古典童話を読んで① ~約300年前の作品達~
こんにちは、埴輪です!
近頃は新作の参考にと「古典童話」を読んでいるのですが、参考以上に色々と考えさせられることが多く、それを近況ノートでも書きたい! ……と思ったまでは良かったのですが、それを書くのにとっても時間がかかる&書き終わらず、このままでは連載が
……というわけで、今回はざっくりとした感想を。
私が読んだのは「ロビンソン・クルーソー」と「ガリバー旅行記」(共に福音館文庫)ですが、その熱い思いに圧倒されました! ……と同時に、すぐ脳裏を過ぎったのは「最近の作品」についてです。
……今後もこの手の話題がちょいちょい登場すると思うので、あらかじめ言及させて頂きますと、私は最近の作品……ラノベやWeb小説……をほぼ読んでいません!
……といっても、これらの作品を否定しているわけではなく、単に読みたいと思えないだけで、読みたいと思える作品と出会えれば、読みたいと思っています!(まずはカクヨムやロドストに投稿されている作品を読んでいく予定です!)
ですので、私の「最近の作品」に対する考えやイメージは、「偏見」や「妄想」に満ちていると言っても過言ではありませんが、そうした思いを私が抱いているということは事実であり、なぜそんなことを思うようになったかについても、追々書かせて頂きたいと思っておりますので、近況ノートをご覧の皆様におかれましては、それらも含めて共感できる・共感できないなど、考えるきっかけになって頂ければ幸いです!
でもって。
私の思いを「ガリバー旅行記」から引用させて頂きますと……
「私の国では、旅行記は掃いて捨てるほど出ています。ですから、よほど風変わりなものでないと読まれません。旅行記の著者の中には、真実を重く見るよりも、自分の虚栄心や利益、あるいは何も知らない読者のご機嫌を取ることばかり考えている人もいるようです。ところが、私の話にはごく当たり前の出来事の他には、ほとんど何も含まれていませんし、大抵の著者がふんだんに盛り込んでいるような、めずらしい草木とか、鳥やその他の動物とか、あるいは、野蛮人の奇妙な風習や、偶像崇拝のことなどについての、これみよがしな文章は、一つもありません」
……となります。
もちろん「ガリバー旅行記」はフィクションですが、その物語に込められた熱い思いは、紛れもなく「真実」であると私は感じました!(これは自分の思いをフィクションという形にしなければ伝えられない=読まれないことに対する皮肉であると同時に、そうしてでも伝えたい思いがあったという表れではないかと思います)
「最近の作品」という括りはいかにも乱暴で、大して読んでもない癖にそんなことを言う資格はないと言われればぐうの音もでませんが、その全てとは言わないまでも、「読者を楽しませること」と「読者のご機嫌を取ること」を履き違えている作品も少なくないのではないかと。
「ロビンソン・クルーソー」も「ガリバー旅行記」も約300年前の作品ですが、今もなおその名を残しているのは、作品に熱い思いが込められてただけではなく、それを受け取る読者の存在があってこそ……「最近の作品」の傾向は、読者にとっても長い目で見るとマイナスなのではないかと、そう思わずにはいられません。
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