第13話 守護と運び人
実家についたら、朝のワイドショーを見ながら、掃除機をかけている器用な母が見えた。
あんな状態で情報を把握できるなんてもはや特技だな、と感心しながらズカズカと2階に上がる。
「入るよ」
と声をかけた意味もないくらい間髪入れずにふすまを開けると、窓を全開に開け放ち、立ったまま日光浴をしている倫太朗がいた。
「環か」
微動だにしない。
「うん。また戻ってきた。知恵を貸してほしい」
「嫌な予感がしたが、やはりな」
背中越しだが、倫太朗の厳しい口調からめずらしく父が真剣な顔をしていることが察せられた。そして、この新米試験のレベルが少々高かったことを、心の中で素直に認めた。
「お前はあの家に行って何が気づいたか」
「そうだね。由香里ちゃんという娘の様子がどことなくおかしいのと、家から出ている黒い気持ちの悪いものが見えた。視界に入るだけで不安になるような気配をもつ何か。それが川みたいになって、玄関から流れ出していた」
倫太朗は、深呼吸をしてパンッと手を大きく打つと窓に向かって深く一礼した。
窓の外に見える裏の山が陽を受けて明るく輝いていた。ゆっくりと窓を閉めると倫太朗はやっと環を振り返った。
「お前はじいさんというより、ひいじいさん譲りだな。俺にはそこまで見る力がないからわからんが、お前のひいじいさんはいろいろ見ることができたらしい。それを商売にしたのはちゃっかり者のじいさんだけどな」
「見える見えないってなんなのよ。人の気も知らずに不愉快だな。で、アレはなに」
「うん。見る者によって見え方はさまざまらしいが、簡単に言うと人の情念だ。お前がそれを恐ろしいと感じたなら怨念や呪い、嫉妬、殺意などのマイナスの情念のいずれかだ。経験を積むうちにどういう種類のものかわかるようになるそうだ」
「なるほど。それがあのうちに渦巻いていると?」
後ろから声が聞こえて、ぎょっと振り向く。
大きな犬っぽい動物が座っていた。
〈これだけ見れば、スマートな紀州犬っぽいよなあ〉
倫太朗は虚を突かれ、しばらく押し黙ってから、大声を出した。
「お、おお! 久しいですねえ。守護さま。お変わりないようで」
「おまえは、ずイブん頭がスッキリとしたよウだな」
「わははは! こればかりは遺伝でしてな。どうにもなりません」
「確かにおまエたち一族の男ハ、まぶしイ頭がおおいナ」
笑い合っている父親とライを見ながら、環は口をはさむタイミングを探した。
「ライを知ってるの?」
「当たり前じゃないか、長い付き合いだぞ。この仕事は守護さまがいたからこそ、始められたんだ」
「あらそうなの? ただの食いしん坊の居候じゃないんだ。それにずいぶん年寄りなんだね」
当てこすりのように言うと、ライは男児の姿になり、意地悪そうに目を細めながら窓の外を目つめて口を開く。
「気がついたらこの地にいた。あの山の神の守護としてな。ずーっと昔にはヒトであったこともある。ワレの罪はこの地にあり、山を守り続けなければ消えぬ。お前達と交じるのも、ワレの身に課せられた面倒な荷よ」
「……全然わからんわ」
環は吐き捨てるように言い放つ。不遜ともいえる娘の態度に、焦ったような表情をする父親を見て、環は〈このモノノケは、もしかして偉いのか? けっこう偉いのか?〉と自答する。
「知る必要もないだろう。お前はお前の仕事を、ワレはワレの仕事をする。それでいい。ところで倫太朗。山の水はあるか」
「こんなこともあろうかと、先日いただいてきましたよ」
「では、荷物に振りかけよ」
倫太朗は神棚から厳かに酒の入った瓶を下ろしキュッと音を立てて栓を抜いた。
「山の水って酒なの? 裏山のお堂にお供えしたってやつね。ねえ、裏山の神様はそんなに霊験あらたかなの」
「うむ。そうだなあ、あの山はこの町のどの方位にある」
「ええと、北。……じゃないな北東かな」
「そうだ。言い換えれば鬼門だ」
「鬼門?」
知ってはいたが普段使わない単語だ。家を建てるときなどに方角を気にする人が多いと聞くくらいで、その意味などを環は知らない。
「鬼門はすなわち、鬼の入ってくる門だよ。
ライが続ける。
「この町は昔からまつろわぬ魂が紛れ込む場所でね。この世では起こるはずのない災いがそのたびに起こる。そして全ての災厄は、鬼門から訪れる。それを見張り、守り、封じるのがあの山の祭神の役目。それゆえ、ワレと共にここに在る」
山が鬼門を守り、監視する。
ならば環たちの役目は巫女か。門番か。ただの下働きか。
絶句している環に倫太朗はさらに爆弾を放る。
「もう1つ言っておくとな。うちの店は街の裏鬼門につくってある。ここも鬼の道につながっているからだ」
絶句している環に追い打ちをかけるように、なぜかライがドヤ顔でいう。
「ああ、そうだったな。故に
「だからワンともコンとも鳴きそうな外見をしているわけだ」
そんな皮肉をスルーして、ライは続ける。
「鬼門は地軸の傾きが原因で生まれた。つまりこの世の物理的な歪みよの。古くはイザナギとイザナミの神話に出てくる
痛いほどの静けさの中にライの声が消えていった。
個人的な宅配便のはずが、こんなに大きなしがらみを抱えていたとは夢にも思わなかった。
まつろわぬ者が見えるこの自分。恐怖と苛いら立ち、絶望から人との接触を断って店に逃げ込んだのはある意味必然だった。
「じゃあ、店にあいつらが入ってこられないのは……」
「うむ。結界が張ってあるうえ、守護どのがうろうろしているからな。喰われたくないから、あれらは近くに寄れん。唯一近寄れるのは、店先の1か所だけ。外に貼り紙がしてるだろう“よろづはこびます”って。われわれにはわからんが、まつろわぬ者には特殊な見え方をしているんだとか。それに引き寄せられて決死(もう死んでいるが)の覚悟で坤便を置きに来るわけだ」
あの貼り紙を決してはがしてはいけないという理由がやっとわかった。
「なるほどね。ライに喰われる恐怖と戦いながら、一筋の光に導かれるように、店先に現れるわけね」
「うむ。実はここだけの話だが、守護殿に喰われると魂が浄化され、すんなりあの世に行けるのだよ。ただし喰われるときは肉体がないのに、五体がバラバラになるような耐えられないくらいの痛みを感じるそうだ」
「魂が浄化されると、どうなるの」
素朴な疑問を問うと、ライがくすりと笑った。
「ここにいる者はだれも死んだことがないからな。ワレは生きながら封印されたゆえ通常の死は迎えておらぬ。答えは誰も知らんのだ。生まれ変わるのか、天上の楽園で幸せに暮らせるのか……。ただ、浄化されれば消滅はしない。それだけは保障できる」
その後、しばらく坤便にまつわる一問一答が続けられた。あの日、現実から逃げたい一心で引き受けたこの仕事の、深遠かつ寒々しい背景と荷の重さに戦慄し、いくらでも疑問がわいてくるのだ。
ライと倫太朗によると、なんらかの強い思いを残してこの世から消えてしまうと、そのまま地上にとどまりまつろわぬ者となる場合がある。とはいっても時間がたったり、気持ちに整理をつけたりすることで、ほとんどがあの世に行くことができる。
しかし、どうしても思い切れないときは永久にもだえ苦しみながらこの世にとどまることになる。そこで彼らは決意するのだ、この魂が消滅してもいいから、自分の思いを成就させようと……。
そのために坤便は作られる。
坤便の作成の際は非常に苦しむという。浄化を望まず、さらなる業苦にのたうち、自分の魂を献げてまで、成し遂げたい思い。そんなに強い意志を環は知らない。
その思いがどんなに嫌悪すべきものであれ、環には少しうらやましいと感じずにはいられなかった。
自分は、逃げることで解決しようとしてきた。困難に立ち向かうのは愚かである。こだわりなく逃げてしまえば、目の前からほとんどの問題は消えると思っていた。それも1つの生き方だと。実際にそうやってなんとか生きてきた。だから、わざわざ思い止まり苦痛すら耐え忍ぶことを選ぶ強い心に憧れさえ抱いた。
「ヒトがもつ情念を滅するのは簡単だが、それはワレらの本意ではない。ヒトとして産まれ、ヒトとして足掻き、ヒトとしての生を全うした者の情を愚かと思うが愛おしくも思う。できれば昇華させてやりたいのだ。その橋渡しとして、両方を“見る”者が必要なのだ。昇華を手助けする荷物の運び人がな」
人間の面倒な感情に理解を示し、大願成就に力を貸してくれるとは、神というのは存外お節介で慈悲深い存在らしい。それとも人間をもてあそんでいるだけか。
「ただし、我らが扱う情念の代価は魂そのもの。命を削り取らないと坤便はつくれない。つくった者は生まれ変わることも、さまようこともなく消えるだけ」
「これは依頼人の命ッ……」
倫太朗が酒をふりかけ始め、しっとりと濡れだした坤便を指さして環は絶句する。
「勝手に消えたり現れたりするわけだわ」
誰かの、命をかけるほどの願いを包んだ荷物。それを誰に届け、何を伝えようとするのか。梱包を解いた中から現れるのは、鬼か蛇か。この世のものではないなにか。残酷な結果しかもたらさない悲劇の火種だ。
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