読子さんは思わせぶりに小説指南してくれる

kenko_u

「熱くて濃いのが飲みたい」

「あ、メッセージ、届いた。このURLでいいの?」

「うん、一番下まで行けば次の章へのリンクがあるから」

「わかった。……わあ、十二万字。大作ね」

「ゆっくり読んでよ」

「そうするね」


 そう言って、テーブルの反対側に座る読子さんは、肩のまえに流れてきていた長い髪をかきあげると、スマートフォンの画面を見つめた。

 その画面には、僕が書いた小説が表示されている。

 読子さんの大きな目は、画面の上端から下端へと視線を流していく。

 細長い指が画面を下から上へスワイプして、再び、視線は上へから下へ。

 ……繰り返し。


 ぼくはおちつかない気持ちで、自分のコーヒーを一口飲む。苦くて、熱い。

 ……手持無沙汰だ。

 最後まで読むとなると、いくら早くても一時間くらいはかかるだろう。

 喫茶店での試し読みなんて、ちょっと失敗だったかな。


 そんなことを考えながら、席の端に立てられているスティックシュガーをいじっていた。

 五分くらいたって、読子さんはスマートフォンをテーブルの上に置いて、自分のカップを静かに口に運ぶ。


 うすめのグロスで艶めく唇が、小さく開いてカップのふちに寄せられる。

 コーヒーの水面が揺れて、読子さんの喉がこくんと動いた。


 カップが置かれ、読子さんはぼくのことを見た。

 ほんのりと微笑んでる。


「……えと、続き……どうぞ」

「うーん、もう、いいかな」

「え」


 ぼくががっかりした声をあげたので、読子さんはちょっと考えて、それから困ったように笑って言う。


「……なんだか、しんどくなっちゃって」

「つ、つまらないかな? もうちょい先まで読めば面白くなるからさ」

「んと、ちょっと、まっててね?」


 読子さんはそう言うと、スマートフォンをもう一度手に取って、それからなにか操作しはじめた。タップの回数からみて、たぶん続きを読んでいるんじゃない。


 一生懸命なにかをしている読子さんを待って、五分くらい。

 コーヒーは飲みやすい温度に下がってきている。

 やがて、読み子さんはぼくにスマートフォンを渡す。


「はい」


 スマートフォンの画面には、ぼくの書いた小説の冒頭だと思われる文章があった。

 けれど、ずいぶん字数が減っている。文章のいろんなところが削られて、全体の量が半分くらいになってる。


「……これ」

「わたしなりに、さっくんの小説の最初の章を簡単に直してみたの。このくらいの文章量のほうが、わたしには読みやすいな」

「ず、ずいぶん減っちゃった……ね」

「うん」


 読子さんは飲み頃になったコーヒーを口に含む。


「でも、きっと、さっくんの書きたいことはこれでも伝わると思う」


 ゆっくり、でもきっぱり、読子さんはぼくの目をみて言う。

 ぼくは、もういちど、ずいぶん変わってしまったぼくの小説に目を落とす。

 心の中に焦りが生まれて、ぼくは読子さんに言い返す。


「で、でも、もとのでも伝わるとおもうし、いまのままでも面白さの中心は変わらないし」

「要らない言葉や説明は、そのままノイズになっちゃうかもしれないの」


 読子さんは、ぼくの言葉をやさしく遮る。


「たくさんのノイズに埋もれちゃうと、ほんとに伝えたいことはどんどん薄くなっちゃう。大原則として、文字はできるだけ少ないほうがいいと思うの。さっくんが自分で読んで、ここを削っても自分の気持ちは通じるな、っていうところは、きっとぜんぶ削っちゃってもいいところだよ」


 読子さんはやわらかく微笑む。

 ぼくは自分の文章を読み返してみる。

 たしかに、削れるところもある。――けれど。


「でも、このまま全部読んでもおなじ言葉はあるから意味は通じるんだし、それに」ぼくは読子さんからテーブルへ視線を落とす。「一生懸命、書いたし」

「うん、愛着沸いちゃうよね」


 読子さんはカップをソーサーに置く。かちゃん、と小さな音が鳴った。


「けどね。とっても美味しいコーヒーに、水をじゃぶじゃぶ足しちゃったとして――それを全部飲み干しても、美味しいコーヒーの味にはたどり着けないと思うの。ましてやお客さんにお出しするコーヒーなら、なおさら……ちゃんとした濃さで、出さなきゃだめじゃないかな?」


 読子さんはカップを両手で包むように持つ。


「美味しいコーヒーの濃さは人それぞれ違うけどね。さっくんのいまの小説は、わたしにはちょっと薄くて、読むのに疲れちゃった」

「う……」


 ぼくはがっくりとうなだれる。

 それから、わるあがき。


「で、でも……その、コンテストの出典条件が、十万字以上で……」


 読子さんは、カップを横に寄せて、ぼくにすこし顔を近づける。


「五万字の読みやすい物語を、文章をただ長くして十万字にしてみたとしても、それはやっぱり、五万字ぶんの物語以上のものにはならないよ。ううん、文字がおおい分、もっと悪くなっちゃう。それで、ほんとに濃い十万字の物語と、並べられるかな?」


 読子さんはゆっくり、ぼくにそう突き付けてくれた。

 ぼくは小さく唸って、すこしぬるくなりはじめたコーヒーをすする。

 読子さんは続ける。


「ね、さっくんの気持ちを、わたしにもっと伝えて」


 それから読子さんは、僕の右の頬にそっと手を添えて、すこし顔を近づけて、息をたっぷり含んだ、それまでよりすこしボリュームをおとした声でささやく。


「わたしは、さっくんの――もっと、熱くて、濃いのが飲みたいな」


 ――読子さんは、そっと僕から離れて、笑って付け加えた。


「――コーヒーだったらの、話だよ?」


 読子さんは、いつも思わせぶりだ。

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