第4話 まつろわぬ魂

演良町の外れにある実家にたどり着いたのは、夕方だった。

母の澄子は買い物に出ていたが、父の倫太朗は在宅していた。ハーフパンツにTシャツの軽装で夕食前だというのにからみ餅を食べていた。


「餅はダイコンおろしに限るな。鬼おろしで粗くおろしたやつに、生醤油と一味唐辛子を混ぜればそれで酒のアテになる」


と上機嫌だ。

酒の肴に餅ってどこの食いしん坊だよ。

気負いこんできた自分がばかばかしくなった。


「あのさ、坤便なんだけど」


同居していたときから変わらない不機嫌な声で環は話し始めた。とくに嫌っているわけではないが、いつの頃からは父親と真面目に会話することが恥ずかしい。接し方を忘れてしまったようだ。

名前といい、体質といい、食の嗜好といい確実に父親の血を色濃く継いでいるとわかっているからこそ、なにかしゃくに障るものがあるのかもしれない。

ま、ハゲだけは遺伝子しなさそうだが。


「おう? 久々にきたのか」


雑な性格に見えて、察しがいいのは助かる。


「どうすればいいのよ。この荷物」


倫太朗はぬっと差し出された弁当包みらしき届け物に手も触れずに言う。


「そりゃ、届けるしかないだろう。あ、お前捨てちまおうとか思っただろ。でもな、できないぞ。戻ってくるんだよ。何度でもな。俺もやったことあるもん」


悪びれもせず、わははと笑う父親の喉ちんこを眺めながら、環はうんざりしてきた。


「オヤジが届けてよ」


と最後の抵抗をみせると、ダルマのような迫力のある丸顔をずいと寄せてくる


「お前に店主を譲った時点でもう俺にはさわれない。ほら」


なんと、荷物は倫太朗の手を素通りする。


「さすがに、まだ見ることはできるけどな」


昔取った杵柄だ、とニヤリ笑う。全然自慢になっていないぞクソオヤジ、と環は思う。


「だましたな」


「だましていない。お前が俺よりもこの仕事に向いているのはわかっていた。能力も性格も。だからお前に早く譲った。おそらくお前をめがけてこれからも坤便の依頼はたくさん来るぞ。あいつらに頼られる素養がおまえにあるんだ。じいさんそっくりだ」


「じいさんって、私のひいじいちゃん?」


乾坤一擲を創業した曾祖父は、豪快な男だったと聞いている。戦前戦後、たくさんの孤児を助け、損得なしに働いたが、他人には言えないような後ろ暗いことも相当やっていたという噂もあった。


「そもそもあの店を始めたのは、坤便を扱うのが目的だったって聞いたぞ。命の法則にまつろわぬ魂に引導を渡してやるために、最後の届け物をしているっていってたかな」


命の法則にまつろわないとは、どういうことだろうか。


倫太郎が言うには、曾祖父は生まれたときから、この世のものではない存在を認識していた。彼らと会話ができたし、命令することも殴ることもできたという。


「幽霊をぶん殴るの!?」


環はかなり引いていた。ひいじいちゃん、めちゃくちゃだ。


「おう、そうだよ。俺には無理だけど、じいさんが殴るとやつらはすっ飛んでいくんだよ。すげえだろ、ワハハハ。まあ、アレは幽霊とはまた別物なのだけどな。うーん、恩讐とか、遺恨とか怨嗟、慚愧、悔恨とか人間が思いつく限り最低でマイナスな心の塊だな。それが人型になって現れる。こいつらとつきあうのは、ものっっっっっすごく疲れるぞ」


そういう負の感情を抱えたままの魂は、ある意味強い。浄化もされず生まれ変わりもできず、どこにも行けないらしい。つらいけれども感情だけで存在しているので、心を捨てるわけにもいかない。苦しくて1人でのたうち回って、何年も何十年もあがき続けている。


しかし、1つだけ終わらせる方法がある。それが坤便だ。


もし坤便を出したければ、最後の心残りを詰めた荷物をつくり、乾坤一擲の店主に渡す。荷物が届いたときに魂は消える。

しかし、これはいわゆる成仏などというかわいいものではない。存在が完全に霧散するのだ。二度と生まれかわることはできないし、どこにも心のかけらを残すこともできない。

それは長く苦しんできた心を捨てるよりもつらく、痛いのだそうだ。だから、彼らも相当の覚悟をして、魂を絞り出すようにして荷物を作るのだそうだ。

自分が無に帰すより、伝えたいことや晴らしたい恨みがあるのだろう。

切なくも壮絶だ。


環は倫太朗に荷物をもってきた女のことと、隣家の主婦から聞いた話をした。


「宛名はその娘なんだな?」


「うん。でも荷物の中に入っているのが負の感情なら、女は出て行った母親で、間違いなくその娘に対する恨みが詰まってるよね。それがわかっていて届けるのは、非常に気が重いよ」


「俺はじいさんやお前のような能力が弱いから、坤便の仕事をした回数が少ないし、とにかく渡して帰ってきただけだ。だから確実なことは言えないが、毎回結果が悪いと決まっているわけじゃないみたいだぞ。負の感情はもっていてもいいのだ、ということに気づかされるケースもあった。だから、お前は初仕事として、先入観をもたずにぶつかってみたらいいと思うぞ」


倫太朗は、いいことを言った俺、という自己満足に満ちた顔で勝手に頷いている。



環が考え込んでいると、澄子が帰ってきた気配がした。


「たまきぃ〜来てるの〜」


両手にスーパーの袋をぶら下げた母は、いつものようにリビングに入りながら全開で話しかけてくる。


「あなた、来るなら電話くらいよこしなさいよ。まったくこっちが連絡してもろくに話もしないくせに、勝手なモンよね。夕飯食べていくの? それならもっと買い物してきたのに。あ、泊まっていくの、どうなのよ。なんか言いなさいよ。相変わらずねえ」


かわらない勢いに少々引きながら、倫太朗を見ると涼しい顔をして酒に手を伸ばしている。

今度は、それを見とがめた澄子の口がなめらかに動く。


「お父さん、またこんな時間からお酒飲んでっ。いい加減にしないと体をこわすでしょう。先月の健康診断で血圧が高いし、肥満気味だって言われたばっかりじゃない。だいたいコソコソ飲んだってちっとも美味しくなでしょうに。1日に何合とか決めて飲めば私だってこんなに愚痴をこぼさないわよ」


と話す間にも、買ってきた食材を袋から取りだし、次々と冷蔵庫の所定の場所に納めていく。

まったくためらいがない。

見事なものだ。


「近所に用事があったら寄った。夕飯は食べるけど、届け物があるから10時くらいに帰る」


やっとそれだけ言うと、どっと疲れた。



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