どこへ行くのか。

はじめから


男は、ラクダに乗って砂漠を歩いていた。

 故郷の村が潰れたからだ。

 原因はいっとう簡単水不足で、女も子供も老人もすべて死んだ。

 男は救いを求めて隣の村を目指した。水さえあれば、生きていける。そうすることが、死んだ妻や両親のためだとも思えた。せっかく生きながらえた命を、なんとか生き延びようと必死で、男は走り続けた。

 そこで、男は奇妙な人々に出会った。ひからびた少年や、うわさ好きの女たち、足をなくし、目の潰れた老婆。

 そして、楽園のような場所で暮らす二人の子どもたち。彼らは、水も食料も揃った、暑くも寒くもない塔の上で、夢のように生きていた。彼らには、もはや、生きている感じがしなかった。苦しさも、辛さも、悲しさも、この世のあらゆるものを受け入れて、そのなかには、自分たちの死をも、砂の一粒より小さなものだと捉えているような、そんな冗談のような生があった。

 少女は、自分は来年死ぬと言った。花よりも短い命だと。なんとも思っていないようだった。それにしても、少女はあまりにも諦めていた。

 男は、真っ赤な布をまとったあの可哀想な少女の顔を思い出す。青年のことも。

 風が吹く。砂が舞う。砂塵の先に、揺らめく夕焼けが見える。誰もいない。なにもない。ひたすら砂ばかりの大地がある。

 男は、二人からあるものを預かった。それは、白い粉だった。

「これはなんですか」男は2人に尋ねた。

「それは、私たちの右の一番下の肋骨をすりつぶしたものです」

 青年が答えるのを聞いて、男は息を飲んだ。冗談にしては、その白い粉は現実味を帯びていた。

「どうやって取り出したのですか」

「赤ん坊のころ、腹を割かれました」簡単に答える。「よく覚えていませんが」

「そんなものが、残っているのですか」男は半信半疑で尋ねる。信じ難いことだ。

「ええ、大事にとってありました」

「そんなことをしたのは、いったい誰ですか。あなた方の両親ですか。それは、この村の風習でしょうか」

 男は矢継ぎ早に質問をする。

「そんなに焦らないでください」青年は困ったように笑う。「私の腹を割いたのは、老婆です。目の見えない方で、大変だったそうですよ。泣きわめく赤ん坊の腹を割くのはとても大変です」

 青年は両手で、ちょうど赤ん坊くらいの大きさを形作り、右手を思い切り振り上げた。

 そういえば、と、男は頼まれごとを思い出す。村のはずれで、老婆から、長はどんな顔かと尋ねられた。

老婆は、実は、長に会っていた。

「あなたたちは」男は、言いかけてやめた。

「どうかされましたか?」青年は心配そうに首を傾げる。

「いえ、なんでもありません」男は手を振る。「気になさらないでください」

「それはよかった。どうぞ幸せでいらしてくださいね。この先も、あなたの前に素晴らしい幸福が落ちますように」

「口だけならいくらでも言えますよ」

 男は意地の悪いことを言う。青年が、どんな反応をするか試したかったのだ。故郷が潰れて、妻も両親も失った人生の先に何があるというのだろうか。

 青年は、両方の肩を持ち上げると、ため息と一緒にやがてこう言った。

「私の肉でも食べますか?」

 その手には、先ほどまではなかったナイフが確かにあった。よく研がれた、美しい刃先で、波打つ水面のような輝きだ。

「まだ若いので、不味くはないかと思います」青年は、快活に言う。

 男は黙って首を振った。

「命を粗末にしない方がいい。あなたはまだ若い。これからいくらでも未来がある。私はもう年老いていくばかりだ。そんな男に、自分の肉を差し出すなど、よしなさい」

 青年は申し訳なさそうに頭を下げる。

 男は、なんだか、どうでもよくなってきていた。

 こういうことか、と思う。

 父がラクダをさばいたのも、きっと、何の意味もなかったのだ。

 ただ、子どもに肉を食べさせたいというだけ、さばいたラクダへも、なんの感情もなかった。

 それが、一番自然に思えた。

「それでは、さようなら」

 男は子どもたちに背を向ける。預かった二人の肋骨の粉をカバンに詰め込んで、歩き出す。

「お気をつけて」と青年の声。一瞬振り返ると、赤い布に包まれた少女は、眠りこけていた。

 ひょっとしたら、もう死んでいたかもしれない。

「もう、気をつけることなど、なにもありません」男は答える。

 答えてから、背後の顔がどんな風かと想像した。

 きっとまた、青年は首を傾げているだけだろう。

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