第2話 特別な荷物

「あー、面倒だなあ。これ、あれか。久々の坤便こんびんだよねえ」


間の抜けた声で環は独りごちる。


この店にはいつの頃からか、通常の店では扱えない宅配便が持ち込まれる。それを家族内では「坤便」と呼んでいる。「乾坤一擲」オリジナルのお届け便という意味なのだろうか。


坤便が特別なのは、ここで扱われる荷物が人の手では触れられないからだ。触れられるのはこの乾坤一擲の主人だけ。余人がさわれないから、持ち運んで相手に届けるのは、必然的に店主の役目となる。


そして、人の手でさわれないものをもってくる依頼主も、言わずと知れた人外の者に違いあるまい。


父親もたまに店を留守にして、この坤便を自ら届けに行っていたことを、環は思い出した。帰宅するといつも無口で疲れたような顔をしていたものだ。しかし、ここ十年近く依頼はなかったはずだ。


「なんでいまさら、私の代でくるかなあ」


環は忌々しそうに荷物を持ち上げてみた。


ああ、さわれる。やっぱり。


その包みは弁当箱のようにみえるが、四角い箱を大きめな布で包み、真ん中でぎゅっと固結びにしてある。うん、弁当にしか見えない。


おそるおそる鼻を近づけて、においをかいでみる。

くんくん。

においはしないが、からではないようだ。


かさこそかさこそかさこそかさこそかさこそかさこそ


「うゃああああああああ〜〜なんかいるううううぅ」


投げつけなかっただけでもたいしたものだ。

環は自分で自分をほめつつ、棚の上に放り出された弁当箱を気味悪そうに眺めながら、思案する。


昔からの慣習通り、この住所に弁当箱を届けるか。

ゴミの日に出して、知らんぷりをするか。


「やっぱりダメだよねえ」


環は心の底から嫌そうにため息をつくと、在庫の入っている引き出しからお菓子の缶を出して店の1番目につくところに置いた。缶のふたには、祖父の手による流麗たる毛筆でこう書いてある。


〈配達につき、しばらく不在に致します。商品代金はこちらへお入れください〉


年季の入った鳩時計に目をやる。11時48分。

少し早いが、昼食を食べるか。

面倒な用事は早く行って、早く帰る。これに限る。


店の扉とカーテンを半分だけ閉め、住宅兼事務所となっている2階に上がった。


階段を上りきった先の引き戸を開けると、小さな踊り場になっている。そこで靴を脱ぎ格子戸を開けると、これまた広いリビングになっている。

広い店舗の2階なんだから広いに決まっているが、そのぶん冬は寒い。

すぐにベッドにもぐり込みたいのを、グググゥッと変な声を出しながらがまんして磨き上げられた台所に向かう。


冷蔵庫にはシメジしかなかったが、タマネギとツナ缶ならある。パスタにするか。


つぶしたニンニクと唐辛子をオリーブオイルでよく炒め香りを出す。そこにタマネギと手でちぎったシメジ、ツナ缶を入れる。

パスタのゆで汁を少し足しながら炒め、全体的にクタッとしてきたら、クレイジーソルト、ブラックペッパー、しょうゆを回しがけする。

ゆであがったパスタを絡めて、上からこれでもかってくらいにもみ海苔をかけた。


「配達に行くのに、ニンニク風味はまずかったかなあ。引きこもりはこれだからコミュニケーション能力が低いって言われるんだね。まあいいか、相手もどうせ人外だろ」


と、もはや習い性になった大きな独り言をつぶやきながら、環は2人前のパスタを平らげた。



食べ終わると、1合分の米をざっと研ぎ、少量の酒と昆布片を入れて土鍋で炊いた。

炊きあがったごはんは、自家製の梅干しを入れて大きなおにぎりを作った。天頂部にニンニク味噌を押し込み、白い部分が見えないくらいに海苔をびっしり巻き、ラップで包んでケースに入れる。

使った食器や鍋類は洗って拭き、元の場所に戻す。


台所はなにもなかったかのように、食物の残り香だけをそのままに、ショールームのようなすました顔に戻る。

引きこもりなのに料理とその後始末だけは神経質にするところが、環が“半”ひきこもりと家族に嘲笑されるゆえんである。


環は、クローゼットを開けると、父がそうしていたように大きめのバックパックにおにぎりと濃いほうじ茶入りの水筒を入れた。

引き戸に鍵をかけ、レッドウイングのブーツを履いてまた階段を下り、裏庭に回った。


父から譲り受けたワインレッドの『YAMAHA DragStar Classic400』が軒下に静かにうずくまっていた。シートをさっと拭き、キーを差し込むと手で転がしながら店の表に回る。


エンジンをかける。


400ccのバイクにしては重いエンジン音が、閑散とした道に響き渡った。


「あ、忘れた」


エンジンをかけっぱなしのまま店のガラス戸をあけ、女が置いていった荷物と紙片を指先でつまんでもってくる。置きっぱなしにしたところで、誰もさわれないのだから盗まれないのである。


演良えんら町……。実家の近くか。嫌な予感がするな」


環は荷物をそっとバックパックに入れ、1度だけ空ぶかしすると、誰もいない町を走り出した。

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