夜陰の女
黒木 京也
夜陰の女
「……どこいくの?」
深夜。
女が住むにしては簡素な部屋。布団と小さな
淡く、弱いその光は、ゆっくりと布団から起き上がった弥生を映し出す。
弥生は一糸纏わぬ裸身だった。肩ほどまで伸びるウェーブがかかった黒髪は、横になっていた為か、所々跳ね上がっている。目元の黒子。しなやかなながら、肉感的な肢体。すべてが彼女の美しさを際立たせていた。
何より目を引くのは、月明かりの元に晒された弥生の肌だ。それはまるで雪原のように白く、キメ細やかだった。ただし――。
「悪い。跡になっちゃったね」
俊哉が肩を竦めながら弥生の肌に視線を向ける。弥生の胸元や首筋には、
だが、当の弥生は気にもとめず、ただまっすぐ俊哉の目を見つめてくる。
「……帰らないで? 一人は……嫌」
つい先程まで身を委ねていた、熱帯夜を思わせる一時を想起させ、俊哉は朧気な暗闇の中で唾を飲み込んだ。
骨抜きにしてあげる。
初めて行った、洒落たバーの照明の下。そう艶っぽく笑う女に誘われるまま、部屋を訪れ、一夜を共にした。そこまではよかったのだ。俊哉にはある誤算があった。
弥生は想像以上にいい女だったのだ。逆ナンパをしてきた相手だというのに、本気で惚れてしまいそうになる程に。
足りない。夜は長い。だから、俊哉はもっと楽しみたかった。
「ちょっと……コンビニに行ってくるだけだよ。コンドーム買いにね」
少しだけ下品な笑顔を浮かべる俊哉。
このまま一夜明けておさらばだなんて、あまりにも勿体ない。俊哉の顔は、そんな心情を物語っていた。
「そう……」
すると、弥生は何処か寂しそうに溜め息をつくと、軈て、静かに毛布から這い出し、滑るように俊哉の右腕に絡み付く。一連の動きは、まるで蛇を思わせた。
「でも、ダメ。まだ行かせてあげない」
「ど、どうして?」
驚き、目を見開く俊哉に、弥生は形のいい唇を綻ばせ、静かに笑う。
まさか……いいのだろうか? 一瞬、ゲスな期待をした俊哉は、思わず弥生を見つめ返し……。
「だってまだ、貴方の骨……抜いてないもの」
すぐに表情を凍りつかせた。
弥生は、表情こそ笑っている。だというのに、目は違った。それはまるで蝋人形のような、冷たく、無機質で、何も映していない。虚無の瞳だった。
その瞬間。プスッという、間の抜けた音がした気がした。いつのまにか弥生の手には注射器が握られ、その針先は俊哉に突き刺さっていた。
「あぶっ……えぶあぶおぶ」
意味のない音の羅列を漏らし、俊哉は口周りを
「貴方のこと、骨抜きにしちゃうね」
薄れ行く意識の中。ヒヤリとした白い手に、胸ぐらを捕まれる俊哉。
彼が最期に感じたものは、、自分がバスルームへと引きずられていく……その残酷な現実だった。
※
「こりゃ、ヒデェな」
目の前には、何ヵ所か骨を引き抜かれた挙げ句、ドラム缶に押し込められ、無惨にも焼き殺された人間だったものがあった。
これでは身元の特定は不可能だろう。燃やされたのが人間だと分かっただけでも、奇跡に等しい。
「この辺は、多数のホームレスが住んでいる区画ですからね。焚き火なんて日常茶飯事だったらしいです」
肩を竦めてそう言う傍らの女刑事。その言葉に、大輔はうんざりしたかのように、さっきよりも盛大なため息をついた。
「匂いで通報されなかったら、全く発覚しないまま、人が一人消えていたと? 笑えないな」
「全くです。最近こんなのばっかりですね」
幸せが逃げますよ。と、女刑事は大輔の肩を叩きながら目の前の人間だったものを見つめる。
「骨抜き事件……一ヶ月に一度起こる殺人……警部は、犯人の動機や目的は何だと思います?」
「さてね。殺人者の思考なんざ、考えたくもないさ」
それを考えるのが仕事だけどよ。と、大輔は首の骨を鳴らす。
「案外、ただ骨が好きで、綺麗な骨格してたから欲しくなっちまったのかもな」
適当極まりない推理を披露し、大輔はぐっと身体を伸ばす。その横顔を、女刑事はじっと見つめていた。
「……素敵」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、何も。本当にそうだとしたら、警部凄いですね。その思考を理解してくれるんですから、殺人者からしたら嬉しかったりして?」
流し目を送る女刑事に対して、大輔は不快そうに鼻を鳴らす。
「バカなこと言ってんじゃねぇよ、雪代一旦署に戻るぞ。捜査の見直しだ」
「はぁい。ところで警部。今夜空いてますか?」
「間に合ってるよバァカ」
スタスタと歩く大輔の後を、目元の黒子が印象的な女刑事――。雪代弥生は静かについていく。
いい……肩甲骨。大腿骨も良さそう。でも、頭蓋骨は固そうね。今度は食器にしようかな?
弥生の内心での独白を知るものは、当然ながら誰もいなかった。
※
事件現場から足早に退散しながら、小野大輔は、燻る感情を抑え込む。原因は、分かっている。自分についてくる女の気配をひしひしと感じながら、大輔は苦々しげに下唇を噛んだ。
……会った時からそうだ。雪代弥生。この女は、死体の匂いがする。
刑事特有の勘というべきものが、絶えず警笛を鳴らしていた。この女は、危険だ……と。
自分の身体を舐め回すように見る女。漆黒の瞳は、どこまでも深く、まさに夜陰を思わせた。爛々とした熱視線を受け流しながら、大輔は署に帰還する。
「……やっぱり、〝骨〟がある人ですね。警部」
次の標的が自分だとは、微塵も気付かずに。
夜陰の女 黒木 京也 @kuromukudori
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