「あなたのそれ、欲しいの」

「書きなおした小説……ど、どうだった?」


 ぼくは意を決してきいてみた。


 なおした小説を読んでもらうため、読子さんを夕食に誘っていた。

 場所は総合百貨店の上階にあるレストラン。

 窓の外はもう陽が沈んで、ビルや自動車の照明が眠らない街を彩っている。

 読子さんはナイフとフォークを皿の端に置いて、ナフキンでそっと口元を拭う。


「うん、前より読みやすくなってると思う。一文の字数も長すぎなくて、すっきりしてた」

「そ、そっか」

「うん」

「……面白かった?」


 ぼくがそこまできいたとき、ウェイターがぼくたちのテーブルへとやってきて、メインディッシュを手早く片付けていった。

 ウェイターが去るのを待ってから、読子さんは右手の人差し指をあごのあたりに当てて言う。


「ごめんなさい。最後まではまだ、読んでないの」

「えっ」


 ぼくが残念そうな顔をしたのをみて、読子さんはすこし困ったような顔をする。

 それから、窓の外を見ながらしばらくなにかを考えていた。

 ぼくが緊張したまま、読子さんのつぎの言葉を待っていると、読子さんはやがて、窓のほうを見たまま口を開く。


「読んでいる途中で、気になっちゃって……」

「な、なにが?」


 読子さんはぼくのほうを観る。


「『指示語』……かな」

「『しじご』……?」

「食後のデザートと、お飲み物をお持ちしました」


 ウェイターがやってきたので、そこでぼくたちの会話はまた中断を余儀なくされる。

 テーブルの上にはコーヒーとチョコレートケーキが置かれた。

 読子さんはウェイターに微笑みかけ、ウェイターは丁寧に頭を下げ「ごゆっくり」と言ってテーブルから離れていく。


「あの、指示語って……」


 ぼくは話を戻す。読子さんも再びこちらを向いた。


「指示語。これ、それ、あれ、みたいな言葉。さっくんのお話のなかでときどき出てくるんだけど、どれを指しているのかに迷っちゃって」

「わかりにくい……?」

「うん、ちょっと、ね」


 申し訳なさそうにそう言うと、読子さんはカップを手にとり、それからまたすぐにソーサーに戻した。まだ熱かったのかもしれない。


「指示語は、必要最低限にしたほうがいいかな。指している言葉に置き換えたほうが、読みやすくなると思う」

「で、でも……」ぼくは自分の書いた文章を思い出す。「それをすると、同じ言葉がなんども出てきて、飽きたり、読みづらくなったりしないのかな?」

「だいじょうぶ。それよりね、指示語がなにを指しているのかがわかりにくいままのほうが、困っちゃうの。さっくんの小説も、一生懸命考えながら読めばわかるの。だけど、指示語がなにを指してるのか考えてるとき、気持ちが物語から離れちゃう」

「う、うーん……」

「もっと、さっくんの小説に、夢中にさせて?」


 読子さんが目を細めてそう言ったので、僕はぞくぞくした。


「同じ言葉がなんども出てきてテンポが悪くなってしまいそうなときは、文章全体を直したほうがいいと思う、かな。すらすら読めるようにやさしくリードしてくれるお話が、わたしは好きだな」

「……がんばってみる」

「うん」


 読子さんはにっこり笑う。

 ぼくはいてもたってもいられなくなり、行儀が悪いと思いながらも自分のスマートフォンを取り出し、自分の文章を眺めてみた。指示語に注目しながら読んでみる。

 読子さんはそのあいだ、チョコレートケーキを食べながら幸せそうにしていた。


 読子さんのお皿が空になったころ、僕は読子さんに尋ねる。


「……指示語はゼロにしたほうがいいのかな。難しそうなんだけど」

「どうしても使いたいときは、できるだけ直前の言葉だけを指すように、工夫してみて」

「うーん……」


 ぼくが曖昧な返事をすると、読子さんは持っていたフォークを置いて、自分の唇を舌でちょっと舐めると、薄く笑う。

 読子さんのまとう雰囲気が変わっていた。妖艶な、挑発するような雰囲気。


「あのね、さっくん?」


 読子さんは、甘えるような声を出した。

 口の横に手を当てて、周りに聴こえないように、ちいさな声で続ける。


「あなたのそれ、欲しいの」

「は……えっ、な……」


 ぼくの心臓が跳ねる。

 ぼくが戸惑っていると、読子さんはにっこり笑う。


「ね? 指示語がなにを指してるかわからないと、集中できなくなっちゃうでしょ?」


 そうして、読子さんはぼくの手元のにある、ぼくのぶんのチョコレートケーキを指さした。

 ぼくはなにも言わずに、チョコレートケーキの皿を読子さんに差し出した。

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