第3話 害をなすもの

演良町まではバイクで40分ほどだ。

ちょっと暑いほど日差しが出ていて、初夏の風の中をバイクで失踪する幸福を味わえる数少ない日であることに、しばらくしてから気づく。

必要以上にグリップを握りこんでいる。知らず、緊張しているのだ。


実は、バイクに乗るのは見た目ほど気軽でも快適でもない。生身の体がずっと風を受けているため、体温を容赦なく奪うのだ。超強風の扇風機の風を全身に数時間浴びていたら、真夏でも体が震えてくる。その証拠に夏に長袖を重ね着しているライダーも多い。

さらに真冬は、上半身はもとより下半身も動かなくなるほどになる。風を通さない革パンツをはいていても、クラッチを変えるのに努力がいる。

雨や風で視界が悪くなったりバランスを崩すこともある。

そのため、心身ともに気分良く走れるのは、年間を通して1か月あるかどうか。その1か月のために、寒さや暑さに耐えて走っているといってもいい。


「演良町5丁目は、この辺か」


バイクを近所の公園の脇にとめて、環は目的地付近を探索することにした。

環の住む町よりも人口の多い演良町には駅前に大きな複合型ショッピングモールがある。そのため土日には近隣の住民が押し寄せるが、平日の昼間はこんなものだろう。時折、赤ん坊の泣き声がどこからか聞こえてくるだけだ。


番地表示を見ながら、空き地と住宅が交互に現れる町をうろうろする。


「17-5、17-4、17-8、あれ、とんだ。んー17-2はどこだ」


こんな所でも独り言全開の環だが、通行人もいないので聞きとがめられることもない。


「あった、ここだ。縞田しまださん」


その家は、近隣の家と大きさも古さもさほど変わらない平凡な一軒家だった。車1台分のガレージと小さな庭とその真ん中に短いアプローチがある。

しかし、固く閉じた玄関からなにかが流れ出ていて、門扉の前でよどみを作っているように見えた。

絶え間なく流出しているのは、水のようなものでなく陽炎みたいに空間を少しゆがめる性質の、もやっとした、いや質感的にはどろっとした感じのだ。


目をこすって、もう一度見てもそれはなくならない。


入らない方が良さそうだということは、本能的にわかった。おそらく人間に害をなすもの。相容れないもの。


門柱のインターフォンを押したが、誰も出てくる様子はない。中で人が動く気配もないから、留守なのだろう。

訪問は後日改めることにして、まずは近所の家に話を聞きに行くことにした。荷物が荷物なのだから、いわく付きの家なだろうことは想像がついた。

闇雲に届けても、この荷物は受け取ってもらえない気がした。



「縞田さんは、大手家電メーカーのE社の部長さんなの。絵に描いたような幸せなご家庭だったんだけどね、お嬢さんが中学の時におかしくなってね。グレたというよりも、なんていうか精神病みたいな感じかしら。その後すぐに大学に受かったお兄さんが逃げるように出て行って、心を病んだ奥さんが失踪しちゃって家族はバラバラ。当時は大変だったんだから」


声をひそめて、しかし目を輝かせて隣人の主婦は饒舌に語る。

現在家に住んでいるのは、父親と現在高校3年生になった当の娘だそうだ。

いまでは嘘のように大人しくなったそうだが、当時は悪魔でも取り憑いたかと思うほどの暴れようで、夜中に警察を呼んだことが何度もあったとか。


「奥さんが失踪してからいきなり別人みたいに落ち着いてさ。そんなことで改心するなら、最初から親に苦労かけなきゃいいのにねえ。私たちにもさんざん迷惑をかけたくせに、いまじゃ顔を合わせても魂が抜けてるみたいに、こちらも見ないし、あいさつもしないわよ」


暇そうな主婦が言うには塾に通っている娘が学校から帰宅するのも、父親が帰宅するのもだいたい夜の20時を回る頃だという。

主婦の夫が時折、帰りの電車に乗り合わせるので知っているという。それを差し引いても、この主婦は相当な噂好きだ。通りに面した窓から外を監視しているに違いない。


夜まで時間ができた。

環は実家に寄ることにした。


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