「だいじなことは、すぐにつたえて」

「すっごくおもしろかったね!」


 読子さんは興奮冷めやらぬ様子で、ぼくの向かいがわに座っている。

 これがぼくの書いた小説の感想だったら嬉しいのだけど、残念ながらそうではなくて、一緒に観に行った映画の感想だ。

 ちょうどお昼どきに映画は終わって、いまはオムライスの品ぞろえが豊富なファミリー向けのレストランで、注文した料理が届くのを待っている。


「うん、面白かった」


 ぼくは頷く。

 映画はたしかに面白かった。観たのはアニメオリジナルの邦画で、ふだんはテレビで放送されるくらい有名な監督の作品くらいしかアニメを観ないぼくにとっては新鮮な体験だった。

 料理が来るまでのあいだ、映画の感想や関連作についてあれこれ話している読子さんは、なんだかとてもきらきらしていた。



「ん、おーいしい!」


 読子さんはひと口めで、幸せそうにそう言った。

 運ばれてきたオムライスは、あつあつでとろりとした半熟のたまごの上にデミグラスソースがたっぷりかかっている、店の目玉のメニューだった。

 ぼくも同じものを注文している。ひとくち食べると、濃厚なたまごの味と、複雑に編み込まれたようなデミグラスソースの深い香りが口の中に広がる。

 ぼくたちはしばし、会話を忘れて食事に夢中になった。


「それで……ど、どうだった、かな? 書きなおした小説……」


 オムライスを四分の三くらい楽しんだあと、ぼくは読子さんに尋ねてみた。

 今日ももともとは、小説の感想をもらうために読子さんを誘っていた。

 映画は読子さんの「せっかくお出かけするなら」というリクエスト。

 ぼくにとっては、小説の感想のほうが主目的だった。


「ん……」


 読子さんは口元を押さえて、咀嚼しているのか、しばらくうつむいたあとに水を一口飲んで、ひとつ呼吸をする。


「うん、全部読んだよ」

「ほ、ほんとに!?」


 ぼくはすこし、身を乗り出す。

 うれしかった。

 けれど、読子さんの顔は、映画の話をしているときや、オムライスを食べていたときほど幸せそうじゃなくて、ぼくはすこし不安になる。


「それで……ど、どうだった?」

「うーん……」


 読子さんは、テーブルの真ん中を見つめて、じっと考えている。

 それから、まっすぐぼくをみて言った。


「さっくんの文章は、きれいになったとおもう」

「う、うん」

「でも……」


 でも、と言われて、ぼくはつばを飲んだ。

 読子さんは、しばらく悩んだあと、なにかを思いついたように、胸の前でぱん、と小さく手を打った。


「さっくん、わたし、デザートたべたいな」

「え……」


 お話が急にぼくの小説のことではなくなり、ぼくは面食らう。


「ね、おねがい」


 読子さんは両手を合わせてお願いのポーズをする。

 ぼくは了解するしかなかった。

 そのあと、読子さんは、残ったオムライスも幸せそうに平らげた。


 レストランを出て、読子さんがぼくの手を引いて連れて行ったのは、スイーツビュッフェのお店だった。

 ぼくはすでにオムライスでお腹がいっぱいになっている。

 読子さんもそんなにたくさん食べるほうじゃないと思っていた。けれど、読子さんは色とりどりのスイーツを前に目を輝かせていた。

「甘いものは別腹」というやつなのかもしれないと、ぼくは思う。


 ぼくは二人分のコーヒーを淹れて、テーブルで読子さんを待つ。

 読子さんは小さく切り分けられたケーキを四種類くらいお皿に乗せて、テーブルに戻ってきた。


「わがままきいてくれて、ありがと、さっくん」

「ううん」

「それでね、さっき途中にしちゃった、さっくんの小説の話」

「う、うん」


 ぼくは持っていたコーヒーカップをソーサーに戻す。 

 読子さんは、両手を膝の上において話しはじめる。


「決して悪くないと思うの。けれど、最初の事件が起こるまでが、退屈だった、かな」

「それって……」


 ぼくは自分の書いた小説を思い出す。最初に何人かの人物を登場させて、舞台の説明や会話を展開して、それから最初のイベントが起こり、物語は動き出す。


「文章は読みやすくなったし、さっくんの書いた世界のことも絵で見えてくるようになった。けれど、なかなか事件が起こらなくて、ちょっと退屈しちゃうの」

「……けど」ぼくは自分の小説を思い出して言う。「それまでの説明をちゃんとしないと、お話がわからなくなっちゃったり、しないかな」

「きっとだいじょうぶ。それよりわたしは、なにが起こるんだろう、ってすぐにわくわくさせてほしいな」

「で、でも、それは読んでいけば事件は始まるんだし、文章が大丈夫なら……」


 ぼくが反論すると、読子さんはテーブルの上のケーキのお皿をぼくのほうへと差し出す。


「さっくん、ひとつ、えらんで?」

「へ……」


 ぼくはお皿の上のケーキと、読子さんとを交互にみた。


「ひとつだけだよ? ね、はやく。さっくんが一番おいしそうだと思ったものを選ぶの」


 急かされて、ぼくはよくわからないまま、一番はしのショートケーキを選んだ。苺は乗っていなかったけれど、スポンジの層の間に少しだけ生クリームと苺が見え隠れしていたからだ。


「それ?」

「うん。苺、食べたくて」

「ふぅん?」


 読子さんはぼくの小皿にショートケーキを移してから、お皿を自分の手元に戻す。

 そして、残ったケーキのうちのひとつにフォークを入れた。真ん中から二つに分かれたケーキの中からは、大粒の苺が現れた。


「……あっ」

「ざんねん、あたりは、こっちでしたー。……はい」


 読子さんはフォークにさした苺を、ぼくの口元に差し出す。

 ぼくはどぎまぎしながら、それを食べた。……まだ若い苺なのかもしれない、甘さと酸っぱさが同居している。


「さっくんの小説は、このケーキみたいな感じ。面白いとこが奥のほうにあって、ちょっと見ただけではわからない」


 読子さんは残ったケーキのひとつを口に運んで、幸せそうににっこりする。


「小説……ううん、物語っていっぱいあるよね。それこそ、このビュッフェの品数なんかよりたくさんある。けど、さっくんもわたしも、一度に読める物語はひとつだけ。目のまえにたくさんの物語があったとき、さっくんはどういう基準で、物語を選ぶ?」

「……それは……」


 ぼくは言いかけて、はっと目を見開く。


「ね?」


 読子さんはやさしく微笑んでいる。


「いっしょに観た映画を思い出してみて。さいしょの五分くらいで、もうなにかが起こりそうな気配がしてた。もし、なにも起こらずに説明だけで二十分くらい経ったら、きっとわたしもさっくんも、ちょっと退屈に思っちゃうんじゃないかな」

「……うん」


 ぼくは手元のコーヒーを一口飲む。苦かった。


「それから、これはちょっと欲張りかもしれないけど、場面をもっと彩ってほしいなって、思う」

「……?」


 ぼくが首をかしげると、読子さんは続ける。


「その場にあるもので場面の雰囲気を表したり、キャラクターの感情を別のもので表したり。映画やアニメにお花が映ったら、その花の花言葉はきっとその場面を表してる。哀しいときのごはんの味はきっとおいしくは表されない。そんなふうに、キャラクターの言葉以外のもので、その場を表してみるの」

「それって、最初に直されたみたいに、文章が多くなっちゃったりしないかな?」

「もちろん、隠し味だから、上手にほんのちょっと混ぜて。そしたら、さっき食べたオムライスみたいに、一口でいろんな味を感じられるような文章にできるんじゃないかな?」

「な、なるほど……」

「おもしろいでしょ? 場面やそこにあるものに、上手に意味を含めるの。たとえば、男の人と女の人が食事をしているような場面が描かれているとしたら、それはベッドを共にしていることのたとえだったり、ね?」

「……ベッド、を」


 ぼくはそこまで言って、いまこの場の状況を思い出し、口をつぐんだ。

 読子さんは目を細めて、思わせぶりにほほえんでいる。


「ね、さっくん」


 読子さんは、ぼくをまっすぐ見てる。


「さっくんのお話、きっともっと魅力的にできるよ」

「……うん」


 読子さんは、黙って一つ頷いて、続ける。


「さっくん、わたしは、ひとりしかいないの。もし、ほかにもっと素敵に見えるものがあったら、そっちに行きたくなっちゃうかもしれない」

「……うん」


 読子さんの思わせぶりな笑顔。

 いつも見ているはずなのに、どうしてかぼくは目を離せなかった。


「だから、いちばんさいしょに、ほかのだれよりもはやく、つかまえて。だいじなことは、すぐにつたえて。ほかに夢中になっちゃったら、もう、遅いんだよ? だから」


 読子さんはそこで言葉を切る。

 ぼくは、そのあとの読子さんが、すぐに、小説の話だということを付け加えるだろうと思っていた。

 いつもみたいに。


 けれど。

 読子さんは、そのままぼくのほうを見て、やわらかく微笑んでいる。


 ぼくは。

 ……ぼくは。

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