「国民が互いに感謝しあう日」に思ったこと

こんばんは、埴輪です!


今日は「勤労感謝の日」ですが、その趣旨をネットで調べたところ、「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」ことが趣旨のようです。


もっと調べると、戦前は「新嘗祭」(にいなめさい、しんじょうさい)という収穫物に感謝する日だったとか……いやはや、ネットで調べると何でも出てきますね!


こうしてすぐに答えが手に入る世の中だと、何が正しい、何が正しくないという話になりがちですが、どんなわれがあろうとも、本当に大事なことは「祝日」だということでしょうし、そうはいっても休めない人もいるわけで、何が正しくて、何が正しくないかは、人それぞれが決めれば良いことだろうとも思います。


もしネットがなかったら、こうして「勤労感謝の日」について調べることもなかったでしょうし、ネットがある世界で「勤労感謝の日」を何度も迎えた私ですら、「新嘗祭」なる言葉は初めて知ったわけで、やはり「勤労感謝の日」だろうが「新嘗祭」だろうが、「祝日」であればそれで良かったのだろうと思います!


その一方で、私は趣旨にある「国民が互いに感謝しあう」という言葉がとても良いなと思いましたし、それを伝えたいと思ってTwitterや近況ノートに書いているわけですが、中には「GHQの占領政策によって生まれた言葉を良いなんて」と眉をひそめる方もいらっしゃるもしれません。


私はそれも一つの意見だと思いますし、それを否定するつもりはありません。

だからこそ、私が良いと思ったことも一つの意見だと思って頂ければ幸いです。


……などと書くと、実際に何かを言われたのではないかと思われるかもしれませんが、そんなことは全くありません!(その「新嘗祭」について書かれていたサイトから、そのような見えざる圧力を感じたのは事実ですが……!)


ただ、こうして日々自分の思うよう、好きなように書かせて頂いていると、楽しんでいらっしゃる方がいる一方で、不快に思っていらっしゃる方もいるのだろうと思っていて、それなのに、これまで一度もお叱りの言葉を頂いていないのは、寛大な心で見守られているからに違いないと、感謝の気持ちで一杯です!


……これがもしプロデビューでもしたら、今まで許されていたことも許されなくなるのかなぁと、ふとそんなことも思います。(捕らぬ狸の皮算用)


政治家の失言はその立場を考えれば致し方がないことだろうとも思いますが、作家はプロやアマチュアを問わず、自分の考えを自由に発信していくものではないかという思いもあります。(私はプロじゃないから許されるだろうという考えによって発言をしたことはありませんし、だからこそ、発言には気を遣っています!)


見たくなければ見なければいい……という話もありますが、私はもう一歩進んで、たとえ見たくないものを見てしまったとしても、寛容であって欲しいと思います!

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