第5話 子を恨む母


「届け物って、あなたそれ……」


この日初めて澄子が口を閉じた。

目元が引きつっている。

母も知っているのだ、この仕事の後ろ暗さや、やりきれなさ、救いのないことを。


「だ、だからっ……まだこんな子どもに、荷が重いって言ったのよ。なのに、お父さんとおじいちゃんが……」


澄子の言いたいことはわかった。

まだ年若く、自分の心も定まっておらず、他人に傷つき、部屋だけでなく自分の心の中に閉じこもったような子どもに、つとまるような仕事ではない。

なのに、半ば押しつけるように店を譲り、置き去りにするように転居したことをまだ悔いて責めているのだ。


しかし、澄子は知らない。環の心が定まらず、傷ついてしまったのは人間関係だけが原因ではないのだ。幼少時から追いすがってくる、たくさんの奇妙で物寂しい存在が、いつも環の心を攪拌していることが大いに関係しているのだ。



引きこもっていたのは、乾坤一擲の店の中ならば、人間以外は入ってこられないからだ。

唯一異形の者が接触してこない、安心できる場所があの店だったのだ。


「お母さん、私はもう小さな子どもではないし、自分なりに対処する方法もみつけた。それに、お父さんができたんだから、私にもできるよ」


母の心配はわかるが、さらに心配をかけないようにいままで通り、詳しいことは口にせず、いたずらっぽい顔をした。


「……そうね。お父さんでもできるんだから、なんとかなるわね」


「お前ら、俺をディスって決着つけるんじゃねえ。それより、メシにしようぜ」


久しぶりに親子で囲む食卓は、懐かしいものだった。

真冬でもないのに、鍋を囲んだせいもあっただろう。幸せな家庭の一場面のようだった。

沸騰した鶏ガラスープに、ニンニクと軟骨入りの鶏団子と鶏肉を入れてしっかり火を通す。

あくを丁寧に取ったら、うまみの出る舞茸や油揚げ、ピーラーで薄切りにした大量の大根、ニンジンを入れる。あっという間にクタッとなるので、最後に白菜と焼き豆腐を投入する。

このままでも十分においしいが、ニンニクポン酢にゆず胡椒を入れたつけだれにつけて食べると、味が締まる。


澄子の1人しゃべりを聞き流し、黙々と咀嚼しながら、環は考えた。


依頼に来た女は亡くなっているのだろうか。まれに生きたまま妄執の塊になることがあると聞かされたことがある。実体があればあるほど、そのおぞましい姿に、やりきれない思いがするそうだ。


年齢からいって、おそらく行方不明になった母親だろう。娘がおかしくなったせいで壊れてしまった自分の家庭、自分の人生を悲しみ、娘を恨んだのだろうか。坤便をつくるほどに、自分の娘を心の底から恨めるのだろうか。

子どもをもったことがない環にはわからない。


「お母さんは、私に人生をめちゃくちゃにされたら、私を恨む?」


思わず質問していた。

話の腰を折られて、ちょっとムッとした澄子は、つまらなそうに言い放った。


「いまでも、もうけっこうめちゃくちゃよ。私の予定では今頃娘は海外で超セレブな生活をして、大金を仕送りしてもらって、旅行もショッピングも思いのままだったのに、ろくに就職もしないで、おかしな家業を継いじゃったんだもん」


みそくそである。


「いや、そういうんじゃなくてさ。重大犯罪を犯して世間から非難されるとか、私のせいでひどい暮らしを余儀なくされるとしたら、って話」


「ばっかばかしい。あなたがそんなに大それたことできるわけないわよ。それにね、そんなことになる前に私とお父さんが体を張って止めてるわよ。これでも力と度胸はあるんだから」


鼻の穴を広げて、根拠のない自信を披露している母が少し可愛くなって、笑った。


「そりゃあ、瞬間的にはこのクソガキーって思うことは何度もあるわよ」


そうか、クソガキって思われてたのか。


「でもね。まあ、自分の子どもを恨み抜ける母親なんていないわよ。自分で産んで自分の腕で抱いて育てたのなら、なおさら」


どんな母親も子どもを心から愛せるわけではないと分かっている。望まぬ出産だったり、人生の読みの甘さだったりで、愛憎がクルクルと交替することだってあるだろう。でも、強く憎み、恨み続けることはきっと難しい。と信じたい。

環の心は決まった。

食事の後片付けを少し手伝って、リビングを後にする。


「じゃあ、行くわ」


「おう、うまくいかなかったら、戻ってこい。泊まれる準備はしておく」

「運転に気をつけるのよ」


両親の声に背中を押されて、実家を出たのは21時。

縞田家に明かりはともっているだろうか。


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