「ずっとしあわせ」
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま、おいしかった」
読子さんとぼくは、それぞれ手を合わせる。
夕飯のメインはハンバーグだった。
読子さんの作るハンバーグは、おおきくて、やわらかくて、ジューシーで、おいしい。
「ね、ね、さっくん、小説のつづき、できた?」
読子さんは待ちきれないといったようすで、ぼくにたずねてくる。
「うん。そこに置いてあるよ」
ぼくはリビングのテーブルを指す。
テーブルの上には、プリントアウトして綴じた小説の続きを置いてある。
「それじゃ、さっそく読ませて! 洗い物は、おねがいしていいかな?」
「もちろん。お手柔らかに頼むよ」
「へへ、どーかなー」
読子さんは自分のぶんの食器を台所へ運ぶと、ぼくの書いた小説を取ってソファーに腰かける。
赤ペンを指先でくるくる回しながら、読子さんはページをめくりはじめた。
ぼくも自分のぶんの食器を台所に運び、洗い物をはじめる。
部屋の中に流れるのは、水の音、食器のぶつかる音、読子さんが紙をめくる音だけ。
ぼく洗い物をしながら、横目でちょっと読子さんのほうをみた。
今日の読子さんは、読子さんが自分のお気に入りだと話していた、ふんわりした桜色のワンピースを着ている。
読子さんはときに真剣な表情で、ときに楽しそうに、ときに難しい顔をしてページをめくり、赤ペンを走らせていた。
洗い物が終わり、最後にハンバーグの残りが乗ったお皿にラップをかけて冷蔵庫に入れると、沸かしてあったお湯で二人分のコーヒーを淹れて、読子さんの座るソファーへと運ぶ。
読んでいる最中の読子さんは集中しているので、話しかけないのがルールだ。
ぼくは読子さんのとなりに座ってコーヒーを飲みながら、読子さんが小説を読み終わるのを待つ。
……いつまでたっても、この時間には慣れないと、ぼくは思っていた。
「……うん!」
やがて、読子さんは、小説を読み終わった合図の声をあげる。
読子さんが手放した赤ペンが、からから音を立ててテーブルを転がった。
「ありがと。つづき、楽しみにしてるね」
言いながら、読子さんはぼくに、プリントアウトしたぼくの小説を返してくれる。
紙面のあちこちに赤ペンの書き込みが入っている。
読子さんは、誤字や脱字、わかりにくい表現や、ロジックがおかしいところ、テンポがよくないところをチェックしてくれていた。
「ううん……今回も、いっぱい直されちゃったな」
ぼくはたくさんの赤い書き込みを見て、苦笑いする。
「人間、じぶんだけじゃ気づけないこと、いっぱいあるよー」
読子さんはそう言ってちょっと笑うと、コーヒーカップをとって、口に運ぶ。
「はぁ、さっくんが淹れてくれたコーヒー、おいしー」
読子さんはぼくのとなりで、幸せそうにほっと息をついた。
ぼくはその顔を見てから、自分の小説に向き合う。
こんどは、ぼくのほうが集中する番だった。
ふだん、この時間のあいだ、読子さんはぼくに話しかけない。
けれど。
「ね、さっくん」
読子さんはぼくに声をかけた。おだやかな声。
ぼくは珍しいなと思いながら、手をとめて読子さんのほうを見る。
「ことばって、ふしぎだよね。意味の中心は確かにそのことばのなかにあるはずなのに、ほんとうに意味をつたえるのに大事なのは、そのことば以外の部分だったりするよね」
ぼくが黙っていると、読子さんはすこし、目を細める。
「『好き』『好きです』『好きだと思う』『好きかも』『好きだよ』『大好き』。中心はぜんぶ同じ『好き』なのに、『好き』以外のところが違うだけで、強さも、雰囲気も、伝わりかたがぜんぶ違う」
読子さんの口から出るたくさんの「好き」に、ぼくはなんだかむずがゆい気持ちになる。
その読子さんは、コーヒーをひとくちのんで、話をつづける。
「文字じゃないところだってだいじ。紙の大きさと文字の大きさ、行と行の間隔、禁則処理。紙で読むのと、モニターで読むのと、スマートフォンの画面で読むのとでも、ぜんぶ違う印象になる。ひとつのことばにいくつかの意味を持たせたり、身振り手振りもあわせて意味を伝えたり、ことばを削ることで意味をぼやかしたり。ちょっと思わせぶりに、してみたり」
読子さんはそこでちょっと、いたずらっぽい目をぼくに投げかける。
「……そんなことばをいっしょうけんめい使って、物語を紡いでく。お話を、気持ちを、世界を、伝えて、育んでいく。ていねいに使えば使うほど、ていねいに気持ちが伝わる……ほんとうに、素敵なことだなって、思うの」
「そうだね。……ちょっと、プレッシャーだけど」
ぼくが正直にそう言うと、読子さんはおかしそうに笑った。
それから、読子さんはカップを置いて、ぼくのほうへ向いて、すこし姿勢をただす。
読子さんの雰囲気がほんのすこし変わった。
なにか言うんだな、とぼくは察する。
だけど、それは、前みたいに緊張を産むようなものじゃなかった。
読子さんの桜色のワンピースとおなじ、ふんわりした笑顔で、ぼくを見る。
「さっくんの物語。さっくんの紡ぐことば、さっくんの伝える想い。さっくんの小説を、わたしはこれからも、楽しみにしてる。それでね? さっくんのつくる、さっくんの……さっくんといっしょに、育んでいけたら、わたし、きっと、ずっとしあわせって、思うの」
言いながら、読子さんは、じぶんのおなかのあたりにそっと手を置く。
とてもいとおしそうに、ほほえんで。
ぼくは、読子さんのそのしぐさを見て――
「……あ!」
ぼくが小さく声をもらすと、読子さんは、ほんとうにうれしそうな顔で、ぼくを見た。
読子さんはいつも思わせぶりで、きょうも、しあわせそうにほほえんでいる。
<おわり>
※”さっくんはまっすぐに小説執筆しつづける”に続きます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます