる。

 いいのかなぁ……と少しばかり逡巡するも、既に授業は始まっている時間だ。今さら教室に戻るわけにもいかないと、仕方なくもう一つの席に座った。

 「……で? わざわざ授業をサボってまで僕を連れ出した理由は?」

 「あ? ……なんつーか、当たり前のように学校に来てて、何ともないような顔してる在人の顔を見てたら、なんかムカついてきてね。思わず引っ張り出しちまった」

 「えぇ……わけわかんないんだけど」

 「だからさぁ……好きな女子が死んだんだ。一ヶ月くらい休むとか、もっと落ち込んでるところを素直に見せてもいいって言ってんだよ」

 ――――――――――――。

 「はぁ…………」

 なんだかもう、反応するのも面倒になってきた。

 「……なんだよ。なんでそんな残念そうな目でアタシを見るんだ」

 「や、だってさ……何なの? 今日会った人全員から同じようなこと言われたんだけど。え? どうして? 僕、那奈代さんのことが好きだなんて一度も言ったことないよね?」

 最初は「あぁ、何か勘違いしてるんだな」と不思議がるだけで済んだのが、五人目ともなるといっそ不気味だった。

 「先生にまで言われたんだよ? なん……え? 稟はどうしてそう思うわけ?」

 「どうしてって言われてもな。アタシとしては、むしろなんでそこで否定するのかがわからん。結構露骨だったぞ、在人」

 ……困った、全く身に覚えがない。

 大体、僕は彼女とまともに喋ったことさえないのだ。それがどうして「露骨」だのなんだの言われなければならないのか。

 「いやさ。確かに那奈代さんのこと、少しは気になってたよ? でも、それは別に恋愛感情ってわけじゃなくてね?」

 「ばっか! アンタねぇ、男子が女子のことを『気になる』って言ったら、それはもう恋心以外あり得ないでしょーが!」

 とんだ偏見だった。幼い頃と変わらず、思考が単調で極端なままではないか。

 「あのねぇ、稟……。那奈代さんは、ちょっとした有名人なんだよ? 気にならない方が逆におかしいって」

 たとえば、八枯の場合。

 あの容姿のせいか、街中を歩いているだけでやたらと人の視線を集める。隣に並ぶのが恥ずかしくなってくるほどだ。

 存在感からして普通と異なっている人間というのは、少なからず存在する。何をするわけでもなく、他人の関心を奪っていくのだ。

 それは彼女にも当てはまる。彼女はとても目立っていた。皆の注目の的だった。僕が、その視線を向ける大衆の一人であっても不思議ではない。

 「だから、それはただの勘違い。僕は……那奈代さんのことが好きだったわけじゃない」

 「嘘だ」

 ――射殺すように。

 稟が、正面から僕を睨んでいた。

 「……なんでさ。嘘を言う理由なんてないでしょ」

 「理由の有無は知らん。けど、それが嘘だってことはわかる」

 ……あぁ、イライラする。

 どうして、そこまで否定するのか。僕が出した答えを、結論を、覆そうとするのか。

 「だってさ――」

 稟の口は動くのをやめない。

 言葉はそのまま放たれ、僕の耳に響いた。


 「だって在人の目――優しそうだったじゃん」


 ――――――――――――――は?

 「在人って昔から何考えてんのか全然わからなかったけどさ。那奈代を見てる時の在人はすごく優しそうな、大切なモノを眺めてるような目をしてるのが、すぐにわかった。尊敬するのと慈しむのは別物だろ? アレは単なる憧れなんかじゃない。那奈代のことが本当に大切だからこそ、在人は那奈代を見ていたんだ」

 「いや――――」

 そんなはずはない……のだろうか。

 なんとなく気になったから、僕は彼女を見ていた。

 仲が良いわけでもない、僕の名前を知っているのかすら怪しい彼女の横顔を、ふと目に触れた時だけ、静かに眺めていた。

 そこに、感情は存在しなかったはずだ。だって、気になるだけなんだから。窓の外、振り出した雨にしばらく目を奪われるようなものだ。

 大切だと思ったことなんてないはずだし、ましてや慈しんだことなんてないはずで――。

 「……はず、か」

 そうして。

 何一つ確信することができていない自分に気がついた。

 「ホント、不器用だな在人って」

 「え……?」

 「アンタはいつも、誰に対しても中立であろうとしてる。でもそのせいで、相手のことも自分のこともわからなくなってんだ。頭が悪いわけじゃないからそれでもある程度の推測はできるんだろうけど、それも自分から知ろうって思った時だけ。つまり、在人は自分の気持ちを自分から知ろうとしてない」

 「自分の、気持ち?」

 僕は、ちゃんと自分の意思を持っている。見て、聞いて、考えて、自分の意見を持っている。

 では、自分の気持ちとは何なのか……。

 「たとえば、だな……これはあんまり言いたくなかった話なんだが……。実はアタシ、好きな奴がいてさ」

 「えぇっ!?」

 今までの話が吹き飛びそうになるくらいの衝撃が走った。稟に、好きな人だって……?

 「でも、そいつは那奈代のことが好きだったんだ。だから、アタシは那奈代のことが嫌いだったし、若干憎んでもいた」

 「は、はぁー……」

 「で、だ。その『嫌い』ってのも『憎んでる』ってのも、アタシの正直な気持ちだ。ただ、ここで在人がアタシの立場だった場合――在人はきっと、心の中では嫌いだの憎いだの思っていても、決してそれを表面に持ってこようとしないで、奥底深くに沈めてしまう。自分すら気づかなくなるほど、深く深く」

 「なんで、そんな」

 「たぶん、相手に悪いと思うからだろ。ただし、自分だけ苦しむこともできない。中立じゃなくなるからな。――だったら、最初からその負の感情に気づかなきゃいいってことだ。そうすれば何も変わらない。自分は好きなまま、相手も好きなまま。ほら、対等だろ?」

 「そんな、メチャクチャな……」

 「……ま、これはアタシの勝手な憶測にすぎないんだけどさ。結局、在人の気持ちは在人にしかわからんし」

 「僕の……気持ち…………」

 気になる――その言葉に隠した、本当の想い……。

 それは、それは――。


 「ほんと、今さらだよなぁ……」

 考えたところで、もう彼女はいないというのに。


 「ん、なんか言った?」

 「……別に、何でもないよ」

 「そうか。それじゃあ、とりあえず話は終わりだ。引っ張り出してきて悪かったな」

 「あ、一応気にしてたんだ」

 「まあな。……それにしても那奈代の奴さぁ」

 と、稟は不意に忌々しげな表情を浮かべた。

 「なんかイイ感じの死に方してさ。ますますアタシの恋の先行きが悪くなるじゃないか」

 「……そういうこと、絶対に他の人の前で言わないでね」

 虐められるどころの話じゃない。下手すれば学校にいられなくなる。

 「別に言わないさ。……でもまあ、あそこまで敗けてるとさ。いっそのこと清々しく思えるんだよなぁ」

 ガックシと項垂れる稟。稟がここまで落ち込むの珍しい。よっぽどその人物のことが好きなのだろう。

 「なんというか、もう同じ女子って感じがしないんだよな。別次元の存在的な? 勝ってるところを探そうとしても、全然見つかりゃしない」

 稟は、僕のことを気遣ってくれている。普段なら、こんなに自分を悪く言ったりはしない。彼女のことを良く言うことで、僕を励まそうとしてくれているのだ。

 その心遣いはありがたかったし、実際に少し元気になれたのだけれど……。

 「――――フフッ」

 「ちょ、笑うなよな!」

 「ゴメンゴメン! 稟がおかしなこというからさ」

 「おかしいって……そりゃ那奈代に敗けてたことは事実かもしれないけどさ。だからって笑うことは――」

 「あぁ、そこじゃなくって」

 そう、むしろ逆であり――


 「稟も那奈代さんも――全然、ちっとも変わらないってこと」

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