「共感」も大事だけれど……

こんばんは、埴輪です!


今日は久し振りに散歩&ミスドで読書と洒落込みました!

ちなみに、読んだ本は『恐怖の表象ひょうしょう ‐映画/文学における〈竜殺し〉の文化史‐』(西山智則・著)です!


読書をすると知識が繋がっていく喜びを感じることができると言いますか、知っている事柄や用語などが登場すると、何だかそれだけでも嬉しくなってしまいます!


また、そういう本は「共感」できることも多く、今日読んだ『恐怖の表象』も「なるほど!」「確かに!」「その通りだ!」と頷きながら読了したのですが、反感……とまでは言わなくとも、「違和感」があったことは否めません。


たとえば、本作は様々な作品……小説、映画、神話、ゲームなどを引き合いに出しながら論じられており、ゲーム好きな私としては、「ドラゴンクエスト」や「ペルソナ」、「スーパーマリオ」、「メタルギア」といったタイトルを目にするだけで嬉しくなる一方、「ドラゴンクエスト」と双璧をなす「ファイナルファンタジー」が出てこないことについては、違和感もありました。


恐らく「竜殺し」というテーマには「ドラゴンクエスト」こそふさわしく、それで十分だと考えていたのだろうと思いますが、同様に本作では「映画」も重要なテーマとして論じられていることから、積極的に映画的手法を取り入れた「ファイナルファンタジー」を引き合いに出さない手はないと、私は思ったわけです。(もちろん、私の「ファイナルファンタジー」好きも大いに影響しております!)


……些細なことではありますが、こうした違和感はもしかすると共感よりも大事なことではないかと思っていて、なぜなら、どんな人の意見であっても、何から何まで共感できるということはあり得ないと思うからです。


ところが、もしその意見が自分の好きな人や尊敬する人のものだったら、果たして自分の違和感を肯定することができるでしょうか?

それよりも、むしろ自分の違和感を否定する、あるいは、違和感があることで好きではなくなる、尊敬できなくなる……そんなことにはならないでしょうか?


もちろん、違和感をきっかけに自分の意見を改めることもあると思いますが、違和感があるから云々というより、その違和感は何に起因しているのか……その点を深く掘り下げることで、また新たな意見が出てくるかもしれませんし、それもまた、読書の楽しみ方なのではないかと思います!


そんなわけで、『恐怖の表象』は違和感こそあったものの、それ以上に共感できることも多く、とても面白かったので、お気に入りの一冊になりました!


……なんてことを思っていたら、自分の小説が全く進んでいないことに気付いたので、また明日から改めて頑張りたいと思います!

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