第6話 少女

外は少し湿気を帯びてきた夜の空気が漂っている。かすかにクチナシの香りがした。

〈白い花弁が清楚だけど、花の時期を過ぎると途端に汚くなるんだよね〉


環は少しだけ顔をしかめると、愛車にキーを差し込んだだけで、2本向こうの大通りまでゆっくりと押して歩いた。

まだ早い時間とはいえ、このバイクの大きな排気音は夜の静かな住宅街には少々無粋だ。


さらに、この家には倫太朗が住んでいるせいなのか、時間に関係なく周囲に意思をもつ者や、たださまよう心なき者が漂うように揺れている。

しかし、彼らは皆ゆっくり歩く環を見つけると、すーっと引き寄せられるように無言でついてくる。

倫太朗にいわせればこんな吸引力も、“もっている力の違い”なのだそうだ。


この年になれば環も昔のようにただおびえたり、振り払ったりはしない。存在自体を毛嫌いしているので、慣れるということはないが、動揺はしなくなった。


「ちっ、こういうときには面倒なのが寄ってくるんだよ」


環のいらだった独り言は、虚空に発せられたが、その対象であるそれらはそれでも何かを言いたそうに環の前を離れない。


そうこうしているうちに、大通りまででた環は、エンジンをかけ、ヘルメットをかけると、乱暴に走り出した。

いくら実体をもたぬ者でも、この速度にはついてこられない。立ちはだかろうとも軽くはじき飛ばせるし、蹴散らせる。これが心を持たない機械マシンの力だ。だからこそ、環は単車を愛した。疾走している時だけは、純粋に自分の生を楽しめるのだ。


20分ほどで縞田家の近所に到着したが、今度は公園脇に停めず、やはりエンジンを止めて単車を引いて歩ていくことにした。


門の前に立ったのは午後8時36分。他人の家を訪問するには少々遅いが仕方ない。

インターフォンはゆっくりと応答した。


「……はい」


応じたのは娘の方らしい。


「夜分すみません。縞田由香里さん宛にお届け物です」


こんな時間にお届け物って、危なくって出てくるはずないか、と自分に突っ込んだが、初仕事なので他に言いよう知らない。


「お待ちください」


意外にも冷静な声で返答された。自分が女だったから警戒心が薄れたのか。

しかし、若い女の子がほいほい出てきちゃダメじゃないか、と複雑な気分で待っていると、すぐに相手は出てきた。


黒いストレートの髪が左右のサイドで編み込まれている。肩に届くくらいのロングヘアがよく似合って清純で真面目そうだ。これがこの前まで野獣のように暴れていた本人とは思えない。

娘は差出人も品名も書かれていない、乾坤一擲オリジナルの伝票に認め印を押すと、何の表情も浮かべずにくるりと環に背を向けた。


「あ、あの」


思わず声をかけると、娘は予備動作もなく即座に振り返る。首をかしげる仕草はまだあどけなく、その目に警戒心や恐怖感、好奇心などは浮かんでいない。

通常は宅配便や郵便などが届くと、待っていた荷物を前に人は少し嬉しそうな顔になる。また見慣れない物や注文外の荷物を前にすると戸惑ったり、拒否感を顔に浮かべるだろう。

しかし、この娘は喜びもしない。こんな夜更けに届いた差出人不明の荷物を警戒心もなく受け取り、素性の知れない相手に無防備に背中を晒す。

この子はなにかおかしい。

環は直感した。


まだこの家の悲劇は終わっていないのだ。

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