3:巡礼の始まり
「今日、君たちはここを発つ」
重厚な態度でそう言ったのは、石造りの玉座に深く腰掛ける人物――グランシェス王その人である。
王はその透き通った銀色の短く切りそろえられた髭を撫でながら、横一列に並んでいる、白い鎧を身に着けた幾人かの位の高い騎士たちを、ゆっくりと見渡す。
「我が娘フェリシアが無事に女神の神殿へ辿り着くかどうかは、ひとえに君たちの手腕に掛かっているのだ」
王の青い瞳にジッと見据えられながら、その壮年の騎士たちは表情に緊張の色を浮かび上がらせている。
「フェリシアは私にとってただ一人の子供。ただの一人の跡継ぎだ。決して何か間違いが起こる事が無いようにな」
王の言葉に、騎士たちは一斉に「はっ!」と声を揃える。
「女神イスティリア様に栄光あれ! グランシェス王国に栄光あれ!」
彼らの誓いの言葉を聞いて、王は満足げに頬を緩めていた。
「諸君に――女神イスティリアの加護があらんことを」
王は右手を掲げ、騎士たちに祈りを捧げる。
その頃、グランシェス城の正門の前では、数十人からなる下級騎士たちが二列の隊列を作ってズラリと並んでいた。
彼らは皆一様に騎士の証である立派な白銀色の鎧の上から毛皮のサーコートを纏っており、しっかりと防寒対策がされている。
騎士たちの列は正門を越えて、首都の大通りの方まで真っ直ぐに延びている。
その隊列の中ほどには、そりの外側に車輪を取り付けた真四角の形をした木製の屋形が、二頭の
長毛馬は、この地ならではの馬種である。長く厚い毛が全身を覆っており、幅広の体格のわりに体重が軽い。
重心の低い走り方をするため一般種と比べれば遅いものの、悪路や滑りやすい路地に強く、北領においては欠かせない乗り物となっている。
道路に雪が無いのは地熱地帯と呼ばれるカルディア地方だけで、そこを越えれば後は雪に埋もれた道が続く。
そのため、グランシェス王国内においては馬車の車輪は取り外しできるようになっており、いつでも馬ぞりへ切り替えることができるようになっている。
巡礼団が旅立つと聞いた民衆が、一目見ようとこぞって大通りの周りを取り囲んでいる。
しかし彼らは傍にいる騎士の面々が引き止めるため、近付いてはこれないようになっている。
そんな中、ゆっくりと隊列の傍らを歩くのは、毛皮のコートとケープを羽織り、雪と同じ色のドレスを身につけた銀髪の少女。
彼女が傍らを通り抜けると、必ず騎士が顔を動かしてその儚い印象の美しい少女を目で追いかけている。
しかし少女本人はどこ吹く風といった調子で、気に掛けた様子無くマイペースに歩みを進めている。
気にしているのはむしろ彼女の後ろを追いかけるように歩く、栗色の髪をお団子に結っている若いメイドの方であるようで、だらしない表情をする騎士を一人一人軽く睨みながら、「プリンセス・フェリシア様」と、前を歩く主に声を掛ける。
そのメイドカリーナもまた厚手のメイド服の上から毛皮のケープを羽織っているし、ロングスカートの下には長いブーツを履いている。
「屋形に乗ったら、そのままで居てくださいね。何かありましたら壁をノックしてくだされば駆けつけますので」
早口でそう言ったカリーナに対して、「ええ」とフェリシアは頷いていた。
「身の回りのお世話は全て私がさせて頂きますので、くれぐれも……この、鼻の下を伸ばしている騎士たちの手を煩わせる必要はどこにもありません」
「ふふ。そうね」
小さく笑ったフェリシアは可笑しそうな様子で、騎士たちは見透かされた気持ちになって恥ずかしくなったのか、それぞれ思い思いの方向へと目線を逸らすようになる。
「……まったく」
カリーナは溜息をこぼした後、やがて到着した屋形のドアを開けていた。
それは全面が分厚い板で覆われており、小窓一つ無い、屋形というよりも、まさしく箱そのものだった。
行き先は世界で尤も寒さが厳しいと言われるリュミネス山である。そのため、防寒を徹底するために、風や冷気が入り込む余地を無くした結果がこの形なのだ。
退屈そうね。という言葉を飲み込みながら、フェリシアは屋形の中へと乗り込んだ。
中には人一人が横たわれるほどの大きさがあるソファと、ローテーブル、腰ほどの高さの棚が設置されており、振動で動かないようにするためか、いずれも床に釘で打ち付けられている。
床面には毛足の長い絨毯が敷き詰められており、防寒は徹底してある様子だ。
(しばらくはここで過ごすことになるのね)
そう考えながらも、フェリシアはソファに腰掛けていた。
それを確認したカリーナは、「私はすぐ後ろに控えておりますので」とだけ言い残し、ドアをゆっくりと閉ざす。
パタンという音がして、外への視界はこれで一切無くなった。
と、おもむろにフェリシアは大きなため息を吐き出していた。
(ああ……これでやっと気を抜くことができる!)
フェリシアはソファの背もたれに凭れ掛かると、両足を真っ直ぐ投げ出して、低い天井に目を向けていた。
天井には、灯り取り用の小さな天窓が幾つか取り付けられていた。
「はあ……良いお姫様をやりこなすにも肩が凝るのよね」
そう呟いた自分に気付くと、フェリシアは慌てて口を塞いでいた。
こんなだらけ切った姿勢、その上こんなセリフ。万が一にでも誰かに見られたり聞かれたりでもしたら、大目玉を食らいかねない。
しかしここは退屈そうではあるが、その代わりに誰の目も無い場所。
(しばらくはこうやって、ダラダラ過ごすのも悪くないかも……)
何しろ誰の目もないということは、臣下に思慮深いフリをしなくても良いのだ。
フェリシアはソファに寝転がると、まるで秘密を楽しむかのように小さく笑っていた。
やがて国王の激励を受けていた上級騎士たちが来たようで、屋形の外から、「整列――!!」という声が聞こえてくる。
「これより我が巡礼団は、アゴナスの方、リュミネス山に向けて出発する!!」
そう言ったのは、この大多数の騎士と少数のメイドで編成されている、巡礼団団長の声だった。
「女神イスティリア様の加護は、必ずや我々を無事に山頂まで送り届けてくれるであろう!! 各自、隊列を乱さぬようにな! それでは――出発!!」
そんな団長の声の後、騎士たちは歩み始める。
騎士に手綱を引かれた二頭の長毛馬もまた、屋形を引いて歩き始める。
民衆たちが見守る中、このそうそうたる行列はゆっくりとシンバリの町の大通りを進んで行く。
その時、はらり。と空の上から一片の雪が零れ落ちてきた。
次いで、はらりはらりと次々と雪の小さな粒が舞い降りてくるようになる。
「……雪が降り始めたな」
そう独りごちたのは、隊列の先頭を歩く壮年の巡礼団団長パトリック=エストホルムだった。
舞い降りてきた雪が足元の土に触れるとスッと消えるようにして溶けて行くのは、ここが地熱のある土地である故だ。
しかしそれもこの辺りだけで、目的地であるアゴナス地方には雪解けは無い。
地面同様に、彼の黝いオールバックの髪にもちらほらと雪が舞い降りてはゆっくりと消えて無くなっている。
(これも女神様の祝福か)と、パトリックは微笑した。
きっと、女神イスティリアはこの巡礼を喜んでいるのだろう。
何しろ、雪と氷は女神の象徴なのだから。
それがこの国の信仰なのだ。
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