第14話 事情

『山の水』とライが呼ぶ、いわゆる御神酒をかけられた坤便は、何もなかったようにそこに鎮座している。


「これでしばらく勝手に動くことはできまい。ということで、もう一度届けておいで」


倫太朗は環にズイッと荷物を突き出す。


「今度は本人に渡すとき、なるべく早く開けるように言うんだな」


「え……それでいいの」


「おそらく素直に言うとおりにするだろう」


「それは、この御神酒の御利益なの?」


手の中の荷物は、不思議にもうしっとりとしていないが、何となくきれい洗われた感じがする。


「違うよ。その子は抜け殻だからね。何も考えないんだよ。言われたままのことをするだけさ」


ライが少年のように無邪気に笑った。


「確かに表情や所作に違和感はあったけど、どういうことなの」


環は1人だけのけ者になった気がして、問い詰めるような口調で言う。


「実は、守護殿に頼まれて、この前御神酒を取りに行ったついでに、縞田家の情報を仕入れてきた。興味深いことがわかったぞ」


倫太朗はこともなげに言う。


「ちょっと待って。なんでオヤジがそんなことできるんだよ。ていうか、私の仕事じゃん」


「まあ、怒るな。新人研修における先輩のフォローと指導の一環だ。OJT研修ってやつだな。この辺はお山の神様の氏子ばかりでな、暇な年寄りがなんでも知ってるんだよなあ」


飄々とうそぶく倫太朗が言うことには、縞田家は数年前に父親である誠一郎が社内不倫をし、それが妻の恭代にばれて大騒ぎになったらしい。浮気相手が自宅に殴り込んで修羅場になったり、夫婦喧嘩で家のガラスを割ったりで、近所でも相当噂になっていた。だから、その直後に思春期の娘の由香里が豹変して暴れ出したのも必然と思われた。

しかし、それから1年ほどして妻が出ていくのと前後して由香里の荒みっぷりも落ち着き、いまのような状態になったという。

離婚したというわけではないようなので、妻は失踪という扱いになっているそうだ。


「浮気が原因でお母さんが失踪して、なんで由香里ちゃんが落ち着くのかな。普通はもっと荒れてもいいと思う」


「そこが謎だ。娘に坤便が届いていることに関係があるかもしれないな」


「だいたいその恭代って女もどうなのよ。夫が浮気して大変なのに、子どもまでおかしくなってしまって、自分の中の何かがぷっつり切れてしまったというのはわからなくもない。んー、それでも私なら夫を恨むな。由香里ちゃんは被害者じゃないか。坤便を送りつけるほど恨むのはおかしいよ」


環は結婚も子育ても経験ないし、する気もないが、自分なら夫や浮気相手の女を恨むだろう。がまんできないなら、子どもを連れて離婚すればいい。もちろんがっぽりと慰謝料をもらう。


「正妻が出て行って、浮気相手はさぞ喜んだだろうね」


想像しつつ憎々しげに環が言うと、ライが少年の姿になり、可愛い声で歌うように話す。


「それがね、浮気が発覚して半年くらいたった頃に、この近くの川で投身自殺してるんだよ」


「え……。じゃあ、娘がああなったのは、その女のせい……?」

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