#006 モザイクコンパスの帰結④ - Lead to the Dark - ●○○●●○○●●○●●●●○○○●●●●○○○●


 ユウトは、季節外れのニット帽と防御力の高そうなマスクをリュックに突っ込んで、静かに階下に向かう。

 リビングの扉は開いていた。中を覗き込む。ソファーでこちらに背を向ける人影に声をかける。

「ちょっと出掛けてくるよ」

「そう」

「高校の友達と―――」

「母さん、もう寝るから」

「……分かった。おやすみなさい」

 結局、振り返ってこちらを確認することはなかった。顔をあわせない宙ぶらりんのやり取り。だから、どうというわけでもないのだが。

 腕時計を確認する。時刻は間もなく21時。平日の夜の9時である。

 ユウトは黙って靴を履き、玄関を出ていった。


 近所のコンビニの前で、ケイゴ、アサミと落ち合う。あまり目立たない服装と言っていたせいか、二人は部屋着のようなゆるい格好をしていた。

 駐車場の車止めブロックに腰を下ろし、揃って缶コーヒーを傾けている。

「完全に不良ですね」

「コンビニの前で缶コーヒー飲んでるだけで、なんで不良なのよ」

「雰囲気的に? あと、時間的にも」

「時間を言うなら、ユウト君だって人のこと言えないでしょ」

「それはそうですね。良い子は家に帰る時間です」

 別に治安が悪いわけではないけれど。そういう分かりやすい事情とは違う、もっともやっとした理屈が僕たちを狭い箱に押しとどめようとしている。

 しかし、そこを抜けてしまう者もいる。こんな時間に外を出歩く高校生たち。そこには確かな共通項がある。そんな気がする。

「二人は、なんて言って出てきたんですか?」

「なにも。何か言っていた気はするけど、無視してきた」

 アサミの口調は、少しだけ刺々しくなった。問いかけそのものに不快感を向けているようだ。ケイゴは隣で何も言わず、缶を傾け中身を飲み干す。

「そう言うユウト君は? 私らと違って、優等生でしょうが」

「自主性を重んじるタイプなんですよ」

「そう」


 メモギ中央駅では、一定間隔で到着する列車がパラパラと人間を吐き出す。

 その改札前を過ぎると、雰囲気はガラリと変わる。日中でも異様さ漂う一帯は、日が落ちればますます凄味を増してくる。

 人通りが極端に少なくなるので、警戒して顔を隠すことにした。

 帽子とマスクを装着し、弱い街灯の並ぶ静かな道を進む。周囲に気を払いつつ、そのことは悟られないよう、バランス感覚に注意しながら。

 ユウトは時刻を確認する。〈トキメの易者〉が指定している時刻よりは随分早い。しかし、それは予定通りの時刻でもある。

 メモギ図書館の堅牢な建物が見えてきた。

 すでに閉館時刻を過ぎているが、明かりはついている。研究院の人が事務作業などをしているのだろう。正面入り口は閉ざされている。

 ユウトは、建物の脇、一般客が本来立ち入らないであろう狭い通路に入っていく。知らない人には気付かれることのない、意識の隙間のような開口部。

 そこから、ぽつりぽつりと続く足元の小さな明かりを辿る。切れかけの乾電池につないだ豆電球のように、照らす能力は失われている。都会の繁華街の空で、微かに煌めく星の連なりに目を凝らす感覚。

 石の壁に挟まれながら、狭い通路は直角に曲がり、分岐し、しばらく続いていく。ユウトは注意深く確認しながら、細く繋がる情報の糸を辿り、迷いを見せず進んでいく。

 壁が広がり、空間が現れる気配。

 暗がりの中、一人の女性がランタンを持って浮かぶように立っていた。

「アズハさん?」

 ユウトの背後から顔を出したアサミが声をあげる。

「アサミちゃん……思いのほか早い再会ね」

 ランタンの淡い光に照らし出される女性は四祭しさいアズハだった。

「はじめまして、メールをさせていただいた七津なのつユウトです」

「はじめまして。迷わず来られたかしら?」

「お陰様で」

 ユウトは、学校から帰ってすぐ、アズハに連絡をとっていた。付属研究院の人間は、サイトに連絡先が記載されている。それを利用したのだ。

「はじめまして、比田ひだケイゴです」

「アサミちゃんの弟さんね。はじめまして」

「とりあえず中へ。ついて来てちょうだい」

 手短な挨拶を終えると、アズハは空間の奥の壁に向かっていった。

 ランタンの揺らめきに浮かび上がる凹凸。そこに扉があるようだった。

 アズハは、扉の脇にランタンを掛けた。照らし出された金属製の突起物は、壁面から上下に波打ちながら突き出し、その谷にランタン上部のリングがフィットする。

 壁面が近づいたことによる間接照明の効果で、ランタンそのもののシルエットも浮かび上がる。鈍く輝く銅の光沢。運河の向こうにあるという、赤茶けた煉瓦の街並みを思わせる。

 その中心に、古びた電球のような暖色を発する光が揺れる。不規則な動き。それは、いつの間にかたかぶりつつあった自律神経をなだめようとする、そんな気がした。

 アズハは両手で扉の表面をなぞると、所定の位置を見つけ左右同時に力を込めた。小さく金属の擦れる音を立てながら、物体が小さく回転し、横にスライドしていった。

 それは、おそらくかんぬきのようなものだったが、複数本が連動しているようで、ユウトの見たことのない動き方をした。複雑な力が働いているようでありながら、その動き自体は非常にスムーズで、大きく軋むこともない。かなり精緻な構造であると推測できた。

 立体的に組まれたパズルのような扉は、何事もなかったかのように静かに開いた。

 アズハは、再びランタンを持つと、中に入っていった。後ろの三人が建物に入ると、今度は片手で内側から閉め施錠した。

 石造りの回廊に足音が小さく響く。揺らめく明かりは、近くの壁と床と天井を照らすが、進行方向に口を開ける大きな闇の前では無力だった。

 でたらめなサイズの石材が詰まれた壁面。ひだのような凹凸に落ちる陰影。それを見ていると、何か巨大な生き物のはらわたを進んでいるような錯覚を得た。反響する音の波は、さながら脈動のごとく意識の深部に届いてくる。

「このルートは、私以外が使うことはまずないの」

 アズハが言った。その言葉は闇と混ざり、脈動は強まる。

 窓のない回廊を進む。やがて、揺らめく視界に壁面の切れ間を見つける。

 分岐。アズハは右折する。

「私も普段はこんなところは通らないんだけどね。冒険心をくすぐられるか、人目を忍びたいとき専用の道。研究院でも、知っている人はいないみたい」

「施設の地図を見れば分かってしまうのでは?」

 ユウトが質問する。アズハが答える。

「研究院に限らず、メモギ図書館やその関連施設全般に言えることだけど、実は、施設を網羅する地図は存在しないのよ。もちろん、どこかにはあるのかも知れないけれど、今のところ誰も見つけていない」

「そんなまさか……」

 ケイゴが信じられないという反応を見せるが―――

「なるほど……」

 その横のアサミは対照的だった。

 ユウトが振り返る。

「いや、あのね、図書館の館内マップを見て不自然だなって思ってたんだよ。変なところで空白が広がっていたりして」

「昨日ですか」

「そうそう。図書館から研究院に行ったとき、どの地図も部分的にしか描かれてなくて。必要なところ以外省略しているのかと思ったけど……」

「意図的に省略していることもあるけれど、本当に分かっていないことも多いわ」

「それは不思議ですね。分からないなら調査すれば?」

「それは確かにそうね。でも、研究院として組織的に調査をした話は聞かないわね。時々、個人が気まぐれで歩き回って見つけるくらいなもの」

「謎は謎のままの方が、面白い気もする」

 ケイゴは、ぼそっと言う。

「図書館の本は、すべてを読み切ることができないから興味が尽きないのと似ているわね」

 アズハは、カーブを描きながら続く階段をあがる。窓もなく、高度感が分からない。そのまま時間の感覚までなくなりそうだった。

 ユウトは腕時計を見る。建物に入ってから10分近く経過していた。建物内の10分は、体感的にはかなり長めに感じるんだなとユウトは思った。

 短い階段を上がったり下がったりしながら辿り着いた廊下に、はじめて窓を見つけた。少し高い位置に小さめの窓。

 外を見ると、外壁が迫っていた。どうにか視線を下に向けると、辛うじて地面のようなものが見えた。アズハと合流するまでに辿った道のような感じだろうか。

「もうすぐよ」

 天井が低く圧迫感のある通路を抜けると、別の廊下の途中に出た。廊下は一端で行き止まり。それとは逆に進む。

 角を曲がると、前方にポツリポツリと明かりが見えてきた。照明というよりは非常灯。足元に小さなものが一定間隔で並んでいるようだ。

 弱い光でも、あるだけでだいぶ雰囲気が変わる。進んできた暗い回廊から明かりのある領域に入る、その境界付近に扉があった。

「到着。ここが私の部屋よ」

 アズハは、所々塗装の剥げた大きな木製扉に手をかけた。


 付属研究院に所属する研究員たちは、他の施設に長期間出向している人たちを除けば、基本的には全員にプライベートスペースが与えられるらしい。

 入りたての場合は、原則として、複数人で大部屋を共用することになる。それでも、一応区画が割り振られ、そこにデスクや棚を自由に置いて管理できる。

 所属年数が長くなってくると、個室を得られるチャンスに恵まれることもある。個室の主が退任したりして空くと、多くの場合、所属期間の長い方から順に希望を募り、条件の合う人が入室することになる。

 付属研究院が使っているエリアも内部構造は複雑で、部屋が密集しているところ、離れているところなど、立地に差がある。部屋ごとに間取りも大きく違うし、使い勝手も全然違う。

 それら諸条件を加味したうえで人気の優劣がつくわけだが、若手が優良物件を手に入れられることはまずない。一刻も早く自分の城を手に入れたいなら、多少の僻地でも我慢しなくてはならない。

 アズハが自室獲得のチャンスを得たのは、昨年の夏。研究院所属から四年と数ヶ月たった頃だった。まだまだ若手の部類だし、本来なら話が回ってくることなどありえないのだが、その部屋は、付属研究院でも指折りの不人気物件。とにかく不便で、人が常駐する一番近い部屋まで徒歩数分。光が届きにくく薄気味悪い。代々、かなり個性的な人間が使っていたという部屋だった。

 話をもらったとき、アズハは別に気乗りはしていなかった。部屋の条件にこだわりはなかったが、同時に自室を構えることにもこだわりがなかった。しかし、諸々の経緯により、結果的にはその不人気物件を獲得することとなった。

(いちいち趣があるなあ)

 ユウトは、アズハから聞いたこの部屋にまつわる話を反芻しながら、部屋の数ヶ所に屹立する太い柱の一つを見上げる。年月の経過を感じさせる風合い。

 奥まったこのあたりの天井は少し低め。天井高は統一されていないので、見上げるといくつかの段差が目につく。

 部屋の中でも、より扉に近いあたりはもっと高くなっていた。そちらの方が壁も高く、廊下側の上の方に曇りガラスの小さな窓が並んでいた。部屋の主要空間を挟んで向かいに位置する壁には、外部空間に向けて大きめの窓が一つ。

 一方、入り江のように奥まった空間のはずれ――今、ユウトが一人で徘徊している領域――は、天井が低く窓が一切ない。太い柱の存在感と相まって、圧迫感がやや強調される。

 ユウトは、薄暗い中、借りたランタンを手に歩いて回る。

 不規則な間取りの奥の方には、多くの棚が並んでいた。整理は行き届いているようで、平積みされているものはほとんどない。分類を明示するタグがあちこちから飛び出していた。

 棚の隙間には小型の消火器。室内を構成する多くの要素が劣化しザラついた雰囲気を持つ中、艶のある硬質な金属容器は異質な印象を与えた。

 消火器は入口付近や窓の近くにもあったが、紙類が多いので必要なのだろう。このランタンも灯油式なので火元になりうるし、ストーブもあった。灯油のポリタンクは、ランタンの燃料の都合で、一年中使用しているようだし、部屋がある位置がそもそも僻地だからこそ、初期消火は必須なのだろう。

(そう言えば、窓際の棚には灰皿もあったな……)

 あんまり吸うような感じには見えなかったが、一人窓辺でタバコをふかすのが気分転換でも悪くはない。

 広い室内をぐるりと回ったユウトは、他の三人がいるところに戻ってきた。

「お帰り」

 アサミが言う。

 そこは、部屋の主要部と言えばいいのか。天井からさがる蛍光灯の下、大きめのデスクと小さめの棚がある。後ろには少し古そうな型のパソコン。そして、壁にはホワイトボードが設置されていた。端の方は書類が磁石で貼り付けられていたが、空いているスペースには情報が並んでいた。それは、今しがたユウトが書き殴ったものだった。

 アズハはそれを見つめ、その近くでアサミとケイゴは次の展開を待っていた。

「何か面白いことあった?」

「そこそこ」

「そう」

 様子を見る限り、特に動きはないようだった。ユウトも適当なところに腰かける。この人数の来客は想定されていないようで、椅子の数も足りない。手近なところにあった踏み台を拝借する。

 ユウトは、先程自分が書いた情報を改めて眺めた。


 5月3日(日)/イツキ、久々にパソコンをつけ、仕事を見つける。〈トキメの易者〉とのファーストコンタクト。

 5月4日(月・祝)/イツキ、さっそく仕事をする。

 5月5日(火・祝)/イツキ、仕事二日目。つつがなく。

 5月6日(水・祝)/連休最終日。イツキ、仕事三日目。謎な仕事に関して若干の情報を得る。

 5月7日(木)/連休明け。イツキ、三日分の給料が振り込まれていないことに驚愕。

 5月8日(金)/イツキ、金欠による省エネ生活を理由に学校を休む。

 5月11日(月)/ユウト、クラスメイトから校内の噂の話を聞く。ユウト、アサミは、イツキの部屋で連休中からの経緯を聞く。夜、ユウト、ネットでの調査で〈トキメの易者〉に関する情報を得る。

 5月12日(火)/ケイゴ、ユウトの頼みでサッカー部に体験入部。ユウト、アサミ、メモギ図書館周辺地区調査。アサミ、付属研究院でアズハと会う。

 5月13日(水)/ケイゴ、サッカー部体験入部二日目。イツキの協力もあり、〈トキメの易者〉のメンバーを特定。深夜から〈トキメの易者〉の集まりがあるとのことで、それにユウト、アサミ、ケイゴの三人が乗り込む(予定)。


 まず、ユウトは一方的にこれまでの経緯を話し、同時にそれらを端的に記していった。ポイントだけい摘んだつもりだったが、それでも意外と量が多いなとユウトは思った。ホワイトボードに余白はほとんど残っていない。

 ユウトの話の最中、必要に応じてアサミやケイゴが補足したが、アズハは黙って聞いていた。事前のメールのやり取りで事の経緯には多少触れていたが、核心部は面と向かってでないとまずい。そのため、アズハはこの場でようやく情報の本丸に相対することとなった。

 話の中心は、5月の連休から今に至る2週間弱の経緯。意外と登場人物が多く、一度に与えられる情報量としては、なかなかのものだったはずだ。

 話が終わると、アズハは少し時間が欲しいと言った。そこで、ユウトはしばらく放っておくことにして、許可を得て室内を散策して回っていたわけだ。

 アズハが小さく長い吐息を漏らす。それまで背筋を伸ばし両手を膝の上に置いていたが、姿勢を崩しユウトに視線を送る。

 ユウトもそれに視線で答える。

「さっきメールを貰った時点で――」

 アズハは話し始めた。

「何か大変なことが起きているのかもしれないと思っていたけれど……」

 本来、この時間に部外者を招き入れることなどありえない。しかも、高校生三人。そのため、ユウトはしっかり切迫感を与えるメールを送っていた。冷静に理性的に、それでいて、受け入れざるを得ない流れを演出していた。しかし、巧妙に具体的な情報は明かしていなかった。

「カノハ高校だけでなく、この図書館まで関わっているなんて……しかも、研究院のクワイエ君が当事者なんて……」

 アズハは、少なくないショックを受けているようだった。特に、クワイエの名が関係者として挙がっていることには、相当なショックを受けているようだった。

 アズハとクワイエは、カノハ高校の同級生。研究院に入った時期は違うが、他人事とは思えないのだろう。

「一応補足しておきますが、クワイエさんが悪事を働いていると確定したわけではありませんよ」

 ユウトはフォローする。もっとも、明確に否定する情報があるわけでもないが。

「ところで、アズハさん……お尋ねしたいことがあるのですが」

「クワイエ君のことかしら」

「そうです。本当に表面的かつ断片的な情報しか知らないので、是非お願いしたいです」

 〈トキメの易者〉にまつわるこの一件のキーパーソン。その人となりを知らないわけにはいかない。

「そうね……」

 アズハは記憶を呼び覚まそうとする。来訪者たちに誠意をもって対応するために。

 ユウトは時刻を確認する。22時くらい。

「すでに知っている通り、私とクワイエ君は、カノハ高校の同級生。まずは、そのときの話からすればいいかしら?」

「お願いします」

「ただ、先に断っておくけれど、当時、彼とはほとんど接点はなかったの。一度も同じクラスになったことはないしね。だから、持っている情報も多くはないし、断片的で曖昧な記憶や人伝ひとづての不確かな情報も含まれると思うわ」

「了解です」

 アズハは、ホワイトボードの方向に視線を流す。

「まず、彼は特に目立つタイプではなかったように思うわ。良い意味でも悪い意味でも、印象に残るエピソードは聞いたことがないと思う。狭いメモギ区だから、クラスが違っても情報は流れてきたりするもの。でも、彼についてその手の話は特になかったと思う」

 カノハ高校は、区にたった一つしかない高校。クラスどころか、学年が違っても情報が流れることは少なくないだろう。事実、少々目立つタイプのアサミについて、入学してまだわずかな期間しか経っていない一年生でも把握している人間はいる。

「のちに聞いた話や、クワイエ君本人と話をしたことを総合すると、高校時代の彼は、あまり交友関係が活発ではなかったと思う。ただ、一方で、クラス以外との交友関係もある程度あったみたい」

 当時のリアルタイムの情報は乏しくても、後に情報が補強されることはある。付属研究院の貴重な同級生なので、高校時代の友達と話をしたりすれば、話題にあがることもあるだろう。メモギ区でそのような機会は珍しくない。

「クラス以外……具体的に、どのような人と繋がりがあったかは知りませんか? 隣のクラスなのか、後輩なのか、とか」

「〈トキメの易者〉のメンバーの一人というヨツヤ君との繋がりがあったかということね?」

 クワイエとヨツヤが二学年違い。一年間は被っているので、接点があってもおかしくない。

「残念だけど、ヨツヤ君との繋がりは分からないわ。ヨツヤ君についても、話を聞いたことはないし。ただ、クワイエ君について、面倒見が良いという話は聞いたことがある。あとは、口数は多くないけれど誠実な感じ……みたいなのが一般的な印象だと思うし、私もそう思うわ」

「実は、卒業文集を見させてもらいましたが、確かにそんな印象を受けました。基本的には、真面目な感じの人なんだろうと」

「そうね。それは今でも変わっていないと思う……たぶん」

「高校卒業後、アズハさんはすぐに研究院に入り、クワイエさんは二年遅れてやってきた。そこからは接点も増えたと思いますが……」

「確かにそれまでよりは増えたわね。でも、研究院は学校とはだいぶ違うから、研究員同士の接点はそれほどなかったりもするの」

「そうですか。クワイエさんが卒業後の二年間、どうしていたかとかは?」

「卒業後はメモギ区を離れていたという話は聞いたわ。各地を転々として、メモギ区に戻ってきて付属研究院に入ったみたい。具体的にどこにいたかまでは知らないけれど。

 研究院にやってきてからの私個人の印象として、特に悪いものはなかった。誰にでもフレンドリーというタイプではないけれど、基本的には人のために動きたいタイプみたいだし、自分の研究だけに打ち込む人も多い中、むしろある程度の親近感を抱いていたわ」

「アズハさんは、カノ高の生徒の相談にも乗られているとか」

「研究院はただの研究機関ではなく、人々に還元する役割も持っていると思っているから、広く言えばその一環ということになるかしら。メモギ図書館という偉大な知識の管理を任されている以上、閉鎖的になってそれらを独占するのはどうかと思っているの。ルールとして定められていなくても果たすべき責任というものが、私たちにはあるのではないかと思うの」

 ヒビカ三大図書館の一つに挙げられるメモギ図書館。小さく穏やかな区には分不相応とも思える圧倒的蔵書。それとどう向き合うか、考え方は個々の研究員に委ねられているようだ。

 そして、話を聞く限りでは、アズハとクワイエは比較的近い考え方のようにも思えた。自分の知的欲求を満たすためだけに蔵書を利用するのではなく、誰かのための存在でありたいと。さらに言えば、だからこそ、アズハは、今回の一件でクワイエの名が挙がったことにショックを受けたのかもしれない。

「カノ高の生徒の相談は、お一人で?」

「いえ、他にも数名。カノハ高校出身で、比較的、年が近い人たちで回しているわ。あまり組織だってやっているわけではないから、人によって力の入れ方はまちまちだけど」

「クワイエさんは関わっていないんですか?」

「彼もやっていたわ。特に、研究院に所属して最初の二年は、かなり熱心に対応していたと思う」

「最初の二年……。では、その後は?」

「去年、今年は、そういうのを見た記憶はないわ。単に私が気付いていないという可能性もあるけれど、どちらにしろ、それまでと力の入れ方は違うと思う」

「そうですか……」

 ユウトはホワイトボードを見ながら思考を整理する。

「一応、辻褄は合いますね。僕が調べた限り、〈トキメの易者〉と思われる活動の痕跡は、去年から確認できます」

 アズハは黙る。

「〈トキメの易者〉の方が忙しくて、相談には乗れなくなったってことか?」

 ケイゴが言う。それにユウトが答える。

「どうなんだろう……。そういう時間的な都合というよりは、って気もするけれど」

「やり方?」

「進路に思い悩んでいる人に、救いの手を差し伸べてくれる―――」

「三年生を中心に流れている噂ね」

 アサミが言う。ユウトが続ける。

「これ、はっきり言って同じですよね? 確かにこれは噂かも知れないけれど、文字通りの意味だとすれば、中身は同じということになりますよね?」

「クワイエ君は、それを果たすための場として、研究院ではなく〈トキメの易者〉を選んだと?」

「あくまで可能性の話ですけれど」

 ―――彼らの動機はなんだろう? なぜメモギ区なのだろう? なぜ高校生を相手にするのだろう?

「ただ、そう考えても良いのなら、いろいろなものが繋がってくる気はします」

「思えば……」

 アズハは伏し目がちに言う。

「今年は相談に来る生徒も少なかった。図書館まで来ないで解決しているのなら、それは喜ばしいことだと思っていたけれど……」

「あくまで、すべては仮説の段階です」

 ユウトは冷静に告げる。

「それに、この話には、まだまだ妙なところがある。というよりは、妙なところが多過ぎる」

「妙なところ?」

「今から説明していきます」

 ユウトはリング式のメモ帳のページをめくる。A6サイズの紙面に、今回の件について情報をまとめていた。

「どんどん言っていっちゃいましょうか。すごく根本的な疑問もかなりありますが、まず最初は……」

 視線がユウトに集まる。

「仮に、カノハ高校の生徒の相談に乗っているとして、なぜわざわざ〈トキメの易者〉という手段をとるのか? もちろん、現状で、単に相談に乗っているだけなのかは分かりませんが、もしそうなら、研究院という受け皿が元々ある中、なんで〈トキメの易者〉というやり方をとったのか、疑問は残ります」

「ということは、やっぱり〈トキメの易者〉は、単に相談に乗っているだけではないということか?」

「それは何とも言えない。ただ、付属研究院で高校生の相談に乗っているだけではいられなかったのは事実で、そこには何かがあるんだろう」

 そこには何かがあるんだろう。そして、その何かが分かれば、今回のお話は終わりということになるんだろう。この近くの日の届かない密やかな箱のような空間に、その答えはキチンと収まっているのだろうか?

「まあ、次に行こう」

 ユウトはメモ帳に視線を落とす。

「今のとかなり近い話だけど……〈トキメの易者〉はなぜ執拗に正体を隠すのか? 随分な手間をかけて正体を隠している印象だけど、そこにどんな事情があるのだろうか?」

「普通に考えれば、何か後ろめたいことがあるってことよね」

「そうですね。それだとかなり分かりやすいですね」

「恥ずかしがり屋という可能性もあるな」

 ケイゴが真顔で言う。

「いや、それはないだろ……」

 ユウトも真顔で言う。

「仮に後ろめたいことがあるとしたら、彼らは何に対しそう感じているのか。明確に悪事と言えるような行為を僕たちは確認していないけれど、これは単に僕たちが気付いていないだけなのか」

「こっそりやるのが良いんじゃない?」

 アサミが言う。

「え?」

「いや、あんまりしっかり説明できるようなものじゃないけどさ、こっそりやるのが良いってことない? もしくは、ミステリアスなキャラを装いたいとかさ。一応、占い師っぽいやつを名乗っているわけだよね。それなら、ちょっと謎めいた感じの方が雰囲気でそうかなって」

「なるほど……」

「ユウト君、すごく理屈っぽく考えてるけど、意外と話は単純なのかもしれないよ?」

「唐突に先輩っぽいこと言いますね」

「いや、私、先輩だからね」

「じゃあ、次。今の話から繋がりそうですが………易者ということは、本当に占いをやっているのか? 彼らにそんな技術があるのか?」

「どうなんだろうねえ」

「僕は実際に占い師にお世話になったことがないので、いまいちピンとこないんですが……」

「さすがに、本屋に売ってる占いの本を読んで簡単にできるくらいじゃ、占い師は名乗れないよね」

「たぶん……ただ、相手にするのはただの高校生なので、意外とそれでもいけたり」

「占いにもいろいろ種類があるわ」

 アズハが久々に発言する。

「ただ、結局は相手の話をしっかり聞いて、迷いを解消するというのがベースにあるはず。その意味で、易者と名乗るのは的外れではないのかもしれないわ。それに、本ならいくらでもある」

「確かに。街の本屋では到底かなわないような本の山があるから、その気になれば、それらしいことはできるかもしれませんね」

「ええ。占い関連の本だけでも膨大な数があるわ」

「あとは逆のパターンも考えられそうですね。図書館で使えそうな占いの本を見つけたから易者を名乗った、とか。あくまで可能性の話として」

「一週間でなれるスーパー占い師講座」

 ケイゴがぼそっと言う。しかし、ユウトは反応する手間を省く。

「実際のところは分かりませんが、考える上で一つポイントになるのは、リピーターもいるっぽいということです。つまり、客にとってそれなりの満足度ということなんでしょう。あまりチープなことをやっていたら、こうはならないはず」

 彼らやその息のかかった者たちによる情報操作があったとしても、メインは口コミ。であるならば、訪れた者は何かしら得るものがあったと感じているのだろう。

 実際、イツキを含め、〈トキメの易者〉と何かしらの接点を持った者たちから得られた情報、受けた印象を照合しても、この考えに矛盾はない。不満を述べ反発する声はなく、むしろ各々が自らの意思で求め手を伸ばしている気がする。

「次も占い関連です。話の本筋からそれる可能性もありますが、個人的に気になったやつです」

 ユウトはメモ帳を遡る。

「イツキさんの話によると、来訪者の一人が、匂いがしたと言及しています。すごく甘いけれど、ちょっと息苦しいと。これが引っ掛かっていて、ネットでも調べてみましたが……そしたら、アセブ区で活動しているらしい占い師が、匂い袋を扱っているそうで」

「匂い袋?」

「お香みたいな感じっぽいです。客にあった匂い袋をくれる占い師として、その界隈では少しばかり知られているみたいですね。ネットを見る限り、客のメインは若い女性のようです」

「へえ。アセブ区だとそういうのが流行るんだ」

「流行るって程じゃないと思いますけどね」

「占いと匂いという両方のキーワードを含むのは珍しいようなので、一応触れておきましたが、〈トキメの易者〉と関連性があるのかと言われると、かなり怪しい印象ですね」

「そのアセブ区の占い師は、この二週間、普通に活動しているのか?」

「良いところついてくるな、珍しく」

「任せろ」

「確かに、時系列は整理しておく価値がある。というわけで、僕も調べてみたけれど……アセブ区の匂い袋の占い師は、最近数ヶ月の活動歴はあるけれど、それ以前はよく分からなかった。少なくともネット上では噂も含めて情報は存在していないから、たぶん活動自体ほとんどしていなかったんだろう」

「ということは、〈トキメの易者〉の方が先?」

「そういうことになると思います。〈トキメの易者〉はたぶん昨年の時点で活動しているので。それで、肝心のこの二週間。実は、アセブ区の占い師は、急に静かになっているんですよね。4月はかなり動いていたみたいなのに、月が替わって急に情報量が減っていました」

「それは普通に怪しいんじゃないの?」

「そうなんですよね……。僕もそう思わなくもなかったんですけれど、調べていくとやっぱり何か違うかなと」

「根拠は?」

「んー……少し感覚的なんですけれど、アセブ区の方がヤバそうなオーラが……」

「ユウトが姉貴みたいなことを言っている」

「その手の発言が許されるのは私だけだよ!」

「いや、本当に何と言えばいいのか。表面上はあちらの方が普通の占い師っぽいんですけれど、より作為的な何かが絡んでいる気がするんですよね。それが、〈トキメの易者〉と随分違う種類のように感じるんです。だから、やっぱり中の人間は全然違うんだろうなと」

「匂いの話は、偶然の一致ってやつか」

「もちろん断定はできないけれど。で、お次も同系統のやつ。〈トキメの易者〉は、ドゥープニ区と関連性があるのだろうか? こっちはもう少ししっかり議論する価値があると思うんですよね」

「イツキの話にもあったね。訪問者が通された部屋が独特の雰囲気だったとか」

「簡単に行き来できるわけじゃないけれど、単純に距離で言ったら、めっちゃ近いよな」

「このあたりは、運河一つで隔てられているだけ。そして、その運河だって大した幅じゃない」

 ユウトはアズハの目を見る。

「図書館地区という言い方がありますよね?」

「あるわね」

「これはどういう意味ですか?」

「どういう意味? それは勿論、メモギ図書館一帯という意味よ」

「それだけですか?」

 アズハは、ユウトの言わんとしていることに気付く。

「随分物知りなのね。確かに、図書館地区というのは、より正確には、メモギ図書館の敷地全体を指す言葉という話を聞いたことがあるわ」

「僕はドゥープニ区に足を踏み入れたことはありませんが、図書館地区は妙にドゥープニ区っぽくないですか?」

「これだけ近いのだから、不思議ではないでしょう?」

「橋は勿論、船で行き来することも全くないのに、距離が近いというだけで似るものですか? 地図上は隣接していても、メモギ区とドゥープニ区の間に一切の移動手段はないはず。人の往来は皆無。それでも影響を濃く受けるものでしょうか?」

「そう言われてみると、確かに不思議……」

 分かりやすい反応を示すアサミに対し、アズハは表情が読めない。

「もっと思ったことをストレートに言って大丈夫よ」

「メモギ図書館……というよりは、図書館地区ですかね。図書館地区から、ドゥープニ区に至る地下道は存在していませんか?」

「なるほどね。影響が強いのであれば、実際に物理的に繋がっているのではないかということね」

「安易な発想ではありますが……」

「素直な発想とも言えるわ」

 アズハは一瞬だけ微笑んでから、真面目な表情に戻る。

「答えましょう。図書館地区から地下道がドゥープニ区に繋がっているか。私の知る限りでは“No”ね。噂も含めて全く聞いたことがないわ。ただし、完全に否定できるわけでもない。分かっていると思うけれどね」

「悪魔の証明ですね」

「ほう、なんかカッコいいな」

「存在を証明するのは比較的容易。条件を満たす一つを示せば良いから。でも、逆に、存在しないことを証明するのは時に極めて困難なものになる。隅々まで調べつくし、確かに存在しないと言わなくてはいけないから」

「図書館地区からドゥープニ区に至る道を一本でも見つけたら、存在は証明できる。一方、存在しないことを証明するには、図書館地区のありとあらゆる場所を調べつくし、そのような道がないことを示さなくてはいけない。しかし、今回、これがとんでもなく厳しい」

「地図がない……」

「そうです。図書館地区がどうなっているか、実際のところ誰も知らない。網羅的な情報が必須なのに、それがない。故に、これは悪魔の証明になります」

「証明は無理ね。論理的に、現実的に。ただ、個人的な感覚で言えば、ある程度の頻度で往来のある地下道はないと思うわ。それに、そもそも細々と秘密裏に使用される程度の地下道で繋がっていたとしても、地区全体にドゥープニ区の影響が出るとは考えにくくないかしら?」

「そうですね。そんな気もしますね。でも、僕は、ドゥープニ区の異様さが何に起因するものなのかを知らないので、判断は保留したいところです」

「地下道一本繋がってるだけで影響を与えるような何かがあると? そんな非科学的な……」

「アサミさんがそれを言いますか。確かにその通りなんですけどね。でも、異様っていうのは、そういう常識とか科学とか論理の埒外らちがいにあるってことだとも思うんですよね。だから、軽々しく可能性は排除したくないなと」

「それで、ユウト君は、〈トキメの易者〉がドゥープニ区に関わっていると考えているのかしら?」

「ここまで言っておいてなんですが、今回、ドゥープニ区は関わっていないと思っています。あくまで、今回の一件は、常識とか科学とか論理で十分相手にできるものだという感触があります。現状、僕たちが答えに至っていないのは、単に情報が少ないため。そうでなければ、流石にこのメンツで現場に乗り込もうとはしません」

「そりゃそうよね。流石のユウト君でも、ドゥープニ区が絡んでいたらいきなり突っ込まないわよね」

「……と姉貴は思っているのかもしれんが、ユウトを舐めちゃいかんぞ。ユウトは時に予想の斜め上というか、遥か上を行くことがあるからな」

「そう言われるとそういう気はするわね。暴走ってわけじゃないけど、静かにヤバいっていうか」

「ただし、今回は安全だ」

「なぜ分かる?」

「本当にヤバかったら、ユウトは俺たちを連れてこない」

「ああ、なるほどね。私ら信用されてないからね」

 アサミはジト目でユウトを見る。

「全幅の信頼を寄せてます」

「はいはい」

「というわけで、妙だと思ったことのラスト。ズバリ、今晩の集まりの目的は?」

「これは重要だね」

「そういや、事前に何の話もなかったな」

「そもそも、高校生を集めるのに、平日のこの時間っていうのはかなり異常ですよね。集まる方も集まる方ですけれど」

「俺が誘われたときのことを考えても、無理矢理ってわけじゃなさそうだしな」

「夜の11時30分集合。しかも、こんなところに。肝試しじゃないんだからね」

「時間帯については、図書館の開いている時間、研究院が動いている時間を考えれば、ここしかない気もするわ」

「確かにその可能性もありますね。ただ、連休中は日中に活動していたわけなので……」

 可能性を考える。そのタイミングがあって、場は静まる。

 なんとなくで設定されることはないであろう時間帯。それだけは確かだった。

「結局、今この場で答えは出ないんですけどね」

 ユウトは無駄な思考にエネルギーを使わない。

「そして、今晩の集まりの目的も、たぶん今は分からない。逆に言えば、行けば分かるんでしょう。行ってからのお楽しみってやつで」

「案外気楽なんだね。でも、分かったときには手遅れかも知れないよ」

「別に待ってても良いんですよ?」

「いやいや、私も行くから」

 ユウトは時刻を確認する。

「時間も押してきましたね。最後に軽く確認だけしておきますか」

「確認?」

 ユウトは、集合場所付近を含む図書館地区の街路図を広げた。



   *



「それでは、後ほど」

 ユウトは持ってきていた小さな懐中電灯をつけ、来た道を照らす。アズハは木製扉の傍らでランタンを持って立っている。

「気を付けてね」

 アズハは少し不安そうに言った。三人の表情を見ようとするが、明かりが不十分でよく見えなかった。

 三人は歩き出す。アズハはそれを静かに見つめる。

 アズハの視線の先に続く暗い廊下。遠ざかっていく小さな光は、三人が角を曲がり消えていった。

 やがて足音も聞こえなくなったところで、アズハは部屋に戻っていった。



   *



 この時間、部外者を施設内に招き入れているのが知られると厄介だということで、アズハの部屋では光が漏れないよう最大限配慮していた。照明は弱く低く狭く。大きな窓は暗幕で貼り付けるように覆った。

 そのせいか、敵地に乗り込む兵士が秘密基地で最後の作戦会議をしていたような、妙な緊張感と高揚感が身体に染み渡っていた。おかげで、十分活動的だったと言える日中の疲れは特に感じない。むしろ、これからが本番という気持ちになってくる。

 辺りは、ここにやって来たとき以上に静かだった。人の生活を感じさせる音は一切存在しない。自動車のエンジン音も、犬の遠吠えも、赤ん坊の夜泣きも、何も聞こえない。

 必要最小限の街灯は灯っているし、そこに照らし出されるのは、十分に人工物で覆われた町並みだった。しかし、それにもかかわらず、まるで深い森に立っているかのような不気味さが背筋をあがってくる。

「しっかり隠し切れてるか?」

 ケイゴが言う。

「大丈夫だよ。自分で墓穴掘らない限りバレないだろ」

 ユウトが答える。

 集合場所まではすぐなので、すでに三人とも完全にガードを固めている。

「落ち着きなさいな。挙動不審でバレるわよ」

 ケイゴがしきりに帽子とマスクの位置を気にするので、アサミが注意する。

 アサミは、長い髪をウィッグネットに収めて目深にニット帽を被っている。万全の態勢で落ち着いていた。

「誰からいきますか?」

「え、一緒に行くんじゃねえの?」

「三人一緒だと目立つでしょうが」

「招待されたのはケイゴだけだから、三人組はまずいだろ。あと、つまみ出されたとき、三人一緒だと助けを呼べないしね」

「なるほど……」

「じゃ、私からいくわ。二番目がケイゴで、最後はユウト君お願い」

「それが良いですね。気を付けて」

「なんとかなるっしょ」

 歩きながら小さな声で打ち合わせをすますと、いよいよ集合場所付近に近づいてきた。

 そこは、昨日、ユウトとアサミが二人で歩いた路地、〈トキメの易者〉を訪ねる者たちが「ゆっくり歩け」と指示された例の通りのすぐ裏手。やはり、彼らのアジトへの入り口がこの付近にあるのだろう。

 ユウトは時刻を確認する。集合時刻の10分前くらい。ちょうど良い。

「じゃ、行ってくるわ」

 アサミはごく普通の調子で言って歩き出す。目の前の角を折れれば、集合場所があるはずだ。

 ユウトは時刻を確認する。一分経過。

「ケイゴ、レッツゴー」

 ケイゴの背中を押す。

「リラックス、リラックス。妙な行動取るなよ」

 まだ不安げな様子だが、それでも多少は落ち着いてきたようだった。アサミが通ったところを、そのまま綺麗に辿っていく。角を折れて姿が見えなくなる。

(さて、人のことばかり気にして、変な油断をしないようにしないと……)

 ユウトは自分に言い聞かす。この先どうなっているのか、情報は非常に少ない。その場その場で臨機応変な対応が求められる。よく見てよく考えてよく動かなくてはいけない。

 そんなことを思っているうちに一分経過。ユウトも歩き出した。


 角を折れると、折れた先にも同じような通りが現れる。あまり大きくない工場、倉庫、雑居ビルが並ぶ。いずれも、今は使われていないと感じさせるものばかり。時間経過の色が雑然とした中に不思議な統一感をもたらす。

 ユウトは、指定の場所を探す。その場所は、他より少し高めの塀で囲まれていた。中の様子は見えないが、他の建物同様、内部から明かりが漏れ出る様子はない。

 ユウトは塀を辿っていき、その入り口を見つける。そこを入っていくと、視界が開ける。小さく灯りがともされている広場には、いくつもの人影が見えた。

 奥の方には、建物のシルエットが浮かび上がる。レンガ積みの倉庫のように見えた。かなりシンプルな構造で、集合場所の広場に向けて大きな口を開いている。

 ユウトが進まず立ち止まって観察していると、いつの間にか近くに人が立っていた。

「君、こちらへ」

 静かに手招きする。ユウトは黙ったままそれについていく。

 ユウトは、広場の中央部の集団に合流する。敢えて灯りは遠ざけられているので、互いの顔を判別することは難しい。

 ただ、本当に何も見えないような状況ではないので、ユウトは周囲を静かに観察した。

 ユウトのあと、二、三人入ってきた後、おそらく入口が閉じられたのだろう。関係者と思しき人が、また別の関係者と思しき人のところに歩み寄り、何かを伝えている。

(一、二、三……)

 ユウトは集団の人数を数えた。自分含めて27人。もう一度数える。27人。

 カノハ高校の全校生徒数がおよそ600人。それと比較すると、多いのか少ないのかはよく分からない。そもそも、全員が現役のカノハ高校生徒なのかも分からない。

 集団から離れたところにいた関係者のうち一人が、こちらに歩み寄ってくる。そして、全員に聞こえるくらいのギリギリの音量で言った。

「本日は、わざわざご足労いただきありがとうございました。そのまま静かについてきてください」

 集団は素直に動き始める。

(結局、本人確認も一切なしか)

 警戒心が強いのか弱いのかよく分からない。アサミ、ユウトが呼ばれもせずに加わっているわけだが、それを怪しむ様子もない。呼んだ人間が漏れなく来るわけではなく、人数に幅があることを見込んでいたのかもしれない。

 ユウトは、集団の最後尾近くに陣取って進む。視界にできるだけ多くの人を捉えることを意識する。

 先導されながら、一団は煉瓦造りの倉庫内に入っていく。小さな星々すら遮断され、闇はますます深くなる。

 先頭を行く一人は懐中電灯を持っている。その明かりが断片的に倉庫内の情報を与えてくれる。

 重量感のある金属の巨大な塊。何らかの工作機械だろうか。生産ラインが組まれているわけではないので、工場というわけではないのだろうが、目に留まるのは工場内にありそうな大型で無骨な機会の類だった。機械油と錆の匂いに、埃っぽさが混じる。見上げるようなサイズのものもいくつかあり、威圧感がある。そして、同時に、一つのシンプルな空間に多くの死角が生まれる。

 それらの間を進むと、溶鉱炉にある大きな釜を思わせる物体が現れた。地に伏せられるような感じで、高さは人の背丈より少し高いくらい。

 先頭の人間が扉を開ける。どうやら、伏せられた釜の側面にどこかへの入り口が出現したようだ。もちろん、そのが何を指すかは容易に想像がつくわけだが。

(そう言えば、目隠しも耳栓もされていない……)

 間接的に聞いた話では、その部屋につくまでは目隠し、耳栓というのが標準スタイルとのことだったはずだが、今回、それらはまったくない。深夜とは言え、最低限の照明を灯して進んでいる以上、周囲の状況はある程度把握できる。しかし、それらを隠そうという意図はあまり感じられない。

 入口は狭いらしく、一人ずつ注意深く入っていく。地下世界探検ツアーの始まりだ。もしくは、メモギ図書館探検ツアーの番外編のような感じか。

 ユウトも身をかがめて中に入っていく。本当に暗かった。両手が手摺に触れるので、それらを握りしめる。足元は階段になっている。一段ずつ注意深く踏みしめる。

 後ろに続く数人が入ったところで、扉が閉められる。ズシンと腹の底に響くような感覚。

 もうこの先、引き返すことなどできないと理解する。すべてに決着がつくまでは―――。


 階段を下りきると、ある程度予想はしていたが、やはりかなり入り組んだ道を歩くことになる。道は狭かったり広かったり一定しない。視界の大部分は石材なのに、生き物のような柔らかさ、不安定さ、不確実性を感じる。そして、それはメモギ図書館の他の場所においても、多かれ少なかれ覚えた感覚だった。

 油断したら立ち眩みしそうな地下道の中、ユウトは前方を歩く人々を観察する。基本的にはみんな落ち着いている。不安が蔓延する前兆のような、切迫した空気は意外と感じない。(みんな一度はこの道を通ったことがあるせいかな)

 同じ道でも、はじめて歩くときと二度目に歩くときに体感距離が違うように、先を知っている大多数の人間は、案外余裕をもって進めるのかもしれない。

 ユウトは時刻を確認したかった。しかし、手持ちの光源をこの状況で灯すのははばかられる。

(23時30分に集合。それから少し経って動き始めたから、もう少しで日付が変わるくらいだろう……たぶん)

 低く狭い通路が急激に広がる。反響音の質が変わる。


 ―――ポチャン……ポチャン……ポチャン……。


 水音。光の届かない領域に水面があるようだ。小さな水たまりではなく、それなりの量の水を感じる。

 確かに、空気は湿り気を帯びているようだし、少しかび臭い。

(雨水が溜まっているのか?)

 しかし、よくよく嗅いでみると、単なる雨水以上の臭気を感じた。

(下水……が溜まっているわけではない気がするけど、どこかから漏れて混ざってるのかな)

 ここを通った者たちは、目隠しに耳栓をされていた。水音がなく視界を遮られていたとしても、匂いは分かるだろう。むしろ、他の感覚が使えない分、鋭敏になるかもしれない。

 そこまで考えて、ユウトは小さな結論に辿り着く。

(ということは、この臭気を隠すために、何か甘い匂いで誤魔化してた……みたいな感じかな)

 空間は再び収縮する。円を描くように大きなカーブを描き、それでいて来た道と交錯することはない。律動を繰り返すように、空間が絶えず揺らいでいるのではないかと思えてくる。

 時間の感覚も距離の感覚も怪しくなってくる。太陽も月も星もない世界だからだろうか。軸となる規則的なリズムが身体から急激に漏れ出していっている気がする。緩やかな傾斜が、登りなのか下りなのか一瞬では判断できなくなる。

 一つ前を行く人の背中が目の前に現れて、ユウトはハッとする。到着したようだった。

 立ち止まった人々の向こうに扉が見えた。輝きは鈍いが、精巧な金属加工が施された扉だった。実用性より装飾性を重視したと思える造形は、磨けば一つの美術品として価値を持ちそうな代物だった。

(なぜ入らないんだろう?)

 全員がその場で立ち止まっている。ユウトは、あまり目立たないよう気を付けながら周囲を見渡す。先導していた人物を見つける。手元を見ている。時計を見ている?

 何か段取りがあるのだろうか。よく分からないが、あちらにはあちらの事情があるのだろう。

 ユウトは、人数を数えることにした。関係者の外見はすでに記憶しているので、それらを除いて数える。27人。当たり前だが先程と同じ人数になる。27人。

 ユウトは待ち時間を利用して、静かにその27人の背格好や動作を記憶していく。何の役に立つかは分からないが、得られる情報は可能な限り入手する。そんな直感であり、本能に従う。

 10人くらい記憶に刻み込んだあたりで、先導していた人物は顔をあげ、扉に手をかけた。風圧に逆らうように、体重をかけゆっくりと開けた。

 当然のように顔をのぞかせる漆黒。そして、そこに視線のような何かを感じる。


(もしかすると、二人はおいてきた方が良かったのかもしれないなあ……)


 ―――漆黒が、こちらを見ている……。

 ユウトは視線をそらさない。真っ直ぐ見据えて、ただ前に歩みを進めた。





(#006おわり)




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「創作サークル Random Walk」の須々木正です。 オリジナルのお話を考える人間です。 ジャンルとしては、ファンタジー、SF、現代物など。 作風としては、ラノベっぽい感じから、ちょっと小難し…もっと見る

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