第12話 決戦前

「何往復すればこの仕事は終わるのかねえ」


翌朝、外出の準備をしながら、いらだちのぶつけどころがない環は皮肉混じりに独りごちた。

3日連続で家を空けるのは、環には近来まれに見る大冒険なのだ。

そもそも思う存分引きこもりをやりたくてここに来たのに、なんてザマだ。


「直接渡して、“この場で開けて”って言ったらどうかな」


などと言っていると、ライが後ろに忍び寄っていた。


「そりゃあいいねえ。中身が何であれ、おまえも巻き添えを食うよ。ヘタをしたら、引きずり込まれる」


「ど、どこに」


振り向きながら、そっと尋ねる。


「さてねえ。ワレもそれはわからない。人間の情念の向こう側ってやつじゃないのか」


この憎たらしい口の利き方は、どうにかならないか。いちいち気を持たせるような言い方をする。お前は、構われたがりの女子か!


「あれ、あんた。言葉がふつうになってる」


「ああ、ヒトガタでいるときは、仕方ないだろう。久しぶりなんで、少々ぎこちないが、そのうち慣れるだろうよ」


「使い分けするくらいなら、最初からふつうに話せばいいのに、面倒なヤツ。でもね、しゃべり方がジジくさいんだよ」


すると、ライは初めて見るビックリ顔で動きを止めた。


「うむ。やはりそうか。おかしいか?」


「そりゃあね。紅顔の美少年が“そうじゃのう”なんて言ってたら、昨今ではいじめの対象よ。しかも、わざわざその目立つ外見なんだから、違和感バリバリ。小宮山さんちの102歳のおばあちゃんでもそんな話し方しないもん」


一気に言ってやった。


「それはいかんの。少し勉強するか」


つぶやきながら、ふっとどこかへ行ってしまった。


われに返ると、今後の動きを考えた。

ライの言うとおり、初心者の私には手に負えない。倫太朗に話して知恵を貸してもらうしかない。場合によっては一緒に動いてもらわないとならないかもしれない。今回の仕事が危ないものであれば、万が一の用心も必要だろう。その方法も含め準備がいる。

たぶん今回の出動で決着がつく。いやつけたい。お願いだからつけてほしい。

奇妙な父娘に相対するこちらも、奇怪な父娘だがもはや混戦覚悟だ。

実家に何日か滞在することになるのか、倫太朗とさらにどこかに出かけることになるのか、まるでわからないが数日宿泊できる着替えと動きやすい服装をした。


……ライのことは考えなくてもいいだろう。


出陣前の腹ごしらえとして、頂き物の粕漬けを冷蔵庫から取り出した。

薄いオレンジ色の粕がべっとりとついた鱈の切り身を取り出すと、ザバザバと流水で洗う。

みるみるる間に白い切り身の肌が見えてくる。力を入れるとぽろっとこぼれそうなのに、弾力に満ちた手触りだ。

きれいになった切り身を焼き網に乗せてじっくりと焼き上げる。

すぐに焦げてしまうので、弱火が必須だ。

甘く香ばしい匂いが部屋中に満ちる。


焼いている間に、塩出したたワカメとキュウリ、ミョウガを切り、少し甘めの三杯酢で和える。


次に納豆をまな板の上で細かく刻む。あらかじめひき割りを買わず大粒納豆を買って、食べる前にひき割りにするほうが大豆の濃い味と香りがでる。よくかき回したら、辛子とごま油を少したらすだけだ。


最後に昨夜のうちに水につけておいた煮干しでだしをとり、なめこエノキと豆腐の味噌汁を作ったら、胃が痛いくらいの空腹がやってきた。



「朝からずいぶんたくさん食べるんだね。僕ももらっていい?」


大きく一口目を開けた途端、テーブルの正面から話しかけられれる。


「あんたねえ……いきなり出てくるなってば。ふーん、さっそく、現代語を、習得したみたいね」


白米を頬張りながら、答える。

 

「割合に楽だったよ。僕、けっこう頭がいいんだもん」

 

断りもせずにキッチンに入って、自分の分の飯を盛りつけている。


「その話し方もかなり白々しいけどね。ん? ちょっと待ちなさいよ。あんたはご飯なんかいらないでしょう」


「食べなくともよいが、食べても問題はないのじゃ。おまえの作るものは、なかなかの美味だからのう」


「図々しい。いつつまみ食いしてたのよ」(付け焼き刃なせいで、ジジイ語に戻ったな)


ニヤニヤ笑うライをにらみながら、食べる手は止めない。


「いただきまーす。うん、環のご飯はおいしいねっ!うふ」


また現代語に戻って、小首をかしげ無邪気にほほえむライは、なんでこんなにかわいいのだ。おばちゃんたちの心臓にクリーンヒットするぞ。


〈この猫かぶりのバケモノ犬がっ〉


今回の件で、助けてもらう身としてはこれ以上突っ込めない。罵詈雑言は胸に納めて黙々と食事に徹することにした。

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