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 ──日が傾いても戻らない二人を心配して屋敷を出たコウヤは、いつもの路地に入り込んだ途端にその光景を目の当たりにした。

 裏路地の奥に広がる血の海と、そこに横たわるひとつの身体。

 そして、力なく肩を落とし、呆然と血だまりにへたり込むひとつの人影。


 まったく、タチの悪い夢のような場面だった。

 だが、鼻を突く錆びた鉄の臭いが、これが現実だってことを厭と言うほど主張してくる。

 うろたえたコウヤが立てた物音に気づきでもしたか。

 人影はまるで、スローモーションのようにゆっくりと振り返った。


「ミズキ……」


 コウヤは、からからの喉から、苦労して声を絞り出す。

「一体、何があったんだ? イツキは……」

「ご主人様……」

 ミズキは、まるで夢でも見ているかのような虚ろな眼差しをコウヤに向けた。

「わたしは……」

 振り向いた少女の肩越しに、血だまりに横たわった少年の顔が見える。


 それは、コウヤにとって、ひどく見慣れた顔だった。

 大事な大事な、この世でたった一人の――。

 我に返ったかのように、コウヤは悲痛な声を上げた。


「イツキ!」


 コウヤはイツキに駆け寄ると、血だまりに膝をついてその身体を抱き起こそうとする。

 しかし。イツキは動かない。それどころか、弟の身体は既に冷たく固まっていて。首にぽっかり空いた大穴も既に乾きはじめ、黒く変色した血液がこびり付いてる。


「わたしは……」

 そんなコウヤの前。血だまりにぺたんと座り込んだ少女が壊れたように呟いた。

「わたしは……」

 感情の無い瞳で、古びた拳銃を両手で握りしめて。

「わたしは……」

「お前がやったのか!?」

 イツキの身体から腕を放すなり、コウヤはミズキへ掴みかかった。

「お前が、イツキをっ……イツキをっ……!!」

「…………」

「答えろ!」

「わたしは……」

 襟首を乱暴に掴んで揺さぶられても、ミズキは相変わらず、どこか遠くを見るような眼差しをしてる。

 だが。

「……わたしは」

 ややあって、ミズキはこくり、と頷いた。


「……わたしは、イツキを殺しました」

「~!」


 次の瞬間。

 激昂したコウヤはミズキの華奢な身体を突き飛ばした。


「畜生!」

 コウヤはそのまま、少女に殴りかかる。

「畜生! 畜生! 畜生! たかがロボットの分際で! よくもイツキをっ……! 俺の弟をっ!」

「……おとうと……?」

 ぼんやりと、ただされるがままになっていたミズキの表情に、初めて僅かな感情が表れる。

「ああ、そうだ!」

 そんな少女に全ての憤りをぶつけるようにして、コウヤは捲し立てた。

「イツキはロボットなんかじゃない! 人間だ! お前が殺したイツキは俺の弟だ! 大事な大事な、俺の弟だったんだ!」


「イツキは……人間……イツキが……」


 反芻するように繰り返すミズキ。

 血だまりに背を預けたまま、少女は傍らのイツキの屍体を見つめて。

 次に、手の中の拳銃を見つめて。

 そしてまた、イツキに目を向けて。

 そして。

 信じられない、といった口調で。呆然と。


「……じゃあ、わたしは、イツキを殺さなくても、良かったの?」


 呟くように、ミズキが漏らす。

 途端に。

 赤く腫れあがった少女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 不思議なほどに表情のない面の中、ただその瞳から涙だけが次々に滴り落ち、血だまりに波紋を描く。

 我に返ったかのようにはっと表情を緩めると、コウヤは少女から手を離した。


 ……コウヤのやつ、今になって、ようやく思い至ったんだろう。

 あんなに慕ってたイツキを、ミズキが好きこのんで殺す筈がないってことに。

 あたりを見渡し、血だまりの中ほどに落ちてたイツキの物じゃない帽子と、大量の血液を浴びた何者かが路地から這いずって逃げた跡に気付いて。

 コウヤはやがて、その場でいったい何が起こったか、おおよそながら理解した。



 結論から言えば、コウヤの推理は花丸つきの大正解だ。

 ミズキはロボットで、そしてロボットには、絶対に犯しちゃならない三つの掟がある。

 聞いた事があるだろ? ロボットにとっちゃ、何ものにも代え難い掟。その栄えある第一条と来たら、他のくだらない物なんて全て差し置いて、ロボットが守らなきゃならない最優先事項なんだ。


 人間を危険な目に遭わせないこと。もちろん、危険を看過することによって、結果的に危害を及ぼしちまうことすらNG。


 イツキはすでに、マサトに怪我を負わせてた。それはささいなものだったが、イツキが放とうとした次の弾は、おそらく確実にマサトの命を奪っただろう。

 だから、ミズキは動かざるを得なかった。

 イツキがマサトに銃口を向け、引き金を引こうとした瞬間。

 ミズキは自分の意思とは関わりなく、その絶対の掟に従ったんだ。

 つまり、ミズキはイツキの手から拳銃を奪い取って。

 イツキに向けて、その引き金を引いたんだ。


 ──ロボットであるイツキの暴走から、人間であるマサトを守るためにね。


 まったく、考えてもみろよ。この世でいちばん大事な人を苦しめた相手を守るため、この世で一番大事な人を殺さなきゃならなかったロボットの気持ちをさ。(これを悲劇と呼ばずして、いったいなんて呼ぶ?)

 血の海に膝を折って、ミズキは何度も、手にした拳銃の銃口をこめかみに押し当てた。けれど、どうしても、その引き金を引くことは出来なかった。

 当然だ。ロボットの自殺は禁じられてる。例の冷たい三つの掟で、明確に。

 だからミズキはただ、なすすべもなく、次第に冷えて硬くなってくイツキの屍体を見てたんだ。

 まるで、壊れたみたいに涙を流しながらな。

 


 

「ご主人様……」

 ややあって。ミズキは俯いたまま、静かに呟いた。

「わたしはジャンクだから、やっぱり、どこか狂っているようです」

 そっとイツキの顔に手を伸ばし、その頭を愛おしげに撫でながら、ミズキは瞳を細める。

「イツキは人間なのに、それでも、わたしはやっぱり、イツキが好きです」

 なのに、わたしは彼を殺してしまった……。そう独りごち、ミズキは頭を振った。

「本当に……わたしにも、よく分かりません。わたしの中に矛盾が多すぎて、壊れてしまいそうです」

 だから。

 複雑な色を湛えた顔を上げると、ミズキはコウヤに向かって、そっと、手にしたそれを差し出した。


 錆び付いた、古い拳銃。

 ミズキが言外に求めている行為。それを察してコウヤは目を見開くと、そっと首を横に振った。


「駄目だ」

「…………」

「そんなことは出来ない」

「…………」

 拳銃を掲げてコウヤを見つめる少女の眼差しはひどく真摯で、そして、ひどく悲しげだ。

 だが、コウヤはそんな少女の視線を真っ向から受け止めてなお、強い声音で命令する。

「馬鹿な考えは止せ。俺と一緒に家に帰るんだ。もちろん、イツキも一緒に。だから……」

「…………」

「俺の言うことが聞けないのか!?」

 厳しいコウヤの声。

 主人の命令。人間の命令。

 ミズキは絶対に、それには逆らえないはずなのに。

 それでも。

「……わたしは」

 ……まったく、なんてことだろう。


 コウヤの命令に、少女は静かに首を振ったのだ。


 薄い唇を開くと、囁くような声音で、ミズキは洩らした。

「わたしは、もう、壊れています」

「っ……」

 少しの間、逡巡して。

 コウヤは小声で悪態を付くと、ついに、少女の手から拳銃を取り上げた。

 コウヤの前で、少女は唇の端をぎゅっと持ち上げる。

「ありがとうございます。ご主人様」

 それは、ミズキが初めて、コウヤにだけ向けた笑顔。


 そして――最期の微笑みだった。


 ──薄暗い路地裏に銃声が響き、そして、静寂が訪れた。





 崩れ落ちる少女の身体は、イツキの身体に折り重なるようにして止まった。

 血だまりに拳銃を取り落とすと、コウヤはそのまま、まだ暖かなミズキの頬に触れる。

 どこか満足そうな笑顔。

 果たして彼女の魂は、再びイツキと会えるだろうか。

 ……会えるに、決まってる。

「どうして……」

 どうして、こんなことになってしまったんだろう。

 虚脱感に、コウヤは静かに肩を落とす。

 ミズキの身体からあふれ出した鮮やかな血は、イツキのそれと混じり合い、路地のアスファルトの上に薄く広がっていった。

 人間の血とロボットの血。

 まったく同じ色をした、二人の血液は、一見大差なく見えて。

 まあ、当然さ。それは成分的には、ほとんど同じ物なんだから。

 ただ、ある、一点を除いて。

「どうして……」

 二つの屍体を前にして。誰に言うとでもなく、コウヤはぽつりと呟いた。


「……人間とロボットの間には、たった一つの違いしか、なかったのに」


 ……あれ、言っていなかったっけ?

 昔の偉い科学者が作り出した、遺伝子に直接「本能」を書き込む技術。それを駆使して作られたのが、いわゆるミズキのような生体ロボット。

 すなわち、人間を隷属するように本能を弄られた、生まれながらの奴隷人種。……人権問題だって? そんなもの、今までだって経済的利益の前には容易にさんざん無視されて来ただろ?

 天が人の下に人を作らなかったから、人がそれを作った。まあ、つまりは、そういうことさ。

 このロボット達が世界から完全に居なくなるまでは、まだまだ相当な時間が掛かった。その間も、彼らの悲劇は暇なく続くんだが、まあ、それはまた別の話だ。


 え、何だって? ──ああ。そうだな。


 俺はね、ミズキはそれなりに、幸せな方だったんじゃないかと思うぜ。

 何せ、この世の中には、誰からも愛されず、ひたすら虐げられて消えていくロボットが、星の数じゃ追いつかないほど居るってんだから。

 本当に。まことに、遺憾ながら。


 ――まったく、ロボットの一生なんて、本当に、ろくなモンじゃあない。


<了>

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彼がロボットになろうとした理由(わけ) 左京潤(かざみまか) @105yen

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