認めたくはない。が、好きみたいです。


 2学期最後の日、終業式も済んで浮かれた空気に包まれた教室。普段は受験モードでピリピリしがちな雰囲気だけど、今日ばかりは冬休みだクリスマスだと解放感に溢れている。

 それでもセンター間近なのは揺るぎない事実。前回の模試で第一志望B判定止まりだったあたしは、予備校へ向かうべく帰り支度にいそしんでいた。……と、そんなあたしの肩を、クラスメイトの男女2人組–––最近付き合いだしたとか何とか、誰かから聞いたばかりの–––が、両側からガシッと掴んだ。


「あのね委員長、前に担任に頼まれた、今日が〆切のアンケート集計の事なんだけど」

「俺ら今日は予備校で絶対休めない講義あってさ。委員長なら受験勉強もちょっとぐらいサボっても全然ダイジョブっしょ? 余裕っしょ?」

「だから、ね、お願い! ウチらの代わりにサクッと終わらして担任に提出しといて?」


 あからさまに慇懃な口調で捲し立てながら両手を合わせるポーズをしてくるクラスメイトに、一瞬、言葉が出なくてポカンとしてしまう。


「や、あたしだってそんな余裕ないし今から予備校だし」


 ハッと我に返って慌てて首を左右にブンブン振ったものの、不気味なくらいに満面の笑みであしらわれてしまう。


「またまたぁ、そう言っていっつも成績上位じゃん。あー、もしかして委員長、『お前らなんか今から予備校行ったって無駄だろ』ってウチらの事バカにしてる?」

「は……!?」


 つけまで縁取られたアイメイク完璧な瞳で挑むように覗き込まれて、あたしはつい怯んでしまって一歩後ずさった。

 ……何でそこまで言われなきゃいけないんだろう。あたし、何でいっつもこうなんだろう。『委員長』って肩書きを都合のいいように使われてるだけなのに。わかってるのに、何で答えられずに黙っちゃってるんだろう。


「バカにバカっつって何が悪ぃんだよ」


 唐突に頭上から声が降ってきて、あたしも、目の前の2人組も揃って声のした方を振り仰いだ。


「相澤!?」


 あたしの背後に、不機嫌そうな顔をした相澤が腕組みしながら立っている。


 –––相澤と言えばサボりの常連、の割に成績は上の中で尚且つ教師受けもクラスの評価もそう悪くない(むしろ女子にはモテる……)という、あたしにとっては意味不明の危険人物でもある。


「あのな。委員長はお前らが毎度毎度『予備校行きまぁす』って嘘ついてカラオケ行ったりマックでうだうだしたりしてる間も、お前らが押し付けた仕事肩代わりして終わらせてそれから自分の勉強もキッチリやってるから成績キープ出来てんの。お前らも何でもかんでも他人のせいにしてないで、そろそろ自分の事は自分でやれっての」

「うっ……」


 正論をぶちかまされて目を泳がせる2人組からくるりと向きを変えると、相澤はあたしの頭にスコンとチョップを落として言った。


「てか委員長、お前もアホだろ。嫌なもんは嫌ってハッキリ言ってやんねーとバカには伝わらないんだからさぁ」

「な、な、何よっ」


 –––それこそ正論だ。あたしは言い返せずに、じんじん痛む頭頂部を押さえて相澤を見つめ返す。

 あたしより先に我に返った2人組(の、男子の方)がおおいに眉をしかめながら声を張り上げた。


「てかさぁ何なの相澤、外野のくせに。お前委員長の何なの? 何の関係があって委員長にそんな構う訳?」


 どきん、と、あたしの心臓が跳ね上がる。きっとそれは、詰問した当の本人よりも遥かに、あたしの方が聞きたがっている答えなんじゃないかと思う。あたしは、前髪を直すフリをしながら、そっと相澤を覗き見た。


「へ? ああ、俺ね、委員長の事好きなの。委員長狙ってんの。そりゃあもう虎視眈々と」

「えええっ」

「マジで!?」


 ぎゃあああ、とあたしが悲鳴を上げるより早く、2人組が好奇心をギラギラに輝かせた目を相澤に向ける。


「マジマジ。応援してくれるー?」

「ちょっと何それ! そんなん聞いたら余計に邪魔したくなるし!」

「いや何でだよ!? お前には俺がいるんだから関係ないだろ」

「相澤は別! ええー、相澤って委員長狙いなの? 何で何で? 言っちゃ悪いけど委員長のドコがいいのか全然わかんない!」


 さすがのあたしも、この女子からものすごーく失礼な事を言われているのはわかる。相澤も、呆れた様子であたしをちらりと見やった。……よし。逃げるが勝ち。


「あ、あたし急いでるから!」


 あたしは咄嗟に鞄をひったくると、上履きの底を鳴らしてリノリウムの床を蹴った。


 –––もうヤだ。まただ。相澤が絡むとロクな事がない。発端はあたしだけど、あたしの弱っちぃ心のせいだけど、でも相澤があんなふうに冗談言うせいで事態が余計に混乱するんだから。


「ああっ委員長が逃げた! 邪魔してんじゃねえぞ相澤ぁ!」

「最悪ー! アンケートの集計係代わってもらえなかったじゃん!」

「おいおい最悪なのはお前らの脳ミソだろ。じゃ、俺も帰りまーす。ばいばい」


 後ろで聞こえる罵声その他をぶっちぎるように、あたしは猛ダッシュで廊下を駆け抜けた。



 靴箱まで来てようやく足を止めると、あたしは肩で息をしながら自己嫌悪で死にそうになって俯いた。喉の奥がぎゅうっと痛くなって歯を食いしばると、何故だかじわっと視界がにじむ。


「三浦あかり」

「……」

「三浦あかりってば」


 全速力で走ってグッタリしているあたしとは裏腹に、相澤は、何でもなかったように平然としてあたしの名前を呼ぶ。


「……助け舟出してくれてありがとう、感謝してます、ではさようなら」


 まっすぐ相澤を見る事なんて出来なくて、あたしは伏し目がちにボソボソ言いながら、靴箱から取り出したローファーをばしッと地面に叩き付けた。


「相変わらずつれないなぁ」

「どーせあたしはアホよ! あんなバカの見え据いた嘘にも振り回されるようなアホよ!」

「おう、わかってるならいいじゃん。進歩進歩」

「うるさい黙れ!」

「何怒ってんの、ホントの事言っただけだろ」


 だからムカついてるんです、と舌の根元あたりまで出かかったけど、図星すぎて悔しかったから何も言わずにローファーに足を突っ込んだ。体育館から、後輩たちの部活に励む声が聞こえてくる。……ああ、去年の今頃は呑気に笑ってあそこにいたのに。ずっと遠い昔の出来事みたいだ。


「んな事よりさ、三浦あかり。1月1日の朝10時、門前仲町駅で集合な。集合っつっても俺とお前しか来ないけど」


 ぼんやり体育館の方を眺めていたあたしに、腰を屈めて顔を近付けた相澤がにっこり笑って言う。端正な目鼻立ちがくしゃりと崩された笑顔に、思わず「可愛い」と呟いてしまいそうになる。

 だめだめ、あかり、正気を保って。あたしは深呼吸して、精一杯興味なさげに返答した。


「……はあ?」

「いわゆる正月デートってやつ。初詣だよ初詣。七福神巡りしよ、三浦あかりの合格祈願も兼ねて。神様仏様7人も拝めば、ちょっとくらいは効果あるだろ」


 あたしの表面的な無関心さをあっさりスルーして、相澤は柏手を打つ真似をしてみせた。


「しょ、しょうがつでえとっ!? はつもお、っ、しちふく、じん……?」


 これまでの人生で関わる事のなかった単語の羅列に、思考回路がショートしそうになる。

 初詣なんて、ここ数年、家族で気が向いた時しか行っていない。さすがに今年は合格祈願に行かなきゃね、なんて母親が言ってたけど、そんな、まさか、相澤と行く事になるなんて。

 ぼわぼわといろんなものが頭を駆け巡って身動きの取れないあたしをよそに、相澤はなんだか楽しそうに尋ねてきた。


「なあ三浦あかり、七福神全員の名前言える?」

「え?」


 ふっと現実に立ち戻って思い出してみる。おじいちゃん家の床の間に、七福神の描かれた掛軸が飾ってあった記憶を手繰り寄せる。太った神様や頭のひょろながい神様、琵琶か何かを持った女神様……どうも朧気にしか思い出せない、けど。


「えっと……鯛抱えてんのは確かエビスで…あと布袋だっけ? それと、女の人もいたような」

「紅一点は弁財天だな。あとは大黒天と毘沙門天、福禄寿、寿老人、布袋、恵比寿。さて、ここで問題です。この7人の中で、俺のお気に入りの神様は誰でしょうか!?」

「どうせ弁財天でしょ?」

「ぶっぶー。どうせ、って何だよ。正解は………」

「溜めすぎウザい」

「正解は布袋でしたー! 布袋ってさ、弥勒菩薩の化身とも言われてんだって」


 弥勒菩薩、という言葉にぴくんと耳が動く。受験科目に日本史もあるせいで、その手の単語にはつい反応してしまうのだ。


「弥勒菩薩って、広隆寺とか中宮寺とかの半跏思惟像のだよね?」

「そうそう。日本史で『56億7千万年後の未来に世界を救うために覚醒する』って習ったやつ」


 あたしは上履きをそっと靴箱にしまうと、走ったせいでぐしゃぐしゃになったマフラーを巻き直した。吐く息が籠って暖かい。


「……56億年って途方もないね。想像つかない」


 ぽつりと零した言葉に、相澤が頷きながらあたしの頭を優しく撫でた。一瞬、ビクッと身構えてしまったものの、相澤の手は大きくて思わず安心してしまう。反則だ。ズルい。……相澤は、いつも、ズルい。


「だろ? 未来の世界を救うために56億年修行するってすごくない? 初めて聞いた時さ、純粋に偉いなぁって思ったんだよ俺」

「うん」


 ぱ、とあたしの頭から手を離すと、相澤はニカッと笑って言った。


「で、俺思ったのよ。56億年修行するのに比べたら、5年や10年待つぐらい何でもねぇなって。だから三浦あかり、受験が終わってからでも大学デビューしてからでも就職してからでも全然大丈夫だから、いつでも気兼ねなく俺の胸に飛び込んで、」

「ばかばかばか! あんたほんとばかじゃないのいっぺんしねっ!」


 途中からいつもの冗談めかした口調になった相澤の言葉を遮って、あたしはほとんど金切り声みたいな大声を上げながら相澤の左足を踏みつけた。たいして効かないだろうけど、どうしても一撃加えたかったのだ。


「もー。そんなに言われたら弥勒菩薩の相澤くんもさすがにヘコむわー」

「知らん!」

「ま、とりあえず1月1日、駅で待ってるから。初詣で息抜きするくらいいいっしょ? 晴れ着姿でとは言わないけど、制服じゃない格好で来てね」

「なっ……」

「返事は?」

「……」

「ハイって言わないとちゅーするよ?」

「うわあああ、行きます行きます行けばいいんでしょ! 元日の朝10時に門前仲町駅前ね!」


 どん、と相澤を突き飛ばすと、あたしは眩暈がしそうなくらい早鐘を打ちやまない心臓を呪いながら、脱兎のごとく走り出した。




 -END-



▼企画サイト/蜜月様へ提出

 お題/「Merry Christmas and Happy New Year」

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秘密の恋が舞い降りた 遊月 @utakata330

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