2:白銀の美姫
彼女は、まるで初雪を擬人化したかの如く容姿を持っていた。
雪を漉き込んだかのようなキラキラと輝くプラチナブロンドの腰までも届く髪に、深い氷を覗き込んでいるかのような、どこまでも透き通ったブルーの瞳。
白磁のような肌は自然光を反射し、淡く輝いているように見える。
まだあどけないながらもどこか儚げな印象で、無垢さと淑やかさを伺わせる。
気品ある微笑をいつも浮かべているたおやかな美少女。それが、フェリシア=コーネイル=グランシェスという人だった。
そんな彼女が私室で今、無防備な背を向けて待っている。
白いコルセットで絞められた腰からすらりと伸びるのは、同じ純潔の象徴たる色で飾られたショーツとガーターベルト、そしてニーソックス。
齢十五歳にして既に完成を迎えつつあるシルエットが惜しげも無く晒されている上、うなじから背に掛けては、白い素肌があらわになっている。
そんな恰好をしても寒くないのは、この部屋が暖炉によって十分なほどに温められているお陰である。触れると冷たい石造りではあるが、煌々と燃える暖炉の火が常に空気を温め続けているし、床を覆い尽くす毛足の長い絨毯が暖を逃さない。
「……カリーナ、どうしたの?」
いつまでも動かない家臣を怪訝に思い、ふとフェリシアは振り返っていた。
するとサラサラと零れ落ちた銀色の髪が、キラキラと乳房の上を零れ落ちて行く。
そんな主君が生み出している、無垢かつ惚れ惚れとする光景を見て、(ああ、私はなんて果報者なのかしら!)とカリーナ=ヴィステルホルムは思っていた。
カリーナは栗色の髪をキッチリとひっつめにしている、一見生真面目そうな見た目をした、若い姫付きのメイドである。
目の前の姫君が持つその同性でも惚れ惚れとする肢体を、フェリシアが五歳、カリーナが八歳の時から、大切に大切に育て上げてきた。今日の彼女が『白銀の美姫』と呼ばれるのは、半ば自分のお陰だとすら思っている。
そんな尊い御身が、今日の昼には巡礼の旅に出発してしまうという。
「今日のうちに姫様のお姿をこの城で拝見出来ないかと思うと、私は……」
ほろりと来るカリーナの姿に、フェリシアはくすくすと笑っていた。
「なにを言っているのですか、カリーナったら。あなたも一緒に来るでしょう? お世話役にあなたの存在は欠かせません。嫌でも来て頂きますからね」
「いえ、それはそうですが」
カリーナはため息をこぼしていた。
「巡礼の間中、姫様が乗られる屋形の中では暖炉を焚くことができません。ですから、こうやって着衣を脱いでお着換えになられることが滅多に無くなってしまうのかと思うと、わたくしめは……」
「……確かに、不安が無いと言えば嘘になってしまいます」
そう言ってフェリシアは微笑んでいた。
「巡礼先のアゴナス地方は、ここカルディア地方と違って地熱が無いそうですね。温泉も湧くことが無いとか。民は皆、熱した湯に石鹸を溶かした物で体を拭って身を清めると言います。一月の事とはいえ、湯に浸かれない暮らしに馴れる事ができるかどうか」
「そうですね、姫様」とカリーナは部屋のクローゼットを開きながら相槌を打っていた。
「一月の間と言えど、姫様の湯汲みが出来ない事は、私にとっても悲しい事態で御座います……」
「そうね。お湯に身を当てる事が一日の楽しみだったのだけど」
「一日の楽しみが減ることは、残念な事ですよね」
噛み合っていそうで微妙にかみ合わない会話を交わしながら、カリーナは、クローゼット一杯のドレスの中から、今日身に着ける物を選び取る。
そんなメイドの背中に、「あら」と言ってフェリシアは笑っていた。
「確かに残念だけど、私は楽しみでもありますよ。なにしろアゴナスは、行ったことが無い場所なんだもの」
「そうですか?」と言ってカリーナは微笑んでいた。
そんなカリーナに対し、「ええ」とフェリシアは頷く。
「なんでも、地熱のない土地は雪が積もるのだとか。アゴナスは特に雪深いと聞くわ。どんな場所なのかしら?」
「姫様が楽しみにされているのなら良いのですが……。でも、でもですよ、殿下? 私にはもう一つ、心配な事がありまして」
やがてドレスを選び取ると歩み寄ってきたカリーナに対し背を向けると、「話してみなさい」とフェリシアは答えていた。
そんなフェリシアに対しカリーナは一言キッパリと、「巡礼団の事です」と告げていた。
「巡礼団?」
フェリシアは目をパチクリとさせる。
カリーナは「ええ」と言って頷いていた。
「巡礼団は私と姫様を除き、全員が騎士で構成されています。その上、皆殿方ではありませんか。男風情が、姫様の御身の傍に寄る機会があるなどと思うだけで、私は心配で心配で……」
悔し気に語りながらもドレスをフェリシアの体に当てるカリーナに対し、フェリシアは首を傾げていた。
「カリーナ、殿方が苦手でしたっけ?」
「いえ、そうでもありませんが」
「じゃあ、警戒する必要も無いのでは?」
「私ではなく、殿下の事ですよ」とカリーナは答えていた。
「フェリシア様は雪のように可憐であられますから。悪い虫が付いてはと思うと、気が気でなりません」
それを聞いたフェリシアは思わずくすくすと笑い出していた。
「大袈裟ね、カリーナは」とフェリシアはしばらくの間可笑しそうに笑い続ける。
「王家が守るべき女神イスティリア様との契約の中には、『運命の相手と定められた者を除く異性との接触を絶つ事』もあるでしょう?」
「そうでしたね」
「カリーナは何故か知っている?」
尋ねてくるフェリシアにドレスを着せながら、「いえ……」とカリーナは答えていた。
「どこかで、聞いたような……聞かなかったような」
曖昧な返事を返すメイドに対して微笑むと、フェリシアは話していた。
「それは女神様が純愛を司る神でもあるからよ」
「純愛、ですか? 私はてっきり、雪と氷の女神様であると……」
言い掛けるカリーナに、「ええ、そうね」とフェリシアは頷いていた。
「一般的にはそうなのだけど……このグランシェス王国が建国されたのは、古の時代に、女神様と一人の人間の若者が恋に落ちて子を成した事から始まったそうよ。国の名前も、女神様が愛した若者から取って『グランシェス』と名付けられたと……そう、私はティアラを頂く時に、お父様から伺いました」
フェリシアの視線はいつの間にか、部屋の片隅に設置されたテーブルの上に置かれてある銀製のティアラの方へ向けられていた。
「建国神話にあやかって、今もグランシェス王家はただ一人の者としか恋仲になってはいけないという仕来りがあるのです。それを破れば女神様の怒りを買ってしまい、加護を失くしてしまうと……これは、それほどに大切な戒律です」
「だからこそ」と言葉を繋ぎ、フェリシアは穏やかに微笑んでいた。
「私はどの殿方にも靡かない。なにしろ、とうの昔に『運命の相手』は定められておりますからね。それはモレク王国の第二王子である、イェルド=ヴァルストン=モレク様です。成人したら、私はモレクの王子様と結婚する。それが、私が生まれた頃から親同士が取り決めた『定め』です」
「イェルド様……ですか」
カリーナは稀に自分よりも三つも若いこの姫君に対し、畏怖とも感心ともつかない感情を抱く事がある。それは今のような時である。
たった十五歳の少女が、顔も知らない相手と結婚する事について欠片も
フェリシア公とは、まさに絵に描いたような、理想的なプリンセス像そのものだろう。
やがてカリーナは背中のリボンを整えた後、「お待たせいたしました」とフェリシアに伝えていた。
目の前に立つのは、雪とおなじ純白の色をしたドレスに身を包む白銀の美姫。
その美姫がテーブルの方へ歩み寄ったかと思うと、たおやかな指先を伸ばし、銀のティアラに触れる。
白銀の髪の上に、ティアラが飾られる。
「さあ、参りましょう」とフェリシアは微笑んでいた。
「いつまでも巡礼団を待たせるわけにはいかないわ。暖炉の火を消して上着を取りなさい、カリーナ」
まさに模範的な姫君の姿に、「只今」とカリーナは応じていた。
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