第11話 ライの好奇心
呆然と見ているその間にも弁当箱はどんどん消えていく。
手を伸ばしたら自分の指も持って行かれるのではないかと思われ、怖くて触れなかった。
完全に消滅したとことでわれに返った環は、慌てて愛車にまたがった。
キーを差し込もうとしても、なかなか刺さらない。
暗さのせいではなく、手が小刻みに震えているのだ。
なぜあの親子は坤便を捨てるのか。
坤便の中身がわかっているから捨てるのか。
坤便はどこに行ったのか。
わからないことが多すぎる。
得体の知れない恐怖がジワジワと冷たい汗のように身体からにじみ出てくる。
左手もキーにそえてやっとのことでエンジンをかけると、ここが夜中の住宅街だということも忘れて愛車をスタートさせた。
いつもより安全に気を配り、心を落ち着かせるように速度を落とし、深呼吸を繰り返し、家路をたどる。
なにも考えるまい、と言い聞かせ、運転に集中することにした。
振り向いたら坤便が背後から追ってきそうな、うすら寒くなる感覚を初めて覚えた。
店に戻りいつものようにバイクを止め、裏口から帰宅した。
今日は店の扉は閉めてきた。
近所の人間でも入ることはできないはずだ。
店内は静まりかえっている。
真っ暗な店内を通り抜け、店正面の平台にそっと近づく。
やはり、ある。
いや、
いる。
この荷物は自分の意思で姿を消し、戻ってきたのだ。
荷物ではなく、それ自体が意思を持つ生き物であるかのように。
今度は環よりも先に戻ってきている。
「2度目だから、道も覚えてて早かったのか」
環は自分を鼓舞するように軽口を叩いてため息をつくと、静かに存在しているそれに背を向け、2階への階段を上った。
カーテンを引いて出かけるのを忘れたため、街灯のかすかな明かりが入り込み、部屋はボーッと白く浮き上がっている。
窓際にできた小さな陰の中に、うずくまるライを見つけた。
「なによ。まだいるの。ずいぶんあの荷物にご執心じゃん」
「いヤ、あんたガどう捌くかが楽しくなってキテね。ただの好奇心ダよ。食わせてクレるんなら、その方が嬉しイさ」
話しながら、電気をつけると、ライは大きな身体をブルッと一振りして、立ち上がった。
「野次馬根性か。いい気なもんだわね。長く生きてるんだろうから、少しは知恵を貸しなさいよ」
ライは細い目をきゅっと閉じると、楽しそうに声を出さずに笑った。
「それも悪くないナ。だったら、こちラも少し変わるとスるか」
言い終わるやいなや、ライは色白の少年になった。
冷たい怜悧な雰囲気はそのままに、10歳くらいの子に化けたのだ。
「うわあ。あんた、そんなこともできるのね。こりゃ、本格的に物の怪だわ」
「違う。狐狸妖怪の類いでハない。ワレは古い意識体ユエ、どういう形デも取れる」
「そんなことどうでもいいわよ。なんか調子狂うけど、とりあえず話を聞きなさいよ」
環は問答無用とばかりに、今夜の出来事を話し始めた。
ライは大人しく聞いていたが、時折鼻を鳴らすのが気に入らない。
環を馬鹿にしているのか、坤便の匂いを嗅いでいるのか、その細い目からは何の感情もうかがえない。
「もウ一度、倫太朗のところに連れて行ケ。ワレが話をする」
「え? あのオヤジじゃ、アテにならないよ。酒飲んで寝てるだけだからね」
ライはまた笑う。
「あやツも、昔はこの店で坤便を運んでいたのサ、技はもってイルはずだ」
「技? 坤便配達に何の技が必要なのよ」
「この世の物でない物を運ぶのだから、どんなことだッテ起こるさ。倫太朗も
蓮悟は曾祖父の名前だ。坤便という商売にならぬ奇妙な仕事を始めた変わり者だ。その蓮悟を知っているということは、ライは100年以上生きているのか。
それほど深く考えず、バイク便気分でこの仕事を引き受けた環は、弁当箱の坤便が消えたときに感じた頭の地肌がチリチリするような焦りを覚えた。
「ケッ、たいそうなじいさんが美少年に化けて何が面白いんだろうね……。はいはい、わかった。教えを乞えというのね」
「ふふフ。割り切りガ早いのは、お前のヨイところだよ」
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