#005 モザイクコンパスの帰結③ - Bricks Without Straw - ●○○●●○○●●○●●●●○○○●●●●○○○●


「今晩か………。事はうまく運ぶのだろうか?」

「これまで通り、うまくいくでしょう」

「特に、今月に入ってからは凄いですね。他ならぬ僕たちが驚くほどに」

「正確には、2日の夜にこの場所を見つけてからだな」

「運も味方しているのか。ここまでくると、逆に薄気味悪い気もしてくるな」

「本当にこの場所に何かあるんじゃないかと思えてきますね」

「あれから半月と経っていないのに……」

「善い行いをしようとする者がいれば、不思議な力がその背を押してくれるのかもしれない」

「ところで、この場所はどうやって?」

「偶然見つけたんだよ」

「人が入っていくように見えたんでしたっけ」

「ああ。二人……背丈にかなり差のあるように見えた」

「けれど、結局誰もいなかったから、見間違いだろう」

「でも、確かに影が動いていたから、何かはそこにいたと思うのだけれど……」


 ――――不思議なことも、あるものだ………。



   *



 水曜、昼休み、カノハ高校、第一校舎屋上、ユウトとケイゴ。

 グラウンド側はかなり騒がしく落ち着かないので、中庭側の手摺りに体重を預ける。

 中庭を挟んで面する第二校舎の屋上は、フェンスが高く球技も許可されている。昼食を終えた生徒たちが集結しつつあり、徐々に活気づいてくる。

 フェンスがなく球技禁止の第一校舎屋上は、昼食をとり談笑するためのスポット。穏やかな天候に誘われ、生徒たちが比較的ゆるやかな時間を楽しんでいる。

 ケイゴはペットボトルのお茶を傾ける。そのまま一気に飲み干した。

「それじゃあ、昨日の話を聞こうかな。サッカー部、楽しかった?」

 ユウトはケイゴが落ち着いたタイミングで話を振る。

「なんか、こういうの久々だな」

 声の調子は変わらないが、少し楽しそうにも見えた。

「脱線してると昼休み終わっちゃうから」

「そうだな。じゃ、早速―――」


 昨日。つまり、火曜日。ユウトとアサミが駅の東側の、いわゆる図書館地区を探索していた日のお話。もちろん、〈トキメの易者えきしゃ〉に関するものだ。

 その前の日にイツキから例の話を聞いたユウトは、翌日登校するまでの間に可能な限りの情報を掘り出し整理し考察していた。その上で、火曜日のうちに打てる手を打ち始めていた。ケイゴがサッカー部に体験入部したのも、その流れだった。

 〈トキメの易者〉は、カノハ高校と何らかの関わりがある。イツキの話などから考えるに、〈トキメの易者〉のもとを訪れる人々は、おそらくカノハ高校の生徒。しかし、ネット上にそれらしい勧誘の情報は見当たらなかった。とすれば、リアルでより直接的に引き入れていると考えるのが妥当だろう。そこまで考えれば、現場はおのずと絞られてくる。

 学校というのは、少しばかり特殊な環境だ。情報の流れが外部とは異なる。そして、だからこその使い勝手というものがある。ヒントは、学内、特に三年生を中心に流れているという噂の話だ。

「進路に思い悩んでいる人に、救いの手を差し伸べてくれるとか何とか」

 月曜に倉麻くらまハルカから聞いたこの情報も、その後、各方面からもたらされた情報と統合すると、無視できないものという気がしてくる。

 ユウトの仮説はこうだ。

 学内で噂を流す。この噂は、出所は不明だが、〈トキメの易者〉の客となりそうな生徒の耳に届き、なおかつ誘導するものである必要がある。

 その前提で調べたところ、噂は、いくつかの部活の周辺部でやや偏りをもって流れていることが分かった。可能性として高いと思えたのが、サッカー部と美術部。他にも怪しいのがいくつかあったが、特にこの二つは匂い立つものがあった。事情を知ったうえで見渡せば、怪しいところは案外目星が付くものだ。

 カノハ高校の部活動は、簡単に言えば少数乱立。一つ一つの規模は小さいが、数は多い。部活認可の条件がゆるいので、余程突拍子もないものでない限り認められることが多い。ただ、それゆえの不都合もある。例えば、場所の問題。学校施設にも限りがあるので、部室を含め、共有となっているパターンもかなりある。また、兼部もかなり多い。互いに融通しあって、どうにか活動を成立させようという、ギリギリの折衝が日常的になされる。

 そんな中、サッカー部、美術部、そして、その他の目についた部活動には、共通項があった。それは、所属する部員以外に対してもかなりオープンであるということだ。

 サッカー部もそれほど部員を確保できているわけではない。しかし、最低限人数をそろえなくては、試合形式の練習も組みにくい。そのため、体験入部どころか、軽いレクリエーション気分での参加まで歓迎している。美術部に関しても、事情は違うが、部員以外が気軽に入り込めるという点では共通していた。

 学内の噂を聞いた潜在的な顧客は、先に挙げたような部活のいずれかに足を運ぶ。そして、そこから〈トキメの易者〉のもとに誘導されるのだろう。メモギ図書館付近の指定の場所に来るよう告げられ、手の込んだ道案内の末、目的の場所に辿り着く。

 そうすると、カギを握るのは、部活の現場で具体的に何がどうなっているのかということ。さすがに、部活全体がグルということはないだろう。おそらく、一部の人間が〈トキメの易者〉と繋がっていて、訪れた潜在的顧客をピックアップし、次につながる情報を与えるのだろう。

 そして、重要となってくるのがそのピックアップの方法。つまり、救いを求める一般生徒が、どうやって見つけてもらうのか。これについても、不確かながら情報を入手できていた。

 ユウトは、火曜の昼までに、これらの情報をケイゴに伝えていた。そして、尋ねた。

「サッカー部と美術部、どっちが良い?」

「実質一択だろ、それは」

 ケイゴに芸術的才能があるとは思えない。一方で、運動神経は良い方だ。必然的に、サッカー部を攻める方向で話は固まる。

 ケイゴは現在無所属。サッカー部に体験入部するというのは、そんなに変な話でもないだろう。

 しかも、サッカー部の部長は、ユウトのクラスメイトである倉麻ハルカの兄。そもそも、ユウトが噂について知ることになったのも、ハルカが兄から聞いたためだ。まったく縁がないわけでもないので、少しはやりやすさがある。

 放課後。ユウトはメモギ中央駅に向かい、ケイゴはサッカー部に向かった。


比田ひだケイゴと申します。本日は宜しくお願いします」

阿木あぎ先生から話は聞いている。そんなに構えず気楽にやってくれ」

 ケイゴは、放課後、体育のジャージに着替えてサッカー部に合流した。集まっていた部員は数人。その中で一人キリキリ動いていたのが、倉麻ショウジ―――サッカー部部長だ。ちなみに、阿木先生はサッカー部顧問。この場でその姿は見られない。

「分かりました」

「あ、それと、姉からも話を聞いてるぞ。愚弟を宜しくと」

「こちらこそ、いつも姉がご迷惑を」

 ショウジは表情を少し崩すと、それ以上の明確な反応は返さず他の部員のところへ行った。

 倉庫からサッカーボールやカラーコーンを運び出し、準備運動が終わるころまでに、あと数人現れ、結局十八人。三年四人、二年八人、一年六人。ケイゴが知っている人は一人もいなかった。

 ドリブル、トラップ、パスなど基本的な練習を軽くすると、六人組の三チームに分けられて、ミニゲームをすることになった。ゲームをしている最中、一チームは休憩になる。

 ケイゴは徐々に要領を掴んできた気がしたので、ようやく課せられた使命を果たすべく動き出した。ターゲットは、三年生と二年生。まだ五月上旬。さすがに一年生が校内で客引きしているとは考えにくかった。

 ケイゴは、ユウトから言われたことを思い返す。

 ―――自分は今、将来の進路について思い悩んでいる。だから、誰かの助言が欲しい。そんな雰囲気を漂わしたとき、それに食いついてきた人が怪しい。あとはその場で判断だ。くれぐれも、悪目立ちするような言動は控えるように。怪しまれないようにやるのが第一だ。

 自分のチームが休憩のタイミングで、ケイゴは隣にいた先輩に切り出す。

「先輩、ちょっと良いっすか?」

「おう。体験入部の……なんだっけ?」

「比田ケイゴって言います」

「おう、比田な。で、どうした?」

「俺、これからどう生きていけば良いっすかね?」

「はい?」


 ミニゲームは三巡したところで終わりになった。その後は、まだやりたい人だけで自主練。ここで半分くらいが帰路についた。

 ケイゴは律儀にも、最後に部長が退散するまで帰ることはなかった。それまでの時間に、本日来ていた先輩全員とコンタクトを果たせたので、初日としては上々と、少しばかり満足感に浸っていた。そこに、部長が話しかけてきた。

「比田、今日は随分熱心に話しかけて回っていたようだが」

「はい、いろいろ勉強になりました」

「何か気になることでもあったのか?」

「いえ、その……初日なので、まずは挨拶をしていきたいなと」

「それは良い心掛けだな」

 片付けの確認をする部長の横に付き添うケイゴ。部長はグラウンドに視線を走らせながら続ける。

「将来がどうとか聞いていたそうじゃないか」

「あ………はい」

「その………救いの手が欲しいのか?」

「いえ、その………」

 部長の口調は淡々としていた。怒っているわけではないが、冗談めかしているわけでもない。だから、逆にどう返せばよいのか分からなくなる。

「明日は? 来るのか?」

「できれば来させていただきたいです」

「分かった。でも、明日は無暗に聞いて回らないように」



   *



「おい……」

 話が一段落するとユウトは言った。ケイゴを見る視線は、呆れの色を含んでいた。

「僕、言ったよね? 悪目立ちするなって」

「だから、一人ずつ静かに聞いて回ったぞ」

「いや、音量の問題じゃないから。体験入部の一年が、初日から次々に先輩に話しかけたら、それだけで十分目立つから」

「物凄く人懐っこい後輩って思われるだけじゃね?」

「試しに僕を先輩だと思って再現してみて」

「先輩、ちょっと良いっすか?」

 もともと輝き成分の少ないケイゴの瞳がさらに色を失っている。愛想がなさ過ぎて少し怖い。

「おう」

「俺、これからどう生きていけば良いっすかね?」

 ずずいっと迫るケイゴ。妙な圧迫感。

「……………」

 ユウトは沈黙する。ケイゴはユウトの反応待ちで一時停止している。

「おい……」

「何か問題あったか?」

「会ったその日に何の前置きもなく人生にかかわる問いを投げかける後輩って何だよ……」

「一期一会だから、ここで会ったが百年目」

「意味分からん……」

「成果を急ぎすぎたか。すまん」

「ていうか、どこらへんに人懐っこいって要素が?」

「全体的に? 自然体で滲み出る感じ」

「ちょっと待て。自然体のケイゴに人懐っこさは皆無だぞ……。目つき悪いし」

「視力下がったっぽいからな」

「眼鏡つくれよ」

 そのとき、予鈴が鳴った。屋上にいた他の生徒たちが撤収準備を開始する。

「あ、やば……」

「とりあえず、手短に話をまとめてくれよ」

「そうだな。ケイゴの話を聞く限りだと……」

「聞く限りだと?」

「少なくとも部長は関係者じゃなさそうだね。でも、ケイゴに対する口ぶりから推測するに、何かを感じていそうな気はする。部内で気になることがあるんじゃないかなあ」

「てことは、やっぱりサッカー部は……」

「〈トキメの易者〉にリンクしている……のかなあ。まだ完全な黒ではないけれど、徐々に黒に近づいている気はする」

「今日も行ってくるか」

「頼むよ」

「ところで話戻すけど、昨日姉ちゃんが行ったっていう、図書館の付属研究院。あれはどうなんだ?」

「というと?」

「カノ高の生徒が相談に訪れるって言ってたんだろ。しかも、この時期に。結構怪しいんじゃねえの?」

「そうだねえ……」

「イコール〈トキメの易者〉とはならないのか?」

「うーん……イコールかって言われると、イコールとは違う気がするんだよね。それだったら、本来回りくどいことをしなくて良いと思うんだよね」

「それもそうだな」

「でも、イコールでないからと言って、無関係とは思わないけどね。というか、十中八九関係はあると思うよ。そもそも、図書館の近くに存在しているであろう地下道の話から考えても、図書館関係者関与の可能性は十分に高い。そして、図書館関係者っていうのは、実質的には付属研究院の人間ってことになる。図書館に関する一切の業務は付属研究院が引き受けているわけだしね。無関係の人間があの図書館の懐に入り込むっていうのは……正直考えにくいと思うんだよね」

 あの図書館―――こう言ってはなんだが、メモギ図書館はその他多くの図書館と同じ括りで語るには甚だ個性が強すぎる。

「つまり?」

「〈トキメの易者〉イコール付属研究院ではない。ただ、〈トキメの易者〉の中に付属研究院の人間が混ざっている可能性はかなりある。あとはもちろん、カノ高の関係者もね」

「やっぱ、サッカー部から辿れるなら、それが手っ取り早そうだな」

「その通り。だから頼むよ。僕は僕でできることをやるつもりだけどね」

「分かった。サッカー部の方は俺に任せろ。お前はお前で頑張ってくれ」

「了解」

 そのとき、チャイムが鳴った。

「これ本鈴じゃん!」

 屋上にはユウトとケイゴしかいなかった。

「こりゃまずい」

 二人は階段目指して駆けだした。

 階段を一段抜かし。廊下で別れて自分の教室を目指す。職員室から先生が上がってくるより前に教室に飛び込めば問題なしだ。

 ユウトは自分の教室に辿り着く。どうやらセーフのようだった。息を整えつつ、次の授業の教科書を取り出す。

「珍しくギリギリだね」

 前の席の倉麻ハルカが話しかけてくる。

「ホームルーム以外に話しかけてくるとは珍しい」

 言葉を返す。教室の前の扉から先生が入ってきた。ハルカは前を向いた。日直が号令をかけた。

 ユウトは機械的に身体を動かしながら、少しだけ屋上の話の補足に頭を巡らせた。

 カノハ高校から〈トキメの易者〉までどう繋がるか、その具体的な経路は確かに気になる。でも、実は、他に根本的な問いがあった。

 ―――彼らの動機はなんだろう? なぜメモギ区なのだろう? なぜ高校生を相手にするのだろう?

 ホテル・ビブリオ・ブリックのガレン・アンダーパスの発言。ここにすべてが集約されている気がした。特に重要なのは一つ目。動機はなんだ?

 金銭目的なんだろうと、はじめのうちは漠然と考えていた。でも、調べていると何か違和感があった。そもそも、騙し取られたという話を聞いていないのだ。すなわち、話の胡散臭さを度外視し、客観情報だけを見れば、単に両者合意の上のやり取りがなされていると言える気がするのだ。

 確かに、イツキの給与未払いの件は問題と言えなくもない。しかし、これはイツキが先に約束を破って余計な行動をとったことが原因であるとも説明できる。つまり、現状〈トキメの易者〉が何か明確な違法行為をやっているようには見えないわけだ。

 金銭目的にしては、随分とクリーンなやり方にも思える。誰かが傷ついているという話も聞かない。非常に狡猾で、そう装っているだけという可能性はあるが、やはり現状でユウトにはそう思えなかった。

 だから思う。もっと別の動機があるのではないか?



   *



 放課後。ユウトは友達からの遊びの誘いをうまく逃れて第二校舎に向かった。

 グラウンド寄りの第一校舎は、普通教室や職員室、学食、購買部がある。一方、その裏手にある第二校舎は、特別教室や図書館などがある。

 部室も基本的には第二校舎のスペースが割り当てられているので、放課後の渡り廊下は、ホームルームが終わった教室から部活動に向かう生徒たちの動線となる。その流れの中にユウトも混ざっていた。

 ユウトはケイゴと同様、部活動には所属していない。よって、他の多くの生徒たちとは違い、部室に向かっているわけではない。

 ユウトは三階にあがる。主要な部室は二階に並んでいるので、三階に来ると急に静かになってくる。屋上にあがる階段からは活気を感じるが、それにも用がない。

 三階の廊下を進む。行き止まりのところに外の非常階段に通じる扉が見える。

 ほとんど誰も訪れることのない校内の過疎地。倉庫として使われている教室が並ぶエリアだ。

 ユウトはその中の一つに入る。第一資料室。鍵はあいている。

 資料室と言っても、構造は普通教室と同じ。黒板があって窓がある。教壇や教卓はなかった。椅子や机もほとんど取り除かれ、代わりに多くの書類棚が並んでいる。

「うまくいったみたいですね」

「結構大変だったんだよ」

 窓際に寄せて置かれている机に座って、アサミは鍵をクルクル回していた。他には誰もいない。

 ユウトは静かに扉を閉めると、そのまま施錠した。

「うわー、鍵閉めたよ。二人っきりで何しようっていうのー」

 アサミはニヤッとしながら、わざとらしく言った。

「無駄口叩いてないで、さっさと作業に入りますよ」

 ユウトはノートパソコンを机に置いて起動する。

「わざわざパソコン持ってきたの?」

「プリントアウトするには量が多かったので」

 ユウトはファイルの一つを開く。大量の名前が縦に連なり、その横の欄に年月日、学校名などが記載されている。

「これは?」

「メモギ図書館付属研究院に所属している人間のリストです」

「すごいね。どうやって?」

「名前は普通に研究員のサイトで公開されてますよ。だいたいは前所属も記載されていたので、結構助かりました」

「マークしてあるのは?」

「カノ高関係者の可能性がある人ですね。可能な限り潰していったんですけど、結構候補が残ってしまいました」

「なるほど。やることが何となく分かってきたよ」

 アサミは視線をパソコンの画面から書類棚に移した。図書室ではないので、収まっているのはただの本ではない。過去の卒業文集や卒業アルバムだ。

 進路希望調査の参考にしたいから、卒業文集や卒業アルバムを見たい。それがこの部屋の鍵を預かるときにアサミが使った口実だ。もちろんユウトの入れ知恵だが、教師受けの良いアサミが職員室に赴いて思い悩んだふうに訴えたので、作戦はうまく運んだ。

 ユウトは最新の卒業アルバムを取り出した。適当にめくる。将来の夢が書かれたページで止まる。

「さて、どれだけの人がこれを叶えていくんでしょうね」

「ホント、性格悪いよね」

「実際、参考になるかもしれないですよ」

「……そうだね」

 進路希望調査の提出期限は今週金曜日。明後日だ。

「まあ、今は他にやることがあるので、まずはそっちを片付けていきましょう」

「何をすれば良いの?」

「簡単に言えば、情報の突き合わせですね。この付属研究院の名簿にある名前を、卒業生の中に見つけましょうということです。地道に頑張りましょう」

「うわ……大変そう」

「一応、卒業年度は絞れるだけ絞っているので」

 ユウトは名簿の欄を指さす。

「カノ高卒業ならこの範囲ってことです。この範囲になければ、関係ないってことで」

「りょーかい。さて、どこから攻めようか……」

「最近のものからいきましょう。たぶん、あんまり上の年代じゃないと思うんですよね」

「ほー」

 最新年度から三年分を持ってきた。卒業文集と卒業アルバムなので、合計六冊。

「最新のは軽くでいいですよ。可能性低いので」

「ふうん?」

 アサミは卒業アルバムのページをめくりながらも、ユウトに判断の根拠を求めているようだ。

「〈トキメの易者〉という名前は今年からですけど、たぶん活動は去年から始まっているので。今年の三月に卒業した人が加わっている可能性もゼロではありませんが、少なくとも首謀者ってことはないでしょう」

「なるほどね」

 やはり最新のものに怪しい人はいなかった。

「去年の卒業生から研究院に行った人はナシと」

 アサミは冊子を閉じて次を探す。ユウトが前の年のものを調べているので、一つ飛ばして遡る。

「これ丁野ちょうのランって、メイさんのところの次女ですよね。そう言えば、アサミさんの二つ上でしたっけ」

「そうだね。私が一年のときの三年」

 年にもよるが、カノハ高校の一学年はおよそ200人。40人程度の学級が5クラスという構成が普通だ。ほとんどはメモギ区在住者。そのため、交友関係の広いアサミは、学年が被っていなくても知っている人がチラホラといる。

「世間は案外狭いもんですね」

「メモギ区は特に狭いからね」

「言ってるそばからメイさん発見」

「ホントだ。今とあんまり変わらないね」

「確かに」

 アルバムにもよく写り込んでいた。高校生活をエンジョイしていた様子がよく分かる。

「ところでさ」

「どうかしました?」

「いや、ふと思ったんだけどね、中退した人もいるよね?」

「いるでしょうね」

「中退した人は、文集にもアルバムにも名前残らないよね?」

「そうですね。現状ではどうしようもないので考慮しない方向で」

 ユウトは、アサミの手元を覗き込んだ。

「ここに写ってる人さ、色素が薄いというか、白っぽい髪で目立つんだけど、集合写真にはいないんだよね」

「中退でしょうね」

 光の加減で、白なのか銀なのか、もしくは灰色なのかよく分からないが、そんなに見ない髪色だった。生気を感じられない目つきで、それが逆に印象的だった。

「この隣に写っているのもまた別の方向で目つき悪いね。カメラにガン飛ばしてるのかな」

「その人は名前ありますね」

 レオル・ヤーデ―――研究院の名簿には該当なし。

「もう一人はやっぱり名前ないですね。でも、これは結構特殊なパターンでしょうね」

「どうして?」

「だって、クラスページのスナップ写真に写り込んでるのに名前がないんですよ。三年の途中でやめたってことじゃないですか」

「そっか。確かにそうだね」

 三年の時点で学校に来て写真にも一応写っている人が、結局卒業しないというのは、多少なりとも想像力を掻き立てるものがある。

「メイさんの一学年上なので、もしかして知ってるかもしれないですね。そのうち聞いてみましょうか」

 ユウトはデジカメでそのページを接写する。

「これ、アズハさんですね」

 さらに一学年上のアルバムに付属研究院のアズハの名を見つける。メイの二つ上、アサミの六つ上、ユウトの八つ上。

 その後は口数も減って黙々と作業を続けた。そして、結局12学年分調べたところで二人揃って力尽きた。それぞれ6学年ずつ調べたことになるので、合わせれば2000人以上調べたことになる。

 単純な作業ゆえの疲労感があった。

「目がチカチカする」

 アサミが目をしばたかせる。

「どうもありがとうございました。できることはやったので、こんなものにしましょう」

 候補はかなり絞れてきた。ふるいにかけられ残った名前は10に満たない。

「あとはケイゴの頑張り次第ってことね」

「そんなところです」

 ケイゴは今頃サッカー部体験入部二日目。

(何か小さな取っ掛かりでも掴んでくれれば良いけれど……)



   *



「体験入部? 入ってくれると良いね。人数少なかったら試合もまともにできないもんね」

「まあそうなんだが……何か様子がおかしい気がするんだよな」

「へえ、どんなふうに?」

「何か他に目的がありそうというか……サッカーはしてるんだけど」

「何年生?」

「一年だな。お前とは違うクラスかな……えーと、二組だな。二組の比田ケイゴ」

「違うクラスだね。違うクラスだけど……」

「知ってる?」

「いや、その名前、聞いたことがあるような……」

「同じ学校なんだから、聞いたことがあってもおかしくないだろ」

「そうじゃなくて」

「ちなみに、姉は校内でも結構な有名人だぞ。比田アサミって、俺のクラスなんだけど」

「あ! 思い出したよ。昨日の放課後見たよ」

「そりゃ見ることもあるだろ」

「昇降口のところで、姉弟が揃ってたよ。何やってたかは分からないけど。そのあと、うちのクラスの七津なのつユウトって、私の前の席の人なんだけど、その人が姉に引っ張られてどこかに連れていかれてたよ。結構親しそうだった」

「へえ……その七津っていうのは、姉弟両方と知り合いなのか?」

「そんな感じだった。そう言えば、その七津君から今朝、サッカー部について聞かれたよ」

「なんて?」

「噂がどうとか。すぐに先生が来ちゃって話が終わっちゃったけど」

「そうなのか……」


 倉麻ショウジは、昨晩、妹のハルカと交わした会話を思い返していた。思い返しながら、グラウンドで練習メニューをこなしていく部員を見渡す。比田ケイゴは今日も来ていた。

 比田ケイゴは、今のところ昨日よりは大人しい。手当たり次第に話しかける様子もない。

 ただ、昨日話しかけまくっていた影響で、他の部員との距離感は二日目にしては近くなっているように感じる。悪いことではないが、引っ掛かるところがないわけでもない。

(噂……か)

 詳細は分からない。でも、そのたった一言を念頭にこの場を眺めると、なんだか違うものが見えてくる気がした。というより、話が繋がってくる気がした。

 昨日今日と見ていて、比田ケイゴは姉とは違い、誰とでも器用にコミュニケーションをとれるタイプではないように思えた。だから、昨日は相当頑張っていたのだろう。ちょっと不自然なところが感じられたのも、そのせいだろう。

 不愛想な雰囲気が漂っているし、教師受けは良くなさそうな気はするが、直接かかわってみると悪い印象は受けない。むしろ、かなり仲間想いなタイプではないかと思えた。実際、姉もかなりの仲間想いタイプなので、このあたりは姉弟で似ているのかもしれない。

 そんな比田ケイゴが、このサッカー部に来て何をしたいのか。

(これは、単純にサッカーをしに来ているわけじゃなさそうだな)

 部長としては少し複雑な心境。しかし、こういうのは嫌いじゃない。

(それに、これはチャンスかもしれない……)

 倉麻ショウジは時間を確認し、次の練習メニューに移るよう指示を出した。

「よし、三人一組のパス練習だ!」



   *



「――さん、体験入部の一年、今日はおとなしいですね」

「そうだな」

 比田ケイゴ。三人一組のパス練習を黙々とこなしている。確かに今日は、挨拶程度の会話しかしていない。昨日とはずいぶん違う。

「部長こっち見てるぞ。早くパス出せよ」

「――さん、どうかしましたか?」

「いや、まあ、ちょっと気になってな。せっかく体験入部したなら、そのまま部員になって欲しいもんだ」

「まあ、そうっすね」

 ―――俺、これからどう生きていけば良いっすかね?

(あそこまであからさまなのも珍しいが、それでも間違いないだろう。あとでタイミングを見計らって……)

「なあ、――」

「なんすか?」

「あの一年、少し気になるから、部活終わったら声をかけてくれないか?」



   *



(今日は普通にサッカー部して終わってしまった……)

 部長の合図で片付けが始まる。ケイゴもそれに加わりながら、何の収穫もなかったことを今更ながら認識する。

(ユウトからもあまり目立つことはするなと言われてたしな……今日はこんなもんか)

 下っ端として率先して片付けに励む。今日は残って自主練する人はいないようで、グラウンドは何も残らない。

 今日はこれで切り上げるしかないな―――そう思ったとき、背後から声をかけられた。

「比田、ちょっといいか?」

 声をかけてきたのは……確か二年の先輩。部内で目立つタイプではないので、名前は忘れたが。

 二年のはずだが、一年のケイゴより華奢な体つき。視線の高さも、同じくらい。

 先輩は歩き出した。ケイゴはそれについていく。

 先輩はグラウンドの端にある部室棟には向かわず、広い階段をあがっていく。

 カノハ高校のグラウンドは校舎が建っている場所より低くなっているので、そちらに戻るときは階段をあがることになる。なお、サッカー部を含む運動部が使う部室棟は、グラウンドの高さに建っているが、敷地の高低差を利用して二階から校舎側に直接出られるような構造になっている。

 先輩は階段をあがると、そのまま第一校舎の横を抜け、中庭の方向に進んでいった。すると、中庭の入り口付近の植え込みのところに別の先輩が腰かけていた。

篭井かごいさんが話したいってさ」

 副部長。篭井はにこやかに手を上げた。

「じゃ、俺はこれで」

 ケイゴを連れてきた二年の先輩は早々に部室へと引き上げていった。

 ケイゴは篭井のところに行った。

「悪いな、練習後に呼び出しなんて」

「いえ、全然問題ないっす」

「まあ座れ」

 ケイゴは篭井の隣に一メートルくらいあけて座った。

 周囲には他に人はいなかった。生徒たちが通るルートを微妙に外れているので、腰を落ち着けて話をするには良いスポットのようだった。

 篭井はサッカー部の副部長だが、部長の倉麻ショウジとはかなりタイプが違う。

 倉麻は部で一番サッカーがうまく、統率力もあった。対して、篭井はどちらかというと室内系の雰囲気。サッカーに熱心に打ち込む感じでもなければ、闘争心を秘めている感じでもない。ほどほどに身体を動かしているだけに見えた。結論、副部長として存在感があるわけではなかった。

 ケイゴが様子をうかがっていると、篭井が口を開いた。

「いや、ちょっと気になってな。副部長だからってわけじゃないけど、悩んでることとかあれば力になりたいなと」

 ケイゴは昨日のことだとすぐに思い至った。

 ―――俺、これからどう生きていけば良いっすかね?

(ユウトはあんなこと言ってたけど、これは普通にうまくかかったってことじゃね?)

 でも、肝心なのはここからだ。早とちりしてはいけない。まだ〈トキメの易者〉と繋がっているかは分からない。

(とりあえず、適当に話を合わせて探るか……。ユウトみたいに口が回るわけじゃないけれど。とにかくまあ、あれだ。平常心、へいじょうしん、ヘイジョウシン、Hey! Jou! Shin!)

「はい。ありがたいっす……」

「………………………………」

「………………………………」

迂闊うかつなことは言えないし。ていうか、この沈黙は気まずいぞ……)

 話のテンポを互いに掴み損ねる。しかし、篭井がその空気を察知し先に沈黙を破った。

「そうだな。この状況でいきなりは話しにくいよな。じゃあ、俺の方から質問させてもらうかな」

 篭井は友好的な表情で話を続けた。一方、ケイゴはいつも通り不愛想な表情。もちろん、本人にそのつもりはないわけだが。

「確か、昨日いろんな人に聞いて回ってたと思うんだけど、何か将来に対して不安でもあるのかな?」

「将来に対する不安…………ありますね」

 そりゃ、多くの人は多かれ少なかれ何かしらの不安を抱いているものだろう。

「だよな。いや、俺も先輩面してはいるけど、やっぱり不安は尽きないんだよ」

「先輩もなんですか?」

「そうだよ。むしろ学年が上がるにつれ、より切実になってくるというか。だんだん先が見えてきちゃうからな」

 高校に入りたての一年生と、高校卒業が見えてきた三年生とでは、見え方感じ方はいろいろ違ってくる。

「先輩は進学するんですか?」

「そのつもりだよ。うまくいくかは分からないけれど」

「そうですか……」

「ははは。まあでも、今は俺のことはどうでも良いんだよ」

 ケイゴは、部活中に感じたより篭井が明るい性格であるように思えてきた。案外話しやすいタイプのようだ。

「将来に対する不安っていうと、やっぱり進路とか?」

「そうです、そんな感じです」

「そうかあ。俺が一年のときは、あんまりそんなこと考えもしなかったけどな。もっと気楽に能天気に生きてたよ」

「そうですか」

 俺は、実際のところどうなんだろうな。考えてるのか考えてないのか。いや、考えてないか。

「比田は、兄弟はいるのか?」

「姉貴がいます」

「そうか。歳は近いのか?」

「二つ違いです」

「とすると三年、俺と同じ学年か………て、もしかして、あの比田か? 確か一組の」

「たぶんその比田です。何かと騒がしい比田です」

 三年一組に複数の比田がいると聞いたことはない。

「そうかそうか。でも、姉弟で結構雰囲気が違うな。いや、そうでもないのか?」

「どうでしょう?」

「少なくとも、姉の方の比田は、あんまり思い悩むようなタイプじゃないと思ってたけど。まあ、でも見ただけじゃ分からないか」

 正直、そこらへんのことはケイゴにもよく分からない。ゆえに曖昧な反応になってしまう。

「どうでしょう?」

「でも、確かに上に兄弟がいると、将来のことを考えるのも早くなるのかもしれないな。実際、三年は今、進路希望調査もやってるし」

(進路希望調査―――そう言えば、そんな話を聞いた気がするな。姉貴じゃなくてユウトからだけど。進路希望調査のために、イツキとかいう人のところへ行ってきて、そこから今回の一件が始まったとか)

「比田は、もし今、進路希望調査をしたら、どう答えるんだ?」

 ケイゴは少しだけ考え込んでから答える。

「進学……なんですかね」

 進学したい、というよりは、ただ単に他の選択肢がよく分からないだけ。というか、むしろ卒業の心配をしたい。高校卒業はみんなできるものなのだろうか。

「ま、そんなもんだよな。でも……」

 ケイゴには、自分の言いたいことを篭井がなんとなく察しているように思えた。あまりに漠然としていて、不安すらぼやけてしまいそうな感覚。

 たぶん、今の自分には不安が不安のように見えていない。でも、なんだか、その曖昧でぼんやりしたイメージが頭に浮かぶと、それがむしろ―――。

「不安なんだろ?」

「………はい」

「漠然とした将来ってやつについて、考えること自体が不安っていうのはよくあることだと思うんだ」

 将来が不安、とは少し違う。将来を考えることが不安。そんな感じ。

「だんだん無駄に知識を与えられてくると、それまで気にならなかったことが気になったりしてきて。本当は完全に無知な状態が不安もなくて良いのかもしれないけれど、そんなものは後の祭りってやつで」

「てことは、大人になるほど不安は大きくなるってことですかね?」

「どうなんだろうな」

 篭井は静かに笑う。

「でも、不安は大きくなり過ぎたらやっぱりしんどいもんだ。どうにかしないといけない」

「どうすれば良いんでしょう?」

「まずは、いろんな人に打ち明けて、アドバイスをもらうと良いと思う」

「なるほど」

「ただ………」

「ただ?」

「人によって………特に大人であることが多いが、人によっては、逆に不安を煽ることもある。これには注意が必要だ」

 確かに、大人の助言が役に立つなんて思っていたら、大きな間違いだ。より長く生きていることが、そのまま良い助言者の条件とはならない。

「そうすると、やっぱり、こうやって先輩に聞いたりするのが良いんですかね」

「そうだな。それも一つの手だけど、結局同じ高校生だ。気持ちは分かってやれても、本当に必要なことを言えるのかといったら怪しい」

「そう、ですか……」

「でも、本当に困ったときには強い味方がいる」

「強い味方?」

「そうだ。カノハ高校の生徒に救いの手を差し伸べる強い味方だ」

「救いの手……」

 これは………ついに来たのか?

 ケイゴは、話しているうちに忘れそうになっていたことに気付きハッとする。

(俺が、いや、俺たちが今知りたいこと。〈トキメの易者〉とは何者なのか―――)

 ケイゴは頭が冴えてくるような感覚を得る。篭井は話を続けた。

「教師でも親でも先輩でもなく、でも、しっかり真剣に考えて本当に適切な道を示す人たちだ」

「そんな人が?」

「いるところにはいるもんなんだ」

「どうしたら、その人たちに?」

「会いたいか?」

「会いたいです」

「そうか。それなら、いくつか確認をとらせてもらう。、機密保持と中立性確保のためだ」

 確認? ケイゴはドキリとする。

 思考を整理する間もなく質問が始まる。

「まず、サッカー部に来た理由は?」

 篭井の表情が少し変わった。じっと見られている。

(なんだこれ……こんな話聞いてないぞ。普通はサッカーに興味がありますって感じだろうけど……。考えろ、考えるんだ、俺)

「将来の不安を解消したくて」

 篭井は黙っている。少し難しい顔をしたまま何かを考えているようだったが、じきに次の質問に移る。

はどうやって知った?」

(情報? 何の情報だ? 聞き返したらまずいのか?)

「難しく考えなくて良いぞ。そのまま正直に―――」

 焦り始めるケイゴに向けられていた視線は、何かの気配を察知して対象を変える。二人並んで座っていたその正面に、いつの間にか人が立っている。

 その足元がケイゴの視界に入る。学生服のスラックス。ケイゴは視線をあげていく。

「な……!?」

 ケイゴは驚き思わず変な声をあげてしまう。身体も跳ね上がっていたかもしれない。

 下校時刻の迫る中庭。人の気配はほとんどなくなっている。背筋がゾクッとしたのは、汗を拭かず風にあたり続けていたせいではないだろう。

 目の前にゆらりと立っていた人物。その顔には、不気味なお面が貼り付いていた。

 蒼白でのっぺりした顔立ち。切れ長でお椀を伏せたような目。両端をゆがませ微かに開いた口。喜怒哀楽では表現できない、不安定な表情のまま固まったお面だった。

 ケイゴはそのまま逃げだしたい気持ちになるが、隣の篭井は微動だにしない。ただそのお面を見つめている。

 それを見て、ケイゴは少しだけ冷静さを取り戻す。

(これは、もしかして……)

 ケイゴは改めてお面の人物を見る。背は高い。服装、体格から考えて男。カノハ高校の制服を着ていて、腕は目一杯捲り上げている。露出した腕には、べっとりと原色がこびりついていた。

(これはおそらく、普通にカノ高の男子生徒だ。それが顔を隠して現れたってことは……)

 ケイゴは予想していなかった展開に戸惑うが、一方でチャンスだと感じていた。事態が大きく動いている感触があった。息を詰めて様子をうかがう。

「話は簡潔にしようじゃないか」

 お面の中から声が聞こえる。こもった声。ただし、それは普通に人間の声。

 今度は隣の篭井が戸惑っているようだった。どう返して良いか困っているように見える。

「あの……あなたは?」

 篭井の声は明らかな焦りを含んでいた。それを押し殺そうとしている。

「分かっているだろう?」

 お面の男は、非常にゆっくりと、抑揚の少ない口調で答える。

「しかし、こんな………校内で直接というのは……」

「今はイレギュラーな状況だ」

「イレギュラー?」

「そうだ。今晩のことは知っているだろう?」

 篭井はまた少し黙って思案顔になる。

 すると、お面の男はケイゴの方に向き直る。

「言ってごらん。君は?」

 ケイゴは妙なプレッシャーを感じる。しかし、黙り込むのはまずいと思った。その名を口に出すことにする。

「〈トキメの易者〉……です」

「なぜだ? なぜ〈トキメの易者〉に会いたい?」

「自分の将来が不安で………それで、その助言をもらいたいと思ったので」

 お面の男は再び篭井の方を向く。すると、少しばかり威圧的な声音で言った。

「そちらの君。ちょっといいか?」

 篭井はおもてをあげた。

「な、何か?」

「私は、少しばかり君のことを疑っている」

「え? な、何を?」

「我々は互いのことを知らない。それ故に、確認しなければならないだろう?」

 篭井は何か反論しようと試みるが、うまく言葉が出てこない。

「〈トキメの易者〉の本拠地はどこだ?」

「そんな……」

「答えられないのか?」

「いえ………。メモギ図書館付近の地下室です」

「それでは、〈トキメの易者〉の構成メンバーの名は?」

 篭井は答えを渋る。お面の男はさらに圧力をかける。

「場所については、一度行ったことがあれば答えられるだろう。それだけでは証とはならない。だからこそ、名を答える必要がある」

「しかし……」

「どうした?」

「フルネームは分かりません」

「知っている範囲ですべて答えれば良い。それでこちらも判断できる」

「……クワイエ……ヨツヤ……バスコ……アシリ」

「四人か?」

「これ以上は聞いたことがありません」

「それでは、最後の質問をしよう。〈トキメの易者〉は何を目的とする集まりだ?」

「目的……」

「そう、目的だ」

 再び会話は途切れる。静かに見下ろすお面の男。篭井は答える。

「分かりません………本当に、聞いたことがありません」

 お面の男もすぐには反応を見せない。篭井も息を殺して待っている。

 お面の男は息を深く吸った。そして言う。

「確認した」

 その言葉を聞き、篭井は明らかに安堵した様子を見せる。まだ表情は硬いが、それでもかなりマシになった。

「では、残った手順を。隣の生徒は〈トキメの易者〉に会いたいと言っているぞ」

「分かりました」

「比田、急な話だが、今晩どうにか出てこれないか?」

「今晩ですか?」

「そうだ。かなり遅くなる」

(そう言えば、さっきお面の男も、今晩がどうとか……)

「大丈夫です。うち、そういうのは緩いので」

「それは良かった。今から参加できるか聞いてみる」

「参加?」

「今晩、重要な集まりがあるんだ。〈トキメの易者〉に興味があるなら是非参加してほしい」

「分かりました。お願いします」

「では……」

 篭井はケータイを取り出す。練習後、部室にいったん寄って取ってきていたようだ。

「分かっていると思うが、私のことには触れないように。彼のことだけ簡潔に」

「分かっています……」

 篭井は少し距離をあけると、通話を始めた。

(〈トキメの易者〉と連絡をとっているのか……)

 ケイゴが篭井の様子を観察していると、突然お面の男が話しかけてきた。

「比田ケイゴ」

 ケイゴは振り返る。

(なぜ俺の名を?)

 確か、この男が現れてから、フルネームを言う機会はなかったはず。

「比田ケイゴ。この後、この場が解散となっても、しばらくこの場にとどまるように」

 篭井はすぐに戻ってきた。今晩の集まりの参加許可が出たようだ。

 篭井は集合の方法を説明すると、薄い生地の目出し帽をケイゴに渡した。注意事項を復唱させ、ケイゴがそれをこなすと、やるべきことは終わったようだった。

 人の少ない時間帯、人の目につきにくい場所とはいえ、目撃される可能性はできるだけ減らしたいのだろう。篭井はその場の解散を告げた。

 お面の男は早々に立ち去る。

 篭井は立ち上がり、周囲を見回す。それから、ケイゴが立ち上がる素振りを見せないことに気が付く。

「どうした? 部室に行かないのか?」

「少しだけ風に当たっていっても良いっすか?」

「好きにすれば良い。俺は先に帰ってるよ」

 ケイゴは一旦立ち上がり礼を言った。篭井はその場から立ち去った。ケイゴは再びその場で腰を下ろした。

(この場にとどまるようにとは言われたが……)

 二、三分経過したとき、人の気配がした。お面の男だ。

(戻ってきた……どういうつもりなんだ?)

 再びの緊張感。ケイゴは黙っていた。

 お面の男は、先程まで篭井が座っていたあたりに腰を下ろした。それからお面に手をかけ、そのまま外した。

「ふうー。いい風だな」

 ケイゴの知らない人だった。見かけたことはあるかもしれないが、関わったことはないはず。

「比田ケイゴ君、まずはお疲れ様」

 その人はなぜか握手を求めてくる。ケイゴはそのまま握手を交わしてしまう。

「良かったな。結構な情報をゲットできたじゃないか」

「あの……あなたは?」

「そうだな。こうやって話すのは始めてだしな」

 その人は人差し指と親指を開いて顎に当て、妙な決めポーズをすると言った。

峰矢みねやイツキ。一般人さ」

 その名は、ケイゴが聞いたことのあるものだった。

「あなたが、イツキさん……」

「その通り。君の姉とか友達とは面識があるんだが」

「あの、そのお面は?」

「美術部で拝借した。この絵の具もそのときのもの」

 腕のやつは、ボディー・ペインティングと見せかけて、ただの絵の具の汚れだった。

「イツキさんは美術部員なんですか?」

「いや、帰宅部だ」

「それなら―――」

 そのとき、再び人の気配がした。篭井が戻ってきたのかと思って焦る。しかし、そこにいたのは別の人だった。

「部長……」

 現れたのは、サッカー部部長、倉麻ショウジだった。

「盗み見させてもらってたよ」

「どの時点から?」

「篭井と比田が話を始めたところから」

「とすると、はじめからアイツが怪しいと?」

「いや。でも、部内で何かあるとは思っていた。だから、比田がそれに巻き込まれないようにと昨日は思ってたんだが……」

 倉麻はケイゴを見る。

「比田が随分な覚悟をもって事に挑んでいるように見えたから、今日は少し距離をとって様子を見ていた。結果、尻尾を掴めたわけだ」

「なるほど」

「まさか篭井だったとは……。でも、分かって良かった。感謝するよ。比田、それに峰矢も」

「俺のこと知ってるのか?」

「見た目的に運動ができそうだから、運動部の部長はみんな知ってると思うぞ」

「確かに、勧誘は結構されてきた気がするな」

 そこでようやく場の空気が和やかになる。息が詰まるような時間が続いていたので、ケイゴは久しぶりに息を吸ったような心地になる。

「ところで、ケイゴ君。大きな働きをした直後に言うのもなんだが、さっさと連絡とかした方が良いんじゃないか?」

「そうだ!」

 イツキに言われケイゴはポケットを探り、すぐケータイは部室にあると気づいた。

「俺はこれで退散するよ。慣れないことをして疲れてしまった。あとは宜しく」

「今日は本当にありがとうございました」

 ケイゴは校門に向かって歩き出すイツキの背中に深く頭を下げた。

「どうせ部室の鍵を閉めるから、俺も行くよ」

 ケイゴは倉麻とともに部室に急いだ。



   *



 第一資料室で情報洗い出し作業をしていたユウトのケータイが震える。

「電話?」

 アサミが尋ねる。

「ケイゴから」

 ユウトは電話に出る。電話をしながら、ユウトは紙とペンを取り出し、メモをしていく。

「分かった。少し確認することがあるけど、それが終わったらすぐに向かう。お疲れ様」

 ユウトは通話を終えると、手元のメモ書きを改めて見る。横からアサミも覗き込む。

 クワイエ、ヨツヤ、バスコ、アシリ。

「今から一応確認しますが、手柄ですね」

「これが〈トキメの易者〉のメンバーの名前?」

「そうらしいです。今から確認作業ですけどね」

「今からまたこの四人を探すの?」

「名前が正しければ、そんなに大変じゃないでしょ。あと、探すのは三人ですよ」

「え?」

 ユウトは開いているノートパソコンの画面を指さす。そこには、クワイエ・リョウの文字が。

「研究院所属ですよ、この人は。ビンゴです」



   *



「ボスぅ~」

 エレナは気だるげに声をあげた。コッホ商会の店舗スペースの広いカウンターに収まり、貼り付くように伸びている。店内に客はいない。

「ボス言うな」

 ザウステン・コッホは横目でちらりと視線を投げてから答える。

 いつも通り、カーキ色の工場用エプロンをつけている。客がいなくなったタイミングで陳列棚の整頓と清掃を始めた。

「で、お前はここで何をやっとる?」

 エレナは店番をしているわけではない。暇つぶし以外の何物でもない。

 しかし、ザウステンは追い払ったりはしなかった。デカい図体に似合わぬ丁寧な仕事で店内を整えていった。

「ユウ君が素っ気ないよー」

 ザウステンがカウンターに筆記具を取りに来たタイミングでエレナが言う。

「嫌われるようなことでもしたんじゃねえか?」

「こんなに尊い存在の私がそんなことないと思うんですけどー」

 ザウステンは、サインペンとハサミを手に取る。

「暇なら店内の清掃手伝え」

 ザウステンは陳列棚に戻っていく。エレナはカウンターに貼り付いたまま。

 五月の連休が明けて一週間。先日は、随分いろいろ手の込んだもてなしを受けた。それらが、この数ヶ月だれきっている自分に喝を入れるための催しだということを、さすがのエレナも理解していた。そして、それは短期的には効果があったかもしれない。しかし、結局のところ抜本的な解決には至らず。

 何のトピックもない水曜の午後。客はなかなかやって来ない。

「ユウ君、ここ数日何やってるんだろ? 仲間外れとか、エレナさんねちゃうぞー」

 カウンターで伸ばした腕、その先で開いた掌を眺め、ひとりごちる。

 店内を整えつつエレナの様子を眺めていたザウステンは、カウンターの奥に行き、パソコンをいじる。エレナの目の前にあるモニター画面が切り替わった。

 ザウステンは耳を触るジェスチャーをする。エレナはモニターにつながるイヤホンを片耳にあてた。

 どこかのカメラの映像。少なくともコッホ・ビルディングのものではなかった。右下に小さく表示されている日時は昨日のもの。

「これは?」

 古びたソファー、小さな木のテーブル、窓際に人の背丈より高い重厚な本棚。

「見覚えあるんじゃねえか?」

 エレナは身体を起こした。

「確かに。これはまた懐かしい場所ね」

 画面の端の方で木製の扉が開く。カラン。学生服の男子が入ってくる。

「ユウ君? なんでユウ君が?」

「黙って見てろ」

 エレナはザウステンに言われた通り、何も言わず、食い入るようにモニターを見つめ続けた。年代を感じさせる空間に不釣り合いな高感度広域集音マイクは、画面の中の二人の会話を漏らさず拾っていた。

 ザウステンは、陳列棚で整理整頓を再開した。

 しばらくして、一連の映像が終わるとエレナはイヤホンを外した。

「なるほど、なるほどね」

 エレナは立ち上がる。

「ボスぅ~、この映像、私のパソコンに飛ばしといて~」

「ボス言うな」

 ザウステンが答えると、エレナは店の奥にある階段に向かった。



   *



 ユウトとアサミがケイゴから伝え聞いた名前をもとに調べたところ、四人すべてがカノハ高校出身者であると判明した。そのうち、付属研究院所属はクワイエのみ。四人の中でも特にカギを握る人物であると推測できた。

 学年的には、クワイエが最も上で、アサミより六学年上ということになる。付属研究院で会った四祭しさいアズハとは同じ高校の同学年にあたる。情報によると研究院への所属年度は異なっているようだが、何らかの接点はあるかもしれない。

 ヨツヤは、クワイエの二学年下。高校ではクワイエが三年、ヨツヤが一年のときに被っているので、ここで知り合った可能性は考えられる。

 バスコ、アシリはともに、ヨツヤのさらに二学年下で、アサミの二学年上。ヨツヤが三年、バスコ、アシリが一年のときに被っている。

 ユウトは、卒業アルバム、卒業文集で、四人の情報を改めてチェックした。特に際立った何かを感じることはなかった。在学中、目立つ業績を残した感じでもないし、一方で問題を起こしそうな雰囲気も感じられない。良くも悪くも、普通の生徒だったのではないかという印象を受けた。

「参考になるようなならないような情報だな」

「何を! 私たちが必死に探った情報だよ。際立った何かがないということ自体、一つの重要な情報なんだぞ」

「それ、僕がさっきアサミさんに言ったやつですね」

 ユウト、アサミ、ケイゴは、学校の近くの用水路沿いの小さな公園で合流した。そして、互いに得られた情報を一つ一つ共有していった。

「ユウト、他に何か感じたこととかなかったのか?」

「うーん……そうだな、敢えて言うなら」

「言うなら?」

「クワイエって人は、きっと優等生タイプだったんじゃないかな。文集とか読む限りでは、真面目で正義感強そうな印象があった」

「それがなんで地下組織作って高校生引っかけてるのよ……」

「なんででしょうねぇ」

 ユウトはあまり不思議がっていない感じの口調。アサミはその意図を読みかねる。

「さて、情報共有はだいたいこんなもんですかね」

「イツキの行動については謎だらけだけど」

「僕は何となく想像つきますが……まあ、詳しくは後日、本人に聞いてください」

「それで、今晩はどうする?」

「ケイゴの代打で僕が参加してこようかと……。二日連続でサッカー部に出て疲れてるだろ?」

「いや、俺の参加許可しかないから」

「じゃ、一緒に行くか」

「大丈夫なのか?」

「どうせ互いが誰だか分からないようになってるし。しかも、今回は参加者が集合してから本拠地に向かうっぽいから、紛れ込める可能性はそこそこあると思うんだよね」

「結構心配なんだが……」

「いざとなったらうまく退散するから」

「まあ、お前がそう言うなら、俺は強く止めないが。正直、俺一人より良いのは確かなわけだし」

「そういうことなら、私も行くよ」

「いや、姉貴はいない方が良いだろ」

「なんでよ」

「足引っ張りそうじゃん。俺も人のこと言えないけど」

「大丈夫だって。それに、今回の一件、ユウト君を引き入れちゃった責任ってのもあるしね」

「どうする、ユウト?」

「うーん……余計なことはしないと誓った上でなら。アサミさんがいた方が助かるところもあるので」

「ほら見ろ。私は必要なんだよ!」

「余計なことするなって言われたんだぞ?」

 ただ今の時刻が夕方六時。この場でいったん解散し、数時間後に再集合ということになった。それから図書館の方に向かう。

 この後の方針が固まったところで、三人は腰を上げる。

 公園を出るとき、ケイゴがポツリと言った。

「ちょっと思ったんだけどさ……」

「どうした?」

「篭井さん……サッカー部の副部長な。あの人と喋ってて思ったんだけど、あの人は普通に良い先輩なんじゃないかと思った」

「アンタ、〈トキメの易者〉に洗脳されてるんじゃないの?」

「そうなのか?」

「僕にはいつも通りに見えるよ」

「それは良かった」

 ケイゴはホッとする。ユウトは歩きながら言う。

「実際、篭井さんって人は良い人なのかもしれない」

「ユウト君まで!」

 アサミは納得いかないようだ。ユウトはそれ以上、何も言わない。

(実際、良い人なのかもしれない)


 でも――――だとすれば、〈トキメの易者〉って、いったい………。





(#005おわり)



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